1 【紅茶によってα波が増加することについての検証・前編】
「魔王様には蒼いリボンをつけて」Episode7。
ルチナリスは執事のグラウスにお茶の淹れ方を教えてもらうことに。
どうやらきっかけは義兄がルチナリスのお茶が飲みたいと言ったから、らしいのだが……。
※ 本文中に挿絵があります。
著作者:なっつ
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「……まずい」
「うっ」
ルチナリスが心血注いで淹れた紅茶を一口飲み、目の前の執事服の男は無表情のままそう言った。
ここは配膳室。
メイドにとって敷居の高い部屋ではあるけれど、それは他所の城の話。城の使用人事情など全く知らないルチナリスには執事の聖域と言われてもピンと来ない。
壁一面に据え置かれた硝子張りの棚には、どう見ても高そうな食器が並んでいる。
アイボリー調で統一された部屋の中は明るく、窓から差し込む日射しも柔らかく。ここで執事のグラウスは城主――言い換えればルチナリスの義兄――に出すお茶の支度をしたり、手紙を分けたりといった仕事をしている。
ほんわりと紅茶の香りが広がるその部屋は、そこにいるだけならかなり和める空間だった。
……いるだけなら。
ルチナリスが今ここにいるのは、その執事に紅茶の淹れ方を教えて貰うため。
性格とか相性とか天敵とか……はこの際置いておくとして、この城でお茶の淹れ方まできっちり教育を受けているのはこの男ひとり。
お茶なんてお茶っ葉入れてお湯注ぐだけでしょ? なんてインスタントな思考は問題外。我流で固まる前に1度くらいちゃんと覚えておいてもいいでしょう? という言い分に、まぁそれもそうか、と頷いてしまったのが運の尽き。
地獄の猛特訓は、かれこれ3時間が経とうとしている。
テーブルの上にはエルフガーデン産紅茶の空缶が3つ。
精霊の国とも言われている森と湖の国原産の紅茶は人間界には出回らないため、執事が紅茶好きの主のためにわざわざ魔界から取り寄せている。
お値段は不明だが金の箔押しがされたラベルの缶は一見してかなりお高い。そのお高い紅茶様もこんなところで無残な死を迎えるとは思ってもみなかっただろう。
「お湯の温度も茶葉の量も合ってるのに、どうしてこんなにまずくなるんだか」
執事は眉間に皺を寄せたまま、ルチナリスが淹れたばかりのお茶を捨てている。
鬼だこの人。いや正確には犬、じゃなかった狼だけど。
ルチナリスは排水口に吸い込まれていく琥珀色を眺めながら、それを情け容赦なく捨てる男を恨めしげに見上げた。
この男は見た目こそ普通の大人の男の人なのだが、実は狼に変化できる。
最初に見た時は驚いたけれど、まぁ魔族なんだから普通かと思ってしまった自分の順応力が怖い。
「はいもう1度」
もしかして犬だから紅茶の味がわからないんじゃなかろうか。
いや違う、お手本で淹れてくれた紅茶は香りも味も極上だった。同じ茶葉とは思えないくらい。
きっとそれがこの紅茶本来の味。
もしくは、この男の手がかかっているからこそ、本来以上の味が引き出されているのかもしれない。
さすが執事養成学校首席卒業生。
その技を無償で伝授してくれるというのだから少しは我慢しなくては。
いつもの嫌味でやられてるわけじゃない、あたしの実力が奴の目標レベルに及ばないだけなんだから。なんせあたしの脳みそじゃその学校に入ることすら無理なんだもの。
と、ルチナリスは恨み辛みがぼろぼろ出てきそうな頭で執事を無理やり正当化し続ける。
で。
そうよね首席卒業生様! と見れば、奴はうんざりした顔でポットをゆすいでいるわけで。
もう何回目になるだろう。
テーブルの上に恭しく置かれたティーポットのつるりとした白い肌をルチナリスは恨めしそうに睨む。
この丸くて白い陶製のティーポットは執事が主専用に、と使っているものだ。
紅茶用のティーポットと言われて連想するのは硝子製。お茶の色から葉っぱ開き具合、はたまた、くるくる回る様子までよく見えるような。執事に言わせれば、ポットは材質ではなく形と蓋と保温性(と言いつつ1点だけ言うと鉄製は駄目)だそうだけれども。
この城の食器類は総じて、ルチナリスらがこの城に居付くよりも昔からここにある。
そして、歴代執事が総じてグラウスと同じ考え方だったのか、たまたま硝子製は失ったままになっていたのかは知らないが、この城にはその定番の硝子ポットがない。ないくせに、薔薇だの猫だのの形をした、どう見たって実用からは程遠いデザインのポットは博物館並に並んでいる。
お茶の味はポットの出来で変わるとは言うものの、執事レベルになってくると茶葉が見えようが見えなかろうが関係ないらしいので、薔薇も猫も実用で使っていたという可能性も微粒子レベルで存在する。
しかし執事としては他のポットを使うつもりなど毛頭ないらしい。
薔薇だ猫だなんてもってのほか。城主に出すお茶を一番いい茶器で淹れなくてどうするんですか、と怒られた記憶がある。
ちなみにあたしは今日の今日まで茶葉の動きを気にしてお茶を淹れたことなんてないから、どれだけボロッカスに言われても……ぐうの音も出ない。
しかし。
本音を言えばこんな高そうなモノを練習用に出してこないで欲しい。
こんなことなら安いのでいいから硝子製のアレをひとつ買ってもらっておけばよかった。
執事のお眼鏡に適うかは知らないが、世間一般が「これ!」と言っているものならそれなりの能力はお持ちだろう。由緒正しき陶製ティーポット様の身の危険とを天秤にかければ、いくら執事だって廉価版に傾くに決まってい……。
いや。
予算が予算がと年中言っているこの男が、あたしの練習用のためだけにビタ一文でも払うはずがない。
訂正。
自分で買っておけばよかった!
