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無常堂夜話

人の嫉みの物語:中編【無常堂夜話14】

作者: 安堂登呂和
掲載日:2026/09/03

悪魔の眷属と契約を結んだ人物を特定したソラたち。その人物と接触を図るが、戻子が監禁されてしまう。戻子を助けるために動き出した仲間たちだが……。

起・『犯人』判明


 くうの結界が発動した瞬間、目の前のアパートが、ズズン!……という音と共に振動し始めた。


(……安奈がいうところの『悪魔の眷属』が、ぼくたちのことを見つけたらしいな。さて、安奈はどうするかだが……)


 空が安奈を見ると、相変わらず目を閉じたまま呪文を詠唱している。できる限りたくさんの情報を手に入れるため、ギリギリまで止めるつもりはないらしい。


(……なら、ぼくもそのつもりでいようかな)


 空は薄く笑みを浮かべて、懐から笏を取り出して、不気味に振動するアパートを睨みつけた。


「……悪魔の眷属とやら、どんな手を打ってくるつもりかな?」


 そうつぶやく空の身体は、銀色の清浄な光に包まれていた。

 その時、


『おやおや、この国にはエクソシストなんていないと思っていたんですがねぇ……でも、あたしの相手になるには百年早いようよ、お嬢さん?』


 粘っこく妖艶な声がすると、アパートの一部屋から骸骨の集団が外に出て来た。次から次へと現れる骸骨たちを50体まで数えて止めたが、まだまだアリの群れのように出てくるので、部屋そのものが異空間につながっているのだろう。


(さて、安奈はどうするつもりかな?)


「くうちゃん、逃げるわよ」

「それがいい。出直そう」


 空はうなずくと、しゃくを目の前にかざし、


「じゃ、『縮地』を使おう。安奈、ぼくの手を握れ」


 そう言って左手を安奈に差し出す。安奈は少し躊躇したが、


「……お、お願い」


 空の手をしっかり握って言った。


『お待ち。せっかく来たんだ、少し遊んでお行きよ』


 その声と共に、骸骨の集団が空の結界目がけて飛び掛かって来たが、その前に空と安奈は『縮地』の狭間に消えた。


 二人が姿を現したのは、月詠神社の境内だった。


「ごめんくうちゃん。ちょっと偵察するだけのつもりが、イシュテリアに見つかっちゃった。これであいつ、ガードを固くするに違いないわ。

それに、退魔師が出張って来たと分かったら、ことを急ぐ可能性だってある」


 青い顔で謝る安奈に、空は静かに首を振って言った。


「それは想定内だったろう? 魔導書の在処ありかが分かったのなら、あの部屋の住人だって判るはずだ。誰が魔導書を持っていて、どんなことを悪魔に依頼したか、誰を狙っているかを調べよう」


「でも、依頼人の願望や標的なんて、依頼人と接触しなければ分からないし、そもそも会ってくれるかだって怪しいんじゃない? どうするの、くうちゃん?」


 安奈が途方に暮れたように言うと、社務所から薄紫の留袖に臙脂色の帯を締めた女性が現れて言う。


「我が背よ、狙われているのは二人。一人は一条戻子殿のご学友、もう一人は一条殿を巻き込んだ男性です」


瀬織せおり川津媛かわつひめさま!」


 その女性を見た途端、安奈は空からパッと離れ、ピンと背筋を伸ばした。表情が強張っている。


 川津媛は、安奈を涼やかな目で見て薄く笑い、


「……私が姿を見せたら我が背から離れるとは、ちゃんと立場を弁えているようですね。今回の異国の妖、どのような手合いでしょうか?」


 そう訊くと、安奈ははきはきと答える。


「悪魔の一種、夢魔リリスの手下でイシュテリアという眷属です。配下には髑髏軍団を13個持ち、リリス配下の中では中等程度の地位に居ます。

魔導書『イシュタルのくびき』を手に入れた人間が呼び出したものと思われます。発現時期はここ2週間程度だと考察しています」


 安奈の答えを聞いて、空は首をかしげる。それを見た川津媛は、いぶかし気に訊いた。


「我が背よ、何を戸惑っておられるのですか?」


 空は安奈を見て、確認するように訊く。


「安奈、そのイシュテリアという眷属、お前の『悪魔大全』に載っているのか?」


 すると、安奈は首を振って答えた。


「ううん、『悪魔大全』には載っていないよ? ただ、うちらの教会がまとめている『識別表』に、ここ1・2年前に追加された奴なんだ」


「……不思議だ……ぼくは『イシュタルの軛』という魔導書も、イシュテリアという悪魔の眷属のことも聞いたことがなかった。近年確認された魔物というわけだね?

