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自然

○月12日


忘れよう、そう思う程に胸に焼き付いて離れず、どうしようかと悩んでおりました。

ですが結論から申し上げますと、あれこれ考えた末に私にはあの出来事を日記に書く以外ないのだと知りました。

私には小学三年生の芳貞と四歳の可愛い年頃の芳郎が居り、何かと入り用なこの時期に肉体的、精神的に妻や息子の負担とならない為にも、長々入院する病気になるのは絶対に避けたいので病気である前提でこれらを記載します。

先に補足説明をしておきますと、これは私が健康に気を遣って、休日の昼頃に家付近の閑静な住宅街を走り込んでいた時の話です。

最近始めたばかりですが新しい発見や出会いが多く、慣れていくにつれ徐々に走り込みの範囲を広げ、趣味の一つとして楽しんでいました。

自己紹介に文字数を割いてしまいましたが、次の行から昨日の出来事を有りの儘語ります。


その日もいつもと変わらない時を堪能していました。

道端に捨てられたゴミや私への警戒を隠さない住人達の様相は居心地が悪くも良くもあり、来る度に発見がありまして、最近だと道路に偏平に生えた雑草は雄日芝というらしい事を知りました。

信じられない場所で育った野菜等は、ど根性なんちゃらなどと銘打たれ世間を賑わしますが、同じくど根性のある雄日芝は騒がれはしません。

雑草だからです。

それは取るに足らない存在の努力や生き様など見世物以外では面白くも何とも無いからで、雑草の私にも等しく同じ事が言えます。

何故私は出来損ないなのかと、幼少からの後悔の念に涙したのも、一度や二度ではありません。

この不出来な人間は時々親としても有るまじき思いを抱いてしまい、教育熱心な妻を侮蔑し、私は二人が成長していく姿に希望を見出せず、挙句妻に投げ遣りに接してしまいます。

別段、妻への文句はありませんし、我が子への晴らせぬ鬱憤もないですが。

強いて言うなら、私はカエルからオタマジャクシが生まれるのを望んでいるのです。


「横山さ〜ん!」

微かに私の先から呼ぶ大小二つの人影が手を振っていて、近づくにつれ誰の声か、誰の顔かが鮮明に思い出されていく。

あれは……芳郎と同じ幼稚園の逸夫君の母親、倉木さんだ

「横山さん、またマラソンですか?」

目の前迄来ると、彼女は微笑しながらそう問い掛けた。

「ええ、休みの日は体を動かす様にしたんです」

他愛もない会話が続く。

その横には足元の小石を蹴って、つまらなそうにうつむく逸夫君が居り、灰色の思い出が蘇っていく様でした。

「倉木さん、もう行きますね」

「あ、いえ、気になさらず」

親子の並ぶこの構図は・・・・・・どうも苦手だ。

それらが幸せそうに微笑んでいたり見つめあおうものなら、尚更だ。少し感じが足早に逃げ出すと、あの親子は声高に童謡を歌い出して、その歌声が聞こえるとより一層急ぎ、去っていた。


