6 【光の詠唱】
※本文中に挿絵があります。
※BLっぽいです。
著作者:なっつ
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明かりのないホールに青藍はひとり立つ。
頭から被った黒いローブは漆黒。彼の髪と同じ色。
足元で引き摺るほどに長い黒は、そこから僅かに覗く顔と手を殊更白く引き立たせる。
乙女か被るならいざ知らず、魔王の身を飾る物としては酷く不似合な布地だ。ガーゴイルたちに「牛」だの「ゴリラ」だのと称された歴代の魔王たちも着用したのだろうか。それともこれは青藍のためだけに誂えたのだろうか。
元々魔王の正装ではマントを着用することになっている。魔法以上に肉弾戦を得意とする青藍にとってぞろぞろした布地は動きを阻害する枷でしかないから、彼はマントもローブも着ることはなかった。
だから今のこの状態は余計に儀式めいて見える。
彼の視線の先には壁に掲げられた石造りの巨大なレリーフ。魔王が代替わりする度に入れ替えられるそこには、今は彼の家の紋章が掲げられている。
フロストドラゴンが襲来した時、あのレリーフに封じてあった青藍の魔力を開放して撃退したのはつい最近のこと。そして今回は結界を張るためにまたあの力を使う。
前回解放したアドレイはその余波を受けてしばらくは動けなかった。それだけの力を使う結界とは如何程のものになるだろう。
グラウスは離れた壁際にまで下がると、そのまま背を預ける。
葬儀は3日後だが、滞在も含めて1週間で済むかと問えばかなり微妙だ。
何といっても弔問客が大勢押しかけてきそうな大貴族の、しかも故人の実の息子。喪主は城主でもある兄が務めるだろうが、だからといって応対もせずに客のひとりとして行って帰って来るわけにはいくまい。下手すれば2週間。そんな長い間、結界で封じてしまっても大丈夫なのだろうか。
外から入り込ませないための障壁は、言い換えれば中からも出られないということ。そうなれば無論、通いの賄いは来ることができない。彼女はここに勤めて長い分、勝手がわかっているだろうから、後で伝書鳩を飛ばしておけばいいだろうか。
勇者が入って来なければガーゴイルを実体化させておく必要もないから食糧は減らない。アドレイたち精霊に至っては雀の涙ほどの量で事足りる。問題はルチナリスだが……備蓄の干し肉やビスケットで我慢してもらうとしよう。
カン、と鳴った小さな音に、グラウスは考えを止め、目を向ける。
明かり取りの窓から差し込んだ光が青藍の周囲を丸く囲んでいる。
やはり私がついて行くのはイレギュラーなのだろう。
元々はノイシュタイン城付きの執事として雇われた身。城主について回る義務などない。むしろ城主が不在となる間、城を守るのが本来求められている業務だ。
強力な結界を張ったからと言って侵入者を完全に遮断できるとは言えない。無理やりに入り込まれた時にガーゴイルすらいないこの城は、そしてただひとり残されたルチナリスはどうなるだろう。それを考えれば、青藍が自分を連れて行きたがらないのは彼の城で兄が待ち構えているせい、というだけではない気もしてくる。
でも残りたくない。
ひとりでは行かせられない。
ルチナリスと青藍のどちらを取るかと言えば、迷う余地など何処にもない。
レリーフを見上げ、青藍は深く息を吸った。
口を開くと歌のような呪文が流れ出す。
丸い月明りを縁取るように床にぽつぽつと光が灯る。それは次第に数を増し、繋がり、そして光輝く魔法陣と化した。時同じくして石造りのレリーフも同じ淡い光を放ちはじめる。
「闇に生きる我が同胞よ、遠き古より息づく全ての源よ、」
呪文というより讃美歌のような音階のついたその言葉を、紅い目の魔王は朗々と歌い上げていく。
永久結界と呼ばれているその呪文は、歴代の魔王のみがその在任中にだけ使える魔法だ。
もともと魔王役は他の魔族が勇者と呼ばれる者から攻撃を受けないように、と、わざわざ勇者専用窓口の扱いで置かれている。勇者がいつ来ても対応できるように、魔王はその城を長きにわたって留守にすることができない。
ただどうしても城を空けなければいけなくなった時にだけ、その結界を張ることが許されている。
しかしそれは魔王の失点。失点が重なれば魔王不適合の烙印を押される。
不適合とはつまり、魔王の交代を意味する。
生きているうちに辞めることができてよかった、と思うかもしれない。
が、元々魔王役とは自薦で就くもの。無事に勤め上げれば身分も役職もそれなりに高位のものに取り立てられるとあって、一般庶民や貧乏な下級貴族の間では人気職でもある。だからこそ途中で離脱すれば「無能」と評価され、当然、取り立てられることもない。それどころか評価のせいで今までよりも酷い扱いに甘んじなければならない。
青藍のような他薦は数えるほどしかないし、しかも彼の場合は任期を務めあげたところで受ける恩恵など限りなく薄い。そう考えると何故彼が選ばれたのか、そこには第二夫人や前当主の力以上の何かが働いたのではないかと余計な勘繰りすらしてしまう。
「風を纏う天より、草木の蔓延る大地より、我の声に応えよ。我、ここに永久の祈りを捧げたもう」
彼は両手をレリーフに差し伸べる。
右手に握られた細身の短剣が、暗闇の中できらりと光る。
その横顔は魔王というよりも、魔王に囚われた姫が悲しみの歌を歌っているようだ。
普段、詠唱なしに魔法を繰り出している人が呪文を口ずさんでいる姿というのが珍しいからだろうか。だから呪文ではなく歌のように聞こえてしまうのだろうか。
