5 【災難はすぐ隣に・2】
著作者:なっつ
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無茶苦茶だ。帰って来た城主がこの惨状を見たら呆れるに違いない。
そう切々と訴えた甲斐あってやっと書類の束を手に取った執事を前に、ガーゴイルたちは既に虫の息。
これでもまだ2日目が始まったばかりなのに。
しかも早々にやる気スイッチの不在が決定したばかりなのに。
そのやる気スイッチも明日には帰って来る予定ではあるけれど、予定は未定。最速で帰って来たところで深夜になるのは免れない。つまり、後約48時間はこの状態に耐えなければならない。
さらに「この状態」が明日まで保たれるという保証は何処にもないのだ。これ以上悪化するおそれもないとは言えない。
厨房での惨事をやり過ごし、ガーゴイルは今、城主の執務室にいる。
郵便受けに突き刺さったまま放置されている郵便の束を置きに来たのだ。
文字が読めないので仕分け作業までやっていいものか判断がつかない。素人が手を出して収拾がつかなくなっては本末転倒だが、1日分でも結構な量だ。考えなしに積んでいっては厨房の二の舞になる……と悩みつつ扉を開けると執事が突っ立っていた。
ただ突っ立っているだけの執事など無視して作業をしようかと思ったが、諸悪の根源が呆けている前でこいつの仕事を肩代わりしなければいけないというのも腹が立つ。前述のように訴えて、やっと書類を手に取らせたまではよかったが。
希望と願望と熱望を込めて執事に視線を向ける。
だが、奴は書類を手に取ったところで止まっている。
畜生! 何故奴のやる気スイッチは外付けなんだ。ああいうものは本体に付いていてくれなければ困る!
困る! のだが……そのやる気スイッチと本体を本来の姿に戻して想像してしまうと絵面から漂うBL臭が半端なくて、そっちのほうが問題だったり。
それでも頭を掻きむしって発狂したい気持ちを抑えれば、案外冷静になるものだ。達観というより解脱の領域に近いかも知れない、悪魔だけど。
勇者を凹るしか能がないと自ら思っていたけれど、この10年、ルチナリスを手伝っているうちに掃除も洗濯もできるようになったのだ。執事の雑用だってやってみれば何とかなるに違いない!
と、謎の自信が満ち溢れてくる。
その直後に、食堂のオバチャンの悪夢を思えば下手に手は出せない。きっと何倍にもなって返って来る。との思いもよぎる。これは決して働きたくないから言っているのではないわけで。
「そんなに心配しなくても明日はちゃんと帰って来るから。だから気をしっかり持つっすよー」
郵便物を開封しながら、ガーゴイルたちは執事を宥め続ける。
自分でも空々しい台詞を吐いている自覚はあるが、昨日から今日にかけて被った被害を鑑みれば聖人君子だって自分たちと同じことしか言えないはずだ。
「そうそう、ああ言うのは1回は雨で延期するかもしれねーっすけど、2回目は中止か決行って相場が決まってるんだからさぁ」
自分たちの役目は「やって来る勇者と戦っていればいいだけの簡単なお仕事」だった。何が悲しくて、いつも書類綴で張り倒してくる鬼畜執事の世話など焼かなければいけないのだろう。
顔で笑って心で泣いて。
今なら風に乗って真横に涙が流れる、あの伝説の「少女漫画泣き」だってできる気がする。
「……いいえ、やはり心の底では私を嫌ってらっしゃるんです。だから帰って来ないんです」
動かないまま、執事がぽつりと呟く。
「雨のせいだって言ってたじゃないすか」
「そんなのただの口実です。行きたいと仰ったのにお止めしたのを根に持っていらっしゃるんです。帰って来る気なんかないんです」
「そのネガティブ思考はどっから出て来るっすか」
「ああ、もしかしたら帰って来いとうるさくいったから意固地になっているのかもしれない!」
「順番逆っしょ? ”帰らない”って言われたから”帰って来い”って言ったんでしょ?」
「猪とか鹿とか食べられるし温泉にも入れるし、向こうにいたほうがきっと楽しいに決まっています」
「んなことないって」
「向こうは山だし、きっとあの人好みの精悍な野犬(♂)がいたのかもしれません。きっと心変わりしてしまったんです。私は捨てられたんです……!」
「待って! ガチの動物と張り合わないで! と言うか相手は♂確定なの!? お宅らどういう関係!?」
いい加減にしてくれ。
これなら自分たち「だけ」で留守番をしていたほうがずっとましだ。
前回のオルファーナの時も荒れてはいたがここまで酷くはなかったのに、今回は何でこんなにメンドくさいんだ。
「ああ、もう! グラウス様は邪魔だからどっかその辺で黄昏てて! 間違っても俺らの視界に入って来んな!」
「そのウダウダしたのが目に入るだけで俺らのやる気スイッチまでOFFになるっす!」
見たくない。
ガーゴイルたちはとうとう執務室から執事を追い出した。
何でアレを置いて行ったんだ、やる気スイッチー!
帰ってこない城主をガーゴイルたちは恨む。ただ恨む。
執務室を追い出された執事が次に現れたのは配膳室だった。
悲しいかな、仕事の鬼にとって執務時間中の安住の地は職場にしかない。昼日中からダラダラとベッドに横になるという発想は起きない。
そこには先客がいた。
ビスケットを齧っていたアドレイは、無言で入って来たグラウスに視線だけを向ける。黒い服を来ている上にどんよりとした空気を纏っているせいもあって、まるで悪霊に取りつかれているようだ。
本来なら今の時間に執事が此処に来ることはないのに、書類整理は終わったのだろうか。
執事が仕事をしないとガーゴイルたちが騒いでいたことを思い出しながら耳をすませば、未だ遠くで阿鼻叫喚の叫びが聞こえる。
なのにその男が此処にいるということは、きっと役に立たない、と執務室を追い出されたクチなのだろう。
黒服の亡霊のような顔の男は無言のままアドレイの前を通り過ぎ、戸棚を開け、ティーカップを取り出す。
太目の水色のラインが入ったカップは、今日の空と同じ色。きっと水色の気分なのだろう。
何処かの国では恋の色が水色だとかいう歌が流行ったらしいが、この国もそうだとは言えない。青色は好感度の高い色だが、憂鬱や冷酷を表す色でもある。
グラウスは黙ったまま、お湯を沸かし始める。
紅茶缶を取り出すとポットに茶葉を入れ、今度は別の棚から林檎と果物ナイフを持って来る。
切るのは手首か? 頸動脈か? と不穏なことを思ったが、その予想は外れた。やはり無言のまま、シャリ、シャリ、シャリと耳を澄まさないと聞こえないほどの小さな音を立てて、グラウスは林檎の皮を剥いていく。
……仕事をしている。
彼が仕事をしないのでガーゴイルたちがその肩代わりをしている、と聞いていたのだが……この目の前にいるのは彼らが言う執事と同じものだろうか。
首を傾げ、アドレイは再度耳を澄ます。ガーゴイルたちの悲鳴は今もなお聞こえている。
※解脱とは仏教において、悟りを開くことだそうです。