先程の道を真っ直ぐ進むと、公園に着いた。

出入口の横には砂場、中心には一本の大木が雄々しく聳え立っていてその周囲はベンチが設置されており

付近にはジャングルジムが一台、少し奥にブランコが一台に水飲み場が在りました。

人はおろか鳩や雀も居ない殺風景さでしたが、どこも似た様に子供達の遊び場として形骸化していますし、至って普通の公園です。

ごく有り触れた見慣れた光景で気に止まる点は無く、私は喉の乾きを潤す為に水飲み場の蛇口迄行き、噴出した水へと口を近づけました。

喉をごくごく鳴らしながら夢中になって飲んでいると、何時しか砂利が踏まれガリガリと激しく音を立て……そしてそれは、私の後ろで途絶えました。

私以外誰も居なかった筈なのに……よくよく考えればおかしな出来事にも関わらず、少しも警戒していませんでした。

その直後右ポケットから口を拭く為のタオルを取り出し、蛇口を閉めようとすると……背中に何かが押し付けられ擦られて……熱い物を感じるのです。

人の指ならばはっきりと触られた所の感触がしますが、必死に背中越しに動かされるそれは私の肉を刮ぎ取るかの様で……道具など頼った物では無い、動物の技でした。

私の手が蛇口に近付ける度勢いは増し、直感的に

「蛇口を閉めるな」

という事だろうと確信し手を離すとぴたりとそれは止み、ようやく此処から離れられると思った時、初めて私は己が立ち竦んで居るのに気が付いたのです。

逃げたい、なのに体は言う事は聞かない……恐ろしさから必死に横目でその何かを眼に焼き付けようとする姿は、傍から見れば滑稽だったかもしれません。

ですがこうする他無く、吹き抜ける風は一層私の体を冷やすのでした。




その静寂を破ったのは、場を制する如く発せられた突然の嘶きでした。

このままでは自分の身が危ない、咄嗟に判断して体を反らすと、砂利の大きな粒が私の肉を抉る様に刺しました。

子供時代以来の痛みは、私をあの頃と同じ様に動かしたのです。

「クソッ・・・・・・」

上体を起こし、体に付いた砂利を払うと・・・・・・予想もしていなかった光景が其処にありました。

それは・・・・・・馬でした。

だが何故都会の住宅の立ち並ぶこんな場所に馬がいる、何処かの家から逃げ出したのだろうか……根拠など何一つ無い憶測や推論が、この時の私の全てでした。

鋭利に伸びた舌が水へ伸び、はしたなく音を立て口許へ吸い込まれていく姿に暫く呆けて見入っていた後、跳ねた水飛沫が私の靴に掛かった際に、つい足元へ視線を遣ってしまったのです。

私を捉える眼光、地面まで伸びた舌、天を向く眼、それは肩を揺らしながら狂乱している。

何だこの生物は……正気では無い!

「う、うわぁぁぁぁぁ!!」

怖い、怖い……感情は絶叫になって辺りに木霊し、体の疲れを圧しました。

膝を付いても両手で支え、崩れた体勢でも歩を進めようと蹴り出すのは力尽きる事に生命の危機を感じるからで、砂利の痛み、恐れ、寒気……それら全てに囚われず大木まで走り抜ける短い間だけ、私は閃光になりました。

肉体や精神の感覚がふわりと離れ、私を捕縛するありとあらゆる物から解放されていたのです。


ガララララ……横引きの窓が滑らかに動き、それと同時に私は音のした方へと視線を向けました。

「ああ、横山さん……おはようございます」

「ハァ……お、お早う……准君」

寝足りないのか彼は指で目許を摩り、大きく息を吐いて体を逸らしていました。

頼む、早くこっちを向いてくれ……策を講じた訳ではないのに誰かに縋らなければならないのは、物心付く前から頼る人間のいない私にとって言葉に詰まる……何とも心苦しい辛酸で、ちっぽけな誇りを堅持する為には声無き声に気付いてもらって助けてもらうしか無かったのです。

そうして生きてきたのですから。

「ん……横山さん? 腰が引けてますけど何かあったんですか」

私に注意が向く、後は……。

「あーっ、あの、准君……ここ最近この住宅街で変な生物が目撃されているらしいよ」

直ぐ傍に居ると、何故はっきり言えなかったのだろう。

けれどよくよく考えれば、この時には私は本能的に化物の性質を、異常性を感取しておりだからこそ余裕、優位さに感けて悠長に世間話を出来たのです。

「んー、近所付き合いがないからかもしれませんが、そんな話聞いた事は……」

この付近では見かけないのだろうか、確かに家々が左右対称に連なって並んでいるこんな所で大きな動物を飼育出来る環境がある訳でもなし……後は個人で飼われていたのが逃げ出したと考えるのが普通か?

