極東からの男 8
引きこもりし、極東の島国
1
『昇よ、出島に来い……そこで始めよう』
昇は夢にうなされて、起き上がった。
時間は夜である。
「またか」
昇がため息を吐いた。
会社での揉め事から、数日が経過している。
揉め事の結果は、上司が悪いとなる。
しかしなっただけで、処分は昇が受けることになった。
お前は悪くない、しかし形に残すと会社に言われたのだ。
その反対に上司は責任重大ではあるが、形としては残らない。
負けたのは、昇だった。
形に残った時点で、勝敗はついた。
キーン
キーン
昇のスマホがなった。
スマホを見る
いつもものメールだ。
相手は知らないが、どこか昇の気持ちが落ち着く。
こんばんは、そちらも夜ですよね。
もしかしたら、おやすみですか。
おやすみでしたら、申し訳ありません。
今日の私はクルマに揺られて、ある町まで走ってます。
今日で何日目かな?
私はアナタと違い、青壁の方ではありません。
つまり引きこもりし、島国の人間では……
すみません、気を悪くしないで下さいね。
浅はかな私への罰として、少し私の行く町を教えますね。
タスタルと言います。
極東の出島に近い町です。
そこでアナタの空気を感じながら、しばらく生活します。
永くは滞在しませんが、アナタに近い場所を感じながら今日も生きていきます。
マネキン
昇がメールを閉じた。
いつもの何気ない内容で、何気ない文章だ。
昇のスマホには、父親から貰った時からメールアドレスがあった。
その時からこのメールアドレスがあり、買い替えやデータベースの引継の際も、消すことはなかった。
「必ず、持ち続けなさい」
父親からの、言葉だ。
いなくなった今でも、守り続けていた。
最初にこのメールが来た時、よくわからなかった。
いきなりだった。
しかし今では、わからない相手にメールをしている。
わかっているのは、鎖国した島国の外側と言うことだ。
マネキンへ
へえ、そんな町があるのか。
出島の近くか。
もう少ししたら、マネキンとの距離が近くなるんだね。
なんだか嬉しいよ。
誰かわからない。
そんな相手なのに、素直に嬉しい。
今日はこの辺で
ごめん、あまり書く事なくて、でもまた相手してください。
待ってるから
何気ないメールを、何気ないメールで昇は返した。
時間を見る。
もう一眠りしよう。
明日……いや日付は替わったから今日から会社になる。
ストレスの巣に飛び込むには、もう一眠りしないと……
昇が目蓋を閉じた。
閉じる同時に、夢の世界に浸る。
どこか笑った寝顔に、何を夢見るかは本人しかわからなかった。
2
社長室に、昇は呼ばれていた。
昇が勤める会社は、政府と深い関係があるらしく、その点に置いて、陽明家はかなりの頭脳明晰な人物ばかりなのだと、推測出来た。
結局、昇もエリートなのだ。
威圧感ある造りの部屋には、昇と西院 健一がいた。
健一は社長席に座り、昇はそのデスク前に立っている。
「昇クン、やってくれたね」
健一が笑いながら言った。
昇は面白くなさそうだ。
西院 健一は、昇のオヤジと同期で友達でもあり、よき理解者でもあった。
健一自体も政府の機密に携わった人物で、実はそれはまだ進行中でもある。
「昇クン、私の悪友であり理解者だったキミの父、陽明 愁のことで呼んだんだ」
「え? 会社で起こしたイザコザでは?」
「そんな小さなことで、社長室には入れんよ」
健一が笑う。
豪快な笑い声は、どこか父に似ていて昇は嫌な顔をした。
それを健一は横目で確かめ、笑いを止める。
「昇クン、今年で私は70歳になった。残りこの世に存在を許されている時間は、30テロメアだ」
そう健一は左手の甲を、昇に見せた。
そこにはデジタルの数字があり、30の数字が刻まれている。
昇は健一を見た。
健一は今年で、70歳を迎えている。
しかし、健一の見てくれは、肌に艶があり髪は黒々としている。
顔にシワ一つなく、まるで青年のようだ。
これは健一に限ったことではない。
2
今から百年前に遡る。
極東の島国は、国家破産をした。
国家の負債総額が、国民の預貯金を上回り利息を払うことが出来なくなったからだ。
「これより我が国は、国債の利率を発行しない」
この言葉を、当時の内閣総理大臣が発言した。
利率の発行をストップする……この行為に、世界が驚いた。
これまでに、持っていた国債が、紙切れになったからだ。
