A-1451 ヴァイスナハト―七十分の一の意義。―
「…とにかく、そうだな。今はこれと言って出来ることはないし、またやらなければならないことはない。異端に対してはね。…だが、そうだ、一人会ってみるといいだろう。そう言った人物にね」
そう言い終えると、教授は紙に名前とメールのアドレスを書いた。
「…ライネス=クリアウォータ?」
「そいつは私が知っている異端の芽の一人だ。機会があったなら、ちょっと話を聞いてみるといいだろう。そいつに限って言えば、人柄自体は非常に好感のもてる人物だよ」
教授は其処まで言うと、そろそろ時間だ、と言って、別れの挨拶を済ませた後二人のもとから離れていく。
しかし、異端に対する見通しが甘かったことを、ヒロとジュナ、そして教授共々、翌日に知ることになる。
翌日、二人は朝の7時ころには目が覚め、居住地から会場へ移動した。
講演は一時からなので、その間に会場のチェックを終わらせた。
会場内に特に問題はなく、不審物などもなかった。
警備体制も問題ない。教授の話を聞いていたので、二人は少し警戒していたが、これなら多少の事件は未然に防げるだろう、ヒロはそう思って、チェックを終えた。
「あ、ねえ、そろそろ教授を出迎える時間よ」
ジュナに言われてヒロが時計を見ると、10時半を指していた。
「そうだな。じゃあ、そろそろ行こうか」
教授は11時に、会場から至近の駅に来ることになっていた。
駅まで、二人は教授を迎えに行く。
今日は休日にあたる日なので、この時間の人通りは多く、駅には買い物やら、旅行やら…みんなそれぞれの予定をもつ人たちが歩いていた。
たいていの人は普段着か、お出かけ用の服なので、スーツ(例によって黒い)の2人は明らかに浮いていた。
「この格好って、やっぱり少し恥ずかしいんだよね…」 「鴉丸同盟に入っていること、まるわかりだしな」
ヒロが周りを少し見ながら言う。
「私たちが入った頃は、今ほどは有名じゃなかったんだけどね。今じゃ加盟者も多いから…」
2人はそれから三十分ほど待った。
色んな方向に、色んな予定の下歩く人々を見ながら。
11時を過ぎたが、教授はやってくる気配がない。
「…遅いな。まあ、開始まで余裕はあるからいいか」
「先生から何かしら連絡は?」
「…ないな」
11時半を過ぎても、先生はやってこなかった。
「さすがに遅すぎない?」
「そうだな。ちょっと連絡してみようか」
ヒロは携帯電話を取り出し、予め聞いていた連絡先に電話をつないだ。
…
…
「…出ないな…」
「携帯にかけてるんなら、電車の中だから話出来ないのかな…」
しばらくコール音を聞いた後、ヒロは電話を切った。
刹那。
「待ち人は来ないんじゃないかな」
ヒロの背後から見知らぬ声がする。
「…誰だ?」
振り返ると、見覚えのない中年の男がヒロとジュナの方を向いていた。彼は左手をポケットに入れたまま、ヒロ達に話かけていた。
「…待ち人は来ないよ。絶対に」
「…教授の知り合いなの?」
「…まあ、そんな所かな。とにかく、彼は今、此処には来られない。そして…」
二人はそこでようやく彼が左手にもつ『もの』に気付く。
それはレーザーを発する、拳銃に近いものだった。
「…そして、君たちも、会場へ戻ることは出来なくなったようだな」
「…何のつもりだ?」
臆してるのを隠しながら、ヒロが問う。
「…今は、今日の講演を良しとしない者、とだけ言っておこう。とにかく来てくれないか。君たちに選択権はないように見えるのだが」
二人は前側にしか窓のない車の後部座席に乗せられる。
運転席側と後部側では空間は完全に仕切られているため、二人から外を見ることは出来なかった。
もちろん、と言うべきか、後部のドアはすべて、運転席の操作なしには開かなくなっていた。
「…参ったな。何だか物騒な話に巻き込まれたみたいだ」
「どうしよう。講演の方、もう開場しちゃってるよ」
二人は通信手段を取り上げられたため、会場にいるスタッフに連絡することも能わなかった。
…どこをどう走ったのかわからないまま、どれくらいの距離を走ったのかもよくわからないまま、しばらくの時が過ぎ、やがて車は止まった。
降りると二人は深い森の中だった。
ただし目の前には謎の建物。ごく一般的な一軒家と言った感じの建物が並ぶ。
また、二人の後ろには車が走ってきたと思われるよく整備された舗装路が、木々の緑をわけるように伸びていた。
「…中に入ればいいのかい?」
ヒロが運転手…先ほど二人に銃をちらつかせた男に尋ねると、彼はにこやかな顔を縦に動かす。
男は確かに年を取っているが、身なり、身だしなみは小綺麗な印象を受けるものだった。
「…僕に付いてきてくれ」
そう二人を促すと、彼は二人を建物の中へ『招いた』。
中は正直奇妙な作りをしていて、入り口からひたすら廊下だけが続いていた。
時々曲がるものの、曲がった先はただの廊下。段々と中心へ進んでいるようだった。
十回ほど曲がると、やや広い個室といった感じの部屋にたどりつく。
壁の大きなペーパーテレビ、掛け時計など、部屋の調度品は比較的贅沢な印象を与えるものだった。
部屋の中心には大きなテーブルと、その左右に別れて三人掛けのソファが二個。部屋に根付いているかの如く置かれていた。
またその別の対面にも一人掛けのソファが一対おかれている。
そこには既にそれぞれ、人が腰掛けていた。
片方は教授だった。
片方は…?
