11 【鳥籠・中編】
※過去話です。
※本文中に挿絵があります。
著作者:なっつ
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窓を叩く音に青藍は目を覚ました。
視界を占めているのはベッドの天蓋だろうか。いくつものドレープを重ねた黒い布……に付いた無数の目がじっと自分を見下ろしているのが見えて、思わず息を呑む。
なにかの気配。
人なのか獣なのかも不明な「なにか」が、近くにいる。
自分を見下ろしているあの目だろうか、とよくよく目を凝らすと、それは布に織り込まれたクリスタルへと姿を変えた。
黒目に見えたのは自分の髪が映っていたのだろうか。カットされた面が揺れるたびに色を変えるのが、瞬きに見えたのだろうか。
蝋燭が溶けきった後の少し焦げた臭いと、それとは違う甘い臭い。
どろりとした中に沈められたまま浮かび上がることができない感覚は、きっとこの臭いのせい。溶けたキャラメルのように甘く絡みつく、この臭いの。
ガンガン、と再び窓硝子が叩かれた。
閉じられたカーテン越しに影が動く。
先ほど感じた気配はこの窓の向こうの誰かのものだったのかもしれない。仰向けのまま、青藍は目だけを窓に向ける。
暗闇に目が慣れてきたのだろう。うすぼんやりと部屋の形が見える。
先ほどから叩かれているのは掃き出し窓のようだ。黒いカーテンで覆われていて、外の様子は見えない。
天井から下がっているシャンデリアは植物の意匠なのか、黒い曲線が絡み合っている。
……何処だろう。
自分の部屋に似ているが、この天蓋に見覚えはない。シャンデリアの形もカーテンの色も違う。だからと言って兄の私室というわけでもない。調度品の質から見て使用人の部屋ではないし、客用に設えた部屋とも何処か一線を画している。
記憶にあるいくつかの部屋と照らし合わせればやはり「自分の部屋」なのだろうが……小物の配置が変わった程度ならともかく、シャンデリアや天蓋はそう簡単に変えられるものではない。
開けろ、という声と止むことなく叩き続けられる音に、重い体を引き摺ってベッドを下り、窓の鍵を外す。外した途端に窓の隙間から皮手袋に覆われた手が現れた。開けてもらうまで待つのももどかしい、とでも言いたげに、その手はガタガタと窓をこじ開ける。
「……気色の悪ぃ臭いがするな。媚薬か?」
皮手袋の主は窓から漏れ出た臭いに眉を潜め、黙ったままの青藍に怪訝な目を向けた。
「おい、これ見えてるか?」
ぶつかりそうなほど目の前で手を振っても虚ろな目は瞬きすらしない。合いそうになると条件反射のように背けていたのに、今はそのまま自分を直視している。
まるですり硝子のような光のない色で。
「おい」
腕を掴んでも何も言わない。そのままくたりと人形のように腕の中に落ちてくる。
「俺がわか……ってないな、こりゃ」
この様子からいくと、鍵を開けたのは奇跡ほどの幸運だったに違いない。
男はベルトに通した皮製の小物入れを探り、中から小瓶を取り出した。透明な液体だが光の加減で虹色にも見える。
片手が塞がっているため瓶の栓を口で開ける。そのまましばし逡巡し……男は瓶をそのまま青藍の口に押し当てた。口腔内に入りきならなかった瓶の中身が、口の端からたらりと伝い落ちた。
「ああ! もう! ほとんど流れちまったじゃねぇか!」
文句を言ったところでどうしようもないのだが、男の口から思わずそんな言葉が漏れる。
確実に飲ませるなら口移しなのだろうが、それをしなかったのは誰でもない、自分だ。しかし。
「そんなこっ恥ずかしいことできるか!」
その様を想像しかけた自分を殴りそうな勢いで、男はそんな台詞を吐き捨てた。
相手が男で子供で教え子だからだろうか。それが全く見知らぬ女だったとしても同じ行動に出る自信はあるけれど、しかし、これほど恥ずかしいとは思わない。
幼い時分から実の子のつもりで接してきたつもりだった。しかし魔眼に揺らぎかけたことも自覚している。自我を失うわけにはいかないとその手の接触は不自然に避けていたし、相手の容姿が子供とは言えなくなった今となっては尚更意識してしまう。
思えばそうやって避けてきたのがいけなかったのだろう、こうして妙に構えてしまうのは。小さい頃からちゃんと向き合っていれば……いや、これは犀が悪い。最初に「手を出したら殺していいと言われています」なんて言うから、妙な感情が混じってしまう。普通は子供相手に手を出す、出さないもない!
