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月の船  作者: 深海いわし
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第三話

 捜索隊の帰港は、次の新月の晩だった。王の帰還は角笛によって告げられる。だが、疲れ切った老兵のような帆船は、その音を響かせはしなかった。

 王の骨、あるいは遺品すらも見つけられなかったのだと、船乗りたちは悲しげに告げた。

 建てられた墓碑に王の骨が埋められることはなく、このままでは王は月の船に乗れないかもしれないと誰もが噂した。そして、このままでは新たな王を戴くこともできないとも。


 グリースが議会に臨席することを希望したのは、ちょうど議員たちが偽の葬儀を執り行う計画を、本格的に考え始めた頃のことだった。


「私が探しに参ります」

 グリースは言った。

 大理石の広間の周囲には深紅の垂れ幕が巡らされ、議長席の背後にはこの港の象徴である海竜旗が掛けられている。重厚な黒の議員服に身を包んだ議員たちは、一段高くなった卓に半円状に腰掛け、グリースは証人にあてがわれる卓の前に立っていた。

「女が船に乗ることは許されぬ」

 議長であり、港の有力者としては最年長者でもあるセルバンテス伯は、皆を代表して上座の席から答えた。

「陸路を通って参ります。北の浅瀬は荷を運ぶには適しませぬが、この身一つであれば渡ることもできましょう。月が三度満ちましたら、私のことは忘れてくださって結構です」

 議会の面々は顔を見合わせ、この不遜な呪い師をどうしたものかと無言で議論しあった。

「よかろう」

 ついにセルバンテス伯が口を開いた。

「そなたに三ヶ月の時を与えよう。いつまでも王位を空にしておくことはできぬ。だが、無理矢理王を立てて海神を怒らせ、人心を乱すことも我らの本意ではない」

「感謝いたします」

 グリースは卓から一歩下がり、優雅に一礼した。老セルバンテス伯もそれに応えて立ち上がり、胸元に下げられた海神の聖印を形式的な動作で握る。

「そなたの旅に良き風と波が……」

 セルバンテス伯は言いよどみ、聖印から手を離してからもう一度口を開いた。

「そなたの旅の幸運を祈ろう」

「ありがとうございます」

 グリースは微笑を隠すようにもう一度深く頭を下げ、議会を退出した。


 議会の許可を得たその日の内に、グリースは港町を出た。わずかな食料と金銭だけを持ち、城から払い下げられた忍耐強い小柄な馬を駆って。

 海を越えて東へ向かうには、通常は船を利用するしかない。だが遠く北の浅瀬を回って渡れば、陸地を通って会戦のあった東の大地へ辿り着くことも出来ると、海から来た商人は言っていた。

 グリースは年取った灰色の馬を駆り、霧の沼地を抜け、塩田の広がる浜辺をひたすらに北へと向かう。遠く近く、行く道に並行して走る海岸線と、深い霧を通して見える太陽の方角が頼りだった。

 海へ注ぐ川も何度か越えた。馬の足で渡れないほど深く広い川は、上流へさかのぼって橋を探しもした。筏を麻縄でつなぎ合わせただけの橋も、朽ちかけた丸木の橋も、老馬は用心深い足取りで渡っていった。

 海風に捻れた松の森も氷晶石の砂地も過ぎ、半分だった月が満ちてまた欠け始めたとき、グリースはようやく朝日の下に対岸の大地を見た。


 対岸が見え始めた日の夕刻、グリースは鄙びた漁村に辿り着いた。漁師たちは冬の海の冷たさなどものともせず、捕ってきた獲物を陸揚げしている。一夜の宿を頼めるような家はないかと周囲を見回したグリースは、ふと一艘の小舟に目をとめた。

 桟橋の先に繋がれた小舟では、一人の女が網を繕っていた。グリースは桟橋の先まで馬を歩かせ、女に声をかける。

「そこの方」

 舟に乗った女は億劫そうに手を止め、振り向いてグリースを見上げた。

「あなたは、女の方ですよね?」

「男に見えるのですか?」

 女はぶしつけな疑問に不機嫌そうに答える。

「申し訳ありません。そういう意味ではないのです。私の故郷では、女が船に乗ることは許されないから」

「この村にそんな掟はありませんよ」

 女は少しだけ調子を緩めて言った。

「私も、乗ってかまわないでしょうか」

「もちろん。向こう岸までなら、馬も一緒に銀貨一枚でお届けしますよ」

「では、お願いいたします」

 グリースが懐から金貨を一枚出して手渡すと、女は打って変わって親しげな笑みを浮かべた。

 女が櫂を動かすリズムに合わせて歌う舟歌を聴きながら、グリースは対岸へ渡った。後にした陸地へと太陽は沈み、川面には灰色の霧がたなびいている。女の歌声はもの悲しいメロディを紡ぐ。

