6 【雪の町・前編】
※本文中に挿絵があります。
著作者:なっつ
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ホールの中央にある階段から下を見ると、先に来ていた義兄が玄関扉を少し開けて外を見ていた。そのわずかな隙間から入り込む光がやけに目に刺さるように感じるのは、ホール内の暗さに目が慣れているから、というだけではないのだろう。
ルチナリスは目を細めると右手を目の上にかざす。
遮られた光の中で、自分に気づいた義兄がこちらを見上げて手を振っている。
昔読んだ物語のワンシーンを思い出した。
舞踏会にやってきた女主人公が階段に差し掛かる場面。階下には豪華に装った男女がひしめき合っていて、その彼らが一斉に遅れてきた彼女を見上げて。
彼女が歩を進めると、人が潮のように左右に引いていく。
その先では王子が笑顔で立っている――。
自分をその主人公になぞらえるのは我ながら図々しいと思うけれど、口に出さなければ大丈夫。心の声が聞こえる能力持ちがこの城にはやけに多いけれど、今回ばかりは聞かなかったことにしておいて。誕生日くらい夢を見たっていいじゃない!
ルチナリスは誰宛てともつかない念を送る。
とは言え、はたから見るまでもなく自分はお姫様ではない。濃紺のピーコートにプリーツスカートといういでたちはどう見ても学生。そして対する義兄はと言えば膝丈の黒い外套。こっちはこっちで公務で出る時にも着ている、いわゆる「いつもの」服だ。
それで偉い方々にも会ってしまうのだから普段着とは言わないのだろうけれど、せっかくの義妹との初デートなんだもの、もうちょっとめかしこんでくれたって罰は当たらないわよ? もともと上着の類を好まない人だからそんなに種類は持っていないのかもしれないし、男の人なんてそんなものなのかもしれないけれど、でも貴族様なんでしょ? うちの中で王子に1番近いところにいるのに地味すぎるでしょ! ……と、思ってしまう乙女心に文句は言えない。
以前、義兄の服装が地味だとか何とか、執事が呪われたように呟きながら数着見繕っていたが、その中に冬物は含まれていなかったのだろうか。それとも、本当はあるのだけれども、つい、いつもの外套に袖を通して来てしまっただけなのだろうか。
ただ、上から下まで真っ黒なのに地味に見えないのは確実に顔のせいだ。
自分なら喪に服しているようにしか見えない。
見つめてしまったのが見とれていたように取られたんじゃないか、なんて考えがよぎって、ルチナリスは慌てて両手で頬を叩いた。叩いて、「ちっ、顔がいいって得よね」と八つ当たりのように自嘲した自分が酷く恥ずかしい。
義兄の襟元で金色がふたつ光る。
ひとつはノイシュタインの、もうひとつはメフィストフェレスの紋章が刻まれた徽章。
そのまま着てきたから付いているのだろう。私用で出掛ける時くらい外せばいいのに、と思いつつ、義兄を飾るのにこれ以上のものもないように思う。
魔族の倣いなのか個人的趣味なのか、義兄は黒っぽい服を着ていることが多い。その黒の中で輝くふたつの金色は実に華やかだ。
やっぱりこの人は魔王なんだわ。
前にも思ったが、義兄は誰よりも黒が似合う。それだけは、認める。
玄関扉の向こうに見える前庭はまだ雪景色。
眩しく感じたのは雪に陽射しが反射したせいに違いない。
「じゃ、行こうか?」
はい、と差し出された手をつい条件反射のよう取ってしまったのは、そんな余計なことをいろいろ考えていたあたしの落ち度。
だってこの人、「お手をどうぞ、お嬢さん」って手を差し出した前科があるのよ!? 差し出し慣れてるのよ! キラッキラの笑顔でそんなふうに差し出されたらあたしじゃなくたって取っちゃうわよ! と弁解しようにももう遅い。
義兄はルチナリスの手を握ったまま、さっさと歩き出す。
「青藍様! 手! 手!」
「なに?」
なに? じゃなくって!
「手を離して頂けませんかっ!」
ルチナリスは掴まれている手を必死で引っ張る。しかし抜けない。
おのれ魔王。何という力の持ち主よ! と、どこかの偉い爺さんが言いそうな台詞が脳裏を駆け抜けていったけれど、義兄のことだ。真面目な顔でその台詞回しの意図を聞いてきそうで困る。
「手をっ!」
ルチナリスは手を引っ張る。
「手をぉぉぉぉぉぉおおお!!」
……やっぱり抜けない。
門を出たところで義兄はやっと足を止めた。不思議そうな顔で振り返る。
「なんで?」
今まで聞こえなかったとは言わせないわよ!
