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変化

◌月〇日


安易な方に流れて、迂闊だった。

今は、芳郎を早く探さないと……。

逸夫君が居るからと理由付けて、俺は義務を怠っていたんだ。

「お兄ちゃん、怖いよ……」

不安定なバネに揺らされながら、逸夫君が言う。

遊んでいたからか、事の重大さは理解出来ていない様に思えた。

大体、俺になんか色々押し付けるから、こうなったんだ。

何時しか周りに耐えられない重責をほっぽってしまいたくなる衝動が、俺を狼狽(うろた)えさせる。

出来る事なら頭を抱え、隅でじっとして、自己の存在をひた隠しにしたかった。

掌に息が当たると感情を鎮めるべく、俺は何度も唾を呑んでいた。

兎に角遣るべき事は分かっているんだ。

体裁に拘らず、俺は電話を掛けた、掛けまくった。

一斉送信出来るメールも考えたけれど、今直ぐ伝わらないと意味が無い。

落ち着かない様子で足踏みしていると、間も無く折り返しの連絡が来る。

よりによって、一番嫌な相手だ。

「芳貞、芳郎が居なくなったみたいだな」

「……うん、父さん」

口が(つぐ)んで言葉が出なかった、当然だ。

「私も探すから、気にしなくていい」

それだけ伝えられると、電話は途絶えた。

俺を気に掛けた優しい言葉の筈なのに、何故か針の様に鋭く冷たい感情が胸を貫いていた。


暫くすると遠巻きに白シャツが見え、こちらに寄ってくる。

近付いてくる細い縁の眼鏡の彼は、俺の友達だった。

「佐伯君、来てくれて有り難う」

「良いんだよ、こういう時はお互い様だから」

夕陽に濡れたあの日が、蘇る様だった。

田圃(たんぼ)に落ちて死に掛けた佐伯君には悪いけれども、俺はあの日に憧憬の念を抱いてしまう。

電話して唯一来てくれた事も俺達はそこいらの友情では無いと気付かせてくれた様に思えて、本当に嬉しかった。

「横山君、居なくなった時の事教えて」

「えっと、公園を囲う生垣に子供の通れる部分が在って、そこから公園を出たんだ」

佐伯君は生垣を見遣ると、話を続ける。

「あの穴を抜けてもこの近くは住宅街が続くだけだからね、車の通りに気を付けてさえいれば問題無いよ、きっと

「そうなんだ、何故かこの公園に連れて来られる事がなくてさ、助かったよ」

「横山君はその子の面倒を見てて、僕は少し辺りを周るから」

そう言うと、佐伯君は早々に公園を後にした。

今の今まで佐伯君を懦弱(だじゃく)だと思っていた、けど違う。

頼りがいのある一端の男じゃないか。

つくづく打算的な自分に後悔している。

何処か彼を見下していたんだ、俺は。

何時しか爪が掌に食い込む程に、強く強く握り締めていた。


「逸夫を預かってくれて有り難うね、芳貞君」

「いや、良いんですよ」

「ううん、今迄大人が芳貞君に甘え過ぎていたのよ」

この言葉の真意は、直ぐ理解出来た。

けれど、悪い気はしない。

それが正当に評価された結果なのだから。

たかが一人の中坊に任せる事じゃない。

「芳郎探すんで、失礼します」

大事なか細い炎が消えるかが掛かっていた、委ねられていたんだ。

だから、この判断は正しいんだ。

ずっと望んでいた事だ、此れまで願い続け漸く解放された。

関係をも壊してよかったのかは、分からないけれど。

急いで公園を出ると、俺は佐伯君に指示を仰いでいた。

けど何故だろうか、電話番号を入力した後になって、他に適任が居た様な気がしたのだ。

「どうしたらいい、佐伯君」

「取り敢えず迷わない様に、直進の道を行けば大丈夫だと思う」

「分かった、有り難う」

携帯電話を学生服に仕舞うと、俺は直ぐに辺りを確認した。

公園の出入り口付近の住宅街は並んで建っているから、道なりに進めば土地勘の無い俺でも迷いはしないだろう。


「見てないわ、ごめんなさい」

一言返されて、皆離れていく。

片っ端から道行く人達に声を掛けたものの、何も進展が無い。

俺自身の無知に情報の乏しさが重なって、行けども行けども途方もない暗黒がただただ広がるばかりだった。

夏の蒸す暑さに気力を奪われて、次第に絶望感が俺を覆う。

助かるのか、連れ去られていたりしないか。

不安な気持ちが彼是(あれこれ)混在して、もういっぱいいっぱいだった。

けど、腐っても芳郎の兄貴なんだ。

溜めた涙を拭って鼻水を啜りながら、みっともなく歩を進める。

そんな負の感情だけが俺を後押しする最中に、あれは居た。


突如、あれはがけたたましく吼えた。

最初、俺は花火でも打ち上げているのかと思い、空を見渡していた。

発せられた音が打ち上げ音、爆発音の様に聞こえたからだ。

だが、直ぐ状況の可笑しさが脳裏を掠める。

今は夕方だ、こんな時間に花火なんぞ打ち上げるだろうか?