「教授。無事だったんですね!」
ジュナがほっとした様子で声をかける。
「…ああ。見ての通りだ。講演会は、申し訳ない形になってしまったがね」
「いえ。…しかし、心配しました。連絡しても繋がらないものだから…」
「…まあ、拉致された事には変わりないのだがね」
教授は目の前にいる人間をちらりと見た後、そう返した。
「…まあしかし、彼らは私たちに危害を加えるつもりでもないらしい。今のところはね」
そのまま、教授は二人にその男を紹介する。
「…彼が、昨日二人に話したクリアウォータだ」
クリアウォータは軽く会釈をすると、二人にソファに腰掛けるよう座った。
運転手の男も、二人の対になる位置に座り、5人がテーブルを囲う形になる。
「初めまして。ライネス=クリアウォータと言います。鴉丸同盟に加盟して久しいものです。誠に申し訳ないのだけど、今日の講演会は中止ってことにさせていただこうかな。なに、同盟にはすでに沢山の人がいますから、一度の講演会くらい、どうってことないでしょう」
ライネスは悪びれもせずこの様なことを三人に向けて言った。
「…一体何の用ですか。まさか同盟加盟者が、同盟の講演会を妨害するなんて…」
ヒロは出来るだけ抑えた声でライネスに言う。
「…まあまあ、それは確かに申し訳ないが、私たちはあまりにも宣伝の機会がないものでね、一つここいらで大々的に宣伝をする必要性が出てきたって訳だよ」
「…宣伝とは、例の戯れ言を、かな?」
教授はそうライネスに言った。
「戯れ言…。まあそうでしょうね、私たちの言葉なんて、言わば全て戯れ言に他なりません。
あなた達も、そして私達も、結局は戯れ言を廻して世界を囲い込もうって腹な訳じゃあないですか」
彼は教授が何か言おうとしたのを遮り、二人に向き直って言った。
「私の記憶が正しければ、お二人にはまだ、私の考え方を伝えてはおりませんね。
…今日はそれをお二人に伝えるという意味合いも込め、この様な大立ち回りを演じているんですよ」
「…それは、『羽』に関することですね?」
ヒロが問う。
「…まあそうだな。鴉丸同盟の活動に関する事ですよ。だから君たちにも大いに関係在るでしょうね」
「…聞かせてください」と、ヒロは促す。
「…率直に言って…僕は鴉丸同盟の存在目的…つまり『羽』の機能停止というものには非常に賛成しています。あの光に関する悪い影響はもう一世紀以上前から主張がでていますし、それを裏付ける論文も、学術的に正当なものでも、もう随分と存在しています。
…確かにあの羽が私たちに与えてきた文化的影響は、とても大きなものでしたが、これ以上あの光に頼っていては、我々は文明だけが先を行き、実の伴わない、抜け殻の生活へと退廃していくに違いないでしょう。
私たちの文明は、科学的な意味では必要以上の所まで進歩してしまっています。少なくともとしばらくは、この先しばらくは、むしろ形而上的な、精神的な部分を伸ばしていくべきかと思います。鴉丸同盟のここまでの考え方は、私も非常に賛成するものなんです」
聞く限りで、ライネスが敬虔な加盟者であったことを、二人は感じ取った。
「…しかし、一方で鴉丸同盟は平和民主主義を掲げ、議会での承認のみにより、この目標を達成しようとしていますよね。
…いえ、これも、考え方としては非常に素晴らしいと思うんですよ。乱暴なやりかた、人を傷つけ殺めるやりかたは良くない。確かに良くはない。
…ただ、これを完全に遵守するのはあまりにも非現実的なように思えるんですよ。
…私が加盟してからすでに十年。発足はそこから更に十五年前。既にこの活動は二十五年の歳月をかけているんです。
…しかし、『教科書通り』の活動の末の成果は、やっと一国と大差ない宇宙連合での理解を得られたにすぎない。
…きっとゲジヒテさんは『宇宙連合での勝利の影響は大きい』とか、さもゴールに近いかのようなことを言うのでしょうが、考えてみてください、現在全世界(地球外も含む)人口は百四十億。宇宙連合は僅か二億足らず。つまり、鴉丸同盟はまだ、世界七十分の一の人間のコミュニティーをバックにしたに過ぎないんです。
しかも、宇宙連合は確かに宇宙の情勢にいち早く反応し、星内の国々はそれに呼応しないともかぎりません、しかし、『宇宙の情勢にいち早く反応』すると言うことは、裏を返せば、こういった事案では比較的簡単に世論を動かせる集団なんですよ。
つまり、他の国々はここより遥かに腰が重い。鴉丸同盟は世界の七十分の一、それも、最も味方にしやすい七十分の一をバックにつけたに過ぎないんですよ。
いいですか、二十五年の歳月の成果がこれだけです。『平和的』にElwinaを止めるに至るまで、一体如何程の歳月を要するのでしょう?