じゃ、その魔導書は誰が作って、どうやって世に放ったかだな……。

その謎は追々解明するとして、まずは貴家さんに話を聞く必要がありますね」


「悪魔は耳がいいから、うちらの領域で話を聞いたがいいと思うよ? その貴家さんって子、この神社に呼び出せない?」



「そういうことで、うちをここに呼び出したっちゅうわけか。よかったな戻子?」


 鏡子が私に向かって言う。月詠神社の社務所に呼ばれたのが鏡子だったので、最初私は


(なぜ鏡子が?)


 と戸惑ったが、瀬織川津媛命という女神が仰った言葉を思い出し、


(これはきっと、私が巻き込まれた事故に関係するんだ)


 そう、想像がついた。だから鏡子が言うように『よかった』とは、到底思えなかった。


「ううん、よくない。私は鏡子が名指しされたことで、余計に鏡子のことが心配になった」


「それ、どういうことや?」


 鏡子が不思議そうに言う。


「前に『無常堂』に行った時、瀬緒里さんが言ったこと覚えている?」


 私が言うと、鏡子は首を振った。


「うんにゃ、覚えとらへん。瀬緒里さんなんて言うとったんや?」


「……瀬緒里さんは私に『事件が解決するまで、友だちと同一行動はしない方がいいかもしれない』って言ったんだ。その時はどういうことか判らなかったけれど、そのすぐ後に迚母とても先輩と会って、自動車に轢かれそうになったでしょ?」


「そう言えばそうやったなぁ」


「それに、迚母先輩が飛び降りる前、『頭の中に『あの金髪の女の上に飛び降りろ!』って声が響いた』って言っていたでしょ? それはつまり、鏡子、本当はあなたの上に飛び降りるつもりだったってことにならない?」


「せやなぁ。せやけど、なじょしてうちがあの先輩から命を狙われなあかんのかなぁ?」


 鏡子が不思議そうに言った時、


「いや、鏡子さんを狙っているのは迚母というあの学生ではない。迚母くんを狙っている人間から、別の理由で狙われているんですよ」


 そう言いながら、白髪だらけの天然パーマ、丸顔で人懐っこい顔……ソラさんが奥の部屋から姿を現した。


「別の誰かが鏡子を狙っているんですか!? 一体誰が!?」


 私の声が思わず大きくなる。ソラさんはいつもに似合わず真剣な顔で、


「説明するから、奥の部屋について来てくれませんか」


 そう言いながら私たちを奥にある8畳の部屋に案内する。そこにはいつもの瀬緒里さんと……


かんなぎくん!? え、どうして巫くんまで?」


 もさもさの髪の毛に半ば隠れた黒縁眼鏡の男の子が、身体を縮こませて座っていた。同じ1年生で法学部の巫守人くんだった。


「彼には……というより彼に憑いた四辻之よつじの巌命いわおのみことに、ちょっと調べてもらったんだ。わざわざ迚母くんを操ってまで鏡子さんを襲わせる予定だったってことが気になってね?」


 ソラさんが巫くんを見る。巫くんはうなずくと、ゆっくりとしゃべりだした。


「ぼ、僕はあの一件以来、戻子さんを陰ながら見守って来ました……」


「……ってことは、アンタまだストーキングしてるんか!? あんだけ山本パイセンから釘刺されとったやないかい!」


 話の途中で鏡子が巫くんを睨みつける。気の弱い巫くんは、鏡子に睨まれ、身体を縮こまらせて黙り込んでしまった。


「きょ、鏡子、まずは最後まで話を聞いてみよう?」


 私が言うと、鏡子はチッと舌打ちして、巫くんを脅す。


「おら、早う話したらんかい!」


「は、はい……で、僕はここ一月ほど戻子さんの後を誰かが付け回していることに気付いたんです」


 巫くんがそう言って私を見る。でも、私は謎のストーカーどころか、巫くんが私のことを見守ってくれていること自体気付いていなかった。


「……そうなんだ。私ちっとも気付かなかったなぁ。鏡子は? 何か感じてた?」


 私が訊くと、鏡子も首を振って、


「うんにゃ。うちは確かに誰かが付け回しとる気配は感じとったけど、二人とは思わへんかったなぁ。てっきりこいつがまた付け回しとるんかと思って。証拠押さえたらボコボコにしてやらんとあかんなって思っとったんやけど」


