17 【誕生日の憂鬱】
本文中に挿絵があります。
著作者:なっつ
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The copyright of this work belongs to me《NattU》。Do not reprint without my permission!
ルチナリスの手を引いて、義兄は城への雪道を歩いている。
外套のポケットの中では、懐中時計が静かに眠っている。
結局ルチナリスたちがノイシュタインに戻って来られたのは真夜中。日付も変わるかという頃合いだった。
最終が行ってしまったこんな時間には当然、駅舎に残っている人影などいない。待合室の達磨ストーブも既に火は落とされ、明り取りの窓も閉められている。
昼の姿からがらりと様相を変えたその空間に、駅ではない別の何かに入り込んでしまったような錯覚すら覚える。
駅舎を通り抜けた先にあるのも同じように誰もいない商店街。店はどれも閉められ、明りの灯る窓も、ひとつ、またひとつ、と消えていく。
少し溶けかかっていた雪は夜の冷え込みでまた凍りついたようだ。足元でさく、さく、と砕ける音がする。
「あの男の人はどうしたんですか?」
握られているはずの手の感触がない。
冷たいからだろうか。目でそこに義兄の手があることを確認しながらルチナリスは問う。
「帰ったよ」
「帰った、だけ?」
どう見ても危害を加えそうだったあの人が、何もしないで帰っただなんてあり得ない。義兄はどうやって逃れてきたのだろう。あの路地の男たちのように叩きのめしたのだろうか。それともあたしのように、何処か見知らぬ場所を経由してきたのだろうか。
義兄は何も答えない。
白い道に黒い影がふたつ。
足音が、ふたつ。
あたしは今日を忘れない。明日になればきっといつもの日常が続いていくのだろうから、だから――。
「……もう手を繋ぐこともないんだな」
え?
ふと聞こえた声に、ルチナリスは前を歩く義兄の隣まで小走りに近寄ると顔を見上げた。
どう言うこと?
あたしが大人になるから?
義兄はただ微笑むだけだ。答えもしなければ、もう1度言ってもくれない。でも幻聴なんかじゃない。
「大きくなったね、るぅ」
風が雪を舞い上げる。暗闇を、暗闇と同じ色に身を包んだ義兄を、白が覆い隠す。
このまま義兄が消えてしまいそうな気がして、ルチナリスは思わず手を握り返した。
「青藍様、あたし、」
「人間は成長するのが早いな」
義兄の目は前方を……町の端から城へと続く道に向いている。街灯もまばらな空間は道と木々と空の境界が曖昧に溶けている。
真っ暗な空から、白い雪が音もなく降りしきる。
風が舞い上げたものではなく、新たな雪がしんしんと。
「俺を追い越すのも、すぐかもなぁ」
ずきり、と胸が痛んだ。
あたしの前にいる人はあたしの大事なお兄ちゃんで……あたしとは生きる世界が違う人。
あたしが歳を取ってこの世からいなくなっても、この人の世界は続いていく。義兄と執事と精霊とガーゴイルたちがいるあの日常から、あたしだけが抜け落ちる日がいつかやってくる。
そんなことはずっと前から、義兄が人間ではないと知ったあの日からわかっていたはずなのに。
「嫁のことは考えとけよ。ちゃんと人間の相手を探すように言っておくから」
困ったもんだね、と苦笑する義兄のかすかな笑い声が何処となく寂しく聞こえるのは、あたしの耳のせいだろうか。義兄も同じように思ってくれているのだろうか。
違う。
あたしがそう思いたいだけ。
義兄はあたしを外に出すことを考えている。自分の代わりにあたしを守る「誰か」がいればいいと思っている。
でも、何故。
「青藍様」
「なに?」
「お兄ちゃんでしょ?」と訂正されないのは日付が変わったからだろうか。
今日はあたしの誕生日。
今日からあたしは16歳。
『16歳は大人なのよ? 大人の女性に抱きついたりくっついたりするのは犯罪なんだから』
この台詞を言った数時間前のあたしは、今のこの事態を予測できてなどいなかった。
ずっと、今日と同じ日が続いていくと思っていた。
「あの。あたし、生きてる間は一緒にいたいって言いましたよね」
「言ったね」
「それなのに何処かにお嫁にいかないといけないんですか?」
『あたしは、青藍様と一緒にいたい――』
あの日の願いはずっと、何十年先まで続いていくはずだったのに。
義兄は立ち止った。肩越しに向けられた目は笑っていない。
「……それは、どういう意味?」
蒼い目が細められる。
何もかも見透かされたようで、ルチナリスは下を向いた。
「俺はお前を貰ってやることはできないよ。残念だけど」
あっさり玉砕した。
この潔さはとてもこの人らしい。でもデリカシーの欠片もない。もう少し勿体つけて言ってくれたっていいじゃない?
