19 【令嬢とウサギと届かぬ想い・後編】
※ややBL寄りです。
著作者:なっつ
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「礼義より保身をお取りになるとは、お恥ずかしい限りでございますが」
黙り込んだグラウスに、蘇芳が毛に覆われた瞼を数度瞬かせる。グラウスは青藍の執事。昨夜、自分の主人が向けた非礼を思い出したのかもしれない。
しかし自分にはそれを責める資格などない。
恥じるのはむしろ自分だ。今だって、彼らの礼の言葉も詫びの言葉も、全て右から入って左に抜けてしまっている。本来なら使用人如きに頭を下げるはずのないお嬢様に対しても、先輩執事に対しても、話半分に聞いている態度は失礼極まりない。
わかっているのに、それでも心は遠い別のところへ漂って行ってしまう。
「……いえ。青藍様には私からお伝えしておきましょう。ありがとうございます」
唇はそう紡いだものの、伝えられる気がしない。グラウスは気付かれないようにまた溜息をついた。
此処に来てから溜息をつかなかった日は1日もない。溜息をつくと幸せが逃げると言うが、それなら自分より不幸な者など……いや、違う。自分の不幸など、実母を亡くした青藍以上であるものか。
煩悩から勝手に引き寄せた不幸を嘆いている場合か。きっと彼の心労には不甲斐ない執事が原因になっている分もある。こんな時こそ支えてやらないといけないのに余計に悩ませて、何をしているのだ自分は。
思い出に囚われて、邪な感情を持って。こんな執事のいる部屋になど帰ったところで休まらない。だから帰ってこないのだろう。
指先はまた無意識のうちにポケットを探っている。馴染んだこの硬い感触に安堵できるのは何時までだろう。
メフィストフェレスの紋章が刻み込まれた片方だけの耳飾りの、これを寄越した意図もわかっていないくせに。それなのに、これを持っているだけで繋がっていられるようで安心できる、だなんて、自分勝手もいいところだ。
「何かお悩みですかな」
ぼんやりと指先の感触に気を取られていると、ぼそりと蘇芳の声が聞こえた。
「え、いえ、別に」
グラウスは慌てて蘇芳に向けて笑顔を取り繕う。
そんなに顔に出ていたのだろうか。
「主がお倒れになったのでは悩むなというほうが無理な話でしょうが」
「……はぁ」
「それにしても、青藍様と言う方は不思議な方ですな」
蘇芳はアイリスの頭の上から窓枠に乗り移った。
ずっと主人の頭を踏みつけているという事実に今になって気がついただろうか。それは指摘しないでおく。
「不思議、と申されますと?」
「私はあの方がお小さい頃にお会いしたことがありましてな。あの頃はキャメリア様もいて、紅竜様ともこの家とも上手くやってけると思っていたのですが」
何処か懐かしむように蘇芳は窓の外に目をやった。
「ああ、それで。青藍様はおとなしい子でね。他家のことながら嫡男でなくてよかったと思ったものです」
「……は、あ」
そういうものだろうか。グラウスは首を傾げた。
案外、上に立つ素質はあるように思う。いくら仮は言え10年も領主を務めてきたし、子供っぽいところも領民からは好意的に受け止められている。くだらない行事や町長の雑談にまでつき合うが、だからと言って言いなりにはならない。無理なものは無理、と言うし、代案を出すことも、共に完成に向けて考えることもある。
何故「魔族」で「敵」で「魔王」なこの人がそこまでしなければいけないのだ、と何度思ったことか。
「それが魔王役をしていらっしゃると言うからどれほど屈強な御仁になったかと思えば……昔も陽炎のような子だと思っていたのですが成長してもお変わりない。そうかと思えば紅竜様を凌ぐほどの殺気をまとわれていたりする。掴みどころがないと言うか、ああいう方を主人に持つと苦労しませんかな」
蘇芳は髭を撫でつけるような仕草をする。
掴みどころがない、というのは言い得て妙かもしれない。
特に兄や親族の顔色を窺って生きてきた幼少期の青藍しか見ていなければ、同一人物だとも思えないだろう。自分だって同じ人物には見えないのだから。
魔界で見た青藍は蘇芳の言うようにおとなしいイメージだった。嘆くことすら押さえ込んで――悪く言えば人形のように――ただ言われるままに動くことしか許されていないようだった。
