29 【水天彷彿・1】
著作者:なっつ
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『あたし、引っ越すの』
柵に腰掛けて花冠を弄んでいた彼女はそう言った。
10歳以上の年齢差があろうとも「子供」と括られている限り全員が幼馴染みに分類されてしまうような小さな村。そんな中でも歳の近い彼女は真の幼馴染みであり、親友と呼んでもいい間柄だと、その時はそう思っていた。
『お引越し先はね、海が見えるんですって』
彼女を見上げる。
すると彼女のほうも、ニィ、と口角を上げて自分を見下ろしていた。
ミバ村は山奥にある村だ。読み書きは神父が教えているが学校というものはなく、当然、学歴も付かない。だから学府と呼ばれるものに通わせるために村を離れる者も少なからず存在する。
その選択肢は誰にでも用意されているものではない。
引っ越し費用、入学金、月謝、教科書などの諸々、そして土地を離れても金を稼ぐことができる保護者の存在。そういったものをクリアして、初めて手に入れることができる。
だからこそ、そうやって村を離れる子供は一種の選民意識を抱くことが多い。
彼女もそうなのだろう。
村を離れる悲しみや知り合いの全くいない土地への不安よりも、誇らしげな表情が如実にそれを語っていた。
『新鮮なミルクやチーズが食べられなくなるのは残念だわ。あたし、お魚嫌いだし』
社交辞令のような不満を彼女は舌に乗せる。
子供の思いつく台詞ではない。おおかた親が言っているのを覚えたのだろう。心の内では自分たちの優位を実感しているとしても、それを口に出して追い出されるように村を出るよりは、誰からも惜しまれつつ気分よく村を出て行きたい。そう思うのは大人ばかりではない。
『あ、ママだ』
遠くから呼ぶ声に、彼女は柵から飛び降りた。
『じゃあね』
これが永遠の別れになるかもしれないのに、最後まで彼女の声に友人と別れるのが寂しい、という感情は見えなかった。それほどまでに未来への希望のほうが勝っていたのだろう。
幼馴染みが走り去って行った道を荒涼とした風が吹く。
このあたりでしか咲かない花を封じ込めた花冠が、半分ほど壊れたまま転がっていた。
「るぅ!」
いきなり耳元で大声を出されて、ルチナリスは目を覚ました。
「こんなとこで寝るなっっ!」
自分を怒鳴りつけたその人は腰まで水に浸かったまま、彼女に巻きつけられた金属の戒めを外そうとしていた。黒い髪はびっしょりと濡れて雫が滴っているほどなのに、彼はそんなものには構いもせずに彼女を岩と繋いでいる鎖を引っ張っている。
濡れた手では思うように力が入らないのか、元来頑丈にできているのか。こんな苦悶の表情を見せるのは珍しい。
ルチナリスは周囲に目を向ける。
睡魔が去ったからだろうか、先ほどはぼやけていた視界も、今は輪郭をはっきりとさせている。
狭い場所だ。人ひとり立つのがやっとだろう。全体的に黒っぽい岩でできた……左右にも上にも小さな空洞が無数に空いている様は蟻の巣穴を彷彿とさせる。
そんなことを考えていると、ゴボッと音を立てて岩が崩れた。
鎖が外れたらしい。
「遅くなってすまない。すぐ、助けるから、な」
荒く息を吐くと、義兄は彼女を両手で持ち上げた。
違和感を感じるのは彼の「持ち方」のせいだろうか。幼児を抱き上げるみたいにわきの下に手を入れて持ち上げられることなんて、ここ数年の記憶にはない。
軽々と持ち上げられたことに関しては、「あたしもまだまだ細いってことね。デブとは言わせないわ」なんて思春期の乙女らしい感想が浮かんだけれど、それを自慢げに言える相手は此処にはいない。ガーゴイルにしろ執事にしろ、どうしてこうタイミング悪くいないのだろう、と思ったが、どう見ても城内には見えないこんな場所に奴らがいたらそれこそおかしい。
でもこの体勢はちょっと手が滑ったらおっぱい触っちゃうじゃないですか。いやん、お兄様のえっちー……じゃなかった。恥ずかしいから下ろしてほしい。
そう思ったものの、何故か身をよじって抜け出すことができない。
「ごめんな。なんとか、元に戻すから」
緊迫感のない義妹の心の内などいざ知らず、彼女を両手で持ったまま義兄は悲しそうに呟く。そんな顔をされると先ほどの自分の脳内があまりに馬鹿っぽくてのたうち回りたくなってくる。
の、だが。
……元に戻す?
ええと、どう言うこと? あたし、いつものあたしと何か違うの?
少しだけ緊迫感が戻ってきたが、考えるまでもなく鎖が外れたはずなのに体が動かない現状はまさにそれ。首を動かすこともできない。手を持ち上げることもできない。
鎖だけは外したが、あの黒い枷のようなものはまだ付いているのかもしれない。
体を鎧で覆うように、それは全身を覆っているのかもしれない。
脱着方法がベルトなどではなく、例えば鍵のようなもので固定しているとも考えられる。
水は義兄の胸まで迫っている。
確かさっきは……どれくらい前の「さっき」かはわからないけれど、水はあたしの足の先を浸すくらいだった。その水でも冷たいと思った。そこに胸まで浸かっている義兄はなんともないのだろうか。
いや。
ルチナリスの頬にぽたり、とひとつ滴が落ちる。
大丈夫であるはずがない。フロストドラゴンの急襲の時も、雪まみれになってぶっ倒れたじゃない。
こんな蟻の巣みたいな洞窟の、それもこんなずぶ濡れにならないと辿りつけなかったのであろう此処にあたしがいることを、義兄はどうやって知ったのだろう。
どうしてあたしはこんなところにいるのだろう。
そう言えば、
「メグ、は」
彼女はどうなったのだろう。
聞きたいことは山ほどある。とめどなく溢れ出てくる。
だがルチナリスが口を開くより先に、義兄は屈託なく笑った。
「妹を守るのは兄の役目だから」
その言葉がルチナリスの舌を縛りつける。
魔界で一つ目の化け物に踏まれそうになった時も、オルファーナでチンピラに絡まれた時も、守ってくれたのは義兄だった。あたしが本当に危ないときはお兄ちゃんが来てくれる。お兄ちゃんが来てくれる時は本当に危ない時。
だから今あたしがしなければいけないことは、黙ること。義兄の邪魔をしないこと。だけ。
ああ。
ルチナリスは懸命に義兄を見上げる。
海には行くなって言われていたのに。あたしに何かあればこの人を巻き込むことになることは、最初からわかっていたはずなのに。
……何やってるのよ、あたし。
足手まといにもほどがある。帰ったら執事の制裁は免れないだろう。
いや、制裁だけで済むか……奴のことだ。今度こそ本当に命まで取られかねない。





