10 【憂慮に堪えない・2】
※挿絵があります。
※空気が全体的にややBL寄りです。
著作者:なっつ
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The copyright of this work belongs to me《NattU》。Do not reprint without my permission!
勢いよく扉を開ける音が聞こえたのはその時だった。
誰か来た、と思うより前に、肩を掴まれて思いきり揺さぶられた。
「 !」
呼ばれたのは私の名か? そんな音の連なりだっただろうか。父も、母も、祖母も、弟も、私のことは別の名で呼んでい……いや。
これは、私の名だ。
あの人の隣にいるための。新たに歩みだすための。
今、その名をそうして呼び捨てるのは……ひとりしかいない。
顔を上げる。
息せき切って、目を見張って。泣きそうな顔で私を見下ろしているのは――。
戻ってきた。
「あ、」
私の、月が。
世界に色が付いていく。
ただ「暗い」としか感じなかったホール全体が、窓から零れる月明かりで青白く染まっているのが見える。
私を見つめる人の瞳の色も。
襟元のタイの色も。
「おかえり、な、さ……」
「うん? ただい、」
……私、の。
両腕を持ち上げる。その腕を目の前の腰に回す。
そして。
「痛い痛い痛い痛い――っ! こら! 離しなさいっ!!」
力任せに引き寄せると悲鳴が上がった。
背中を叩かれる。その痛みで、叩かれていることが、叩いている人が現実のものだと実感する。
夢ではない。
幻でもない。
「いーたーいーってば! 骨が折れる!!」
「……やです」
わかってしまった。
あなたがいない世界は、こんなにも苦しい。
「嫌、です……嫌われても、何しても……傍にいられないの、は」
どれだけあなたが私を嫌っても。
「私、は」
……あなたを、
続く言葉は、ザザ、という波の音に掻き消された。
あっという間に視界が暗くなる。両腕の感覚が、温もりが、ふっと消える。
また、あの夢なのか?
何故。
こんな時に。
グラウスは手を持ち上げた。
今の今まで抱きしめていたはずの人は、もうそこにはいない。
月もない。
今朝も夢で見たばかりの暗くて何もない世界に、たったひとり。
「――様、」
今の今までいたはずだ。この手の中に。
叩かれた背中の痛みも残っている。
かけられた声も覚えている。
それなのに。
どうして、いないんだ。
抗えない焦りがせり上がって来る。いても立ってもいられない衝動と、少しでも動けば残っている腕の中の痕跡すら消してしまうのではないかという不安が混ざり合う。
動くこともできず、叫ぶこともできず。消したくないのに、腕に残る痕跡は消えていく。
これは夢だ。いつもの、あの奇妙な夢だ。
沸き立つ焦りを鎮めるように、グラウスは念じる。
焦ることはない。目が覚めればあの人はいる。だから目を覚ませばいい。それだけのことだ。いつものように目を、
目、
……どうやって……目を覚ましていた?
