11 【つないだ手・2】
著作者:なっつ
Copyright © 2014 なっつ All Rights Reserved.
掲載元URL:http://syosetu.com/
無断転載禁止。(小説家になろう、taskey、novelist、アルファポリス、著作者個人サイト”月の鳥籠”以外は全て【無断転載】です)
这项工作的版权属于我《なっつ》。
The copyright of this work belongs to me《NattU》。Do not reprint without my permission!
「坊はこう見えてもメフィストフェレス様のご子息なんすよ――!」
あっさりとその沈黙を破ったのは、やはりガーゴイルたちだった。
「いいっすよねぇ。貴族様ん中でもあんな角と羽根持ってるのってそんなにいないんすよー」
「いかにも由緒正しい魔王様って感じでぇ」
「ねー、前の魔王様なんかビジュアルは牛だったもんなぁ」
化け物たちは一斉にあたしを取り囲みと、目を輝かせて「魔王様」の自慢話を始めた。
唯一の希望が、違うと思いたかったことが、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じる。
「お前たち。空気を読みなさい」
「あれ、喋っちゃいけないことだったっすか!?」
「いけないことですよ」
義兄の傍らに跪いていた執事はさも頭痛がするとばかりにこめかみを押さえていたが、やがて、すっ、と立ち上がった。
立ち上がって何をするかと思いきや、ただ、あたしを見下ろしている。その姿に義兄を隠しているかのようだと思うのは、ただの錯覚だろうか。
「だから言ったでしょう? いくら正体を隠したとしても、偽りの上の生活は何時かは脆く崩れ去ってしまうんです」
そして発した言葉も……背に隠した人に向けられているようで。
メフィストフェレスって聞いたことがある。
あたしは記憶の蓋に手を伸ばす。開かないようにグルグル巻きにして記憶の片隅に押し込んで忘れていたものを引っ張り出して。
ずっと昔、あたしが村に住んでいた時の朧げな記憶の何処かで。あの時、誰かがそんなことを言っていた。
この世には悪魔と呼ばれる存在がいる。
その中でも伝承に出てくる悪魔はその力も一際強い。例えば――。
思い出した。
羽根の生えた化け物が茜色の空を埋め尽くした、あの日のことを。
悪魔の城に悪魔は存在していた。
ずっと、あたしの隣で。知られないように、ずっと……ずっと真実を隠したままで。
「騙してた、の……?」
義兄は答えない。
「騙してたの!?」
「るぅチャンそれは違うっす!」
義兄が答えるかわりにガーゴイルたちが割り込む。
「何が違うのよ、悪魔のくせに!」
「悪魔、悪魔って、坊はるぅチャンに何か悪いことしたっすか!?」
悪いこと!?
したじゃない。村を、人を襲って。パパもママも神父様も悪魔のせいでいなくなった。今では生きているのかどうかすらわからない。
あたしに紐を付けて遠くまで引っ張って行ったのも悪魔じゃない。疲れて、足が痛くなって、子供心に死んでしまったほうがどんなに楽かと思ったわ。一緒に掴まった人たちがあの後どうなったのかも、あたしは知らない。
それだけじゃない、何人もの勇者様たちも。今日あたしが連れてきた人たちも、
「坊がしたことっすか!?」
……坊?
青藍様、が?
違う。
そうだ。あたしの隣にいた人は、領民から慕われている領主様だった。
優しかった。抱きつかれて嫌がる素振りはしたけど、本当は大好きだった。
……だった……けど――!
「だけど、魔王じゃない! あたしの村を襲った悪魔の、悪魔の王様なんでしょ!!」
直接手を下さなくたって手を汚すことは可能だわ。それが魔王なら尚更。
指示ひとつで悪魔は人間を襲う。
村を襲えって、あなたが指示したの?
人間を狩れって、あなたが?