 そう、物騒なことをのたまう。巫くんは「ははっ」と苦笑し、続けた。


「……その男の顔は見えませんでしたが、理系キャンパスから来たことは判っています。

こっそり後をつけたら、応用化学科がある棟に入って行きました」


「応用化学科……って、迚母先輩も確か応用化学科だったよね、鏡子?」


「ああ、せやな。ちなみに巫、アンタは応用化学科4年の迚母先輩は知っとる? その先輩やないやろうな?」


 鏡子の問いに、巫くんは明確に首を振って否定した。


「いや、迚母さんなら僕も知っているけれど、あの先輩みたいに痩せてはいなかった。

どっちかって言うと筋肉もりもりマッチョマンって感じだった」


「そうかぁ……でも考えてみたら、迚母はんだって被害者やったなぁ。まぁ、迚母はんが戻子に恋慕した挙句、自殺の道連れに戻子の上に飛び降りた……っちゅうなら別やけど」


「でも、先輩ははっきりと『頭の中で声がした』って言ったし、その声が指定した飛び降り先は鏡子だったじゃない?」


 私が言うと、鏡子はふっとニヒルに笑って言う。


「……戻子。アンタは人が良すぎるで? 迚母はんは失敗してもうたから、責任を軽くするため『声が聞こえた』なんて嘘ついとるかもしれへんやん?」


「うわぁ、ひねくれた考え方だぁ……」


 思わず小声で言う巫くんを鏡子はキッと睨みつけ、


「何やてオラ!? 喧嘩なら買うで!?」

「ひいいっ! 何でもありませんん~」


 巫くんを威圧して黙らせた。


 その時、黙って話を聞いていたソラさんが、不意に笑みを浮かべて言った。


「……なるほど、動機の一つは戻子さんでしたか。だったらつじつまが合う」


「なんやソラさん。犯人分かったんか!?」


 鏡子が言うと、店の裏口から真っ白の髪をした若い女性が入って来て、


「くうちゃん、あのアパートの部屋、誰が借りているか判ったよ♡ うえっ!?」


 そう言いながら私たちがいる部屋に入って来て固まった。


 ソラさんは慌てもせずにその女性を見て、


「よくやったな安奈。今ちょうど関係者から話を聞いていたところだ。先ずは座ってくれ」


 そう言う。その女性は、私たち、とくに私をガン見しながらソラさんの隣に座る。


『戻子、あれ誰やろ? ソラさんに向かって『くうちゃん』とか馴れ馴れしい態度やな』


 鏡子が私にそう耳打ちするが、私はソラさんを『くうちゃん』と呼ぶ彼女が、何故私をガン見しているのかの方が気になった。


「安奈、向かって右から巫守人くん、貴家鏡子さん、一条戻子さんだ。

一条さんたち、こちらは僕の従妹で来栖安奈くるす・あんなだ。彼女は司祭で退魔師でもある。今回の件で協力してもらっているんだ」


 私はソラさんの紹介を聞いて、


(へぇー、安奈さんって、歳は私たちとあまり変わらないように見えるのに、いわゆるエクソシストなんだ。やっぱりソラさんの周囲には、『普通』の人ってあまり……というかほとんどいないなぁ……)


 そんなことを思っていたのだが、安奈さんは私を見てツンッとするとソラさんに甘えた声で言った。


「ね()()、くうちゃん。うち、ちゃんと調べて来たんだからぁ、頭なでなでしてぇ~♡」


 するとソラさんは呆れたような顔で、


「あのな安奈、今大事な話をしているんだぞ? まずは、お前が調べてきたことを教えてくれ」


 バッサリとそう言って安奈さんを引きはがした。


 安奈さんはムッとした顔をしたが、さすがにソラさんに口答えなどせず、


「今回の事件には、イシュテリアという悪魔の眷属が関係しています。この眷属を呼び出す魔導書を持っているのは、S大学工学部応用化学科4年生の根田見益大ねだみ・ますたっていう子だよ。関係者の迚母優秀さんと同じ、茂武教授の研究室に所属しています」