いいですか?その間にも光は刻々と人々の心を蝕んでいるのですよ?それなのに、この様な気長な所業を行っていて良いはずがないでしょう?
もしもこの先遠い未来に目的を達したとしても、『精神的健常者』が世界から消え去っていたならば、活動は全て無駄になってしまうんですよ?
いや、そもそも、このやり方が全世界に通用するのかすら非常に疑問です。
もう、私の言わんとすることはわかったでしょう。つまり、平和民主主義なんて、所詮は理想でしかなく、実際に目的を達成するためには、もっと強硬な手段を、多少なり使う必要がある、と思うんです」
ライネスは、二人が口を挟む暇もないままに、ここまでを一口に話した。
「…つまり、武力を交えつつ、他国を『制圧』して、Elwina停止にこぎつけようと言うことですね?」
「…もちろん最低限の範囲でですよ。出来る限り今のやり方で、と言うことは変わりません。ただ、議会の理解を得るのは、皆さんが想うよりずっとずっと難しい事なんですよ。
人は基本的に変化を嫌いますからね」
「…戦争もすると言うこと?」
「最悪の場合は、そうなるでしょうね。相手が頑なにこちらの主張を聞き入れないのならば」
「…それは、こちらの主張を一方的に押し付けて、通らなければ力でねじ伏せる…それだけのことですよね」
ヒロは鋭い口調で言った。
「…ならば、一体誰がこの目的を達成するって言うんです?相手に私たちの主張を聞き入れさせなければ、目的を達成させることは出来ないんでしょう?
ヒロさん、あなたは私をガキ大将と同じだ、みたいに言いますが、私とガキ大将には全く違う点があるのをお分かりですか?
私には、絶対に実現しなければならない命題があるんですよ? それは私の我が儘でも何でもなく、この世界の為に、です。
しかも、ことは急を要しています。もう手段を選んでいるステージは過ぎてしまっているんですよ」
「…でも、それで何人もの人が傷ついたり、殺されたりするんでしょ…?」
「それは今のElwinaだって同じです。ただ、Elwinaの害悪は自殺とか精神疾患という形で現れるために、被害の大きさが見えにくいだけですよ。
私たちが何も話を進展させなければ、戦争に匹敵する位の割合で、全世界で、人が被害に遭うんです。それも永久的にね。
ただただ戦争を良くないと言うのはおかしな話だ。人を死に至らしめる原因、もっと大きな、防ぐべき原因が他に存在していると言うのに。
…まあ、あなた達にここですぐ考えを変えてもらおうとは思っていませんでしたよ。
これはただのアピールです。鴉丸同盟のなかに別派閥が出来たと言う、ね。
ご心配なく。今のところ私たちの派閥が鴉丸同盟本筋の活動を阻害したり、鴉丸同盟を壊したりする積もりはありません。
あくまでも私たちは同じゴールを目指す同朋ですよ。
…だから、あなた達も、これから表層化するであろう我々を阻害しないでほしいんですよ。もし明らかな妨害が続くようならば、上の同朋関係にも、ヒビが入りかねないということを覚えておいて下さいね」
「先ほどアピールの場がほしいと言ったな。一体どういうことだ?」
教授は呆れ顔で問う。
「…いえ、今日の講演会は演目を変えさせていただき、我々の派閥の宣伝をしたんですよ。あなた方がここにいる間に、ね。
…プレゼンは概ね盛況だったみたいですよ。
…そんな怒らないで下さい。いまやあなた方にとって、一回の講演が潰れるくらい大した被害じゃないでしょう。
…此方は只今宣伝に必死なんですよ。まあ、申し訳ないとは思ったんですが、一寸利用させていただいたわけです」
「…君らがなにを言おうが、鴉丸同盟の本筋を変えるつもりはありませんよ。又、こちらは身内の尻拭いをしないわけには行きませんから、あなた方が他国に危害を加えるようなら、私たちは全力で阻止します」
ヒロははっきりとそう告げた。
それは事実上の宣戦布告。
「…そうですか。誠に残念です。
私たちはいつか敵同士で相見えることになるでしょうね…それもまた、目的達成の為の道ならば、仕方ない」
この瞬間、鴉丸同盟の活動は新たな方向へ向くことになる。
しかし、この決裂が、後に全世界を巻き込む戦禍の遠因になるとは、この時はまだ、知る由もなく…。