2 【歌姫の来訪・後編】
※本文中に挿絵があります。
著作者:なっつ
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しかし、だ。
仮にも大貴族の奥方をいつまでも立ち話させておくわけにはいかない。
グラウスは青藍とその母から目を離さないルチナリスに声をかけた。
「お茶の準備をしてきますから、頃合いを見計らって客間にお通しして頂けますか?」
青藍を呼びに行っている間に客間に通しておけと言ったはずなのに、戻って来ても変わらぬ体勢で見守っているだけだったルチナリスが気を利かせて何かしているとは思えない。せめて湯を沸かしてくれているだけでも違うというのに。
しかし今は青藍もいる。この娘に頼らずとも、いざとなれば彼が客間に通してくれるだろう。その時に待たせることなく呈茶できるか否かで使用人の質が、そして主の格が決まるというものだ。
「あ、あたしが淹れてきます」
「客人に毒を飲ませるわけにはいきません」
そして茶の味でも。
どんな高級な茶葉もくそ不味くしてしまうこの娘に淹れさせるなど論外。
青藍がルチナリスのお茶を飲むのは10年の間に味覚が麻痺してしまったからと言うだけで、決して彼の血筋にあの味を美味いと思う遺伝子が組み込まれているわけでも、また、耐性があるわけでもない。
ただでさえ病弱だと言われている第二夫人に飲ませて、万が一のことが起きたらどうしてくれる。
「そう言いますけど、町長さんに出すお茶はあたしが、」
「あの人は客ではありませんので」
雑談するためだけに押しかけてくる狸親父を客だと思ったことなど1度もない。彼に出すお茶をルチナリスに淹れさせる理由はただひとつ「長居させたくない」からだ。根本が違う。
執事とメイドのそんなささやかな攻防が耳に届いたのだろうか。
10年来の息子との会話の途中にもかかわらず、夫人はグラウスたちを突然振り返った。
「あら! あらあらあら久しぶり~」
夫人は満面の笑みを浮かべた。背後に花が散る。
ああ。この仕様も母親譲りだったとは、まさに似た者親子。ふたりの血縁関係は疑いようがない。
しかしルチナリスは夫人が延々とウンチクを垂れ流している間もいたはずなのに……モブ気質だから存在感でガーゴイルに負けたのか。それとも自分より若い娘は最初から眼中になかったのか。息子と話をしている中で、10年前に出会った娘だということを思い出したのか。
執事の棘のある心の声など聞こえるはずもない第二夫人はルチナリスの手を掴んでひとしきり振り回し、感慨深げに「あらあら大きくなってぇ」などと言っている。
「あ、はは……お久しぶりです……」
10年前にほんの少し会っただけの夫人相手に久しぶり、という発想は及ばなかったのか、義兄に酷似した貴婦人の見た目と性格のギャップに驚きが隠せないのか、ルチナリスのほうは引きつった笑みを浮かべている。
見た目は若くて近寄り難い貴族の奥方だが、中身は小間物屋の女店主や久しぶりに会った親戚のおばさんに近いのかもしれない。
では今のうちに茶の支度をして来るか、と立ち去りかけたグラウスだったが、それは叶わなかった。ガクン、と何かが引っ掛かった感触に後ろを振り返ると、夫人が腕を掴んでいる。
「……あの?」
自分にも用があったのだろうか。面識はないはずだが。
それよりもルチナリスとは久しぶりの再会なんだし積もる話もあるだろう。なかったとしても一応は年頃の若い娘なのだから、女同士、話題には事欠かないはずだ。少なくとも男の執事よりは。
と言うか、少しくらい役に立ちなさい。私はお茶の準備をしなければいけないのだと言っていたでしょう? 話題がないならないなりに無理やり作って引き延ばすこともできないのかこの小娘は。
そんな咎める視線をルチナリスに送っては見るものの、彼女のほうは夫人の興味が逸れてほっとしている様子。もともと社交的なほうではないから会話が続かないのかもしれないが、そこはもう少し頑張ってほしい。
「なに、か?」
尋ねた途端に両手を握られた。
星が瞬くような目で見上げられているのを感じる。が、直視はしたくない。
夫人の行動形態が息子と同じなら、これは目を合わせてはいけない、と野生の勘が訴えている。なので、なるべく目を合わせないようにしながら夫人を窺ってみる……と。
ああ。
野生の勘と意見が合いそうだ。
記憶の引き出しをひっくり返すまでもない。
この10年、そんな顔をした青藍から受けた仕打ちの数々。何かを企んでいる時に限って彼はそういう顔をするのだ。
仕事を肩代わりさせようとした時も、放り出して逃げようとした時も、面倒な相手を押しつけようとした時も、食事の中に嫌いな食材が入っていた時も、買ってほしいものがある時も、一緒についてきてほしい時も……危険に自分だけで立ち向かおうとする時も。
私は何度この顔に騙されて来たことか。
何度、大丈夫、という言葉を信じそうになったことか。
そして目の前の相手も、別の意味でそんなセンチメンタル混じりの思い出を噛み締めていられるほど甘い相手ではなかった。と、気付く間もなく、夫人は執事の手を両手で握ったまま息子を振り返る。
「ちょっとー! これ誰!? 彼氏!?」
なに?