そのあなたが、どうしてあたしを育ててくれたの? 食べるため!? 何も知らないで自分を慕って来る小娘はさぞ滑稽だったでしょうよ! あたしは、騙さ、
「魔王というのは役職名のひとつにすぎませんよ」
執事が呟いた。
「勇者の相手をする者を魔王と呼びます。いかにも敵の親玉のような名称にしておけば勇者は必ずここにやってくる。……我々に特定の王はいません」
何よそれ。そんなことで騙されやしない。
魔王が本当にあの化物たちの王でも、そうでなくてもどっちでもいい。
あなたたちは敵。
あたしの。
あたしの周りにいるのは悪魔だ。あたしは今、敵の真っただ中にいる。
奴らがちょっとその気になれば、あっという間にあたしの命は消えてしまう。
でも。
だからって怯えて命乞いなんかするもんですか。
誰が、敵なんかに……!!
あたしは素早くあたりを見回し、開けたままになっていた救急箱から鋏を掴み上げた。刃の部分が短い、細い鋏。
それを閉じたまま、両手で握りしめる。刃先を彼らに……執事と、その後ろにいる義兄に向けて。
一矢報いたいのか、逃げたいのか。感情に任せて鋏を向けて、それでどうしたいのかは全くわからない。考えられない。
そんなあたしを執事は冷めた目で見下ろしている。何も思いつかないままこうしていることを見抜いているのか、子供のわがままにはうんざりだ、と言いたげに。
「憶測だけで他人をなじるのはやめなさい。この人は、」
「……もういい」
ずっと床のほうを見ていた義兄がぼそっと呟いた。
「隠してでも置いておくべきじゃなかったんだよ。……もうお終いにしよう、るぅ」
お終い?
お終いって何? これからあたしをどうするつもり? 殺すの? 人間狩りで大勢の命を奪って来たあなたたちなら小娘ひとりくらい造作もないことよね?
でも、ただでなんか死んでやらない。
鋏を持つ手が滑る。隙を見せれば執事はこの鋏を取り上げるだろう。逆に刺されるかもしれない。
「……それでいいのですか?」
執事が口を開いた。
でもその声はあたしに向けたものではない。凶器を握り締める小娘など視界から抹殺している。何時刺してくるかもわからない危険も全く気に留めていない。
「もともとるぅは預かっていただけだ。俺とは縁も所縁もない」
義兄は俯いたまま、巻かれた包帯を右手で撫でている。こちらもあたしのことなど見ていない。
「うすうすはるぅも感じ取ってるだろう。俺たちの時間とるぅの時間は違う。何時かはボロが出る」
毎日考えされられていた悩みも、あの時感じた違和感も。
義兄の左手の、あの白い真新しい包帯の下にあるのは、あたしを庇って負った怪我。人間のあたしを、人間じゃないあの人が庇った時のもの。
義兄の見た目が何年たっても変わらないはずだ。
この人たちはあたしとは違う。
あたしだけじゃない。この城の外に、この世界に生きている人たちの誰もが義兄たちとは違う。
彼らは人間よりずっと長い時を生きる種族。あたしたちたちが「悪魔」と呼んでいる人間の敵。あたしの、敵。敵なのよ。
「それで、いいのですか?」
「そうっすよー。坊、あんなにるぅチャンのことかわいがってたのにィ」
「無理やり押し付けられて手元に置いていただけだ。どうせいつかは外に出すつもりだったし、別に今いなくなったところで、」
なに被害者みたいなことを言っているの?
被害者はあたし。騙されて傷ついたのもあたし。
「私には本当の妹に接しているように見えましたよ」
「そう? 騙されただろ」
「青藍様」
「俺は騙してきたんだよ。るぅも、お前も」
そうよ、騙して来たのよ。
自嘲気味な義兄の声と、言葉を選びながら紡いでいるような執事の声だけが耳に届く。
「私は人間は嫌いですが……あなたが笑って下さるのなら小娘ひとりくらい手元に置くこともいいかと思っていました。それを、」
あたしの村を襲ったのは悪魔だ。
悪魔が来なければ、村の皆とも、育ててくれた神父様ともずっと一緒に平和なままでいられた。あたしは孤児だったから親も姉妹もいなかったけど、それが最良の幸せだと思っていた。
ううん、きっとそれも幸せ。
灯が落ち、子供たちがひとり、またひとりと親に連れられて行って、何時も最後に残っても。
大人にわがままを言って甘える友達を少しだけ羨ましいと思っても。
あたしには神父様がいるんだって。
それだけであたしには過ぎた幸せなんだって、そう思って。
――デモ 違ッタ。
そんなあたしを妹だと言ってかわいがってくれたのは、他の誰でもなく、この人で。
でも、この人は、「悪魔」で。
「押し付けられただけで10年も一緒にいられるものではないでしょうに」
「いたんだよ。不思議だろ?」
険しい顔をしたままの執事に義兄は笑う。
――ドウシテ。
どうして、そんな顔で笑っているのよ。騙していたくせに……!