こういうところが鈍いのだろうか。執事の好き好きオーラに全く気付かない所以なのだろうか。でも、それならどうして今、あたしが口にしなかったことを察したのだろう。
やはり演技なのか? 何もかも。
「グラウスでも嫌だって言うんなら、出て行くしかないでしょ?」
義兄はとてつもなく残念そうに溜息をつく。
それを最良の選択みたいに言うのはやめてください。
言われた当人がふたり揃って嫌がっているのにどうして気がつかないんですか? いくら気配りの人が極所限定だからって、空気くらい読んでも罰は当たらないわよ!! と、いつもなら抗議の声を上げるのだろうけれど……そんないつもなら頭で考えるより先に口から飛び出していく言葉たちが、今に限ってはひとつも出て行かない。
「ずっと義妹のままじゃ駄目なんですか? お嫁になんか行かずに、ずっと」
あと数十年の後。あたしは義兄より早くこの世を去る。
義兄に代わる誰かを探す必要なんてない。あたしが骨と皮ばっかりのお婆ちゃんになっても義兄の見た目は今と変わらない。
あたしは「魔王」の「いもうと」。魔族になれなくても、人間でいることに執着するつもりもない。人間と全く関わることなく人生が終わったって構わない。いつかあたしがこの世を去ったら庭の片隅にでも埋めてくれれば、それで、
「ちょっと事情が変わってね」
「あの男の人に何か言われたんですか!?」
執拗に追ってきたあの男が何もしないで帰るはずがない。
あたしを遠ざけている間、義兄とあの人の間で何があったと言うのだろう。
「何もないよ。ただお前が成長するのを忘れてただけ」
いつもの義兄の笑みが、今だけはとても、辛い。
あたしはずっとここにはいられない。
そう。義兄は言っていた。あたしは預かっているだけだと。
けれど、一緒にいていい、とも言ってくれたじゃない。
「青藍様は、あたしがいなくなっても平気なんですか?」
「……難しいことを言うね」
義兄は困ったような笑みを浮かべる。
「正直に言えば平気じゃない、かも」
義兄は繋いでいた手を解くと、あやすように義妹の頭を撫でる。
「でも、もうずっと覚悟してきたことだから。動物みたいに看取るまで手元に置いておくよりは、何処かで幸せに暮らしてると思い続けられるほうがいいかもしれない。
……きっとそう思うよ。何百年何千年経ってもこの空の下のどこかにお前が生きてるって」
義兄は再び空を見上げる。
そこにあるのは暗闇。月もなく星もなく、凍てついた風と雪が舞うだけの。
「あたし、何百年も生きてません」
「でもきっとそう思う。俺はお前の最期を見ないから、そう思うことができる」
いつか来る、あたしの最期の日。
義兄は、その日に傍にはいてくれない。
「どっちにしろ俺たちはずっと一緒にはいられない。もしかしたら明日にも、俺は勇者に殺されるかもしれない」
「そんなこと」
「俺の死に目を見せられるのも辛いかもなぁ」
「そういうこと言わないで下さい」
「そういうことなんだ。俺たちは」
頭を撫でていた義兄の手がルチナリスの頬に伸びる。
「……そう言えば、誕生日プレゼントがまだだったね」
「え?」
何が? と尋ねる間もなく唇が重なった。
ほんのわずかな間。
「誕生日おめでとう」
何ごともなかったように、義兄は微笑んだ。
数時間ぶりに帰ってきたノイシュタイン城は、深夜だというのに門が開いていた。
鍵をかけ忘れたのか、時間外勤務の勇者一行でもやって来てしまったのか。あの几帳面な執事が鍵のかけ忘れなどするはずがないから後者だろう。
……これって、まずくないですか?