 すらすらと説明する。なんと、犯人は迚母さんと同じ研究室にいたなんて、まさに、


「まさに『東大デモクラシー』やな戻子。けど巫のアホんだらが尾行けた男も応用化学科の建物に入ったっちゅうから、その『妬みました』っちゅう先輩に違いあらへんな」


「うん、私もそう言おうと思ってたんだ。でもそれ、『灯台下暗し』だよ?」


「とにかく、事件の大本になる人物は判りました。これ以上、あなた方に被害が及ばないようにするために、解決に向けて動き始めましょう?

安奈さんの話では、その悪魔の眷属とやらも、ことを急ぐ可能性が高いということですので」


 私たちの話を聞いていた瀬緒里さんが、微笑を浮かべながらそう話を締めくくった。


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


承・悪魔との『契約』


 というわけで、その日から私と鏡子は、月詠神社の社務所で寝起きすることになった。


「……戻子と二人きりやったら、うちの思い描いてるシチュなんやけどなぁ」


 鏡子が、目の前に座って本を読んでいる安奈さんを見て、小声で言う。


「仕方ないじゃありませんか。狙われているのはあなたで、しかもその理由となっているのが一条さん。となると、悪魔の眷属の目が届かない場所でお二人をセットで守るのが合理的ですから」


 安奈さんが本を読みながら言う。鏡子は結構な小声で言ったのに、安奈さんって耳が良いんだ。


「げっ、聞こえてたんかい?」


「ええ、うちは地獄耳ですので。その気になれば、『無常堂』でくうちゃんが瀬緒里さんとキャッキャウフフしているのも聞こえますよ? あー、憎たらしい」


「え!? やっぱりソラさんと瀬緒里さんはそないな関係なんや?」


 鏡子が目を輝かせて聞くと、安奈さんはむすっとした顔のまま訊いて来る。


「あの、貴家さんと一条さんは、瀬緒里さんが何者かは知っていますか?」


「えーっと、私に『瀬織せおり川津媛命かわつひめのみこと』って名乗ったので、神様なんですよね? 信じられないけれど」


 私が答えると、安奈さんはうなずいて、


「はぁ、御神名を名乗るってことは……そっかぁ、一条さんも瀬緒里さんに『恋敵ライバル認定』されちゃったかぁ」


 そうつぶやくと、真面目な顔で、


「これさ、夢物語でも、うちやくうちゃんの妄想でもないから。それだけは信じて?」


 そう言う。あまりに切ない顔だったので、私も思わずうなずいた。


「くうちゃんってさ、月詠命ツクヨミノミコト様に気に入られているんだよね。で、くうちゃんの呪禁は、月詠命様が直々に教えてくれたんだって。

その縁で、瀬緒里さんを紹介されて……で、神婿になっちゃったってわけ。瀬緒里さんも、もともとからくうちゃんを気に入ってたみたいでさ、今は好い仲……」


 その先を口にするのが苦痛といった安奈さんの表情で、私は気付く。


「……安奈さん、ソラさんのことがずっと好きなんですね?」

「え!?……ええ、まぁ、その……」


 赤くなってもじもじする安奈さんは、最初見た時のようなツンケンとした雰囲気はどこにもなく、まさに普通の『恋する乙女』って感じだった。


 私の言葉を聞いて、鏡子がびっくりしたように叫ぶ。


「おお、戻子が他人ひとの恋心を分かるなんて! 成長したなぁ戻子ぉ!」


 なんかシツレイなことを言っている親友のことはほっといて、私は安奈さんの手を握って言った。


「だったら、私、安奈さんのこと応援します! 瀬緒里さんは確かに綺麗だし、スペック高いと思いますけど、安奈さんだって負けてません!」


「え、えっ!? でも、一条さんだってくうちゃんのこと」


 戸惑いながら照れる安奈さんも可愛いなぁ♪


「私も、ソラさんは素敵だなって思いますけど、どっちかって言うと『お兄ちゃん』って感じなんです。それに私って、恋愛感情がよく分かんないんですよ。

だから、お姉ちゃんのような安奈さんを応援します」


「せやせや♪ 戻子はうちのもんやからな♡ 戻子がそう言うなら、うちも安奈さんを応援するでー☆」


 そう言っていた時、急に社務所の玄関が開いて、


「誰が誰を応援するって?」