それが、ノイシュタインで再会した彼はよく笑い、よく怒り、本当に目まぐるしく表情が変わって。殴られたり蹴られたりするのは想定外だったけれど、それ以上に笑ってくれるのが嬉しくて。兄や家から離れることで理不尽に襲ってくる悲しみからやっと逃れることができたのか、と安心して……まるで自分の罪が許されたかのように錯覚したものだった。
そんな彼が、魔王になった途端に淡々と目の前の敵を倒す、殺戮目的に作られた機械のようになる。それでも息の根を止める前に戦うことをやめてしまう彼に、ガーゴイルたちは甘いと言っていたけれど。
そして、熱を出した時の紫の瞳の彼はそのどれとも違う。近寄ると命がなくなるという、おおかた兄のせいだとしか思えない噂がまるで彼本人の仕業だと思えるような、そんな魔性を帯びている。
だが熱を出した時以外は記憶も共有しているようだし、別人格と入れ替わっているつもりもないらしい。
特に再会してからの性格は……領主にしろ魔王にしろ、それぞれに合わせて作ったのかと思うほど理に適いすぎていて、逆に違和感を覚えるくらいだ。
その変わり身のおかげで10年生き永らえてきたとも言えるのだが、掴みどころがないと思われるのも頷ける。
昔の「おとなしくて嫡男にするには頼りない」彼よりは、領主にしろ魔王にしろ、頼り甲斐のありそうな性格のほうが今後の彼のためには良いだろう。何かと風当りの強い社会だから、出自のハンデをものともしないカリスマやリーダー性は持っていて困るものではない。
しかし、まわりがそれでいいと言っても私まで諸手を上げて喜んではいけないのだ。
彼の過去に何があって、そうなったのか。これも全て幽閉の影響だと言うのなら、私は命を課しても償いきることなどできはしない。
「苦労など……むしろ私の方が気をつかわせてしまっている次第で」
此処に来て、ただ感情にまかせて突っ走りそうになる私を青藍は黙って庇い続けている。昔も今も私は彼の足枷にしかなっていないことをまざまざと思い知らされる。
「ふむ」
蘇芳は前足で頬のあたりを掻いた。
当初の目的はきっと青藍という紅竜の代わりになりうる者がどのような人物なのか見極めるつもりだったのだろう。今のメフィストフェレスとの関係を良く思っていないようだし、彼らは大きく見れば派閥争いの前当主派に含まれる。それがいつの間にやら初対面の相手の人生相談に乗っているような形になってしまって……。
「ま、お互いを思い合えるのは主従としては一番良いことですからな」
などと、褒めているのか社交辞令なのか微妙な言い方でお茶を濁したのは、困惑している部分もあるに違いない。
きっと薄々は察しているのだろう。
私たちは、いや私は主従としては失格だ。
思い合ってなどいない。一方的に押しつけ続けた感情は、昔も今も変わらず青藍を追いつめている。「何もなかった」と笑う彼の配慮に気づくこともなく。
「今頃気がついたの? おふたりはとっても仲良しさんなのよ」
そこへ空気を読まない声でアイリスが割り込んで来た。自分のことのように得意げに上を向く仕草がやけに子供っぽい。
「なんて言ったってご主人様を助けに2階から飛び降りちゃうんだから!」
「いやいや、爺も若ければそれくらいは」
「だから無理だって。腰が痛いって寝てたの誰よ」
目の前で繰り広げられる漫才は「倒れたご主人様を心配しているのかは知らないが意味不明に落ち込んでいる」自分をなだめるためなのか、返答に困る重い空気を払拭して流そうとしているのか。
けれど、耳も頭もそちらには向きそうにない。
仲は良かった。一昨日までは。
しかし今では半径1メートル以内にも近寄ってくれないどころか、行方までくらまされている。
酔っ払いに絡まれているふたりを助けに入ったのも夢見るお嬢様には好評だったようだが、全てはただの自己満足。「彼に」自分を良く見せようとしただけ。
「守ろうだなんて500年早い」というあの台詞は、自分の理想に利用するなという彼の叫びだったのではないのだろうか。
「まぁ仲が良くなければ喧嘩もできませんしな。大いにぶつかって、大いに悩めばいいのですよ若いうちは」
妙にしたり顔で蘇芳は頷いた。
その呟きにグラウスは総毛立った。喧嘩をしている、と言っただろうか。少し前まで自分が悩んでいるのは青藍が倒れたから、という認識ではなかったか?
