A-1451 アイゼンベルク
アイゼンベルク中枢の組織構造を簡単に示そう。
まず、この国は基本的に立憲君主制を採っている。
つまり、皇帝が存在する。
但し、皇帝が政治や外交の局面で表立って何かをすることはない。なぜなら、アイゼンベルク国家法の中で、それらの実権は、大統領や、それ以下の大臣らに任されているからだ。彼らは政治・外交の中枢として機能しているのだ。
一方、形上はその傘下にありながら、事実上、大統領と同等の発言力を持つのが軍部トップの元帥である。
これは成り行きでそうなってしまったと言うことだ。何故ならば、元帥は軍部を全て握っていて、いざという時にはそれらを動かして、国を掌握しうるからである。
いつの間にか、軍部元帥のイスは、大統領につぐ出世のゴールと見なされるようになった。
リケルメ元帥はミーティング後、すぐさま専用キャビンで大統領官邸に向かっていた。
云うまでもなく、現状の共有、今後の動きについて話し合うためだ。
全てはタイミングの勝負、多分そう云うことになるのだろう、彼はそう考えていた。
昔のように歩兵同士の大規模の戦闘は減り、ピンポイントでの「人道的」な攻撃が一般的になったいま、戦争はかつて以上に、政治ゲームの一環になっていた。
現状にもっとも適した、最もムダのない行動はどれか、リケルメは、いつもそう考えて行動しているつもりだった。
しかし、今回の場合、そもそも、ゴールはどこなのか、それを明確にする必要があった。
国が目指しているのは、ポストエルガルドで、その為にシュヴァルツ=ナハトの動きを利用しているのか。
それとも、我々はエルガルディアという思想を棄て、環の着地点の解放者として、新時代に於けるこの地域の主導者となるのか…。
いずれにしても、エルガルドが窮地に陥っている今、このアイゼンベルクがある程度のプレゼンスを得ることができるだろう。であれば、結局は我々の選択と云う事になる。我々が『Elwina』と共に、生きるのか否か…。
政治にかかわる人間であれば、エルガルディアに整合性がないことは、もう、とっくに知っている。そして、それでも敢えてエルガルディアを国民にも、国外にも訴えてきた理由も。
だから、ここでエルガルディアを存続させることが、世界全体にとってプラスではない…そんなことは、とうに解っている…。だが…。
そのあたりまで彼が思案をめぐらした所で車は大統領官邸の駐車場にいた。
「…ですが、エルガルディアの不当性を知るのは、あくまで上層部の人間のみ。我々はエルガルディアを徹底すべく、国民には、『都合の悪い』情報は絶ってきていましたから…。ですから、もしここでエルガルディアを棄てるとなれば、国民にそれを如何に伝えるかという点が問題になってきます」
リケルメは大統領に、エルガルディアについての意見を伝えた。
「確かに。国民にこのことを広めるのは、あからさまなコストとリスクになるな。上手く思想を誘導しなければ、この先世論分離や、反発運動なんかがおこるかもしれない」
大統領は思案する。この国の身の置き方を。
ここでの選択が、この国のこの先の地位も、この世界のありかたも、そして、自分の行く末すらをも決定付けるものであることはとうに理解している。
だからこその、迷い。思案。
「…されど…やはり、ここは、世界の中心となることを目指すべきではないか?」
大統領は、その重い口を開く。
「…この事態を利用しない手はない。この事態に乗じて、我々はElwinaの時代を終わらせ、次の時代のパイオニアになるべきなのではないだろうか」
大統領は自らにも言い聞かせるように云う。
「やはり、そういうのではないかと思っていましたよ。今はこの国が頂点を目指すには絶好のタイミングです。こんな時勢は、もしかしたら、もう二度とこないかもしれませんからね」
リケルメは大統領の判断に肯定の姿勢を示してみせた。