あ、このビタ一文は言葉の綾。
貨幣通貨が違うというツッコミは生温くスル―しておいてね!
誰も言ってくれないから自分で自分にボケツッコミ。どうしようもなく間が抜けている。
口に出さなかったからまだ耐えられるものの、もし口から出していたら恥ずかしさのあまり1階までぶち抜くくらいの穴を掘って埋まってしまいそうだ。
そして、そんな赤くなったり青くなったりしているルチナリスに、執事はスル―スキルを発動中。
身も蓋もない。いや蓋がなければ紅茶は淹れられない。
上手い、座布団1ま……やめておこう、なんだか悲しくなってきた。
ああ、脱線した。座布団はとにかく置いといて。
執事はこの陶製ポット様の曲線具合が最良なのだと言う。
きっと執事の手で生み出される茶葉の動きとやらに、この曲線が合うのだろう。
そして執事が最も信頼を寄せるこのポット様なら、ルチナリスのようなメイド歴10年のベテラン――別名、素人に毛が生えた程度――にもそれなりの味が出せると思ったのだろう。
とは言うものの。お湯ひとつとってみても、190cm近い長身から注がれるものと150cmそこらからのものでは全くの別物。
しがないメイドの手では、このティーポット様は実力の10分の1すら出せないのではないだろうか。
怖い。
期待通りにできないどころか、執事お気に入りの「最高の茶器」にひび割れでもこしらえた日には、首をちょん切られて食われるかもしれない。この間のドラゴンみたいに。
そう。この目の前にいる一見真面目な執事様は、町ひとつ凍りつかせたドラゴンを頭から噛み砕いたという過去を持つ。全身を鱗で覆われたドラゴンに比べればルチナリスなどマシュマロ同然。奴がその気になったらひとたまりもない。
そんな奴と! そんな奴と同じ部屋にいるこの恐怖!
個室に男女でいるというシチュエーションを気にしてか扉は開けてあるけれど、逃げられる確率は30%もないに等しい。
ああやっぱり買っておけばよかった。料理人のMy包丁みたいに、自分だけのポット。
しかし時すでに遅し。今はこの陶製ポット様を相棒にして課題をクリアしなければならない。
ルチナリスはそっと執事を窺い見る。
次のお茶用にお湯を沸かし、茶葉を量るその姿には一点の隙もない。
そんなに気合い入れなくていいから。
もっと安いポットでいいから。
言いたい。でも言えない。念じたところで伝わるはずもない。
でも。
もしこれで執事が満足する味の紅茶が淹れられたら、明日からあたしはこのポットを使わないといけないのだろうか。執事お気に入りのこのポットを。
毎日がドキドキの連続になりそうだ。
「青藍様がお茶だけはルチナリスじゃないと嫌だと仰るからこうして教えているんですよ。全く、上達する気配すらない」
執事のぼやきにルチナリスは、はた、と手を止めた。
そうか。この猛特訓はお兄ちゃんのせいなのね。
またあの無邪気すぎる笑顔で「お茶はるぅのがいい」などと言ったのだろう。朝一のお茶とあたしがいない時(滅多にないけど)は執事が淹れてるんだから味を知らないわけでもないだろうに、この絶品よりあたしのほうがいいのか。
「なにニヤついているんです」
嬉しいような複雑な気分が顔に出ていたのだろうか。執事があからさまに口元を歪めた。が、ルチナリスは気にならない。気にも留めない。
だってこの苦労はお兄ちゃんのせい。この10年あたしの紅茶を文句も言わずに飲んでくれる唯一の人だもの。もうちょっと頑張ろうかな。なんて思っちゃったりして。
なんてポジティブシンキング。
でもそのおかげで何の飾り気もないポットまでもが可愛く見えてくるってなもんよ!
空は青空。小鳥が歌う。
テーブルの上に鎮座していらっしゃるのは高級そうなお紅茶様。あーんど、カップ様、ポット様。
そこで優雅にお茶を淹れる(自称)美少女メイド。
まさに絵に描いたような幸福な風景じゃない?