 船を漕ぐ女の腕は強く、辺りが完全に暗くなる前に対岸の漁村へ辿り着くことが出来た。

「ありがとう」

 グリースが言って微笑むと、女は馬を降ろすのを手伝いながら親密そうな笑みを返した。女は知り合いに声をかけてグリースの宿を世話すると、再び自分の村へと帰っていった。


 翌朝早く、グリースは泊めてくれた漁師に礼の言葉と宿代を渡し、漁村を後にした。

 今度は南へ向かう旅だった。長い旅路だったが、一歩進むごとに恋人のもとへ近づいているのだと思えば、それもつらくはなかった。

 不毛な東の大地を、グリースは潮風を頬に受けながら進んだ。砂と岩だらけの荒れ地には、グリースの知らない獣の骨が散らばっていた。人の住む村は少なく、ほんのわずかな食料だけで何日も乗り切らなければならない状況も少なくなかった。


 グリースが商港に辿り着いたのは、細い月が空に懸かる夕暮れの頃だった。グリースは馬から下り、まばらな人影が行き来する路地を通り抜けて商人たちが集まる宿を探した。道行く人に尋ねながら、港と街道に挟まれた一角にグリースは辿り着く。そこそこ品の良さそうな宿を見繕い、馬を預けて中に入った。

 一階が酒場、二階が宿泊室という作りになったそこでは、カウンターやテーブルで幾人かの商人が談笑していた。グリースは不自然にならない程度にゆっくりと店内を見回す。期待していた通り、故郷の港で何度か顔を合わせたことのある商人を見つけて、グリースはふっと肩の力を抜いた。恰幅の良い中年の商人は、テーブル席に陣取って機嫌良さそうにグラスを傾けていた。

「こんばんは」

 グリースが笑いかけながら許可を求めるように首をかしげると、商人も笑いながら立ち上がって正面の椅子を引いてくれる。

「どこかでお会いしましたかな?」

「ええ、私はここから海を隔てて西にある港で呪い師をしておりました」

 座り直した商人に、グリースは微笑を浮かべてそう言った。

「おお、思い出しましたぞ、確か……グリースさんでしたな」

「覚えていて下さったなんて、光栄ですわ」

 商人が差し出したグラスを受け取りながら、グリースは頷いた。

「しかし、どういったご用事でこちらへ?」

 グリースのグラスにワインを注ぎながら、商人は不思議そうに訊ねる。

「陛下の……遺骨を探しに」

「ほう」

 わずかな逡巡の後に答えたグリースに、商人は目を見開いた。

「呪い師が失せもの探しも請け負ってらっしゃることは知っとりましたが、まさかそのようなことまで……」

「今回は、陛下のことですから。商いをなさる方の中には、呪いのことはあまり信じてらっしゃらない方も多いようですけれど」

「そうですなあ……」

 戸惑ったように背もたれに寄りかかる商人に、グリースは消えかけていた微笑をもう一度浮かべる。

「ですから、戦場がどこなのか、教えていただきたいのですけれど」

 商人はグリースをまじまじと見て、やがて小さく息を吐いた。

「それは呪いでは探せないのですかな?」

「出来る限り近くまで行かなくては、存在を感じ取ることが出来ないのです。自らの至らなさを恥ずかしく思いますわ」

 グリースは答え、ワインを口に含む。

「グリースさんに限ってそのような……若くして神殿付きになられたのでしょう?」

 商人は慌てたように身を乗り出した。港の貴婦人たちの多くが、密かにグリースの庵を訪れては、占いの結果に一喜一憂しているという噂を思い出したのかもしれない。グリースがあいまいな微笑を浮かべると、商人はほっとした様子で懐から地図を取り出した。使い古されて様々な書き込みがなされたそれを広げて、商人は商港の位置を指し示す。

「ここが今、我々のいる港です。陛下が行方不明になられた戦は、ここより半日ほど南東にある、この名前のない農村付近で行われたそうです」

「村にはもう人が戻っているのですか?」

 グリースは身を乗り出して覗き込んでいた地図から、顔を上げて尋ねた。

「ええ、もうほぼ全員が戻っとるでしょう。詳しいことはその村の連中に聞けばわかると思いますがな」

 グリースはゆっくりと身を退き、商人に向けて微笑する。

「ありがとう。助かりました」

 商人も商売用の笑みを浮かべ「これからもラミレス商会をご贔屓に」と、冗談めかして一礼した。


 グリースはそのままそこで一晩の宿を借り、翌朝早くに戦場となった農村へ向かった。

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