歌姫だったという第二夫人のことをふと思う。彼女が歌う姿というのはまさにこんな感じだったのかもしれない。
明るく振る舞っていた彼女だが、その明るさには何処か嘘があった。心の底から笑ってはいなかった。
彼女は幸せだったのだろうか。親兄弟や知り合いを全て捨てて、自分を蔑む者しかいない地に嫁いで。そして再びまみえることなく、異界の地で命を散らせて。
愛があれば幸せ、なんて戯言は、生活の苦労がないことを前提にして初めて言えることだ。
そして。
自分が青藍を求めることは、彼に第二夫人と同じ偽りの笑みを与えることにしかならないのでは――。
詠唱は続く。青藍の足元の魔法陣は次第に輝きを増し、ところどころから青白い光の筋が立ち上り始めている。真っ直ぐ何本もの筋が天井に伸びていく。
ああ、あれは海だ。
きらきらと輝く光を望む海の底の色。
あの人の、あの姫の……瞳の色だ。
「……我が魂の一部と共に、其の力を分け与えん」
青藍は短剣をゆっくりと自分の左手の掌に滑らせる。
赤い滴りが指先を伝ってぽたり、ぽたりと足元に吸い込まれたかと思いきや、魔法陣から轟音と共に渦が巻き上がった。渦は天井に向かって伸びる光の帯をも巻き込み、ぐるぐると回り続ける。 風と光の織り成す層が青藍の姿を隠していく。翻る黒いローブに蒼い光が反射する。
やがて渦は魔法陣の円周に沿って回り始めた。その様子は光の柱と言ったほうがいいだろう。
中に立つ人の姿は全く見えない。ただ、轟音と響くような振動の中で、歌うような呪文だけが聞こえ続ける。
天井まで達した光の柱は、今度は天井を伝うようにしてまっすぐレリーフに向かう。
レリーフに吸い込まれていく。
キィン! と硬い音がホール全体に響いたかと思うと、魔法陣は一瞬にして全ての光を失い……収束した。
終わったのか?
グラウスは身を起こした。
レリーフは元の冷たい石の塊に戻っている。
床の魔法陣も消え失せ、ホールには最初と同じようにただひとり青藍が立っているだけだ。何処にも異常は感じない。
門を出る時に抵抗を感じれば、改めて結界が張られていることを実感するのかもしれない。
だらりと下ろした青藍の指先から、ぽたり、と紅い雫が落ちる。
グラウスは彼の元へ歩み寄り、その足下に跪くと左手を取った。
手のひらに1本、横切るように紅い傷が付いている。この傷も他の傷と同様、数時間のうちには塞がってしまうのだろうが……。
彼は親指の腹で傷口を拭い、舌を這わせた。
……甘い。
脳を絡めとるような感覚が波のように寄せて来る。それが血の味から来るのか匂いからくるのか、そんなことを考えることすら放棄してしまいたくなる。
誰の血もそう思ったことなど一度もないのに、何故この人の血は甘く感じるのだろう。この人の中に流れる人間の血がそうさせるのか。それとも、愛しい人の血だからなのか。
その血も、その魂も。
手に入らないのならいっそ全て食らい尽くしてしまえば、あなたは――。
「舐めるな」
その声にグラウスは我に返った。
見上げると、青藍が困惑した表情を浮かべて見下ろしている。そう言いながらも手はグラウスに預けたままでいる。
「あ。お、音痴だと魔王にはなれませんね」
今、私は何を思ったのだろう。
グラウスは見下ろされる視線から逃げるように俯いた。ポケットから携帯用の救急セットを取り出し、ガーゼを当てる。
手当てに集中するふりをしながら、グラウスはどろどろと湧き上がる欲望を必死に鎮め続ける。傷口にしゃぶりつきたくなるのは人間の血のせいだ。魔族の性だ。そうに決まっている。
でも何故今日に限ってこんなことを思ってしまったのだろう。この人が怪我をすることなど今日に限ったことではないのに。
「なれるだろ、別に誰でも」
この薄汚れた心の中を、彼に見透かされはしないだろうか。動揺は隠しおおせているだろうか。
グラウスは巻いていた包帯の端を留めると、無意識にずっと止めていた息を吐いた。残酷なほど甘美だった匂いはかなり薄らいでいる。
「……なれませんよ。結界の呪文があんなに素晴らしいと思ったのは初めてです」
執事の顔を作って青藍を見上げると、見下ろしている瞳の色が、少し揺らぎながら徐々にいつもの蒼に戻っていくのが見えた。
綺麗な色だ。
いつもの蒼も魔王の紅もいいが、この元に戻る瞬間の色が一番美しい。茜色の夕焼けが闇に消えて行く時のあの儚い時を思わせる。
その後に残るのは夜空のような深い蒼。
あの日の、白い月の後ろに広がっていた、あの空の色。
この色を、この人を、私は汚すわけにはいかない。
じっと見つめ過ぎていたのだろうか、青藍は気まずそうにそっぽを向いた。
「お前が残ってくれたら安心なんだけどな」
ぽつりと呟かれた言葉はきっと本音だろう。自分が懸念するように、彼もひとり置いていく義妹のことを心配している。
しかし、それならなおのこと自分は残るわけにはいかない。
執事がいるから帰らなくても安心だ、などと思われては困る。ルチナリスには悪いが、青藍を再びこの地に戻って来る気にさせるためにも彼女には此処で待っていてもらわなければならない。
「私は魔王の代役はしませんよ。歌えませんから」
「普通に唱えりゃいいんだよ」
代役を立てることができれば失点はカウントされない。彼の名誉と、そして魔王役の延命を望むのなら残るべきだとは思う。
でも。
「私では美しくありませんので」
「美しさは求めてないから」
本音を隠して答える執事から手を取り返した青藍は、その額を指先で弾いた。