極東の島国は、世界からは経済大国と呼ばれ、技術立国と呼ばれ、どこか有頂天になっていた。
その島国が……国家破産をしたのだ。
世界中にその一報は駆け巡り、しばらくは経済が不安定になった。
島国は世界経済の不安を起因させたことを反省し、世界にある宣言を出した。
「我が国は世界に、これ以上の迷惑、困惑、不安定を起こさないように……
どの国とも外交をしない
これまでたくさんの利益や豊さをいただいた、諸外国の方々を不幸にさせないために、決心した次第であります」
鎖国政策を、世界にアピールしたのだ。
世界はこの声明に、驚きを隠せないでいた。
3
健一が昇に、左手の甲を見せている。
しばらくそれを見ていたが……
「三十年はまだ生きれることですよ。30テロメアもあるんですから」
軽く言った。
テロメアとは遺伝子のことである。
テロメアの遺伝子には、紐がありこの紐の長さに応じて人間の若さが決まる。
歳を重ねることで、テロメアは短くなり短くなれば老いるのだ。
しかし極東の島国の研究者に、それを止めてしまう画期的な治療が確立する。
その治療を政府が承認して、国民全てがその恩恵を受けられたおかげで、老いずにいつまでも生き続けられる。
しかしそれには、百年までだった。
つまり百年経てば、人間はどんな人間であれ、死ななければならない。
その残された時間を、島国ではテロメアと言い、遺伝子の名前が、残り生命の単位として呼ばれていた。
「いや、あと三十年だ。我が国の画期的なワクチンにより、私達の老いは止まった。そのおかげで、少子高齢化がなくなった。死という行為も、楽になった。しかし、死への恐怖は、消えないのだよ」
健一が昇を見ながら、語り掛ける。
健一が静かに、それを聞いていた。
社長室は重厚な造りで、日当たりがあまり良くない。
薄暗い社長室に、二人はいた。
コンコン……
ドアのノックする音がする。
健一が「来たか」とポツリと言うと……
「どうぞ!」
大声で言った。
ドアを開くとそこには、可憐な女性に連れられた、ふてぶてしい感じの男がいた。
黒いスーツで身を包んだ男で、背は高く細身だった。
黒髪を後ろで束ねた男の左手の甲には、45の数字があった。
可憐な女性が、「秋山総理秘書官をお連れしました」と言い、一列をして社長室を出て行く。
その際、昇と目が合い、少し頬が緩んだ。
昇の頬も少し緩み、一瞬で合図をした。
場所が場所なら、普通に会話したかった……そんな感じだった。
左手の甲には、75とあった。
「皐月さん、可愛いね」
健一が昇に言った。
どうやら見られていたようで、昇が俯き顔をあけて再び緊張した表情となる。
「久しいな、西院! 私も忙しいんだ」
秋山が言う。
そして昇を見る。
少し観察すると、笑顔で右手を出した。
握手である。
昇もオドオドしながら、右手を出した。
秋山はその右手を、強く握る。
昇も負けじと、握り返そうとしたが……かなり強く握られたことで、返せないでいた。
「君が陽明さんの、次男か……」
昇は秋山の顔を見る。
秋山の顔は、笑っている……目を除いて
昇はその表情に、どこか吐き気がした。
秋山が手を放す。
顔が無表情になり、視線を健一に戻していた。
「さてと、話だな……」
健一が二人を、ソファーに手招きする。
まず秋山が座り、健一に勧められて昇が座り、最後に健一が座った。
健一が二人を見つめ、二人は健一を見ている。
健一がコクンと頷くと、話が始まった。
4
「俺に外の世界に、行け! ってことですよね!」
昇が驚いている。
「そうだ、陽明君、君のお父上と、兄上は外の世界にいる。そして事もあろうに、陽帝国の権利に着いていることが、わかったのだ」
秋山が大きな声で、昇に言った。
「何故? そんな所に!」
昇の驚きを、秋山が……
「わからん! しかし、君のお父上と、兄上は絶対に連れ戻さないと行けないのだ!」
喚くように言い放つ。
昇は信じられないでいた。
まさか、外の世界とは……
「しかし、外に……つまり、出島から出てどうするんですか? 宛てもない場所なんですよ!」
今度は昇が喚いた。
確かにそうだ。
行け! とは簡単に口に出来る。
しかし行くには行き先と、道案内がないと行けない。闇雲ではダメなのだ。
「心配ない、外の世界に、お前を迎える連中がいる。そいつにお前を任せている」
健一が静かに言った。
え!