ぐちゅ、と靴底が鳴った。
踏みしめていた確かなものが消え、体が抵抗を失くしたように沈み込む。
足下に目をやっても何もない。周囲と同じ真っ黒で、自分の足すら見えない。
波の音が遠ざかっていく。
『あれはずっと前から私のものだ。貴様には渡さない』
紅竜の声が聞こえる。
あの男に連れていかれるあの人の背中が見える。遠く、小さくなっていく。
「待って!」
その背に伸ばされる自分の手は、しかしどれだけ伸ばしても届くことはない。
靴底で鳴った音が上って来る。
靴底から足へ、足から腰へ。……違う。音が上って来るのではない。自分が、自分の体が沈んでいる。
真っ黒な、底なし沼に。
「――、様!」
伸ばした手は空しく宙を掻く。ぐちゅぐちゅと気味の悪い音は耳元まで上がってきている。耳に、口に、入って来ようとする。
行ってしまう。
私を、置いて。
「……置いていくなよ」
その声にグラウスは目を開けた。
髪を梳かれている。宥めるように何度も。
視線だけ上に向けると、抱きこまれたままの姿勢で自分の髪を撫でている人の悲しげな笑みが見えた。
いる。
腕の感触も戻ってきている。
「い……きませんよ。何処にも」
白昼夢、という表現はもう夜だからおかしいかもしれない。でもそうとしか言いようがない。
背を冷たい汗が伝う。
戻って来た。あの夢から。
戻って、来られた。
「置いていくのは、いつもあなたのほうじゃないですか」
あなたが、呼んでくれたから。
青藍はふふ、と鼻先で笑った。
「この状態で死後硬直でも始まったらどうしようかと思ってたのに。元気じゃん」
「なっ!?」
「急に動かなくなるし、勇者にやられて虫の息だったんじゃないかとか、このまま死んだら腕切り落とさないといけないかとか、心配して損した」
言葉は突き放して来るけれど、ノイズ混じりのものではない。
何より彼の指先は自分の髪に絡まったままだし、触れ合ったところから伝わる熱も錯覚ではない。
その身に混じる血のせいか、いつも甘いと思っている匂いは、少しだけ濃く感じるけれど。
「……夕方に帰ると仰いました。それがどうしてこんな時間になるんです?」
「馬車に乗った後のことは馬に文句言ってくれる?」
相変わらずの減らず口でさえも、こんなにも愛しい。
再び、腕に力を込める。
一瞬、強張った身は、それでも拒絶はしない。
あの夢がよみがえってくることもない。こうしている限り、絶対に。
それからどのくらい経っただろう。
短かくて長い永遠は唐突に終わりを告げる。
「で? お前はいつまで俺の腹にしがみついてるつもりなのかな?」
上から降って来た、少しだけ悪意の混じった声によって。
その声に我に返った。一気に熱が上がる。
此処で待っている間、周囲にはガーゴイルたちがいた。今は気配を感じないが、連中に「気を利かせてその場を去る」なんて芸当は到底できないし、この状況を前に立ち去るはずがない。
嬉し過ぎて抱きついてしまったなんて、あとでどれだけ冷やかしの種にされることか。留守にしているあのクソ生意気な義妹に面白おかしく伝えられるのも確定だろう。
それだけではない。青藍のポケットの中にはスノウ=ベルがいる。アドレイだって何処かにいる。
「……お前はどうしてそう、るぅと張り合おうとするのかなぁ」
ルチナリスと言えば、先日、突然青藍にしがみついて来たことがあった。
町長もいるというのに。
しかも自分に対しては敵対心剥き出しで、嫁は許さないとか何とか意味不明なことを叫ばれた。
自分だけではなく青藍も戸惑っていたようだが……あの時の状態に、今の状況は大変よく似ている。
そのことを青藍も思い出したのだろう。
私のこの行動はあの時のルチナリスを真似たのだと思ったようだ。
羨ましくなかった、と言えば嘘になる。
大人げないとは自分でも思うけれど、でも、今回のそれは決してルチナリスに対抗しようとしたわけではないのだが。
「いけませんか?」
無意識に抱きついてしまったのと、義妹に対抗して抱きついたのと、噂されるのならどちらがましだろう。
「いけなくはないけれど、でも、お前の評価が変わりそうだ」
「どう?」
「こ、ど、も」
嘲笑うようにそう言った青藍は、だがすぐにいつもの声で「あ、お土産」と呟いた。
無造作にポケットに手を突っ込むと何やら取り出し、しがみついている腕を引き剥がし。そして手のひらにそれを落とす。
「ほら、石を加工してるって言ったでしょ? こんなの作ってるんだって」
彼の町は採石を主な生業としている。採れる石の中にはコランダムという貴石の一種も含まれる。結晶に含まれる不純イオンの割合でその石は色を変え、紅いものは「ルビー」と、青いものは「サファイア」と呼び分けられる。
これを買っていたから遅くなったのだろうか。と、その様子を想像しかけたグラウスの耳に、さらに申し訳なさそうな声が続いた。
「……蒼、好きでしょ?」
銀色の縁取りの中で石が煌めく。
「ええ」
見上げた先には同じ色の瞳。
「好きですよ。……………………青」
「でしょ。うん、そう思ったんだ」
目を見て言ったのに、その言葉はやはり伝わらない。