「横山さん本当におかしいですよ、俺そっち行きましょうか?」

やった、助かる……!

「御願いしま……」

言い終える直前、持ちうる情報で状況を雑ではあるものの整理していた。

もう辺りに化け物は見えない。

しかし公園内の異様な静けさは、あの化物は息を(ひそ)め獲物……つまり私を狙っているように思える。

水飲み場に於いて、確かにあの生物は獰猛に私を支配せんとする雄叫びを挙げた……それ自体があの生物の異常性を物語っているではないか、と。

この化物はどうすれば私達人間が油断するか知っている、でなければ、この広々とした公園で私があの化物を知覚出来ぬ程気配を殺す事が可能だろうか。

学習能力は程度の違いこそあれど動物にも備わっている……あの化け物にとっては似た状況を幾度となく体験した上で最適解の行動を実行したに過ぎないのかもしれない、だがどんな理由があれど無抵抗で居るほど私は

弱くない。

重なる不安が……いや、不安の只中に有った闘争心が理性を押し潰していた。

戦えずとも一矢報いてやると、実行しようともしない感情を頼っていたのです。

「准君、やっぱりいいや……すいません」

「んー、そうですか……じゃ」

そう言うと彼は欠伸をして、窓を閉めた。

正直に言えばとても後悔した。

取り返しのつかない発言に加え、心配した振りをして最後の最後で見限った狭量な人間と彼に悪意を抱いた私の内面は今も矯正されてはいないのだな、と。

この時の私は手の平を押し付けて感情の高ぶりを抑えようとした。

けれど……もう頼る人はいないんだ、助け舟に自分から逃げたくせに幼少より父から何度も言い聞かせられたこの言葉を痛く実感するのだ。

「ハァ……何故私はこういう人間なんだろう」

ベンチに腰を下ろし、改まって自問自答していました。

准君が悪い訳ではないのに彼に対し薄情だと思えてしまう事も元を正せば私の人間の底の浅さが起因するのだ、第一さっきだってつまらない意地を張って自らを苦しめていただけじゃないか。

彼の事情も鑑みず問答が続くと考えた、私が愚かなだけじゃないか。

でもどうしても、正しさを受け入れられなかった。


俯いていた私に顔を見せたのは、ベンチを這う毛虫でした。

背中には左右対称の二列の点が並び、頭部のハの字の黒紋は眼の様に見える。

マイマイガという毛虫のようでした。

害虫扱いされている虫ですが良く見れば愛嬌があって、落ち込む私にとっては見知らぬ馴れ馴れしい少年の様でした。

さすがに触れるのは怖い為、毛虫が近付けば遠ざかったりして一定の距離を保って観察していた所、ある事に

気が付いたのです。

そこらじゅうにまだ緑々(りょくりょく)しい葉が散乱しており、きっとその拍子にこの毛虫も落ちて来たのだと分かります。

私が気付かないだけでまだこの虫は至る所に居るだろう、意図せずともベンチから離れていました。

そして、この時の私はこれが重大な事象であったのを見落としていました。

何故散乱しているのか?

何故掃除されていないのか?

この説明がつかない、そして……何故木々は激しく揺れているんだ?

まただ、またあの化け物が主張している。

首は固定されたように動かない、ですから自然と視線を上方に向けていたのです。

そして……次の瞬間私の頬を何かが掠めると、手に滴り落ちるものは生温かく感じました。

「あ……っっっ、ああああぁぁぁ……!」


「横山さーん、あれ……」

おかしいな、確か今横山さんの悲鳴がしたのに。

動物の脱走がどうだとか言っていたし、何があったんだろう?

そんな事があったら町内放送位されそうなもんだけど。

まぁ、どうでもいい……寝るか。

そう思い立ち、ふと時計を見ると1時を過ぎていた。

倉木さんが来る前も起こされたし、全くいい加減にしてくれよ……。

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