 のほほんとした声でそう訊きながら、ソラさんが入って来た。後ろには例によって例にもれず、瀬緒里さんが正妻然として付き従っている。


「あ、うん、何でもないんだ。で、くうちゃん、いよいよかな?」


 安奈さんが慌ててその場を取り繕い、強引に話題を変える。ソラさんは不思議そうな顔をしたが、すぐに真面目な表情に戻り、


「あ、うん。根田見益大を見張っていたが、彼は『イシュタルの軛』を持ち歩いていないことが分かった」


 そう言う。安奈さんは考え込む顔になった。


「……根田見って人が『イシュタルの軛』を持っている時じゃないと、悪魔祓いをしても意味ないんだよなぁ。魔導書だけ祓おうとしても、魂持ってかれちゃったら失敗だし……」


 ぶつぶつとつぶやく安奈さんの言葉を聞いて、私はふと思ったことがあった。


「あのう、その根田見って先輩、私のことが好きなんですよね? だったら、私がオカルト方面に興味があって、叶えたい願いがあるって噂を流してはどうでしょう?」


「なるほどね。根田見は一条さんに近付いて来るわよね。その時、『イシュタルの軛』を見せてもらう約束をするって寸法ね?」


「さすがは安奈お姉さん、私の考えを見事に先読みされました。どうでしょうソラさん、これ、上手く行くと思いませんか?」


 私がソラさんに訊くと、ソラさんは少し何かを考えていたが、


「……そうすればいいか」


 一言ぽつりとつぶやいた後、安奈さんに言った。


「魔族イシュテリアもことを急ぐだろうって話だから、安奈にその作戦の実施を任せるよ。ただ、安奈もそうだが戻子さんも鏡子さんも、無茶はしないでほしい」


「分かった。じゃ、早速作戦にかかろうか。一条さんと貴家さん、それに巫くんは、うちの教会に来てくれない?」


 私たちが立ち上がって、安奈さんについて行こうとするのを、ソラさんが


「あ、巫くん。君に相談がある。ちょっと残ってもらえないか?」


 そう言って巫くんを引き留めた。


「ソラさん、巫くんに何の用事なんだろう?」


 私が言うと、安奈さんが意味ありげに笑って言った。


「そりゃあ、一条さんの件に決まってるじゃない。『オレの女に手を出すな』ってね♡」



 何か一条さんや安奈さんは勝手なことを言っておりますが、我が背がそのようなことを言うはずもありません。


 実際には、我が背は巫という青年ではなく、彼に憑いた賽の神・四辻之巌命に用事があったのでした。


「それで、僕と巌に、一条さんたちを見守ってほしいと?」


 巫という青年は、そう言って目を輝かす。私には、その後ろにいる四辻之巌命が、張り切って腕を撫でているのが見えていました。


 我が背はうなずくと、優しさと威厳が籠った目で巫青年を見て、


「うん。ぼくが四六時中、戻子さんを見守っているわけにはいかないし、何よりイシュテリアとかいう悪魔の眷属に対応しなければならない。

だから、君に頼みたいんだ。何しろ相手はこの世の者ならぬモノたちだからね」


「おい、川津媛の婿殿、そんなこと言って巫の坊主に体よく危ない橋を渡らせようって魂胆じゃねえよな?」


 隣に顕現した巌命が、腕組みをして我が背に突っかかって来るが、私が睨んでいるので実力行使はできないようでした。


 我が背は、そんな巌命の脅しにも似た態度にも無反応で、


「危ない橋かもしれない。だが、人外のモノが関係していると分かっている以上、そなたのような神が守っている人物にしか頼めないことだ。

巌命も、何度か戻子さんや鏡子さんを守っているだろう? その力をお借りしたいんだ」


 そう言って、今度は巌命に視線を合わせる。


 巌命は、しばらく我が背と睨み合っていたが、


「……はっ! そうまで頼られちゃしかたねえ。俺様だって神の端くれ、川津媛命を崇拝する者だ。人助けになることなら嫌とは言わねえよ」


 巌命がそう言って胸を張る。私は微笑んでうなずいた。


「ずいぶんと神らしくなってきましたね? この分では、あなたが思うより早く神徳を垂れることができるようになると思いますよ?」


「そ、そうですかね? ははっ、川津媛命からそう言われたら、なんだか嬉しいな。

よし、俺様もしっかり頑張るから、巫の坊主も頑張るんだぞ!」


 バチィィンッ!