男は口から顎にかけて垂れた薬液を手袋のままの手の甲で乱暴に拭うと、その手で教え子の目を覆う。
「違う! 今はそんなことを考えている場合じゃない!」
こんなすり硝子のような目にまで惑わされるとは自分も焼きが回ったものだ。
男はあたりを窺う。
誰かに見られている気がする。だが、わからない。闇に呑み込まれた室内に人らしき姿はない。
量としてはおぼつかないものになってしまったが、それでも多少は効き目があったのだろう、虚ろだった瞳に徐々に色味が戻ってきた。
「せん、せ?」
「おう」
男――アンリは目深にかぶった帽子のつばを少し上げた。
厚い胸板は甲冑で覆われ、手袋とマントは噴火口に落としても燃えないと言われている焔竜の皮を加工したもの。
一線を退き、ぬるま湯に浸かっているような生活を送っている間に腑抜けたなどと陰口を叩かれたりもしていたのだが、今のこの姿はかつて戦場に立っていた頃の彼を彷彿とさせた。
「とりあえず命はあるようだな。……と言うか、何がどうなってこんなことになってる?」
越境警備の隊長を命じられて、はや幾年。
久しぶりに戻ってきた矢先にかつての教え子が幽閉されたと聞かされ、居てもたってもいられずに駆けつけたアンリは、変わり果てた教え子の姿に思わず声を荒げることとなった。
もともと儚い印象はあったが今はそれ以上に生きている感じがしない。
白かった肌は青みがかり、目の色も蒼というより怪しい紫色。それがさらに膜が張ったように濁っている。
「……先生、ここ、3階……」
「正気に戻って第1声がそれかよ!!」
正確には正気には戻っていない。目の前にいるのは自分の知っている教え子からはほど遠い。口は利けるようだが、会話が成り立つかどうかと言われれば、どうにも噛み合っていない感は否めない。
「いったい何が」
「先生……僕、魔眼、使ったの、か、な」
問いには答えず、青藍の口からはそんな言葉が漏れた。
「銀色の、すごく綺麗な髪で」
何を言っている? それは、誰のことを言っているんだ?
アンリは問おうとする口を止めた。そのまま黙って言葉の続きを待つ。
これはきっと正気だった頃の最後の記憶。ヒントになるものがあるかもしれない。自分がいなかった間に起きた出来事のヒントが……。
ざわ、と風が吹く。
このベランダまで上って来たロープが風に煽られてパタン、パタンと乾いた音を立てる。
見回りの兵士に聞きつけられなければいいが……。アンリは教え子を抱えたまま、跳ねるロープに目を落とす。
「ぎゅーって抱きしめてくれた、の。温かかった」
「は!?」
ロープに気を取られていたから、というわけではないが、思わず聞き返した。
聞き返し、今言われた台詞を思い返す。それでひとりで赤面する中年男の図というのはあまりにも滑稽すぎるだろう。
爆弾を投下した本人は、と見れば、ほわん、と甘い笑みを浮かべている。一見すれば幸せそうではあるが、昔の彼を思えば人が違ってしまったようで――逆に不安を煽る要素にしかならない。
いや。それよりも。
お前、今、なんて言った!?
と言うかそれは何だ!? 俺は何故閉じ込められてるのかと聞いたわけで、100歩譲って何処かで魔眼を使ったとして、それがなんで抱……!
「ああ、ええと。だな」
ゴホン、と咳払いをひとつ。
したあとで誰かに聞かれなかったかと慌てて見回す。駄目だ、動揺しすぎだ。
要するに何処ぞの馬鹿が近付いたのだろう。
犀の言葉を借りるつもりはないが「女の代わり」としてもそれ以外でも、この容姿では興味を持たれることは十分に考えられる。
そして紅竜はその馬鹿を殺すと言い出したに違いない。奴の弟への執着は常軌を逸している。
弟は何処の誰かもわからない相手のために兄の要求を呑み……こうして閉じ込められた、と。憶測の域を出ないが、おおかたそんなところだろう。
しかし今までの紅竜なら弟に近付いたほうを処罰していた。庭師の息子然り、メイド然り。それが何故、今回に限っては弟なのだろう。
その相手は既に処分済なのか?
その相手を処分しただけでは飽き足らなかったのか?
ただ単に虫の居所が悪かったのか?
