33 【漆黒の暗殺姫・3】
著作者:なっつ
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柘榴はアイリスの姿を見つけたのだろう。ゼンマイ仕掛けの玩具のように忙しなく動く短い足が、グラウスの視界の端を通り過ぎて行くのが見えた。
目で追えば、蔓が伸びている部屋に駆け込んでいく柘榴の姿。あの部屋の中にアイリスがいるのだろうか。彼女もこの蔓に捕まっていると言うのだろうか。
ああ。きっと捕らえられているアイリスの姿を見つけて我を忘れているのだろう。黒い蔓に絡み取られた青藍を見た時の自分がそうであったように。
だが子ウサギ1匹で何ができる?
あの蔓は自分の記憶にあるものと同じであるならば、ただの植物などではない。例えていえば黒鉄を編み込んだ鞭のような……切ろうとすれば逆に自分が傷付いてしまう。間違っても彼では太刀打ちできない。
見た目で判断してはいけないと言うけれど、それでもほんの少し前まで意識不明だったことを考えれば、(自分と比べるなんて、と笑われてしまいそうなほどの実力の持ち主だったとしても)その力が十分に発揮できるとは思えない。
だが、突然の柘榴の乱入に動揺したのだろうか。
グラウスの首に巻きついている蔓が弛んだ。
その一瞬の隙に両手で蔓を掴むと力任せに引き剥がし、大きく息を吸った。体を反転させ、体勢を立て直すと同時に蔓の輪から自身の首を抜き、その蔓を投げ捨てる。
正位置に戻った視界に映ったのは、開け放たれた扉の向こう側から飛び出した柘榴の姿。
飛び出した?
あれ? と違和感を感じるよりも早く足が床を蹴る。
手を伸ばしたが間に合わなかった。弧を描いて飛んだ柘榴の身はグラウスの爪の先スレスレを通り抜け、ボタリ、と落ちた。
何が、起きた?
拾い上げるより先に、柘榴の後を追って来た新たな蔓がその身に巻きついた。
目の前で奪い上げられ、一瞬、手が止まった隙に、柘榴の身は高々とつり上げられた。
そして。
「……馬鹿なウサギ」
「アイリス、嬢?」
グラウスは声のしたほう――部屋の中――に目を向けた。
部屋の中は廊下よりも暗い。
照明を落としているのは寝ようとしていたからだ、なんて平和ボケした考え方は、今だけは頭の片隅に追いやっておく必要があると言えるだろう。
その真っ暗な中で、シャリシャリと衣擦れや金属が触れ合う音が聞こえる。
近付いて来る。
目の前にあるのは蔓に吊り下げられた灰色のウサギ。
その周囲を取り囲んでいるのは、少しでも助けに入ろうとすれば容赦しないとばかりに、先端を自分たちのほうに向けた蔓。ユラユラと音もなく蠢く様は、この目の前の光景が夢ではないのかと錯覚しそうになる。
背後を窺えば、意識のない勇者とルチナリスが壁にもたれるようにして座り込んでいる。少しばかり離れているが、今までに何度か戦った黒い蔓の動きを思えば、この程度の距離は距離にもならない。
それを承知しているのだろう。彼らを守るようにアンリがその前にいる。
ミルはいない。
勇者とルチナリスが此処から飛び出してきたことを考えれば、ミルもこの部屋の中にいる可能性が高い。柘榴のように蔓に捕まっているのか、既に倒されてしまっているのか。
そして、彼女も心配だが――。
「執事さん。やっと来てくれたのね」
グラウスの背を冷や汗が伝った。
全身に鳥肌が立ったかのようなゾワリとした感触が、頭の先からつま先まで一気に走り抜けた。
「ア、アイリス嬢……?」
アイリスは捕らえられているわけではなかった。
ゆらり、ゆらり、と左右に揺れながら、ゆっくりと廊下に出て来た彼女は、そのままスルスルと蛇のような動きで音もなくグラウスに詰め寄った。そしてその腕を掴むと目を細めて顔を近付ける。
顔立ちも記憶の中のアイリスだが、妖艶な笑みだけは違う。
この笑みは、笑い方は、アイリスのものではない。
そして。
この身長も、アイリスのものではない。
グラウスは目を見張る。
アイリスの背格好はルチナリスと似たようなものだった。どれだけ背伸びをしようと、踵の高さがあろうと、彼女の顔がこんなところにあるはずがない。
その顔の位置は自分の目の前。
190cm近い自分の背の前では、アイリスは何度飛び跳ねたところで顔を近付けることなどできない。
グラウスは彼女が纏う漆黒のドレスに目を向ける。光をも吸い込んでしまう闇の色は、決して目立つ色ではない。少なくとも婚儀を数日後に控えた娘が夜会に出る際に着る色ではない。
だが、部屋でくつろいでいたのかと言えば、そのような意匠ではないとはっきり言える。細さを強調するように腰を引き締めたドレスは、息をすることすら辛かろう。
そんなドレスが――部屋を出てこようとしていた時には引き摺るほどだった裾が――宙に浮いている。
その下から覗くのは無数の黒い蔓。
靴でもなければ、指先でもない。
唇でも奪われるのではないかと思いそうになるほど近付いた口元から、しかし予想外の言葉が漏れた。
「あなたは今日から私の専属執事になるのよ。嬉しいでしょ?」
「……今、何と?」
専属?
そんな話が自分の存ぜぬところで進んでいたのだろうか。
しかし何故。アイリスには蘇芳も柘榴もいる。きっと彼女が幼少の頃から知っているであろう彼らを差し置いて、何故自分にそんな役割が回って来たのだろう。
アイリスは自分が紅竜から敵視されていることを知っている。はっきりとではないかもしれないが、察してはいる。
青藍が魔王役を下り、執事を解雇された自分の今後を案じて、そのような話を進めてくれていたのだろうか。この家に戻った青藍の傍に仕えることはできないだろうから、と。
もしそうなら、とてもありがたい申し出なのだろうけれど。
再び自分の腕を掴もうとしてきたアイリスの手を、だが、グラウスは撥ね退けた。
退けてしまってから、脊髄反射のように払ってしまったことに躊躇いを覚える。
アイリスは上級貴族。下の者が触れてはいけない。
今しがたの自分の行動は彼女の好意を無にするものだ。それこそ紅竜の処罰を受けても自業自得だと言うしかなさそうな。
逡巡するグラウスを、アイリスはただ嘲笑う。
見下した笑みは獲物がかかるのを待っている蜘蛛にも似て。
『仲直りのおまじないを教えてあげる――』
そう言って笑った、無邪気な少女のそれではない。