「あ痛っ!」


 上機嫌な巌命は思いっきり巫青年の背中をどやした。巫青年は痛さに声を上げ、顔をしかめたが、それでもうなずいて我が背に約束した。


「分かりました。化野さんの期待に沿えるように頑張ります!」



 次の日、私と鏡子がいつものように学食でご飯を食べていると、


「ここ、いいですか?」


 そう言って、爽やかな男性が声をかけて来た。鏡子は周囲をサッと見回し、学食が混んでいるのを確認すると、


「かまへんで。困ってるときはお互い様やからな。戻子もええやろ?」


 そう訊きながらウインクしてくる。私もうなずいて答えた。


「はい、どうぞ」


「助かったよ。やっぱり理系キャンパスからじゃ学食が遠くて困るなぁ」


 爽やか青年は、そう言いながらA定食が載ったトレイをテーブルに下ろすと、サッと座る。動作がきびきびしていて、物言いも柔らかく、この人物が鏡子や迚母とても先輩を悪魔の餌食にしようとしているなんてとても思えない。『とても』だけに。


「理系キャンパス? 先輩は理系なん?」


 すかさず鏡子が話しかける。小学校から高校まで『陽キャ』で通って来た鏡子だ、その圧倒的なコミュニケーション能力はさすがと言える。『貴家さすが鏡子』なだけに。


「ああ、俺は工学部応用化学科なんだ。いつもは喫茶店で昼飯を食べるんだが、どこも満員でね? 講義が長引いたせいで、お昼を食べ損なうところだったよ。ありがとう」


 そう言って彼は白い歯を見せて笑った。


「それは大変やなぁ。うち、人文学部1年の貴家鏡子言うねん。先輩の名前を教えてんか?」


 鏡子が人定質問にかかった。青年は私の顔をちらちら見ながら、


「これはどうも。俺は4年生の根田見益大ねだみ・ますた。よろしく」


 そう自己紹介する。


「私は人文学部の一条戻子です。よろしくお願いいたします。根田見先輩」


 私が笑顔と共に言うと、根田見先輩は少し頬を赤くして、臆面もなく言ってきた。


「こちらこそよろしく。それにしても君は綺麗だね。ぶしつけな質問だが、彼氏とかいるのかな?」


「センパイ、いきなり彼氏の有無を尋ねるんはセクハラやで……って固いこと言わんでもええか。戻子はフリーで、彼氏募集中や。そうやったな戻子?」


「鏡子、そんなこと、誰彼構わず言うようなものじゃないでしょ?」


 そこまで話が進むと、根田見さんは下心丸出しで私たちに色々なことを質問してきた。


 もちろん、住所や本当の連絡先は教えなかったが、私が西洋魔術に興味があり、特に悪魔関連の書物をレポートの題材として探している……ってことを吹き込むことに成功した。


 そういうことを安奈さんに報告していたら、私のスマホにメールの着信があった。このために作成した捨てアドレスに、見事、根田見さんが釣れたのだ。


『俺は『イシュタルの軛』という魔導書を手に入れたんだけれど、一条さんのレポートに役立つかもしれない。現物を見せてあげるし、内容も解説してあげるから、一度どこかで会えないか?』


 という内容だった。


「すごいわ戻子ちゃん! やっぱ色仕掛けってサイコーね!」


 安奈さんが興奮して叫ぶ。


「はい。お役に立てたのは嬉しいんですが、なんか言い方が気になります」


 私はちょっと不服気に言うが、安奈さんはニコニコして私のスマホを受け取り、


『わぁ♪ ありがとうございます! 嬉しいです。いつ見せていただけますか?』


 そう勝手に打ち込んで返信した。


「あのぅ、返信前には私にも見せてください。返信内容を知っておかないと、会った時にバレちゃう可能性がありますから」


「あ、ごめんごめん。上手く行ったと興奮しちゃってつい♪」


 私たちがそう言い合っているうちに、またもやメールが着信する。早っ!? ひょっとしたら根田見さんって、私のメールをそんなに待ちわびているのかな?


