10 【つないだ手・1】
※ 挿絵があります。
著作者:なっつ
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The copyright of this work belongs to me《NattU》。Do not reprint without my permission!
「いいですか青藍様。矢尻というのは肉に食い込むような形になっていまして、それを無理矢理抜くと、」
義兄の執務室。
左手をあたしに預けたまま、義兄は執事から小言を言われ続けている。
「だいたい毒でも塗ってあるのが普通のものを素手で受けたりして、もしこれが銀だったら浄化されてもおかしくないところなんですよ」
「だってさ」
「だってじゃありません!」
言われ始めてから早や1時間。頬杖をついてうんざりした顔を隠しもしない義兄の態度が執事の舌をさらに滑らかにしているのかどうかは知らないが、よくもまぁネタが尽きないものだ。
まわりには興味津々の眼差しで見守っているガーゴイルの群れ。その黒山のせいで、広々としているはずの執務室がとても狭く感じる。
よもやあたしたちを取って食う機会を窺っているのだろうか。
白い壁と紫檀の机。その背後の壁を一面覆う巨大な書棚。どう見ても見覚えのあるいつもの義兄の執務室。
そこに化け物が当然のような顔でいる様は何かの間違いだとしか思えない。思えないけれどこれは現実で。そして遠巻きに取り囲むばかりで襲って来ないのは義兄がいるから、なわけで。
そう言えばこの化け物たちに引き摺られて何処かへ連れていかれた勇者一行はどうなったのだろう。食べられてしまったのだろうか。
牙もあるし爪もある。どう見たって肉食系。これだけの数が腹を満たすには彼ら3人では足りないかもしれないけれど……いや、小間物屋の女店主は朝も一組向かったと言っていた。その彼らも倒されて今頃は――!
「あの、青藍様。この人? たちは……?」
左手に包帯を巻きながら、あたしはおそるおそる義兄に問う。
義兄はきっと彼らの最期を知っている。それどころか指示していたかもしれない。だってさっきも片付けている彼らに修理費がどうとか言っていた。
義兄はこの化け物たちの上に立つ人だから。
魔王……だから?
「化け物じゃないっす。ガーゴイルっす!」
あたし中で猜疑心がグルグルと渦巻いているとも知らず、化け物たちが胸を張る。
……いえ、それは知っています。本で見たことあります。その姿。
心の中でツッコミを入れる分には構わないだろうか。人間を襲うと言われている連中に酷似しているけれど今のところあたしを取って食おうという気はなさそうだし、この10年、あたしに話しかけてきたあの声なのだとすれば、きっと食べない。
どういうことだろう。
何故襲わないのだろう。
義兄がそう命令しているからだろうか。
そっと義兄を窺うも、頬杖をついたまま宙に向けられている視線があたしに向くことはない。
「ここに来た勇者はまず俺らと戦うわけっすよ」
「俺らに負けるような雑魚は魔王様の前に立つ資格なんかないっす!!」
そして聞いてもいないのに、懇切丁寧に教えてくれるのはありがたいと感謝すべきなのか。だるそうに頬杖をついたままの義兄とは逆に、彼らのアピールが痛い。顔も怖いんだから迫って来ないで欲しい。
「あたしの回りで喋ってた声ってこの人たちだったんですね」
刺激してはいけない。彼らも、そして義兄も。
だって悪魔だ。魔王だ。どういうつもりで10年も泳がされていたのかは知らないけれど……。あたしはなるべく直視しないようにしながら、それでもガーゴイルに注意を向ける。
動いているガーゴイルを見るのは当たり前だが初めてだ。危害を加えては来ないだろう、とは先ほどからの彼らの様子で察することができるけれど、それも何時までもつことか。
義兄が一言指示すれば、彼らはその友好的な仮面を脱ぎ捨てて襲い掛かって来るに違いない。
なのに、あたしはどうして彼らに取り囲まれて、義兄に包帯を巻いているのだろう。
油断はできない。
今でも背後では口を開けているかもしれない。いくらこの10年で会話する仲になっていたとしても、あたしの味方だと言っていたとしても、そんなもの口先だけならどうとでも言える。
声はすれども姿は見えず。空耳ではない声が何度も何度も話しかけてくる環境でよく普通に育ち、なおかつ返事までしていたものだと昔の自分に感心する。
そして今、その声の主の全貌を目の当たりにして、姿が見えなくて本当によかったとも思う。この顔で話しかけられていたら絶対に会話どころではない。
「ずっと声だけで、誰なんだろうって思ってました」
「お前、小さい時にこいつら見て泣いたでしょうが」
そうだったろうか。
遠い昔に、おばけが出たと義兄に泣きついたことならあった気もする……って、なに打ち解けてるのよあたしってば!