何その今初めて気がつきました、みたいな台詞!!
「なんでって。こんなところ見られたら、あたし明日っから恥ずかしくて外歩けません!」
城から城下の町へと通ずる一本道。この10年、何度も往来を繰り返してきた道。
ノイシュタイン城に行くにはこの道しかないから、手土産をぶら下げて雑談に来る町長も魔王討伐に来る勇者様ご一行も、無論、自分もこの道を通る。
その道を、こともあろうに一介のメイドが領主様と手をつないで、だなんておかしいでしょ!?
例の如く、義兄は何も考えてはいない。妙に意識しまくっている自分がおかしいだけ。小間物屋の女主人や町長のようにルチナリスを小さい頃から知っている人からは「領主様の妹」と認識されているくらいだし、義兄も同じようにしか見ていない。
けれど、実際には違う。本当は義妹でもなんでもないただのメイド。拾われて、同情で育てられてきただけの赤の他人。
自分が自分のことをそう思っているから、だからこそ感じる違和感なのかもしれない。
この人がどれだけ義妹と言ったって、どれだけ親しげに抱きついてきたって。
あたしが義兄と一緒にいるのが嬉しくたって、義妹でいたいと思っていたって。
そう思いきれないあたしも、「あたし」の中には確かに存在する。
片手でルチナリスの手を掴んだまま、もう片手を腰に当てて義兄は彼女を見下ろした。
いかにも「お兄さんぶっている」のように感じるのは、義兄なりの「兄像」を演じているからなのだろうか。
実際、彼に弟妹はいないと聞いた。だから義兄があたしに対してとる態度は、兄とはこうあるべき、という理想の姿が入っているように思う。
そしてその理想の姿は……きっと義兄の「兄」という人。執事曰く「蛇のような性格」だそうだが、しかし義兄が演じる「兄」を見ている限りでは、毛嫌いしたくなる人とも思えない。
「紅竜様」というその人に、きっとあたしは一生会う機会などないだろうけれど。
「だってお前、前にも雪に足取られて顔から突っ込んでたでしょ? 雪道は危ないんです」
腰に手を当てて、義兄は仏頂面のままそんなことを言う。
いつの話ですか。10年前ですか。そんなはるか昔のことを、つい最近のように言うのやめて下さい。ルチナリスは同じ仏頂面作って義兄に返す。
だいたい、雪に足を取られたなんて記憶にない。先日のドラゴン騒ぎの時は凄かったけれど、そんな時は外には出ない。去年や一昨年は暖冬で積もるほども降らなかったし――。
「そう言えばいつだったっけ。お前、俺に雪だるま作れって命令したよな。で、遊び過ぎて風邪ひいてさ」
「そっ、そそそそそそんなことしましたかっ!?」
恐るべし、何も知らない幼児の暴挙! 今、同じことはとてもできない。
しかし何故そんなに事細かく覚えているのだろう。スケジュールなどを執事任せにしていて覚える必要がないから脳が余っているのか、もともと記憶力がいいほうなのか。
いや。
それならどうして、執事が言う過去は覚えていないのだろうか。
奴が義兄に固執……いや、忠誠を誓っているのはその過去にあった出来事のせいだと聞いたけれど、まさかまさかの「義兄に近づきたいばかりに捏造しただけ」説浮上?
だとしたら執事のことは「妄想が行きすぎて現実との区別がつかない危ない人」と認識を改めなければいけない。
そして。
ルチナリスは義兄の「小さいるぅちゃんの思い出と、そのるぅちゃんがしでかした諸々への愚痴」を聞きながら、つないだままの手を見る。
何とかならないかしら、これ。
いや、嫌なわけじゃないのよ。大好きなお兄ちゃんだもの。でもね、大人は立場を気にするものなのよ。
せめて他人に見られなければ繋ぎっぱなしでもいいんだけど。
例えば、馬車。あれなら見られないでしょ? うん。
……とは言え、ルチナリスは移動に馬車を使うような身分ではない。雪だからと言っても同様。
前回はと言えば10年も昔、義兄に連れられてこの町に来た時。
あの時は義兄に膝枕されて――。
駄目だ!!
