3 【樹状突起の記憶を上方補正することについての見解】
※本文中に挿絵があります。
著作者:なっつ
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しばらくそんな冷たい目を向けていた執事は、ふと我に返ったかのように視線を逸らした。誤魔化すようにケトルを取り上げ、カップにお湯を注ぐ。
あれはあたしがするべき過程ではないのだろうか、と思いつつ、ルチナリスはそれを指摘することなどできない。指摘して、またあの目が向けられるのは嫌だ。
蛇に睨まれたカエルの気持ちが今初めてわかったよう。今のに比べたら、人間狩りにあったことも縛られて連行されたこともずっと緩かった。認識が甘かったわ、あたし。
「詳しいことは解らず終いなんですが、私と会ったことでもいろいろ酷いことを言われたようです。青藍様はお優しいから何も仰って下さらない」
「だから守るんですか?」
『青藍様をお守りするのは、私の役目です』
義兄がドラゴンに取り憑かれた時、この男は確かにそう言った。
相手は魔王よ? 一介の執事が守る必要なんてないわよ、とあの時も今までも思っていたけれど、過去に何かあって、さらに煩悩色の眼鏡を通せば義兄は「守らないといけないような危うい人」に映ってしまうに違いない。そうでなくとも心の姫だもの。
でも、それなら何故執事なのだろう。親衛隊にでもなればよかったのに。
募集がなかったのだろうか。
「少なくとも紅竜様からはお守りしてみせます」
「紅竜様、なんですか」
義兄のそばに仕えることができる仕事が執事しかなかった、と仮定して、それでも守るのはドラゴンでも勇者でもなくて、例の紅竜様って人なんですか? それも「少なくとも」?
ああ。女装させられる危険から守るということだろうか。個人的には賛同したいけれど、大事なご主人様の尊厳を考えればそうもいかない、と。
うん、その程度なら執事でも大丈夫よ。むしろ武装していないほうが日常的に見張ることができていいかもしれない。
主のためなら巨大爬虫類から実の兄まで敵に回す。素晴らしい騎士道精神、いや、ただ単に近付くものを片っ端から敵認定しているだけよね。それなら幼気な幼女に殺気に満ちた目を向けたことも納得がいくわ!
だ、けれども。
義兄はその辺の猛者よりもずっと強い。守る機会なんて人生の中で何度あるだろう。格好よく守ってくれた相手に恋心……なんて恋愛系ならよくある話だけど、そのフラグ自体が立ちようがない。
それだったら美味しい紅茶出し続けたほうが落とせる確率は上だ。何と言ってもこの男、紅茶を淹れることについては他の追随を許さない腕を持っている。
男を落とすにはまず胃袋から、って言うじゃない。以前は2回会っただけのモブAだったかもしれないけれど、この10年で株はかなり上がっているはず。
おのれ執事。知能犯め。
それでいてこのレッスン……敵に塩を送ったことを後悔させてあげるわ!
だがしかし。理由はともあれ、ずっと守られていたルチナリスと守ってきた執事との違いは、海溝よりも深い溝になって横たわっている。
義兄にとってこの男は安心して背中を預けられる相手。
あたしじゃ、ない。
ルチナリスはこぶしを握る。
握ったところで攻撃力など皆無。それに比べて執事の手は戦うこともできる手だ。
今更だが何か習おうか。守るまでは無理でも、せめて義兄に守られなくても済む力があれば、ちょっとでも執事の域に近付ける。
普段は完璧なお茶を淹れる美少女メイド。でもいざとなったらスラッと剣を抜いて戦う、なんていいじゃない。膝丈メイド服の何処に剣を隠し持つんだって話ではあるけれど。
ああ、銃ならどうだろう。よくいるわよね、太もものところにベルトで銃を隠し持っているメイドさん。銃を抜く時にちらっと太ももを見せちゃったりして。
敵もアナタもイ・チ・コ・ロ・よ♡ ズギュウゥゥゥン! なんて……やだぁ、大人の女って感じ~!
「手段はともかく」
って、聞いてたのかよ今の妄想をっっ!!
タイミングよく吐かれた執事の呟きに、ルチナリスは青ざめた。
そう。見た目は人間にしか見えなくともこの男は魔族。ガーゴイルのように他人の心を読む術を持っているかもしれない。やだどうしよ恥ずかしい!
顔が火照って、ルチナリスは目の前のカップの中身を一気に飲み干した。ぬるま湯が喉を通り抜けていく。
一息ついたところでそれがカップ温め用だったことを思いだし、彼女は慌ててお湯を注ぎ直した。
窓の外には青空が見える。
ヒツジの毛玉のような白い雲が1番右側の四角の中を漂っている。
「え、ええっと、そろそろ」
沈黙が辛い。
早く課題をクリアして早くこの場を退散したいのだが、執事は全く動く気配がない。
未だ思い出の世界から帰ってきていないのか、カップが温まるのを待っているのか、先ほどのルチナリスの妄想が予想以上のダメージを与えたのか、それはわからない。
「そろそろ……」
「……身分が違うと言うのは辛いですね」
「そ、そう、ですね」
返って来る返事はと言えば、ルチナリスがほしいものではなく。
しかしこの際昔話でいいから喋っちゃって、と願っても、それ以上は返って来ない。
そんなふたりの目の前の窓を、毛玉雲が横切っていく。
「あのぅ」
何処かで鳥の囀りが聞こえる。
畜生! 鳥はいいわよね、自由で。何の因果であたしはこのポカポカ陽気に延々と紅茶を淹れ続けなければいけないのだ! ルチナリスは心の中で涙する。
窓の外では素知らぬ顔で例の毛玉雲が通り過ぎ、そして、左端の窓から消えていった。
沈黙。
ええい! こうなったら勝手にやるわ!
