序章-Part.0_遠い未来は
夕暮れに道を駆る馬車が一つ。
夕陽が西の空に傾き始め、深い森の奥にまでその鬼灯色の光を届ける。
舗装されていない曲がりくねった道は、馬車をもってしても決して効率のいい移動方法にならないくらい酷く荒れている。
ガタガタとガシャガシャと、木板のぶつかる音と鎖の動く音だけが静寂に満ちたこの領域に、動きを感じさせていた。
....もうすぐこの地域は『異端の魔法』による明けない夜の世界へと姿を変える。
「さ、急いだ急いだお馬さん。日がくれる前に、あの街まで辿り着かなきゃならん。この先に見える、人類最後の砦に」
馬車の前方に腰掛けて座っている御者の若い男が馬に向かって話しかける。馬は、そんな言葉には耳もくれずにただ黙々と脚を進める。
「......到着まであとどれくらいです?お兄さん」
不意に、馬車の中から御者の男に向かって華奢な言葉が投げられる。
全身に大きな薄茶色いコートを纏い、頭もすっぽりと覆うフードで顔を隠している。客室の隅に膝を抱えて丸まるように座っていて、チラリとはみ出したその前髪は、オレンジ色のようなブラウンのような、形容し難い色をしていた。
「なんだいお嬢さん、そんなに魔英の夜が怖いのかい?安心してな、日の入り前にはちゃんと到着して今晩はベッドでグースカ眠ってられるさ」
「......なら大丈夫です。それに私は、別に魔英の夜が怖いなんて思っていませんから」
返事を返した少女の声を聞く限り、彼女は嘘をついていないのだな、と御者の男は理解した。
馬車が進む方向には、大きな城壁がそびえ建っているのが見える。さらにその先に、大きな、蒼色の塔が建っているのも見える。
「......しっかし、人類も随分と肩身が狭くなったもんだね」
御者の男は、唐突に語り出した。
少女は何も言わず、ただ耳を傾けた。
「いや、もうかれこれ魔英の夜が発生するようになってから170年も経つから、俺みたいな貧相な馬車で商売してる人間が大層な口が聞けるとは思ってないけどさ。...それでも、俺は且つてあった人間がこの地球を支配していたとされる時代に思いを馳せるよ。夜を恐れることのなかった平和な時代を」
「......そうですね。私もその時代についてはとても興味があります。何せ、これから向かうところですから」
「ハッハッハ。言うねーお嬢さん。...まぁ確かにあの街はそんなところだ。お嬢さんがそう思うのも無理はないね。俺も最初はそう思ったものさ」
馬を御する手綱を持ちながら男は大きく笑い、そして沈黙した。
そして、こうして会話をしてる間にも遠くに見えていた街は近づいてくる。
「ま、久々にこんな他愛も無い雑談ができて良かったよ。ほら、もうすぐで街に入るぜ。忘れ物が無いか確認しておいてな」
「...ご心配どうも」
ガラガラと廻っていた馬車の車輪の音が、ゴトゴトした音に変わる。荒れた野道から街のアスファルトへと切り替わったようだ。
「で、お嬢さんは何処に向かっているんだっけ?」
御者の男が話しかけ、
「...11番街の噴水広場です」
「あいよっ」
と会話が続く。
ほどなくして、馬車がゆっくりと停車し、客室の中から少女が降りてきて、男に代金を手渡した。
少女が馬車を降りると、先ほどまで馬車の中から見えていた夕暮れの世界はどこへ行ったのか、空は晴れ渡り、まるで、日中のような陽の温かさに包まれていた。
「...10、20っと、はい、確かに代金は頂戴しました~。機会があれば今後ともご贔屓に。それじゃお嬢さん、あんたに幸運のあらんことを!」
「...貴方にも、幸運のあらんことを」
遠くに去りながら御者の男はこちらを振り返らずに手を軽く降った。
「.........。」
「アラ、こんなところに居たのね。時間になってもこないからBARでちょっと一杯やろうと思ってたのにぃ」
少女が降りた広場の噴水の縁に座っていた、いかにもお姉さんな雰囲気を醸し出す女性が歩いてくる。
「...室長、これから薄夜ですけどもお酒くさいのはあんまり好きじゃないです」
「イイじゃない、これでしばらくは飲めなくなるんだしちょっとくらい飲んでも~...」
別に既に酔っているというのではないのだが、室長と呼ばれた女性からは酔いたいオーラが発散されている。
「それは私がちゃんとできた時にしましょう。これから人類のこれからを、今までを掛けた戦いになるかもしれないんですから、ほらシャキッとして」
「むぅ~...私の癒しのためにしっかり頑張ってくるのよ~?」
「私が頑張るのは人類のためです、どうせならそっちの心配をしてくださいよ...」
歩き始めた二人は向かう。
この街の中心に在る、蒼色の塔へと。
この世界に、未来をもたらす過去へと向かって。
特に無し。