7 【邂逅】
※ 挿絵があります。
著作者:なっつ
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「るぅチャンはホント愛されてるっすね~」
義兄が出ていくのを待ち構えていたかのように、何処からか茶化すような声が話しかけてくる。
「坊が甘いというか、グラウス様が鬼畜というか」
他には誰もいない。
絶対に風の音なんかじゃない。
「あれ絶対嫉妬入ってるって」
この10年、あたしの隣で聞こえていた、「危害なんか加えない」と思っていた声。
その声は、執務室で聞こえた声にも似ている。
魔王に会えてみんな喜んでいると言っていたあの声に。
「気にしちゃ駄目っすよ、るぅチャン。俺らはるぅチャンの味方っす」
味方なの?
魔王に会えて嬉しい「あなた」があたしの味方なの?
あたしは魔王になんか会いたくない。だって魔王よ? 悪魔なのよ? 捕まって、殴られて、引っ張られて、それで食べられるのなんて真っ平御免だわ。
思い出すのは10年前。悪魔が村を襲った日の……それから数日間のこと。
家を焼かれたあたしたちは縛られて繋がれて、悪魔に引き立てられるまま延々と歩かされた。道中、「どうしてあんな山奥の村が襲われなければいけないんだ、人間たちの間ですら秘境と言われているような場所なのに」と声が上がり、誰かが悪魔に村の情報を売ったのではないかと言い出し……その矛先はあたしに向いた。
孤児だったからか。言い返せない子供だったからか。今になって思えば理不尽な目に遭った鬱憤を何処かで晴らしたかったのだとわかるけれど、だからと言って未だに許すことはできそうにない。
そんな味方が誰ひとりいない中で助けてくれたのは、今は義兄と呼んでいるあの人で。
化物が襲いかかってくる中で視界をふわりと横切った黒い髪は、今でもあたしの脳裏に焼き付いている。
わけがわからぬままメイドとして此処に連れて来られて。でも義兄はあたしのことをメイドではなく義妹と呼んだ。本当に兄妹のように接してくれた。かわいがって、甘やかして、守ってくれた。
まさかその後10年も、親代わり兄代わりをする羽目になるとは思ってもいなかっただろうけれど。
あたしにとって此処は最後の砦。
追い出されても帰る場所はない。
迎えてくれる人もいない。
ノイシュタインの人々があたしをかわいがってくれるのは「領主様の妹」だからで、「領主様の妹」でなくなれば彼らも村の皆と同じように「悪魔の手先」と石を投げて来るのよ。投げても誰も投げ返してこないことを知っているから。
なのに。
この城が悪魔の城などと呼ばれていると知ったのは、それよりずっと後のことで。
この城に悪魔がいると知ったのは、つい数時間前のことで。
悪魔じゃなくて魔王だって知ってからは、まだ30分も経っていなくて。
義兄は悪魔から避けられていて。
でも此処には悪魔がいて。
悪魔どころか魔王までいて。
勇者と呼ばれる鎧を着た強そうな人たちが、今まで何人も挑みに来て……それで誰ひとりとして勝つことのできずにいて。
そんな魔王を、義兄は知っている。
執務室で聞こえた声は確かに魔王、と言った。魔王が出てくるのを皆が喜んでいる、と。
そしてその場に義兄はいたのだ。
「……るぅチャン?」
黙ったままのあたしに、声は訝しげな色を含ませる。
魔王。
悪魔。
あたしの村を襲った化け物。
育ててくれた神父様は、悪魔は人間を食べるために狩るのだと言っていた。あたしと一緒に連れていかれた人々がどうなったかは今更知る由もない。
そんな化け物がこの城にいる。
あたしのお兄ちゃんは、裏で悪魔と繋がっている……?
――本当ハ ワカッテイル クセニ。
心の中にぽっかりと穴が空いている。
その穴の中から声が聞こえる。
わかっている?
わからない。
――ワカ「リタクナイ」。デショ?
明るくて温かい場所にいる「義妹」を演じるためにあたしがしまい込んだ淀みが、ケタケタと嗤っている。
「どうしたっすか? るぅチャン」
この声も。
義兄も。
ずっと味方だと思わせていただけなの? 殺人事件の犯人みたいに、あたしが味方だと思って油断するまで待っていたの?
「違うって、言ってよ……」
そう。義兄はいつもあたしを置いて行ってしまう。
あたしをひとりだけ、温かくて明るい場所に残して。
ひとりで、暗い世界に行ってしまう。その場所は、
『玄関ホールに近付いたら駄目だって言ったよね?』
それを知る鍵は玄関ホールにある。
近付いちゃいけないって言われている玄関ホールに。
扉を開けた。
左右に伸びる廊下はさっきとはまるで違う、水を張った水盤のような静けさが広がっている。
ゆらゆらと光のカーテンを揺らめかせていた陽射しも今は凍りつき、時間すら止まってしまったかのようだ。
誰もいない。
義兄も。執事も。誰かの気配も。
あたしひとりを安全な場所に残して消えてしまったかのよう。
「……あなたは、誰?」
問いかけても誰も答えてくれない。義兄は誰だ? この声は? 執事は何か知っているようだけれども。
義兄が悪魔とどんな関係で、どんな契約をしているかは知らない。知るのは怖い。でも。
「るぅチャン!? こら、ちょっと! 動くなって言われてるでしょ――!!」
確かめればいい。
あの場所に何もないって、悪魔なんていないってわかればいい。
此処には悪魔なんていない。
あたしは悪魔の手先なんかじゃない。
あたしは、あたしは、あたしは……!