普通は夜に上げる筈だ。

辺りに疑念を向け集中すると、ただならぬ息遣いが聞こえる。

あれの雄叫びは、動物が発するものではなかった。

雷鳴の如く、発声された瞬間に甲声(かんごえ)が響いて、一頻り鳴き終えたかと思えば生命を燃やし尽くすかの様にまた木霊(こだま)して、天を刺していたのだ。

尋常ならざる響きが跋扈しても誰彼も見向きもしない、目の前に広がる異様な世界が怖ろしかった。

涙粒が視界を曇らせて、体が萎縮していくのが分かる。

それから俺は訳も無く、ただ只管(ひたすら)にそこから遠ざかっていた。

顔が強張って、歯をガチガチガチガチと噛み合わさせて、それが空恐ろしさだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。

俺が見る夕焼けは歪んでいる。

明確な理由も無く駆けずり回り、あれから逃げ回っていた。

声がして辺りを確認した時に姿を視認した訳ではないから、奇しくも勘がそうさせたのだ。

周りから見れば、今の俺は気が狂っている子供だった。

叫びがぐぐもって何を言いたいのか全く明瞭でない、寧ろ俺自体が化物に見えただろう。

心を心足らしめる(たが)が外れ、自分でも形振(なりふ)り構わず行動しているのが分かって、率直に言えばいかれていた。

けれどそうして居なければ、本当に狂いかねなかった。

侮蔑の目に晒されていようが、避けられていようが、この世界は俺の物だ。

あれは他者に気付かれる事も無く、暗鬱な世界で俺のみを揺さ振ってくる。

まるで俺が可笑しい人間みたいじゃないか。

呼吸が早くなるにつれ、胸が締め付けられていくと同時に単一的な意識が、俺を占めていく。

俺は一人なんかじゃない。

だから俺は、叫ぶんだ。

「ごおっっ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁぁっ」

狂人の悲鳴が虚しく轟いていた。


呼び出し音が鳴ると、俺は現実へと引き戻された。

叫んでいたせいか喉が潰れ、まともに喋れそうにない上汗が全身に纏って気持ちが悪い。

連絡をしてきたのは佐伯君で、俺がこんな状態なものだから彼が一方的に用件を喋るのみだった。

「横山君、芳郎君はこっちには居なかったよ、そっちは?」

俺も収穫無しだよ、そう答えようにも声が発せない。

息も絶え絶えに何とか深呼吸していると、此方の様子を察したのか

「メールでもいいから、返事してね」

と、助け舟を出された。

直ぐに返事をすると、再び電話が掛かる。

「横山君有り難う、ついでに一つ聞きたい事があるんだ」

その瞬間、爽やかに吹く風が死んだ。

思い返せば、ここで気付くべきだったのだ。

「さっき横山君の叫び声が聞こえたけど、何かあった?」

繋がりっぱなしだったのか。

恥ずかしくなりさっさと連絡を断ちたい衝動に駆られ、理由は言えず仕舞いだった。

言える筈が無いと、心の何処かで警鐘を鳴らしていた。

「何にもないよ」

嘘を載せたメールの発信音は、気分とは裏腹に軽快な音がする。


公園に戻り水を飲んでいると、またもや望ましくない相手からの連絡が届く。

けれども肝心の内容は芳郎が交番で保護されたという吉報で、責任やら安堵やらで気の抜けた俺は、父さんに言われるまでもなく、しおらしい気持ちに満たされて、受け答えは(さなが)ら快漢の様だった。

