お願いします、話を聞いて下さい
少女は湯飲みに口をつけた。が、熱すぎたのだろう、直ぐに口を離した。翁はコーヒーをすすった。
少女は何度か深呼吸を繰り返した。
「知らない、男の人に追われてた。…怖い…怖い」
少女はとつとつと話し始めた。湯飲みを持つ手が震えている。
「ほ、包丁を持っているの」
一気にその場で緊張感が増した。再び黙る少女。チクタクと時計の音だけが響いた。
「その人がね、さっき、窓の向こうで…笑ってた」
少女はぼろぼろと泣き出した。
「どうしよう…」
彼はほぅと一息ついた。
「警察と、親御さんに連絡しよう。」
彼は受話器を手に取り、百十番を打ち込んだ。
*****
「…うん、…ん…わかった」
少女は受話器を置いた。
「お父さんとお母さん、迎えに来てくれるって」
「そうか」
彼は淡々と返事をした。親の声を聞いて安心したのだろう。少女は茶をすすり始めた。
ピンポーン
インターホンが鳴り響いた。
「どちら様でしょうか」
『宅配便です』
翁ははいと返事をしてドアノブに手を掛けた。
扉を開ける。
そこにいたのは返り血を浴びた男だった。
*****
それは塾の帰りだった。
夜の7時過ぎ。
少女は見てしまったのだ。
少女はいつもの近道―――路地裏を通って家に帰ろうとしていた。
路地裏には先客が二人いた。
彼らは互いに殴りあっていた。片方が包丁を取り出し、相手にぐすぐすと刺した。
赤く濡れる包丁が少女の目に焼き付いた。
「…あ…ああ…」
少女は見なかったことにしようとした。
だが運が悪かった。
包丁を持った彼に、見つかってしまったのだ。
少女は逃げた。人気の無い道を逃げた。
少女は声を出すことができなかった。
恐怖で、声を出すことができなかった。
その代わり足はよく動いた。
彼女は、必死に逃げた。
*****
「ここにガキが入っただろう?そいつをよこせ」
男は翁に血濡れた包丁を突きつけた。