 安奈さんが私の許可もなく、メールを開いて読み始める。


「どれどれ……『喜んでもらって嬉しいよ。では、明日、商店街の『珈琲猫カフェにゃん』で10時に落ち合おう』だってさ。思いの外トントン拍子にことが進むわね。やっぱこいつってば、戻子ちゃんにべた惚れなんだねぇ~♪」


 安奈さんはそう言いながら私にスマホを返し、


「じゃ、うちは事の次第をくうちゃんに報告して、明日の役割分担を決めるわ。最終的な打ち合わせをしたいから、8時半にうちの教会に来てもらっていいかな?」


 そう言い、私たちがうなずくのを確認するとにこりと笑った。



「つ、ついに、ついに戻子さんと約束を取り付けたぞ……明日はどんな話をしよう。いや、『イシュタルの軛』の説明はしなきゃいけないが、このチャンスをただそれだけで終わらせていいはずがない。うむ、どうしたものか……」


 根田見は、町の西側にある彼のアパートで、興奮して独り言を言っていた。


 そこに、


『男の独り言は気持ち悪いわよ? 何か良いことがあった?』


 海の波のような髪の毛をした、妖艶な美女が姿を現した。根田見は彼女を見るとニコニコ顔で報告する。


「ああ、イシュテリアか。喜んでくれ、君のおかげで戻子さんと二人きりで会う約束が取れたんだ。さすがは悪魔リリスの眷属だな、こんなに効果があるとは思わなかったよ」


 するとイシュテリアは、眉を寄せて訊き返す。


『今、一条戻子と会う約束が取れたって言ったかしら?』


「ああ、彼女からレポートの参考文献について相談を受けてね?『イシュタルの軛』を説明するってことで会うことができるんだ」


 するとイシュテリアは、深い海の色をした瞳を輝かせ、根田見を質問攻めにする。


『一条戻子と約束を取り付けるまでの経緯を教えてちょうだい。どうやって知り合ったか、レポートの参考文献についてはあなたと一条戻子、どちらが魔導書を指定したか、そんなところを詳しくね』


 根田見は、学食で自分から声をかけたこと、戻子の方から『魔導書の類を探している』と言ってきたことなどを詳しく話した。


『そう、あのエクソシストが絡んでいるのね……だったら、相手の策略を使って相手を罠にはめましょうか』


 イシュテリアはにんまりと笑って小声でそうつぶやくと、根田見に言った。


『……おめでたいことだわ。そしてあなたはまさか、せっかくのチャンスをただ魔導書の説明だけで終わらせるつもりじゃないでしょうね?』


 根田見は赤くなりながらも首を振り、


「いや、俺もせっかくのチャンスを生かしたい。イシュテリア、どうすればいい? 俺は彼女をぜひとも手に入れたいんだ」


 そうすがるように訊く。イシュテリアは片方の口角だけを上げ、1本のカギを手渡しながら答えた。


『あなたのために、特別な場所を準備してあげるわ。明日、アタシが指定する部屋に彼女を連れ込みなさい。そこなら、我が主たるリリス様のご加護を受けられるわ。

明日、彼女を好きにできるかもしれないわよ?』


「本当ですか!? ああ、悪魔とはなんて素晴らしいんだ!」


 狂喜して鍵を受け取る根田見に、イシュテリアは笑って注意した。


『ただし、我が主のご加護を受けるためには、『イシュタルの軛』を絶対に他人に触れさせないことが重要よ? それは忘れないでね』


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


転・囚われた女神


 次の日、私と鏡子は指定された時間に安奈さんの教会を訪れた。


「いよいよ今日、『イシュタルの軛』を浄化して悪魔の眷属を追っ払うわ。鏡子さんと巫くんがあなたの後をついて行くから極力後ろを気にしないようにしてね? 相手だってイシュテリアが見張っているだろうし、気取られたら厄介だから」