「…しかし、だとすると、エルガルドとは縁をきることになるな」 「そちらは大丈夫でしょう。結局あそこは権力の塊でしかなかったのですから、こんな事態になってしまえば、我々はあれに荷担する必要などありませんよ。 …それより、問題は、世論形成と、鴉丸同盟、シュヴァルツ=ナハト双方との距離の取り方でしょう。そもそも、我々は、破壊を赦すのか、停止を選ぶのか」
リケルメの言葉に大統領はあまり思慮もなく返す。
「それはいまはまだ成り行きをみておいた方がいいんじゃないか?そのいずれか勢力を持った方につけばいい話ではないか。実際、どっちが強いんだ?」
この質問に対し、リケルメは呆れ顔をするのを必死に我慢しながら答えた。
「それは勿論、シュヴァルツ=ナハトはいま目下のところ勢力 を拡大させていますからね。こちらの方が圧倒的な勢力ですよ」
リケルメは端的に答えた。
「もし、そのおつもりがあるならば、彼らのトップ、ライナスとコンタクトを取るべきでしょうね。タイミングを見計らって、ね」
「なるほど。あとは思想家と国民をどう納得させるかだな…」
大統領が思案を始めた所で、リケルメは大統領に礼をし、部屋をあとにした。
リケルメはまた大統領官邸に来た時とは別の車に乗り込んだ。
いわゆるリムジンのような形をしているものだったが、そこには既にもう一人、男が乗り込んでいた。
謎の男。それはまさしく、シュヴァルツ=ナハトがエルガルドを制圧したとき、ライナスの横にいた男だった。
「…ふう。全く。大統領のくせに相変わらず世界が見えてなさすぎだ。一体なにを判断するってんだ。あの頭で」
「ちゃんと云ったのか?シュヴァルツ=ナハトが鴉丸より上だって」
謎の男が訊いた。
「ああ。勢いがあるから、ってな。簡単に信じたよ。ふっ、歴史くらい勉強しておいて欲しいものだ」
「まあ、大統領が賢すぎちゃあ、ウチらが困る。よしとしようじゃないか」
謎の男が笑いながら云った。
「まあな。ただ、あれが我が国のトップってなるとな、ちょっと虚しい気持ちも起こるってもんだ」 「トップか、いつの時代も、どの『世界』でも、トップなんてのは、案外大したことない奴がやったりするもんだよ」
謎の男はため息をつく。何か憂鬱な記憶をマドラーでかきまわすように。
「まあ、これであいつがライナスに近づいたらOKって訳だ。シナリオ通りってか」
「全く。一体どれくらいの時間がかかったもんかな。僕がこの『世界』に来てからさ。すっかりこの黒い服が板についてしまったよ」
謎の男はまた深いため息をついて、自分の衣装を見下ろした。
「しかし、あんたはまた、どうしてこんなややこしい立ち位置なんだ。オレは自分が最終的にいいポジションにつければなんでも良いが、あんたは一体何を目指してる?」 リケルメの問いに謎の男は微笑んで答える。
「詳しくは云えませんよ。まだ、ね。ただ、私も所詮はサラリーマンみたいなものですよ。これは業務の一環ってわけです。まあ、ご心配なく。私は世界を着実にうまく運ぶつもりですし、アナタのこともしっかり考慮していますよ。勿論、鴉丸同盟のことも、シュヴァルツ=ナハトのことも、ね」
「なんだかよくわからんがな。まあいい。どうもあんたが裏で糸を引いているみたいだからな。きっとあんたに乗っかるのがいいんだと、オレの勘が云ってるよ」
「それはありがたい。さて、私はそろそろ次の約束があるので、降りましょうかね」 そう云うと、運転手に告げ、街の中で車を止めさせた。最後に簡単に挨拶すると、彼は車から降り、人通りの多い道を、真っ直ぐ歩いていった。やがて、通りの向こうへと消えた。
リケルメはまだ、彼のことを信じていないし、理解していないし、慕ってなどいない。
ただ、シュヴァルツ=ナハト、鴉丸、エルガルディア。…彼はその全てにつながりを持っている状況と云うわけだ。
リケルメは自分が利用されるのだとある程度気がついていた。しかし、それでも、自分が成功する期待値は、彼につくこどで最大になると思った。
車は出発し、世界を逆走するような感覚で、全てを抜き去っていった。