常日頃の自分の言動を棚に上げて、グラウスは耳を疑った。
今、何て言った?
いや、いくら女装の似合う息子を持ったとしても普通はそんなことは思いつかない。
自分は執事の恰好をして、執事として応対してきた。どう考えたって執事以外の何者でもない。自分で言うのも矛盾しているように聞こえるが、そんな男を息子の個人的な相手だと思う母がいるだろうか。
しかし、確か年末の夜会で抱きつかれたとか不穏なことを言っていたし……。グラウスの頭の中でモコリ、と疑念が首をもたげる。
もしかしてあなたの息子さんは昔から彼氏に不自由しない生活でも送っていらっしゃったのですか? 侯爵から執事までよりどりみどりだったから、息子の近くにいる男は全員「そういう相手」に見えるようになってしまったのですか!?
もしそうなら膝を詰めてきっちりかっちり説明して頂きたいものですがっっ!!
「そんなわけないでしょう……」
喜々とした母と、顔を強張らせた執事とのふたりの視線に、その息子兼主人は頭を抱えている。
この城1番の非常識代表のような彼でも、この母には頭痛がするらしい。
しかし久々の俗世間に高揚している夫人はそんな息子の異変になど気付かない。お構いなしにグラウスの手を両手でホールドしたまま目を輝かせている。
「素敵ねー」
その「素敵」はどういう意味だ。
まさか息子に彼氏がいるから素敵、というわけではあるまい。実の母親にそんな性癖で見られているのだとしたらあまりにも気の毒すぎる。
それじゃ何か? 自分が夫人の好みのタイプとか、そういうことか?
いつものように説明するのが面倒だと思ったのか、青藍はと言えば「持って帰っていいですよ」などと言いだす始末。
この人のこういう性格はどうにかならないものだろうか。ちゃんと否定すればいいものを。
まさか本人もちょっとくらいはそういう目で見、ているはずがない。絶対にない。この10年、暖簾に腕押し状態だったのだ。むしろ付きまとわれて鬱陶しいと……ああ、だから「持って帰っていい」と? そんな酷い。
目で訴えてはみるものの、ご主人様は母に捕まった哀れな子犬を助ける気などないらしい。
仕方がない。ならば自力で脱出するまで。こういう場合の対処も私が1番だと自負している。
グラウスは笑顔のまま夫人の手からやんわりと自分の手を取り返した。
「申し訳ございません。この身は既に青藍様に捧げております。指1本まで私は青藍様のものですので、これはお返し頂きます」
今更他の主に仕える気などない。そんな事態になるくらいなら潔く執事をやめる所存だ。
ついでに言えば人妻の間男になる気もない。
見よ! この忠誠心! ご主人様もきっと感動の涙を流……
……しかしそれを確認する前に夫人が詰め寄った。この顔で10センチ以内に近付かれるのは心臓に悪い。
「まあまあまあ! そうなの!?」
ご主人様よりも第二夫人のほうが先に感動したのだろうか。取り返した手はまたしても夫人の両手に捕らわれてしまった。
上級貴族に触れるのは処罰対象。しかしこのご婦人に関してだけは「向こうから握ってくる分は免除される」という特例措置を設けてもらわなくては命がいつくあっても足りない。
ああ、こんなことが前にもあった。
昔。そう、ふたりで階段を転げ落ちたあの時も。
あの時のことが表沙汰になっていないのは青藍が黙っていてくれたからだろう。
今もお喋りな連中に見られてはいるが、これも不可抗力だ。良識があれば不問にしてくれるはずだ。むしろ派閥に属さない第三者の証言は多数あったほうがいい。手を握ってきたのは第二夫人のほうだと。うん、後で連中に余計な尾ひれを付けて流さないようにきっちり言い含めて……とグラウスは頭の中で罰則からの抜け道を探し続ける。
が。
「ふつつか者ですけど、この子をよろしくお願いします!」
第二夫人の次の句に、頭の中を駆け巡っていた諸々の懸念事項が吹っ飛んだ。
実の親から頼まれて断るなどひとでなしのすること。そりゃあ自分は誰にでもよろしくされてOKな聖人君子ではないけれど、こんなお願いならウェルカムです! と、お前何処の国の奴だとツッコまれそうな思考に上書きされる。
「もちろんですとも! 一生幸せにしてみせます!」
条件反射のように言い返し、条件反射のように夫人の手を握り返す。
