君とすごす七夕
七月七日。世間一般で言う七夕は、僕にとっても特別な日だ。雨だろうと、満天の星空だろうと、僕はこの日の夜いつもの場所へ走る。息を切らせて到着した時には、すでに君が笑顔で待っている。三年前からの恒例だ。
「今年も、約束守ってくれたんだね。俊彦君は優しいな」
にこにこと、毎年同じように話しかけてくる君に、僕も決まった言葉を返す。
「伊織との約束を、僕が破るわけ無いよ。・・・一年ぶり、だね」
一年に一度、七夕の夜に、僕は君に会いに行く。花束を持って、そこで待っているはずの君に会いに行く。
僕と伊織は家が隣同士で、毎日のように遊ぶ仲だった。小学校三年生に上がる時、父親の仕事の関係で伊織は引っ越すことになった。電車でたった二駅の距離。それでもずっと一緒だった僕らには、耐えがたいほどに遠かった。
引っ越しの日、泣きじゃくる伊織と僕は約束をした。
「また会おうね。僕が遊びに行くから、絶対待っててね」
「うん。うん、絶対だよ」
ただそれだけ。当時は文通が流行っていたから、頻繁に手紙のやりとりもしようと言っていたけど、ただそれだけの約束の方が重要だった。
貯めたお小遣いが往復の電車賃に達したら、待ち合わせを決めて会いに行く。月に一度は会っていたと思う。休日の朝から一人で電車に乗り、伊織の新しい家の近くで遊ぶ。夕方、暗くなる前に家に送り、また会おうと言って帰る。そんなことを繰り返していた。七夕の決まりができたのは、離れ離れになった二年目のことだ。たまたま七夕の日に遊び、こんな話をしたのがきっかけだった。
「今日はたなばただね。伊織はどんな願いごと書いたの?」
「ふふふ、ひみつだよ。それより、俊彦君はオリヒメとヒコボシのお話、知ってる?」
「当たり前だろ! ヒコボシが毎年たなばたの夜に、天の川を越えてオリヒメに会いに行くんだ」
「そうそう。すごくステキだよね」
僕が得意げに話すのを、伊織はいつもと変わらない笑顔で聞いていた。なぜこんな有名な話を知っているかなどと聞くのか、僕は首を傾げていた。すると伊織は少しだけ悲しげな顔をして尋ねた。
「ねぇ、俊彦君は、たなばたの日に会いに来てくれる? 忙しくても、絶対に毎年来てくれる? いつもみたいに、一緒に天の川を見てくれる?」
毎年七夕の夜は天気が良ければ、両家族で天体観測をしていた。ただ一緒に夕飯を食べた後、庭に出て夜空を眺めるだけだったが、特別なイベントには違いなかった。今では、それができない。僕は伊織に言われて初めて気づいた。寂しげな伊織に、僕は決意を込めて返事をした。
「大人になっても、絶対に来るよ。伊織といっしょに、天の川を見るんだ。約束するから、伊織も忘れちゃだめだよ」
「やったあ! 俊彦君はやさしいね!」
飛び跳ねて喜ぶ伊織は、今までで一番可愛かった。この時、僕は伊織への恋心を自覚した。
さすがに小学生が暗くなってから出歩くのは問題なので、七夕の日だけは特別に伊織の家で天の川を見てから、両親が迎えに来ることになった。本当に仲が良いと、毎年からかわれたものだ。照れ臭かったけれど、伊織が喜んでくれるなら良いと気にしないようにした。
中学生以降は、部活に入って時間が取れなくなったせいで、会う回数は減っていた。時間も短くなってしまった。高校も違う所に進学したので、ますますお互いの時間は被らない。それでも七夕の約束は絶対に守るようにしていた。場所が近所の公園に変わり、両親の迎えも無くなったが、僕らは相変わらず一緒に天の川を見ていた。雨が降った高校二年は、ファミレスで夕飯を食べながら、残念だねとだけ言っていた。見つめるのは外ではなく、お互いの顔。その日から、ようやく僕らは付き合い出した。
大学も、お互いにやりたいことがあったため別になった。しかも僕はすぐ隣とはいえ県外に出たので、伊織との距離はますます遠くなった。でも伊織に会うためなら、電車を乗り継ぎ会いに行くのは苦にならなかった。