何千年も生きた仙人は超常な力が使えるらしいが、このウサギもかなり年季が入っているようだし、頭の中を読まれ……いや! 読まれてなるものか。喧嘩の原因が知られたら恥ずかしいどころでは済まない。主従で痴話喧嘩まがいのことをやらかしているだなんて、この執事の鑑のようなウサギに白い目で見られるのは火を見るより明らかだ。
まさかそんな力はないはず、と思いつつも、気づかれないように微妙に距離をあけ……
「喧嘩してるの? 執事さん」
あけたところでアイリスに顔を覗きこまれた。
「仲直りのおまじない教えてあげる。こうギューって抱きしめて大好きって言えばいいのよ!」
「……はは」
笑顔が眩しい。無邪気とはこんなにも残酷だ。
女子供なら許されるだろうが、自分と青藍の間でそれをやったら再起不能なほどボコボコに殴られた挙句、今度こそ首が飛ぶのは目に見えている。
「モテモテだねぇ執事さんは」
アイリスと蘇芳が立ち去った後、見計らったようにルアンがやってきた。いや、確実に見計らっていただろう。先ほどのツッコんではいけない漫才鑑賞時には姿すら見せなかったのだから。
そして前から思っていたがこの男は職務中に私語が多すぎないか? 誰も注意しないのだろうか。紅竜に真っ先に目を付けられそうなものなのに。
「あんなかわいいお姫様とお近づきになってるんだったら歌姫様のほうは俺が貰おうかな」
「なに意味不明なことを言っているんです?」
歌姫って誰だ。第二夫人なら棺の中だが。
それにアイリスは礼と詫びのために声をかけてきただけで、話をしたのもむしろ蘇芳とばかりだった。彼らは助けてもらったと言うことで多少好意的ではあるけれど、それだけだ。
「お前のご主人様。歌ってたろ? 庭で」
ルアンは思わせぶりに目を細めるとにやりと笑った。
「なんだよあれ。青臭い学生でもあるまいし、べったべたの純愛ドラマかってーの」
「いたんですか!?」
気がつかなかった。誰かが潜んでいる気配も音もなかった。
夜を好む魔族ですら寝静まる時間。部外者が立ち入ることのない場所。それなのに。
絶句するグラウスに、その級友は耳元で囁く。
「紅竜様に知られたら打ち首獄門くらいじゃ済まねぇな」
そうだ。この城はあの兄の居城。
何処で見られているかわからない。たとえ裏庭であろうと私室であろうと、油断はできない。そんなことわかりきっていたはずなのに。
「そんな顔で見るなよ。お前が不注意なんだろ?」
確かに不注意だった。時間が時間だけに甘く見ていた。
この男が知っていると言うことは紅竜にも伝わっている可能性が高い。そしてこの男が報告を上げたのなら、真実以上に尾ヒレをつけられていることは間違いない。
もしかしたら。
もしかしたら青藍が行方をくらましているのは……まさか、また私を庇って……!