ルチナリスがケトルを掴んだその時。
「まずは茶葉です。ティースプーン1杯がひとり分の茶葉ですが、あなたは雑ですから、多分、同じように量ったつもりでも多かったり少なかったりするのでしょう。量っておきましたから、これを使ってください」
ルチナリスの目の前に、すっ、と小皿に乗った茶葉が現れた。
半ば置物と化していた執事が無表情のまま差し出している。
待てよこら。いつの間に夢の世界から帰って来た。
ルチナリスは硬直しつつケトルを置き、小皿を受け取る。
ぼんやりしているふりをしながらずっと監視していたのだろうか。だとしたら怖い。
「ポットに茶葉を入れたらお湯を注いで、すぐに蓋をして下さい。勢いよく注ぐのがコツですよ」
「はあ」
展開について行けない。
しかし執事が戻って来なかったらこのレッスンは終わらないのだから、ここは良かった、というべきなのだろう。今度こそ及第点を取ってみせるわ!
ルチナリスはケトルを掲げ、お湯を注ぐ。その間に執事は卓上の砂時計をひっくり返している。
そして。
「迂闊でした。あの制約を忘れたことなどなかったのに」
「まだ何かやったんですかー!?」
どうやら執事はまだ完全に現世に戻ってきてはいないらしい。ルチナリスは頭を抱える。
待って。あなたはいったいいくつ義兄の黒歴史を抱えているんですか。
薄暗い部屋でカツ丼をちらつかせながら吐かせたい気分になるのをぐっと我慢する。残念なことに、この城に取調室はない。
魔族の間では身分が違うことでいろいろ制約がある。
例えば、ルチナリスが声をかけても執事が頭ごなしに叱りつけても義兄は身分を盾にどうこう言ってくることはないが、本来なら声をかけただけでも処罰対象になるらしい。
そんなことにこだわっていたら、右も左も貴族様なあたしなんか身動き取れないじゃないの。と言いたくなるような制約だが執事がその世界にどっぷりと浸かっているのも確かなことで……そうして怒鳴りつけた後でこっそり落ち込んでいるのも何度か目にしている。
それが魔族特有のものなのか、人間社会でも貴族や王族の間ではそうなのか、それはわからない。
だがきっと執事が浸かっている貴族制度では、よちよち歩きの幼児の前で跪いたり、踏まれたりするくらい当たり前なのだろう。声をかけたくらいで処罰だと言ってくることのない義兄でさえ笑顔でガーゴイルを踏みつけるのは日常茶飯事。その姿を思い出すと、この想像はあながち間違ってはいない気がする。
「あの人も逃げるとかしないもんだから」
そして片や、夢の世界に片足を突っ込んだまま、執事は独り言のように呟く。
起承転結をつけろとは言わないが、せめて筋道を立てて話してはもらえないだろうか。爆弾発言ばかりを抜粋されてもどう返事を返していいのか困る。
しかしこの男がそこまで親切に喋ってくれるはずがない。今の独白だって上の空だから口について出て来るだけで、いつもの執事なら確実に黙秘権を貫いているだろう。
「……聞くだけ無駄だと思いますが~、あの、何を、」
想像力をフルに使って考えるに、どうやら声をかけた程度ではなさそうだ。
だとすると行動? 逃げ出しそうなことって言うと……義兄が毎朝あたしにしてくるみたいに抱きついちゃったりしたんだろうか。
でも義妹ならまだしも(よくないけど)初対面の人にそれやったら犯罪よ? この冷静な執事がそんなことする?
いや、してた。
ドラゴン退治から帰って来た義兄に思いっきり抱きついてたわ、この人。
まさか初対面の(見た目だけは)お姫様にそれをやったのか?
義兄も逃げなかったのか?
ああ! 待って! またしてもピンクな倒錯の世界がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 違う! あたしが想像したんじゃない! これは! 執事が! この男が悪いのよ!!
ルチナリスは息も絶え絶えに返事を待つ。
あれだけペラペラ喋っておいて、今更重要なところは「また来週!」なんて常套手段になんかさせるものですか。
こうなったら洗いざらい吐いてもらうぜ! カツ丼はあたしのお手製で!
執事はテーブルの上の砂時計に視線を落とす。
窓の外で葉っぱが1枚、はらりと落ちる。
もう何度目かもわからない沈黙が流れた。
「3分経ちました。お茶を淹れてみて下さい」
答えろ!!
ガーゴイルにしろこいつにしろ、何故知りたいところになるとはぐらかす!!
あぁ! ポット様の取っ手をへし折ってしまいそうだ。
白いティーカップに琥珀色が満たされていく。
執事は黙ったままルチナリスの手元を見ている。
「色はいいんですけどねぇ」
手に取り、香りを確かめ、これもまぁ、などと呟き、ひと口含む。
「これでどうしてこの味なんでしょうねぇ」
どうやらまた及第点は頂けなかったようだ。
それはこっちが聞きたいくらいよ。ルチナリスはがくりと肩を落とす。
ああ。何がいけないというのだろう。茶葉は執事が量った。お湯も執事が沸かした。あたしがしたことと言えばその茶葉をポットに入れて、執事が言う時間まで待って、それでカップに注いだだけ。
「何かこっそりと混入させていませんか?」
「何をです?」
「毒物とか」
「んなわけないでしょ!!」
執事はポットの蓋を取ると中を覗き込んで首を傾げる。
「……きっと愛情が腐っているんですね」
「喧嘩売ってるでしょグラウス様!」
もう嫌だ、この人。
付き合いきれない!
※いつものようにサブタイトルに深い意味はありません。