あたしは俯いて奥歯を噛み締める。
悪魔は敵。
あたしの村を襲って、養父を殺した。そんな奴らと打ち解けてどうするのよ。
でも感情のまま今此処で暴れたら、あたしも勇者たちのように食べられてしまう。
あたしが彼らを導いたことも義兄たちは知っているかもしれない。知っていて、あたしがどう出るのか窺っているのかもしれない。
「るぅチャンが怖がるから出てくんなって酷くねーすか?」
「文句があるなら、もっとましな顔に生まれ直して来るように」
「坊……酷ぇ……」
もう姿を隠す気もないのか、部屋中に溢れかえっているガーゴイル。それらが一斉にギャアギャア騒ぎ立てる声を聞いていると、まるで鳥の巣の中に放り込まれたみたいだ。
黙って。
静かにして。
意識が騒ぎに引っ張られる。今まで味方だと思っていた人が、声が、あたしを騙して、ずっと、
「いい加減にしなさい」
その声にあたしは肩を竦めた。
しかしすぐにそれが自分に対して放たれた言葉ではないと気付く。
やけに明るいガーゴイルたちとは対照的に苦虫を噛み潰したような顔をしている男は、いつもの執事の鑑からは想像もできないほど苛々しながら義兄を見下ろしている。
今の声はガーゴイルたちを叱責していたのに。
そんな時でさえ、執事は義兄だけを見ている。
そんな視線にさらされているのはかなり居心地が悪いのだろう。義兄はと言えば顔を背けたままで、それがやはり叱られている子供にしか見えない。
「グラウス様怒ってるっす」
執務椅子に座り込んでさっきからクルクルと回っているガーゴイルが、背中の羽根をバタつかせる。
「坊が怪我なんかするからっすよー」
「……俺のせいかよ」
能天気な声に、執事と目を合わせないようにしている義兄がぼやいた。
「手を握りあってる時はこれはもう来たかとドキドキしたってぇのに!!」
「ちょっ、いつ手を握り合った!!」
動かないで下さい。包帯が巻けません。
ぞろり、と緩んだ包帯にまで不器用さを嘲笑われているようで、少し気を抜いただけで自分もまたいつものようにこの「偽りの日常」に引っ張り込まれてしまう気がして。
それが嫌で、あたしは大きく息を吐き出した。
その時だった。
「ルチナリスは不器用ですね」
そんな声と共に、手から包帯が消えた。見れば執事が上から包帯をつまみ上げている。もう片手は義兄の手首を掴んでいる。
そうだ。この人も敵なのだろうか。
この人はずっと人間のままだ。ホールにいた時でさえ、執事のままだった。
でも、だからと言って味方だとは言えない。掌から血を流していた義兄ではない義兄を、執事は普段通りに接していた。執務室の前で問い詰められた時の彼からは殺意しか感じなかった。肩に置かれた手の冷たさは人間の体温ではなかった。
今も、
1時間かかっても包帯ひとつ巻けないメイドに業を煮やしたのか。執事は身を竦ませた義兄の傍に片膝をつくと、そのまま手際よく包帯を巻き始める。たるみもなく、歪みもなく。芸術品かと思うような出来栄えが数分も経たないうちに出来上がる。
あたしが時間稼ぎをしていると思って、だから包帯を取り上げたのかもしれない。
敵、かもしれないのに……こんなとこまでやっぱり優秀……と胸の内に僻み混じりの感想が浮かんだ。それと同時に彼女の周囲からはおおおおおおお! と歓喜の声が上がった。
化け物の目からしても感動する出来なのだろうか、とも思ったが。魔王様を取り囲んでいる彼らはあたしと同じ光景を見ていたわけではないらしい。
「やっぱり手を握、」
「握りあってない!!」
「坊ってば素直じゃないっすねー。俺らの目には背景に薔薇が見えるっすよ」
「お前らの目がおかしいだけだろうが!」
「おとなしくして下さい」
ガーゴイルに殴りかかりそうになっている義兄と、その左手を捕まえて包帯を結んでいる執事。変な構図だけれども違和感は全くない。
このふたり、化け物たちと馴染み過ぎ。
これが目の錯覚だったらどんなによかったか。いや、こんなリアルな錯覚があってたまるか。
あたしは義兄に目を向ける。
何処も違っていない、いつもどおりの義兄だ。ちょっと天然でちょっと子供っぽくて、10年間あたしの隣にいたお兄ちゃんだ。
しかし喧嘩の相手はどう見ても人外で。
ただの人間なら普通は知りあう機会もないはずの、悪魔の姿をしたもので。
同じ城の中に10年もいたんだもの、知り合う機会だってあるに決まっている。妙に馴れ馴れしいこの人外が、義兄たちに話しかけないはずがない。
それにあたしたちを食べようとは思っていないみたいだし、害がないのなら馴染んだっておかしくはない。喧嘩腰になっても大丈夫なくらい、きっと無害なのよ。
そう納得しようとする一方で、つい先ほどの玄関ホールでの光景は脳裏から去ってはくれないどころかますます鮮明に浮かび上がる。
暗闇の中で身を翻した彼を。
身動きがとれないほどに痛めつけられた勇者一行を冷たい目で見下ろしていた、あの紅い瞳の義兄の姿を。
そこで確かに見た瞳の紅は、今は完全に蒼の中に消え失せているけれど。
でも。
「青藍様」
意を決して呼びかけると、義兄は包帯を巻かれた左手を右手で触れながら、やっとあたしに視線を向けた。
「……さっき、お姿が違う気がしました」
執事が眉間に皺を寄せたまま、探るように横目で義兄を見た。