「……何が目的です?」
グラウスの問いにルアンはヒュウ、と小さく口笛を吹いた。
ニヤニヤと笑ったまま顔を近づける。
「お前のご主人様って身内には甘そうだもんなー。全然無防備でさ。あれきっと組み敷くの楽、」
ルアンが全部言いきる前にグラウスは相手のネクタイを掴んでいた。
絞め上げるような形に、ルアンはわずかに顔を歪める。
「俺は忠告してやってるんだぜ? 恋愛経験のなさそうな優等生がのぼせちまってるからさぁ。だいたい、」
「それ以上言ったら殺す」
油断した。
この城の中で敵は紅竜だけではない。この男や初日の酔っ払いのように、ほんの興味で近寄る不埒な輩もいる。
それだけではない。あの、此処に来てからずっと聞こえ続けている何かを引き摺るような音も。
到着した日の廊下で。夜会の喧噪から逃れたベランダで。部屋の長椅子の下で。思い返せばあの音は、いつも青藍のいる場所で聞こえていた。青藍がいない今、その推測を証明するように全く聞こえてこないあの音が、何も関係がないと何故言える。
「青藍様の行方を知っているなら教えなさい」
半ば脅しにも聞こえる問いに、ルアンは動じるでもなく冷ややかな目を向ける。
「妄信もいい加減にしろよ。昨日のことだって俺が紅竜様に伝えていたら今頃棺桶がふたつに増えてるところだぜ?」
「ああそうですか。それは感謝します」
「感謝ってもんはいつからそんな目を三角にして言う言葉になったかねぇ」
「だから何が言いたいんです!」
グラウスが声を荒げると、ルアンは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。締め上げたままになっている手をポンポン、と叩く。
「勘違いしてねぇか? お前はただの雇われ執事で、あの坊ちゃんの保護者でも、ましてや恋人でもない。坊ちゃんが魔王を辞めればそれっきりだ。お前はノイシュタイン城付きの執事。あのまま人間界の片田舎で次に来るトカゲだかゴリラだかみたいな魔王に仕えていくしかなくなる」
「その時は辞めます」
「辞めたからって本家にいられるとは限らない。紅竜様に嫌われてるならまず無理だろうな。……いいか? お前も俺も、上級貴族様がたから見ればいつでも切り捨てられる駒でしかないんだ」
「私は! 過去を償うためにおそばにいるだけです!」
「償えって言われたのか?」
「そ、れは、」
『外に出られなかっただけだよ』
「……言、われてない、ですけど、でも」
「お前は真面目だから償わなきゃとか思ってるかもしれないけどさ、償えって言われてないならその必要はないんじゃね? むしろ付きまとわれて迷惑だとか思われてるかもな」
「迷、惑」
『それじゃあと5年だな』
『精神的な問題です。私は一生かかると思っています』
「いい機会だと思って少し頭冷やせよ。坊ちゃんのことしか頭にねぇのってどうかと思うわ。坊ちゃんが休んでるのだって端っから誘拐されたみたいに言ってるけどさ、そういうところが負担になってると思わね?」
ルアンのネクタイを掴んでいる手の力が緩んだ。
そうだ。自分はただの執事でしかない。身分が釣り合うわけでもない。過去を償えと言われたわけでもない。
守る? そんな必要など何処にもない。守ってくれと頼まれたわけでもない。
この城にいれば危害を加えようとする者が現れてもあの兄が全て排除してくれる。自分なら体を張らないといけないような相手でも、軽く手を閃めかせるだけで片付けてしまう。
青藍が誰よりも慕っているあの兄が。
何をやっても自己満足でしかない。
何をやっても彼が兄以上に自分を見ることなどない。
何をやっても……彼の負担にしかならない。
ルアンを恨むなんてお門違いもいいところだ。折角忠告してくれているのに。
「……すまない」
「おお怖わ。で、和解したところでちょっといいか? お前のご主人様が呼んでるんだが」
歪んだネクタイを直しながら、ルアンは嘲笑うような笑みを浮かべた。
「え?」
自分を呼んでいる。昨日からずっと自分を避けていた彼が。
そして目の前の男はその居場所を知っている。
「何処ですか!?」
「そう慌てるなって。こっち」
全然反省してねぇなお前、と笑う級友をグラウスは睨みつけた。
ルアンの後をついて廊下を歩く。
いったい何処に向かっているのだろう。だんだんと城の奥に向かっている気がする。
来た当初に感じた、何かがぱっくりと口を開けているような廊下を進むのは気が引けるが、この先で青藍が待っていると言うのならそうも言っていられない。
「まだですか?」
「もうちょっと先。入り組んでるからはぐれるなよ」
入り組んだ廊下は迷路のようだ。ちゃんと帰って来られるだろうか、なんて不安がよぎる。怖気づいたのか、と馬鹿にされるだろうから、前を進む級友には気取られないようにしているが。
元気だろうか。
怪我などしていないだろうか。
酷いことを言われて傷ついたりしていないだろうか。
聞きたいことは山ほどある。でもきっと顔を見たら何も言えなくなるに違いない。
以前のように笑いかけてくれるだろうか。髪に手を伸ばしてくれるだろうか。
昨日の答えは……今更言っても困らせるだけかもしれないけれど。
現金なものだ、と我ながら思う。
「……ス、グラウス」
ルアンの声がグラウスを想いの海から引き摺り出す。
「え、あぁ」
顔を上げたその時。
後頭部に、強い痛みが走った。