駆け出したあたしの後ろから慌てた声が追い縋る。
けれど足は止まらない。止められない。
急がないと。
今日もまた、あの人が何もかもを隠してしまう前に。
「……っ」
初めて足を踏み入れた玄関ホールは廃墟と化していた。ある意味、女子供には見せられない場所と言える。大理石だったであろう床は崩れ、抉られ、あたり一面に散らばった瓦礫で立つ場所を探すほうが難しい。
そして、その瓦礫に押しつぶされるようにして転がっているのは、つい1時間ほど前に城内に導き入れた勇者一行。鎧は見るも無残に凹み、光り輝いていたであろう剣も折れ、ただの残骸にしか見えない。
まだ息はあるのだろうか。
息があるのなら助けたほうがいいのだろうか。
いいに決まっている。
だってあたしは悪魔の手先なんかじゃないもの。
あたしは足を踏み出した。踏み出して、ふと、近くに人の気配を感じた。
ホールの中央に据えられた階段の踊り場。壁に埋められるように飾られている石造りのレリーフの下に誰かが立っている。
一瞬、その闇に溶け込んでしまいそうな姿に悪魔を思った。
でも、違う。
ローブのように頭から被ったままの黒い布から見えるのは、村を襲ったあの異形の化け物ではなく、人の顔だ。白皙の頬はどこまでも冴え冴えとして、生まれてから一度も陽に当たったことがないのではないかと思えるほどに透き通り、鼻筋も、唇も、異形と言うよりも精巧にできた人形のよう。
こんな人がいるのかと逆に思ってしまうほどに、それは確かに人だ。
義兄に似ている。
でも義兄ではない。町の奥様がたを魅了して回っているかわいらしさなんて微塵もなければ、悪魔が怖いと枕を濡らす儚さも持ち合わせてはいない。艶然としていて、それでいて重圧を感じるその姿は、朧げな記憶の中にある――あたしを助けてくれた後ろ姿に似た……。
青藍様だってフレンドリーさを消せばこうなるんじゃないの?
むしろいつものアレはあたしを騙している仮の姿なんじゃないの?
声がする。義兄を疑うあたしの声が。
冷ややかに勇者を見下ろしたまま、その人はひとつ溜息をつくと身を翻す。
すぐ近くにあたしがいることには気付いていない。
違う。義兄ではない。よく似ているけれど違う。
これでも10年顔を突き合わせてきたのだ。義兄とは何か――根本にある魂、とでも言えばいいだろうか――が違う。
ではこの人は?
此処に居ると言うことはこの城に縁ある人なのだろうけれど、この人がいるから玄関ホールには立ち入ってはいけないと……そういう意味だったのだろうか。
あたしが義兄と見間違えるから?
まさか。
だいたい、彼だって終始此処にいるわけではないだろうに。
でも何故、この人は見ているだけなのだろう。それもあんなに堂々と。
勇者が倒れているということは此処で戦闘があったことは間違いないけれど、場所が場所だけに悪魔のせいだって言えない? でもそれならその悪魔は何処に行ったの?
――わかってるくせに。
心の中でもうひとりのあたしが嗤っている。
あたしが疑っていること。違う、違うと否定しながら、そのもう片側では否定しきれないでいること。
『魔王様の勇姿が見られるって喜んでるっすよー―』
あの人は。
「修理費はそこの鎧どもに、」
息を呑むあたしの目の前で、その人は階下に向かって予想に反したことを呟いた。
……修理費?
魔王が修理費を請求するの?
思わずその人を二度見してしまい、それからその人の視線の先に目を向ける。
よくよく目を凝らすと、勇者一行以外には誰もいないと思っていたホールに人影のようなものが蠢いている。闇に溶け込んでしまいそうな黒いシルエットのそれは、人のように2本の足で立っているものの、どう見ても人ではない。
何処かで見た。
何処かで。
そうだ。前庭に並んでいる石像だ。あの「悪魔の城」と呼ばれる原因のひとつ。
奇妙な光景だった。
石像と同じ姿のそれが、わらわらと何匹も這い回っている。動かなくなった鎧を引きずって城の外に出そうとしている者、剣や矢の残骸を掻き集めている者、汚れた床を掃除している者までいる。
ガーゴイル、と言っただろうか。やっていることはともかく、見た目はどうにも悪魔っぽい。
悪魔がいた。
だとするとやはりあの人が例の魔王なのだろうか。想像とはまるで違うけれど、会ったことがないのだから違うとは言えない。
「待て! まだ戦え、」
ホールから引きずり出されようとしていた鎧の勇者たちから切れ切れの声が走った。
その声に、その人がふ、と口角を上げた。
「……己の弱さを知れ」
「なんだと!?」
「お前はまだ此処へ来るには早かった。それだけのことだ」
温かみの全くない、冷たく凍りつきそうな声。
違う。あの人は義兄ではない。顔が少し似ているからと言って、あの人を義兄と錯視するなんて、それは義兄に失礼だ。
「馬鹿にするな! 殺せ! 悪魔に情けをかけられるなど、」
鎧の叫びにもそれ以上なにも言わず、その人はかるく頭を振った。
薄暗い中で紅い光がすっと流れた。
あの人は義兄ではない。目の色が、義兄の、空や海を思わせるあの印象的な蒼ではない。
ほっとする反面、ルチナリスは息を呑んだ。
ああ。
でも。なんて綺麗な紅なのだろう。