それで本当に美味しい紅茶を淹れることができたら。お兄ちゃんが、いつもはお世辞みたいな顔で「美味しいよ」って言うあのお兄ちゃんが本当に「美味しいね。るぅの淹れた紅茶は世界一だよ」って言ってくれちゃって……!
「そう言えばグラウス様って、青藍様と昔っからのお知り合いなんですよね」
お兄ちゃんがご指名、という言葉に身も心も軽くなったルチナリスは、うきうきと執事に声をかける。
「昔からじゃありませんよ。ここに来るまでには2度お会いしたきりです。それも1度はすれ違っただけ」
温め用のお湯をポットに注ぎながら執事はさらりと流す。
ふっ。「何も気にしてませーん」って顔してるけどわかるのよ? あたしに負けたのが悔しいんでしょ。
「そのわりには深くないですかぁ?」
そうよ。大人げないのよこの男は。
未だに忘れようもないこの10年間の仕打ち。穏やかそうでいて妥協を許さない。現に、相手を5歳児だと思ってないだろお前、とばかりの小言の嵐。
義兄は「真面目だから」と言っていたが、絶対それだけじゃない。
敵意があった。
大事なご主人様に可愛がられている小娘が気に入らなかったのだろうというのは今ならわかるけれど。
ご主人様の一番は自分だ! とアピールする飼い犬と同じ行動だってことも、今ならわかるけれど!
でもね。
200歳以上年下のあたしと張り合うんじゃないわよ!!
……どうどう。落ち着いて。
ルチナリスは振り払うように頭を左右に振った。
執事はあたしのために忙しい中、時間を取ってくれているのよ。
ノイシュタインは城にしては小さいけど、それでも執事ひとりメイドひとりで回していくには広い。
そのメイドがほとんど役に立たないと来れば、必然的に城内の雑務をひとりで背負っているのはこの男。加えて勇者とのバトル記録のような+αまで抱えている。
過去は過去。
虐げられた記憶は紅茶と一緒に排水口に流して、これからは未来を見て生きていけばいいのよ! Let'sポジティブシンキング!
うん、そうよ! 大阪弁なら「うん、そうや!」
……き、聞かなかったことにしておいて。
疲れてるのよあたし。
「深い?」
唐突に執事は口を開いた。
まるであたしの脳内ひとり漫才が終わるのを待っていたかのようなタイミングで。
「あ、っと、ええと思い入れが!」
急に話しかけて来るんじゃないわ! と舌先まで苦情が出そうになって、ぐっと呑み込む。
話題を振ったのはあたし。それに聞きたい彼らの過去。
そりゃあ義兄はご主人様としては優秀よ。あたしの自慢のお兄様だもの。たった2回会っただけのこの男が傾倒するのもわからなくはないわ。
でも。それだけじゃない気がするのはただの気のせい?
「思い入れ……」
執事が再び黙り込んでいる間、ルチナリスは机に並んだ紅茶の空缶に視線を落とす。
この紅茶たちだって立派なお茶になって飲まれることを夢見ていたのに、飲まれもせずに廃棄処分。その儚い夢を踏みにじったあたしの罪は重い。
彼らの死を無駄にしないよう、頑張らなきゃ!!
そう。この特訓もあたしが憎くてしてるんじゃないのよ。これは全てあたしの成長の、いや違った、大事なご主人様に美味しい紅茶を飲んでもらいたいというただそれだけのことなのよ。
義妹の淹れるとんでもなくくそまずい紅茶なんて飲ませたくないのに、当のご主人様はその義妹に淹れさせるのがお気に入りだったりするから。だからその紅茶を淹れる手から自分好みに作り変えるつもりなんだわ!
あれ?
本当にご主人様のことしか考えてないな。あたしをなんだと思っているのだろう。
教え子が上向いたり首振ったり下向いたりと明らかに不審な動きをしているにもかかわらず、執事はそのあたりは視界に入れるつもりもなさそうだ。
ツッコミすらない大人の対応が逆に辛い。
それどころか。
「思い入れが深いように見えるのは……」
思い当たることがあったのか、彼はいつもの笑顔を浮かべた。
執事らしい、と言えばいいのだろうか。何を言われても「はい」と従う従順そうな顔でルチナリスを見る。
で。
「私は青藍様をお慕いしてますからね。愛の量が違うのでしょう」
大人の対応をしてくれる執事は、笑顔でそんなことを言い放った。
愛とか言ったよこの人。
「紅茶も愛情です。よく料理の隠し味とか言うでしょう? はい、もう1度」
執事は笑顔のまま新しい紅茶缶の封を切る。
ああ。この紅茶代、あとであたしの給料から天引きされたりしないかしら。
※Episode7は前回までの重苦しいシリアスを吹き飛ばすコメディ調でお届けします。
※サブタイトルに深い意味はありません。
読んで下さる読者様にはご迷惑をおかけ致します。
この度、当作品が中国の海賊版サイトに転載されていることが発覚致しました。機械式に本文を丸ごとコピーしているようなので、著作権表記を本文冒頭に貼らせて頂きます。
詳しくはEpisode9-14【級友は嗤う・前編】の前書き及び、2018/04/04の活動報告をご覧ください。