「どんなに忙しくても、七夕の夜だけは、絶対に空けるから。誕生日やクリスマスの当日が無理でも、七月七日だけは会いに来るから」
七夕よりもそちらの方が大事だろうと周囲には言われたが、僕らにとってはなぜか七夕が重要だった。
「記念日でもあるもんね。・・・でもそれってなんだか、織姫と彦星みたい」
もしかしたら、七夕の伝説に自分たちを重ねていたのかもしれない。織姫と彦星ほど会えない距離ではなかったのに。僕らの逢瀬を邪魔する天の川なんて、この頃には無いも同然だった。
「今年はなんてお願いするの?」
短冊に願いごとを書くなんて、もう子供じゃあるまいし。そう僕は思うけど、伊織は毎年聞いてくる。だから僕は決まってこう返す。
「来年も伊織と七夕をすごせますように」
毎日だなんて言わない。織姫と彦星に嫉妬されそうだから、これでいい。
そんな風に考えていた僕は、やっぱりまだ子供なんだろう。約束を交わしたあの時から、僕らは変わっていなかった。これからも、変わることはないだろう。
僕は今、大学四年生だ。就活も無事に終わり、気楽に卒論の準備をしている。社会人になってからも、こうして七夕を過ごせる保障は無い。それでも僕は、出来る限りこの日を空けるつもりだった。だって伊織には、この夜にしか会えないのだから。
「俊彦君は最近どうなの? メールじゃ、あんまり詳しいこと教えてくれないし」
「うーん、書くことが特に無いだけだよ。普通に学校に行って、授業受けて、時々サークルに顔を出すだけだし」
「本当に? ・・・まさか、浮気なんてしてないよね」
「何言ってるんだ! 僕が好きなのは伊織だけだよ」
「冗談だよ。・・・私が好きなのも、俊彦君だけだから」
甘い会話が出来るのも、思わず見惚れるような笑顔を向けてくれるのも、名前を呼んでくれるのも、この夜だけだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。明日は朝から大学に行かなければならないから、終電で帰らなくては。名残惜しく思いながら、二人掛けのベンチから腰を上げる。
「もう帰っちゃうの?」
寂しそうな伊織を見ていると、残りたい衝動に駆られる。けれど、日付を跨ぐわけにはいかない。僕らが会えるのは、七月七日の夜だけだ。
「・・・また来年も、来るから。約束を忘れたりはしないよ」
そう言うと伊織は花が咲くように笑った。去年も、一昨年も、その前も見た顔だ。三年前と何も変わっていない。
「待ってるよ」
「うん。・・・じゃあ、また」
座ったまま手を振る伊織に背を向けて歩き出す。また来年も、僕は伊織に会うために、この場所へ来るだろう。伊織の実家でも、近所の公園でも、告白したファミレスでもないけれど。伊織は絶対にこの場所で待っているはずだから。三年前から変わらず、伊織は先に待っているはずだ。
僕も三年前からずっと、花束を持って会いに行くようにしている。駅からここまで走っているうちに、花が散ってしまうのではないかと心配になるのも、恒例となってしまった。四年前までは、花束なんか買おうと思ったことも無かった。でも三年前にそうしてからは、毎年同じものを持って行く。変えてしまったら、もう伊織には会えない気がするから。
振り向かずに歩き続けて、僕は霊園を出た。この小さな霊園は夜でも自由に入れるのが有難い。そうでなければ僕は、伊織には会えなかったから。三年前から僕らの待ち合わせ場所は、この霊園に変わった。おそらくこれからは、変わることはない。
一年に一度、七夕の夜に、僕は君に会いに行く。墓に供える花束を持って、そこで幽霊となって待っているはずの、君に会いに行く。生者と死者を別つ僕らの天の川は、七夕の夜にだけ、越えることができる。