「楽しかったよ、るぅ」
そんな声がして、あたしの目の前に影が差した。
義兄が片膝をついてしゃがみこんでいる。少し躊躇ったように手を上げた彼は、そのままその手をあたしの手に重ねた。
「お前が悪魔に奪われた人々に比べればとても足りるものではないが、少しは気が晴れるだろう?」
あたしの手には鋏が握られている。使った形跡はないが、古びていてお世辞にも切れ味がよさそうには見えない。
義兄はその鋏ごとあたしの手を掴むと――そのまま引っ張った。
「ひ……っ!」
喉から空気が漏れた。鋏の先は義兄の胸に刺さっている。黒いベストに一際色濃い染みが広がっていく。
パパを、ママを、神父様を悪魔に殺された恨みを、悪魔である義兄の身で晴らせと、そう言いたいのだろう。そうしたのだろう。
でも。
晴れない。
それどころか後悔しか湧いてこない。
あたしは悪魔を、魔王を刺したのに。
恨みを晴らしたのに。
違う。
「違う……」
違う。
だって少し前まであたしのお兄ちゃんで。
あたしを庇って怪我をして。
この10年、ずっとあたしの隣で、あたしの隣にいてくれて。なのに。
――敵。
「違う……っ!」
あたしは義兄の手を振り払い、鋏を投げ捨てた。
違う。
この人は魔族で、悪魔で、だけど違う。
ミバ村を襲ったわけじゃない。パパやママを殺したわけじゃない。
悪魔だけど、悪魔だってだけでその罪を負わなきゃいけないものなの?
ここで義兄を刺して、それであたしの気は晴れるの? 仇を討った、って思えるの!?
「あたしは、そんなことは望んでな……」
――矛盾シテル ン ジャナイ?
心の中でもうひとりのあたしが囁く。
――ツイ サッキノコト ヨ? アタシハ 何テ言ッタノ?
悪魔ダ、ッテ。敵ダ、ッテ。ソウ言ッタンジャナイ。
ソレナノニ 「殺スノハ望ンデナイ?」
悪魔ガ ヒトリ 減ルノニ? 憎イ悪魔 ガ。悪魔ノ親玉 ガ。
あたしは義兄を憎んでなんかいない。
――デモ、悪魔ダワ。
悪魔だから、それが何? 人間だって悪いことをするじゃない。
あたしがここで義兄を刺すのは、お金を盗んだ犯人とは違う通りすがりの人だけど、同じ人間だから弁償してもらっていいよね、っていう暴論と同じ。
――ソノ暴論ヲ サッキ アタシハ 自分デ言ッタ ノニ?
そう、だけど!
「……るぅ」
あたしの心の中でふたりのルチナリスが言い争う中、義兄はあたしの頬に手を添えた。
「何にせよお別れだ」
蒼い瞳にゆらりと紅い光が灯る。
「これからは人間として人間の中で生きなさい。いいね、”ルチナリス”」
視界がぼやける。
いや、ぼやけている。目の前の光景が、歪んで混ざって霞んでいく。
ガーゴイルたちも、無言で立っている執事も、悲しそうな義兄の笑みも。白く。
目が覚めたらみんないなくなってるのかな。
あたしのそばに誰かいたことも、忘れちゃってるのか、な。
あたし……。
『どうか、青藍様がもっと笑ってくれますように――』
ふいに、耳の奥で幼い日の自分の声が聞こえた。
あれは何。
あたしが言ったの?
その声は小さな鈴のように真っ白な中を跳ね回る。
その跳ねた場所に光の輪が広がっていく。
リィ……ン、リィ……ン……と。