昇が驚き、健一を見た。
そして秋山が、続いて言う。
「実はな、外の世界に、政府の調査官がいるのだ。その調査官から、出島の近くに陽明君を待つと一報が来たのだ」
「一報……ですか?」
「そうだ、向こうから迎えの飛行機に乗り、その後はお父上と、兄上に会えば良いのだよ。時間は……少しかかるが、必ず会える!」
昇が未だに、驚きを隠せない。
まさか……自分が……
「これは、政府からの命令だ! 私はその命令を伝えに来たのだ」
秋山が、ここで権力を使った。
逃げられない……
昇に圧力を架けてきた。
「昇くん、私としては、君をここに置きたかった……しかし……」
「健一、君の会社を潰したくないのだ!」
秋山が、健一に言った。
その瞬間、昇は二人の仲と、経緯の理解は出来た。
しかし……それだけだった
「昇くん、外の世界に行ってくれ!」
「……」
昇は俯いた。
出来る訳ないだろう。
そんな雰囲気が、渦巻いている。
バカな……何でだ!
そんな昇の姿に、秋山が切り札を使った。
「陽明君、実は、外の世界に君のお母様もいるとしたら……どうする?」
!!!
昇の顔が、上を向く。
驚きの表情だ。
「陽明君、お父上と、兄上が国から無法出国したのは知っているな。しかし無法出国した理由は、君のお母様を追いかけたのだよ」
秋山が、力強く言った。
!!!
昇の表情に、ますますの驚きが出る。
しかしどこか、今までとは感覚が違って見えた。
効いた!
健一は感じた。
そして秋山もだった。
「行ってくれるね」
秋山が聞いた。
昇は少し考えた。
「本当なんですか? 少し情報をくれないか?」
昇が言った。
秋山が、健一を見た。
健一の目線が、お前に任す。
そんな感じだった。
「本当だ。ただ……お母さんが出国したのは、合法的な手段だ。お母さんの名前は、真希子さんと言ってね、利発で活発方で、お美しい人だった」
「何故、出国した?」
「詳しくはわからない、しかし……」
「しかし、なんですか?」
昇が健一を見ている。
いや見ているモノは、健一ではない。
母の面影、母の背中、母の温もりだった。
昇は全てを知らない。
しかし感じずにはいられなかった。
「ある日から、表情がなくなったのだ。性格が変わったというか……お美しい姿は変わらないのにだ。その姿に、周りからはあるあだ名で、お母様は呼ばれ出した」
「あだ名?」
「……マネキンって、言われるようになったんだ」
!!!
昇が耳を疑った。
マネキン……まさか……
無意識にズボンにあるスマホを握りしめた。
「行ってくれるね!」
秋山が、言った。
昇は力強く首を縦に振った。
5
昼食時、昇は食堂の見通しのよい席に座っている。
席はテーブル席で、相手がいた。
「皐月、しばらくは会えない」
昇は皐月に、言った。
先ほどの社長秘書だ。
少し細身で、可憐な女性だった。
セミロングの黒髪が、よく似合っている。
「待ってる……それしかないし」
皐月が笑いながら、言った。
どこか健気に見える。
昇は優しく首を縦に振った。
「大丈夫! 必ず帰るから」
「昇、必ずメール、入れてね。確か外の世界からも繋がるから」
皐月が笑いながら、昇に言った。
皐月の瞳に大きな潤みがあり、一粒、一粒……それが落ちる。
昇が外の世界に行くことは、数人しか知らない。
皐月はその数人の一人だった。
彼女がこのことを知るのは、健一の配慮からだ。
二人がいい仲であることを、察していたのだ。
「泣くな! 必ず帰るから」
昇の言葉に、皐月は頷く。
頷くしか、出来なかった。
この日から、二日後……
昇は外の世界に行くことになる。