取り囲んでいたガーゴイルとルチナリスが潮を引くように引いた気がするが、多分気のせいだろう。
主の幸せが執事の幸せ。メイドや戦闘時の配下だって目指すところは同じだろうに、連中にはその気概が足りなさすぎる。
だが。
「その誤解を招く言い方やめろよ!」
別方向から怒気を孕んだ声が飛んできた。
「そいつは執事! た、だ、のっ! 執事っ!!」
見れば、少し離れたところで青藍が怒りもあらわに睨みつけている。
どんな誤解を招くと言うのだ。
執事の鑑と誉めそやすならともかく、罵声を浴びせられるいわれはない。
決して願ったり叶ったり、親の了承まで取れたことだからこの際入籍までしてしまおうとか、そんな不埒なつもりで言ったわけではないし、夫人からしてもたったひとりの息子の幸せを願っての発言だ。何故それがわからない。
この深い執事愛と母の愛。主人冥利、息子冥利に尽きるだろうに。
それに加えてもう少し私の価値を認めて頂いても罰は当たらないし、できればそれを機にもうちょっといろいろと進展しても……とは思うのだけれど。
……彼には伝わらないらしい。
だがしかし。
そんな息子は軽く無視。第二夫人は信頼のこもった目で執事を見上げた。シチュエーションが変われば背中を任せる相手になるだろう、と言うか、まぁ要するに「仲間!」とか「同志!」とかいう類の信頼感を寄せてくれているのを感じる。
「執事さんみたいな人がいてくれて良かったわ。ほら、あの子ぼーっとしてるでしょ?」
「確かに」
「でもそういうところがかわいいと思わない?」
「ええ、とても!」
「何言い出すんですか母上も! お前もーー!」
結界でも張られたように、さっと半径1m以内が薔薇色に染ま(ったような気がす)る。
もうそこは「息子がかわいい同志」の世界。ふたりの耳には当の本人からの罵詈雑言は届かない。
「ああやって必死になるところとか」
「かわいいですよね」
思いますとも。
頭の回転はよさそうなのに妙に抜けてるところとか、仕事してるかと思えば執務机に突っ伏して気持ちよさそうに転寝してるとところとか、熱い紅茶を口にしてしまって慌てた挙句にカップごと落としそうになっているところとか、かわいいところを上げればきりがない。領主のときも裏の顔のときも隙がないからか、その、ふと気の抜けた瞬間がたまらない。
彼の外見に釣られる者は多々あれど、ここまで掘り下げて列挙できるのは、かなりマニアックでなければできないもの。この城で、いや世界中を見てもそれは私が1番だと自負している(n回目)。
「子供が頑張っています、みたいな感じがいいですよね」
ここまでウマが合う人は初めてだ。グラウスも心の底から笑みを返す。
「やっぱり執事さんはわかってるわ! そうよ、何ていったって私の息子ですもの。ほら、今だって天然ボケのくせに気取っちゃって、かわいいわホントに!」
そして夫人はそのマニアックさに理解があるらしい。
さすが母親。私には負けるが、なかなかのものを持っていらっしゃる。
「あ、でも第二夫人もお美しいですよ」
「嬉しいわー。ものすごく取ってつけたみたいな言い方だけど」
その空間だけ別次元に行ってしまったかのような盛り上がりに、すぐ近くにいるルチナリスもガーゴイルたちも混ざることができずにいる中、慌てて駆け寄って来た青藍は第二夫人の背後に回ると、その背を押しやった。
「だーかーらー!」
これ以上執事と話をさせるのはまずいと思ったのかもしれない。
「そういう話、なし!」
「あら、せっかくあなたがかわいいわねって話をしてるのに」
「しなくていいです!」
終わりの見えない会話を強制的に中断し、青藍は第二夫人をホールの外へ連行していく。
そんなふたりを見送りながら、ルチナリスが呟いた。
「なんだろ。既視感が……」
既視感?
しかしそう言われれば、何処かでこんなことがあった気がする。それも何度も。
だが夫人が来たのは今回が初めてだ。何がそう思わせるのだろう。
グラウスも思案する。そこへ声だけが飛んでくる。
「後でお茶持ってきてねー!」
はた、と気がついた。
ルチナリスも気づいたのか、口元を歪める。
……そうか。
この娘に小言を言う自分を、彼が遠ざけようとする時だ。





