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第十五話 神を運ぶための嘘

 会談が終わったあとも、広間の空気はすぐには解けなかった。


 大神官たちは条件付きとはいえ承認した。

 聖石は一時的に帝都へ赴く。

 祭礼は止めない。

 儀礼は整える。

 そして神を辱めない。


 言葉にすれば整っている。

 だが、その整い方がかえって現実味を帯びていた。もう夢想ではない。準備に移せる話になってしまったのだ。


 バッシアヌスは席を立ってもすぐには歩けず、その場で細く息を吐いた。


「疲れた顔してる」


 ソエミアスが低く言う。


「してる?」


「ええ。綺麗だけど疲れてる」


「褒めてるのか心配してるのか分からない」


「両方よ」


 最近そればかりだ、とバッシアヌスは思った。

 半分、両方、条件付き。

 まっすぐな祝福は、もうあまりここにはない。


 マエサはすでに次のことを考えている顔だった。


「では、形を整えましょう」


「早いね、祖母さま」


「遅いくらいよ」


「今決まったばかりなのに」


「今決まったから、すぐ動くの」


 彼女は大神官のほうを見る。


「神託により一時的に帝都へ赴く――その形にするなら、神意を示す儀が要るわね」


 大神官がうなずく。


「ええ。形式だけでは済みません。少なくとも神殿の者たちが納得するだけの儀礼は必要です」


「神託って、どうやって出すの?」


 バッシアヌスが聞くと、老神官のひとりが答えた。


「解釈します」


「……ずいぶん正直」


「神意は、たいてい人が読むものです」


 その返答に、マエサが小さく笑う。

 バッシアヌスは逆に少しだけ寒くなった。


 神託。

 それは天から降ってくる絶対の言葉ではなく、結局は人間が“読む”ものなのだ。

 だとしたら、そこにどれだけ願望や恐れや計算が混ざるのか。


「それって、嘘じゃないの」


 思わず口にすると、広間が静まった。


 ソエミアスが一瞬だけ顔をしかめる。

 大神官たちは困ったように視線を落とした。

 マエサだけがまっすぐこちらを見る。


「嘘にも種類があるわ」


「そういう言い方、嫌い」


「でも必要よ」


 祖母の声は揺るがない。


「神意そのものは、人間には完全には分からない。なら、人が読んだ形で世に示すしかないでしょう。それを全部嘘と呼ぶなら、祭礼も神託も王権も、大半は嘘でできていることになる」


「……そうかもしれない」


「そうよ」


 言い切られて、バッシアヌスは少し黙った。


 ローマへ行くための噂も、血筋の話も、兵たちが見ている幻も、みんな少しずつ真実のように使われるものだ。

 今度は神託までそうなる。


 気持ちが悪い。

 けれど、だからといって立ち止まれるわけでもない。


「でも」


 彼はゆっくり言った。


「聖石を運ぶための嘘なら、せめて綺麗なものにして」


 その一言に、大神官が顔を上げた。


「綺麗な、ですか」


「ええ。誰かを脅すための神意じゃなくて、光のほうへ向かう話がいい」


 老神官たちは互いに視線を交わす。

 マエサは一瞬だけ呆れたような、でも少し面白そうな顔をした。


「おまえは本当に、最後にそういうことを言うのね」


「だって大事でしょう」


「大事かもしれないけれど、厄介でもあるわ」


「祖母さまは、脅すほうが好きそう」


「効率がいいから」


「いやだなあ」


 ソエミアスが、思わずというふうに笑った。

 張りつめていた広間の空気が、そこでようやく少し和らぐ。


 大神官が言う。


「ならば、神はその光を帝都にも示すことを望まれたという読み方にいたしましょうか」


「いい」


 バッシアヌスは素直にうなずいた。


「それ、好き」


「好き嫌いで決めることでは……」


 老神官の一人が言いかけたが、大神官が目で制した。


「いえ。神子さまがそのように受け取れることは重要です。ローマで性格石のそばに立つのは、あなたなのですから」


 その言葉で、また胸が少し重くなる。


 そうだ。

 聖石がローマへ行くなら、その隣に立つのは自分だ。

 祈りも視線も憎悪も、全部まとめて受けるのは自分になる。


「ねえ、祖母さま」


「なに」


「わたし、今さらだけど、思ってたより大きいことしてる?」


「今さら?」


「今さら」


 マエサは小さく息をつく。


「ええ。かなり大きいわ」


「怖がっていい?」


「少しなら」


「少しだけ?」


「全部怖がっていたら進まないでしょう」


「厳しい」


「優しいわよ。おまえが進みたいと知ってるから」


 その言葉は、珍しくまっすぐだった。

 バッシアヌスは少しだけ目を見開く。祖母は彼の背を押している。利用するためでもある。けれど、それだけではないのかもしれないと、ほんの一瞬だけ思った。


 会談が散じるころには、もう次の段取りが決まっていた。


 儀礼の日取り。

 神殿内への説明。

 市中へ流す言葉。

 聖石移送の準備。


 広間を出たところで、バッシアヌスは深く息を吐いた。

 朝の光はまだ白く、神殿の柱は静かだ。なのに、自分のまわりだけがひどく速く回っている気がする。


「大丈夫ですか」


 後ろからルキウスが声をかける。


「何が」


「顔色」


「母さまと同じこと言う」


「重要なので」


「あなたまで」


 でも、その言葉に少し救われる。

 顔色。熱。歩幅。

 そういう小さな現実を言う人がいると、神だ帝都だ神託だと大きな言葉ばかりに呑まれずに済む。


「ねえ、ルキウス」


「はい」


「神を運ぶための嘘って、どう思う?」


 彼は少し考えてから答えた。


「嘘だけで運ぶなら危ういでしょう」


「じゃあ、本当も混ざってたら?」


「なら、人はそちらを信じます」


「本当って?」


「あなたが本気で石を連れていきたいと思っていることです」


 バッシアヌスは足を止めた。


 ルキウスは飾らずに言っただけだ。

 けれど、その一言は大神官や祖母の理屈より、ずっと素直に胸へ入った。


 嘘だけではない。

 本気で連れていきたい。

 それがあるから、まだ立っていられる。


「……たまに本当にいいこと言うね」


「たまに、ですか」


「そう。たまに」


 彼は少し笑った。


 神を運ぶための嘘。

 でもその芯に、自分の本気があるのなら。

 完全な嘘では終わらないかもしれない。

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