この義兄のことだ。「懐かしいなぁ。あの時は」なんて言って膝枕されるのを強要してくるに違いない!
あの時は子供だったし、気を失ってたからもあるし!
今あれをさせられるくらいなら、手をつないで歩いたほうがずっとましだわ!
自分の想像と、そこから連動した過去を思い出しただけなのに、ルチナリスの背筋に悪寒が走る。
義兄がその辺に転がっている一般人なら何も問題はないのだろう。
「領主様の妹」が完全に公式化されていれば、それもまた問題は――多少はあるかもしれないけれど――まぁ、ないのだろう。
だがしかぁし!
今あたしの手を掴まえているのはただの領主様ではない。
見た目と外面の良さから奥様方にも人気が高く、視察に出て行けば大抵なにかしら貰って帰って来る、そんな人なわけで。
それに比べて町の人たちがルチナリスという一個人に抱く認識は、「領主様の妹」が公式化されつつあるといっても大半はまだ「城のメイドの子」でしかないわけで。
これはマズい。
誰かひとりにでも見られたら、明日には寄ってたかって話の種にされている。いや、話の種だけで済めばまだいい。
下手したら……嫉妬に狂った奥様方に襲われかねない。
そんな時だ。つっ、と靴底が滑ったのは。
「るぅ!?」
とっさに義兄は掴んだままの手を引っ張ってくれて。
あたしもその手を掴んで。
……けれど。
……こう言う時って絶対うまくいかないのよね。
気がつけば、義兄は雪の上に座り込んで片手でルチナリスを抱きかかえながら、もう片手で自分の体を支えていた。簡単に言えば義兄を下敷きにしている、と言うか、義兄の上に乗っている、と言うか。
どういう転び方をすればそうなるのか、義兄は頭から雪まみれになっていて、そしてルチナリスのほうはと言えば全くの無傷。吹っ飛んだ帽子が雪の上に転がって、ちょっと雪がついたかな、という程度。
はい。素晴らしい少女漫画展開ありがとうございます!
思わずそんな感謝の言葉が棒読みで脳裏に再現されたのは、照れ隠しというより、もうどこまでひねくれてんのよ! と自分で自分を叱責していいレベルで。あたしは申し訳ないやら恥ずかしいやらでしばらく顔が上げられなかった。
いや、駄目よ。助けてもらったんだもの、ありがとうの一言くらいは言うべきだわ。もしこれで手首を捻ったりでもしたら「公務に支障が」どころじゃない。
この人の場合、命にかかわる。
なのに。
「ほら、やっぱり転んだでしょ」
おそるおそる顔を上げたルチナリスの目の前にあった義兄の顔は、いかにも思った通り、なんて言いたげに目を細めて笑っていて……ひねくれた心ではとても直視に耐えられない。
こっちは笑いごとじゃないんですけどぉぉぉぉおおお!
叫びたい。叫んで走り回って雪の中に埋まってしまいたい。
なんてこと! 予想通りに転ぶとか。
それも他人まで巻き込んじゃうとか。
相手は雪まみれなのに、転んだ張本人は全くもって無事、だとか。
なんでひとりで転ばなかったのよ! 馬鹿馬鹿! あたしの馬鹿!!
でもしょうがないじゃない。雪国育ちじゃないんだから。雪慣れしてないんだから!
だってミバ村はそんなに雪が積もるような土地じゃなかったのよ。山奥だけど。
きっと緯度でいけばノイシュタインよりも南にあるのよ。
だから、小さい頃のあたしは初めて見た雪に興奮して、義兄を雪だるま作りに引っ張り出し……ああ! 今は思い出に浸っている場合じゃなくってぇ!
「――階段がなくて残念だったねぇ」
はい?
パニックになりかかっているルチナリスの耳に、義兄の声が聞こえた。
それは、たちまちのうちに渦巻いていた記憶やら後悔やらを鎮めてくれたけれど、その代わりに疑問もひとつ置いて行く。
階段?
好きだったら階段転がりましょう、の、あの階段?
……なんで?