ルチナリスは義兄を見上げる。
よりにもよって魔王が不在の時に。
執事がただの事務方などではないことは先日のドラゴン騒ぎでわかったが、それでも魔王様ほどチートな強さを持っているわけではない。人数で来られたらただでは済まない。もし……。
最悪の事態を想像してルチナリスは身震いした。
あたしの誕生日に全滅だなんて、別の意味で死ぬまで忘れられない思い出になってしまう。
しかしそんな心配は杞憂に終わった。
ドアをノックするよりも早く、執事が飛び出すように顔を出す。
予知能力でもあるのかと思ったが、さすがの魔族もそこまで万能ではないだろう。もしそんな能力があるのなら、勢いよく開けられた扉がルチナリスの顔面を直撃するはずがない。
と言うか、仮にも執事でしょ!? もっと静かに開けなさいよ! あたしに礼儀作法云々とか言えないわよ!!
鼻が低くなったじゃない、と嫌味を言えるほど自分の鼻は高くない。
それを自覚している自分が悔しい。
執事が、あの雪の日のようにずっと玄関先で苛々としながら待っていたのは容易に推測できる。仏頂面を装ってはいるが、扉を開けて義兄を確認した一瞬、執事の顔に喜色が浮かんだのをルチナリスは見逃さなかった。
そして執事の背後にはガーゴイルたちが死屍累々と転がっている。
やはり勇者の襲撃を受けたのだろうか。執事だけ生き残ったのだろうか。それとも……いつまで経っても帰って来ないご主人様への怒りで我を忘れた執事が八つ当たったのだろうか。
「ほら、やっぱり生きてた」
義兄はルチナリスを振り返って笑う。その言葉に執事が眉を吊り上げる。
「どういう意味です?」
「え? だって全滅してると思ったでしょ? るぅ」
「お、おおおおおおおおお思ってませんともっ!」
よりにもよって執事の前でそういうことを言うのはやめて下さいお兄様。
まるであたしが全滅しているのを期待していたみたいじゃないですか!
無事だったのか、なんて心配など最初からする必要もないことだったのだろうか。苦虫を噛み潰したような顔の執事をいつもようにあしらっている義兄にそう思う。
喧嘩して放置していたくせに、ちゃんと生きて待っていることも疑わずに帰って来るその態度はかなり狡い。相手を信頼しているように見える。いや、本当に信頼しているのかもしれないけれど。
そんな態度を見せられれば忠犬ワンコなどコロリと堕ちるに決まっている。
「全く、こんな夜遅くまで何をやってたんです」
「待ってた?」
「待っていません」
「またまたぁ。寝不足は美容に悪いよ」
はぐらかすような受け答えに執事は溜息を吐きつつも、甲斐甲斐しく義兄の外套を脱がせている。
ルチナリスの頭の中で「小悪魔」という言葉が明滅した。違う、それは男に使っていい言葉じゃない。
「私がここにいたのは今さっき配達があったからですよ」
いかにも待っていたわけではない、というオーラを言葉の端々から滲ませながら執事は指をさした。
見ると、扉の脇に重そうな麻袋が5つほど積み上げられている。
「明日の朝食にはセキハンをご用意しますからね」
「おー! さすがグラウス!」
嬉しそうに目を輝かせる義兄に、執事はさも嬉しそうな顔をしてみせる。
さっきの不機嫌な態度はなんだったのよ。思いっきり待ってたんじゃないの、この野郎っっ!!
甘やかしすぎです! これだからわがままが増長するんです!