佐伯君に報せて二人で向かうと、意外な人物も居て、少しばかり驚いた。

「准さんじゃないですか、まさか……」

態々聞くまでもない事だ。

「そうだよ、偶々芳郎君を見つけたから交番に行って、保護者が来るまで待たされたって訳」

「すいません、有り難う御座いました」

ただただ頭を下げる他なかった。

准さんの方が俺より優しかったなどと軽口を叩く芳郎の頭を掴んで、俺と同じ体勢にさせる。

「お前が勝手にどっか行くから、もう……駄目だろ」

周りに止められる迄、ずっとそうしていた。

俺は何が出来ただろう、だがそれで精一杯だったのかだけははっきりしている。

帰り際、佐伯君が准さんに

「その節はどうも」

と、深々と礼をした。

言われた准さんは、間の抜けた顔で不思議そうに考え込んでいた。


慣れない環境に疲れたのか、帰路に就く途中で芳郎は寝てしまっていた。

手を回された後容赦無く覆い被さられて、俺が芳郎の尻を持上げてやると、責務の重みを感じる。

生温かい吐息が首に掛かると全てを俺に任せているのだと、頼られている事を実感して、つい苦笑いしてしまった。

まだ可愛らしい部分もあるんだなって。

「仲が良いんだね、二人とも」

「そんなんじゃないよ」

否定が口を()くが、これは互いの信頼の裏返しなのだと佐伯君も分かるだろう。

陽が家々に隠れながらも、西を照らした。

どうして自然の前では、無防備にさせられてしまうのだろう。

「佐伯君、准さんと何かあったの?」

横目に見ると、彼は口をぱくぱくとさせながら、言葉を選んでいる様に見えた。

「実は四年前に此処に引っ越してきてあの公園で眼鏡を落としたんだ、次の日にあの人が眼鏡を拾ってくれていて……」

四年前、丁度俺が小学三年生だった頃だ。

「何で眼鏡、落としたの」

知らず知らず彼を、もっと怖ろしい物をも詮索していく。

「何で、何で……っ」

「何で……その続きは?」

彼が視線を遣るのは空で、開いた口は次第に広がっていた。

言葉が出ないのではない、出せなかったのだ。

俺が視線の先を確かめると、あれは居た。


屋根に乗っかる馬が立ちぼうけている、それがさも当然かの様に。

硬直して体は動かないものの考える理性は働いていた、理屈を殺していればどんなに良かっただろう。

茜色に馬毛が棚引くと小さな目が散瞳(さんどう)して、此方に目を向ける。

その時の瞳孔は、正に落日其の物だった。

「僕、四年前にあれを見たんだ……」

佐伯君が、何とか声を()り出していた。

脚を蹴り上げると、筋肉の筋と太腿の輪郭線が脚を(かたど)った。

目は血走り、生気が充実していたが、あの雄雄しい姿を牧場で見れたなら、さぞかし心踊る躍動美だったろう。

だが今は、恐怖の対象でしかない。

西日に由って爛々と光る体が、天を仰ぎ(たけ)りたつと、姿が消える。

幻覚、だったのか?

極めて短絡的にそう決め込んだが、直ぐに現実を知らされる。

「お馬さんだ、珍しいなー」

芳郎の声だ。

一抹の不安が過る。

「お馬さんが鼻押し当てて来るよ、お兄ちゃん」

コイツ、芳郎に手を出すつもりだ。

巫山戯(ふざけ)やがって。

「芳郎、逃げろッ!」

「無理だよ、落ちたら怖いもん」

首を絞める程に芳郎は強く手を回す、第一芳郎を抱えているのにどうやって逃げるつもりなんだ、俺は?

策は、一つしか無かった。

「芳郎」

「何、お兄ちゃん」

「このままだと、お前も俺みたいになるぞ……これから起こる事を見て、怖かったら構わず逃げろ」

返事は無い、俺は文字通り捨身で挑む覚悟をした。

後ろに向き直り、自分自身を鼓舞する。

「来いよ、バケモノ」

細く長く伸びた舌をゆらつかせ、上唇を舐め擦っていた。

下から覗かれると、微かに見開いている目の奥は黒く濁っている。

標的は芳郎では無い、確信した瞬間だった。

あれが俺の腹に頭突くと白の(やすり)で脇腹を執拗に抉るのだ、歯茎は剥き出しになって、口だけでなく体全体で俺の血肉を貪ろうと顔を(うず)めていた。

心臓が急に掴まれ、持ち上げられたみたいで生きた心地がしない。

生の主導権は、もう俺に無かった。

噛み合わない歯からは、蛇の胴の様に幅の太い舌が啓蟄(けいちつ)から這い出てうねる。

膝が震え、芳郎を支えているだけで奇跡的だった。

「許し……悪い、です」

謝ろうが無情にも私刑が続けられる、だが構わない。

身動ぎすら許されない中で、何時しか声にならない後悔の言葉ばかり並べていく。

「あ、あ……うう゛う゛う゛うぅっ、んんん゛ん゛ん゛ぐぐぅ、ひっ……」

最後の仕上げなのか、あれが唾液を思い切り吐き出すと、全身に電流が走った様になって身体中の感覚も、思考も全て奪われて、俺はその場で果てていたらしい。




●月▰日


上の記述はあの頃の記憶を、率直に書いた物で在る。

あれから十年程の歳月が流れ、現在二十四歳になる。

父に冗談交じりに言うと、顔面蒼白になって、直ぐに引越しの準備がされた。

公園に連れに行かなかったのと直ぐに引っ越したのが、型の合うものを嵌め込んだ時の様にすとんと腑に落ちてすっきりした。

今日、この日記に書き込んでいるのは、進展があったからに他ならない。

実は今日、県外の女性と結婚したばかりの佐伯君に会う為、俺は此処に訪れていたのだ。

奥手だった佐伯君に先を越されるとは、人生は見えないものだ。

行くと持て成される暇も無く、段ボールの頂を次々片付けていった。

昼頃に一区切り付いて居間に案内されると、昔話に夢中になっていた。

「御免、久しぶりなのに手伝わせて」

「当てにしてたでしょ、良いけどさ」

「ふふ、ちょっとカーテン閉めるよ」

暫くするとコッコッと軽く叩く音が聞こえたが、奥さんが調理する生活音だろうと気にせずに居た。

だが、誰とはなしにカーテンを開けた時に、硝子(ガラス)に土塗れの奇妙な跡が出来ていた。

「佐伯君、これは何だろうか」

丸の一部が喪失していて、英字のCの様にも見えた。

佐伯君はそのアルファベットを怪訝に思いながらも、気丈そうに奥さんを抱き締めている。

君は、本当にそれで良いのか。

澄んだ晴空を、白雲が覆う様だった。




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