「階段?」
「うん、前にもこんなことがあったなぁって。あの時は階段から転げ落ちて、」
ルチナリスは懐かしそうに話す義兄の顔をまじまじと見上げた。
執事が固執する例の思い出のことだろうか。覚えていないと言っていたのに、思い出したのだろうか。
階段を転げ落ちたその時って……。
ふいに、フラッシュバックのように映像が浮かんだ。
間違いない。
こんなふうに下敷きになって義兄を庇ったのは――きっと、あの執事。
「思い出したんですか?」
「え? なに?」
ルチナリスの問いに義兄は目を瞬かせた。
「だから、一緒に階段転がって好きだったらぎゅーってしていいんだよね、の」
もし思い出したら、義兄は、あたしより執事のほうが大事になってしまうのだろうか。
胸の奥でぞわりと何かが蠢く。
そうしたら。
あたしは。
黒くてどろどろした「何か」が。
あたしは、また、ひとり……?
「なんのこと?」
義兄は首を傾げた。
「今言ったじゃないですか。階段じゃなくて残念だったね、って」
ルチナリスの言葉にも、意味がわからない、とばかりに義兄は首を振る。
おかしい。
本当に覚えていないのだろうか。つい今さっき自分で言ったことなのに。
見た目は若いけれど100歳近いはずだし、痴呆症も視野にいれて心配したほうがいいのかもしれない。病気は早期発見が鍵だって言うし。
「怪我はない?」
義妹に痴呆を心配されているとは露知らず、義兄はそう言いながら座り直す。
彼女を抱えたままで。
「ご、ごめんなさい」
この謝罪はどちらの意味だろう。
転ばせてしまったことか。それとも物忘れの酷さを疑ったことか。
きっと両方だ。
そして申し訳なく思うその一方で、このまま転んだことも忘れてくれればいいのに、などと不謹慎なことを願っているのも確かなこと。
転んだことも。階段のことも。
執事は思い出してほしいだろうけれど、2度と思い出さなければいいのに。
そうすれば、この人はずっとあたしの義兄でいてくれる。きっと、執事よりあたしを思ってくれる。
……変ね。
だったら、毎日抱きつかれるのも容認すればいいのに。
自分からこの人を遠ざけるようなことしちゃったくせに。
「昔はよくこうしたなぁ。お前よく泣くから」
義兄はまた勝手に回想に入っている。
執事が赴任してきてからというもの、義妹とふたりきりになることなどほとんどなかったから、いろいろ思い出すことがあるのだろう。それはあたしも同じ。
出会った頃、全然知らないところに連れて来られた5歳児は寂しさと不安でよく泣いていた。そんな5歳児が泣きやむまで、この人はずっと抱き寄せていてくれたものだ。
思えば、義兄が抱きついて来るのはこの延長なのかもしれない。
義兄にとってあたしに抱きつくのは、恋愛ではなくて、親子の情愛に似たものでしかないのかもしれない。
それじゃ、義兄にとって恋愛の対象になるのは――?
駄目。それだけは、駄目!!
浮かんだ想像を振り払うようにルチナリスは大きく頭を振った。
いろいろ口実をつけて続けるのではないかと懸念したけれど、義妹から宣言された以上、義兄はあの朝の挨拶を自重するようになるだろう。そしてその手持無沙汰を執事に向けるかもしれない。
あれだけ喧嘩していたって、明日になればきっと執事は「大人の対応で」今までと同じ距離で義兄に接してくる。自分を曲げてでも折れてくる。
だって絆を切りたくないのはむしろ執事。一時の思い出を胸にこんな田舎にまで追いかけて来る人が、あの程度でめげるはずがない。むしろ振り向かせるために策を講じて来る。
それで喧嘩していたことすら時間と共に忘れてしまうであろう義兄にべったり貼りついているうちに、弄ばれたもやもやなんか、雪どけみたいにきれいさっぱり溶けてしまうのよ。
――ダッタラ。
駄目駄目。こんなふうだから、いつまでたっても兄離れできないんだわ。
ルチナリスは、もぞり、と浮かびかけた誘惑を押し退けた。
そう遠くないうちに、あたしはこの人よりも早く老いが来る。「お兄ちゃん」なんて呼べなくなる時が来る。16歳は距離を置く契機なのよ。
そう思いながらも、胸が痛む。
お兄ちゃんに抱っこされても恥ずかしいと思わないくていい、子供のままだったらよかったのに。
「大きくなったなー」
義兄は感慨深げに呟く。
「重くなった」
……酷い。