いつもどおりの義兄といつもどおりの執事のやりとりに、ルチナリスはひとり頭を抱える。このふたりの喧嘩に巻き込まれた挙句、1日中気を遣い続けたあたしを誰か慰めて。
麻袋はひとつあたり30kgほど。この中にコメとかアズキとかいう名の、見たこともない材料が詰め込まれているのだろう。うちにはガーゴイルさん’sという大飯食らいが300人(?)ほどいるから、これでも足りないかもしれない。
しかし、だ。
「手に入らないって言ってたのにどうやって」
「普通にお願いしただけですよ。どのお店も快く持ってきて下さいました」
「普通に? どうやって?」
執事は目を瞬かせたルチナリスに微笑む。
「……調達できなければ次から取引はない、と言っただけです」
酷い。この主人にしてこの執事。
やっぱりここは悪魔の城だ。
多分このあたりで一番食糧を消費しているこの城との取引が止まったらとんでもない痛手になるだろう。みんな、この見たことも聞いたこともない食材を血眼になって掻き集めて来たに違いない。
「そんなことより……無事でよかった」
「迷子になったのはるぅのほうだぞ?」
心の中で城下町の人々に詫びているルチナリスを尻目に、義兄と執事はいつものように会話をしている。義兄の外套を小脇に抱える執事に振りきれんばかりの尻尾が見えるのは、多分気のせいではない。
犬め。
散々煽られた怒りも、長い冷却期間を置くうちに沸点以下まで下がったのか、もしくはご主人様に避けられ続けたことで、どちらが悪いかを言及するより前に折れる気になったのか。
朝の口論などすっかり忘れたような顔で世話を焼かせている義兄を見ていると、もしかしたらあの喧嘩は執事を置いて城を抜け出すためにわざと吹っかけたのではないか、とまで邪推しそうになる。
執事が先に折れるところまで予測済だったとしたら……いや、きっと予測していた。素っ気ないふりをしつつも嬉しいのが見え見えな執事の隣で、義兄がルチナリスの視線に片目を瞑って見せたから。
ああ、やっぱり敵わない。大人になったらこの中に入れるかと思っていたけれど、それはまだもうちょっと先。
いや。
その前に、入れる日は来るのだろうか。
帰路の会話を思い出し、ルチナリスは窓の外を見上げた。
雪はこんこんと降りしきる。闇も光も、全てを白く覆い尽くして。
「それで何を買ってきたんですか? オルファーナで」
施錠を終えた執事がルチナリスたちを階上へ促す。
転がっているガーゴイルたちはそのままにしておいていいのだろうか、と思いつつ、どうせ石像なんだし風邪をひいたりはしないだろう、と即座に考え直してしまったあたり、あたしも「悪魔の城の住人」に相応しい鬼畜さが身についてきたのかもしれない。
「情報早いね」
「連絡が来ましたから」
やはりスノウ=ベルは執事に連絡を入れていたらしい。どうりで駅を出るなりコールが続いたわけだ。
ご主人様が行き先も告げずに汽車に乗って出て行ってしまったら、過保護な執事でなくとも心配するだろう。オルファーナにいることを知って、本当に飛んで来たかったに違いない。
「買わなかった」
義兄の答えに執事は不思議そうな顔をする。
「お気に召すものがありませんでしたか?」
「いや」
義兄は挑発するように執事を見上げた。
「るぅが、俺が欲しいって言うから」
空気が凍った。
執事の冷たい目がルチナリスを射抜く。
な、ななななな何を言い出すんですかお兄様! そんな、あれはちょっとした言葉の食い違いというか、あたしは決してそういう意味で言ったわけではないし、お兄様もそんなつもりなど全くなかったじゃありませんか!
何故そうやって執事を煽るんです!
何故そうやってあたしを巻き込もうとするんです!!
「違います! 何もありませんからっ!!」
「……ふたりともちょっとそこに座りなさい」
「えー俺も?」
「あたりまえです!」
ああ。誕生日に床に正座させられるあたしって一体……。ルチナリスは天を仰ぐ。
その誕生日は、まだ始まったばかりだ。