わからないことだらけだが……だからと言って、良いと思われる兆しはひとつとして見当たらない。
アンリが考え込んでいる間にも、青藍は青藍でぶつぶつと呟き続けている。幸せそうな笑みから一転、暗い翳を落として。
「その人は僕を好きだって言うの。ねぇ先生、これも、魔眼のせい、なのかな?本当はその人、僕のことなんか嫌いなんだよ、ね……」
違う。
アンリはそう否定しかけて、……口を閉じた。
魔眼はとうに使いこなせるようになっているはずだ。本人が使いたいと意識しない限り、その目は何の力も出さない。だからお前は魔眼なんか使ってはいない。お前は何も悪くない――。
そう言ってやればいい。簡単なことだ。
それなのに、その言葉は舌にしがみついたまま外に出ていこうとはしない。
「この目のせいで……また、傷つかなくてもいい人、が、」
他人を魅了してとり殺してしまう魔性がメフィストフェレスには住み着いている、という話も帰る道中で耳にした。紅竜は誰かを処罰するたびに、それを魔眼のせいにしているのではないだろうか。
魅了されたか、されていないかなど、意識して使ったのでなければ当の本人にだってわかりはしない。持ち主でも知ることはできないのだから、魔眼のせいだと言われてもこの弟に否定する術はない。
「こんな目なんか、なければ良かっ……!!」
そう言うなり自分の目を抉りそうなほど食い込ませた指を、アンリは慌てておさえた。
駄目だ。正気じゃない。
このまま此処に置いておくわけにはいかない。
「おかしいでしょう!? あの人は僕のことなんか嫌いなのに、本当は、」
相手が自分を嫌っているとしても、お前はそいつを庇うのか? こんなにされてまで。
「……それで? 紅竜はなんて」
迂闊すぎる。
今まで青藍の近くにいたというだけでどれだけの使用人が処罰されてきただろう。他の誰かと会ったなど、紅竜に知れたらどうなることかわかっているだろうに。
いや。わかっているから守ろうとしたのか?
その結果が今のお前なのか?
まわりにいたのが兄と犀とアンリだけという環境で育った青藍には同じ年頃の知り合いなどいない。
それどころか知り合いでも何でもない相手でさえ、純血ではないと知られれば手の平を返すように避けられることのほうが多かった。
出会った当初から変わらずに接してくれた者と言えばキャメリアくらいだろう。
その彼女とて、幼馴染みの弟だということとその身の上を先に聞かされていたからこそ動じなかっただけで、何も知ることなく出会っていれば他の者と同じように避けてしまっていたかもしれないけれど。
しかし、その彼女も既にいない。
「……兄、上?」
「紅竜が言ったのか? 魔眼のせいだって。お前をこうして閉じ込めているのはどんな理由だ?」
あれだけ酷い扱いを受けながらも兄を慕っていたのは、他に誰もいなかったからだ。
他人との間に壁を作るくせに、少しでも親身な素振りを見せられれば簡単に懐いてしまう。人恋しいが故に。
「兄上、は、」
弟に誰も近付けさせないようにしたのは、魔眼の存在を知られることを恐れたからか。
それとも、自分の持ち物だから他人に取られたくなかったのか。
自分の持ち物を取られそうになったから、隠してしまったのか。
目覚まし代わりに使っていたところから見ても、紅竜が弟を人格のある一個人ではなく持ち物と見る節があったであろうことは、察することができる。
「兄上……は、」
アンリは教え子を見た。その原因であるはずの魔眼は、もう、そこに存在すらしていないようにすら思える。
もしかして。
奴は魔眼に魅了されてしまっていたのか?
制御しきれていない目を見てしまう機会だって、あれだけ構っていればないとは言えない。
『他人を魅了してとり殺してしまう魔性が、メフィストフェレスには住み着いている』
魔眼はまわりの他人を狂わせる。
狂った思考が数少ない理解者をことごとく抹殺していく。
本人にその気はなくとも……いや、その気がないからこそ「魔性」なのだろう。
誰だかもわからないたった1度会ったきりの相手であろうと、それを殺すと言われれば……青藍は命乞いくらいする。その誰かのために、自分を犠牲にすることも厭わずに。
ずっとジャンやメリサの死を自分のせいだと呪い続けてきた彼だからこそ。
そして、兄が自分を害することはない、と信じていたからこそ。
不幸だ。
誰も、幸せになどならない。
アンリは溜息を吐いた。