 私は安奈さんからそう言った注意を受けて、約束した10時より少し前に喫茶店『珈琲猫カフェにゃん』に入った。


「ああ、戻子さん。こっちですよ」


 私の姿を見て、根田見さんが奥の席から手を振る。私は早足でボックス席まで歩くと、


「すみません、お待たせしました」


 そう会釈して相手の向かいに腰かける。


 根田見さんは機嫌よく、


「いやいや、俺も今来たところさ。しかし昨日もそうだったが、一条さんって本当に美しいね。ミスコンに出てみればいいのに。俺は君に投票するよ」


 そんな恥ずかしいことを堂々と口にする。


 一見すると自意識過剰で俺様気質なのかな? とも思えたが、言葉や態度の端々に自信のなさや卑屈な部分が見えたので、内心は真面目で小心者なのかもしれない。


「ふふっ、美しいなんて、そう言われると冗談でも嬉しいです」


「いやいや、俺は冗談は言わないんだ。美しいものは美しい、思ったことをそのまま口に出しただけさ」


 ……そんなことをサラッと言うなんて、この人、思ったより遊んでいるのかもしれない。なんか、女の子の扱いにも慣れているし。


 私は、巫くんのおどおどした態度を思い出し、


(巫くんみたいな男の子のほうが、擦れていないっていうか、好感は持てるな。まぁ、やってたことは怖いし、きもかったけれど)


 そんなことを考えていた。


「それでさ、約束の魔導書の件だけど……」


 根田見さんはすまなそうに頭をかくと、思い切った感じで提案してきた。


「……実は、その魔導書をくれた方が、一条さんに会ってみたいって言ってるんだ。魔導書の説明もしてくれるそうだし、一緒に行ってみないか?」


 私は予想外のことにちょっと首をかしげる。打ち合わせでは、根田見さんが魔導書を持ってきているか確認し、持ってきていれば後ろにいる鏡子たちに合図を送る手はずになっていたのだけれど……。


「あのぅ、魔導書は今、お持ちじゃないんでしょうか?」


 私が訊くと、根田見さんは残念そうに首を振って、


「いや、それがその方に預けているんだ。どちらにしても、彼女のところに行かないと『イシュタルの軛』は見られないんだ」


 そう言う。けれど今、根田見さんは『彼女』って言った?


「あのぅ、ひょっとして彼女さんの所なんですか? じゃあ、私が行ったら変な勘違いされないでしょうか?」


 そう言うと、根田見さんは慌てて顔の前で手を振り、


「いやいや、その意味の『彼女』じゃないから。どっちかって言うと俺にとって『師匠』って感じかな? 魔導書についていろいろ教えてもらったからね。

それに、君を連れて来いって言ったのは彼女だし、変な勘違いなんて起こらないさ。会ってみると、きっと君も彼女のことは気に入ると思うよ?」


 そう誘ってくる。


(これは困った。てっきりこの場所に魔導書を持ってきているもんだとばかり思ってたから、こんな場合の合図を決めてない……どうしよう……)


 私は迷ったが、でも安奈さんの話では、『イシュタルの軛』って魔導書から呼び出されるイシュテリアって、すんごいヤバい奴みたいだし、鏡子も守ってあげたいし……。


「……そうですね。先輩がそれほど勧めてくださる方なら、かなり魔導書に詳しいお方でしょうし」


 私がそう言うと、根田見さんの顔には安堵と期待が膨らむのが感じられた。



 その頃、戻子と根田見を見張っている鏡子と巫は、顔を寄せてひそひそと話をしていた。


『どないしてん戻子? さっきから困ったような顔で黙ったまんまやで?』


『……根田見さんが魔導書を持って来ていないんじゃないかな? ひょっとしたら、『俺の部屋で見せてやるよ(ボロン)』って感じなのかも?』


『なんやねんそれは!? きっしょいやないかい!……てか、考えてみればアンタも戻子のストーカーやったな。ストーカーはストーカーを知るっちゅうんか?』


『いや酷っ!? でも、僕の経験から言うと、絶対あの男は戻子さんをお持ち帰りしようとしているよ? 貴家さん、どうしよう?』


 巫はちらりと根田見を見て、心配そうに言う。


『どないしようっちゅうたかて、戻子は奥手やさかい断るんちゃうか? 断ったうえで、『魔導書持って来てくれたらまた会います』って駆け引きせんといかんやろなぁ』


 鏡子がそう言った時、戻子が立ち上がった。続いて根田見も立ち上がり、二人で喫茶店を出て行ってしまった。


「……嘘やん。戻子がお持ち帰られとんやないか?」


 茫然と鏡子がつぶやけば、巫は青くなって立ち上がり、


「ぼ、僕の女神さまを守らなきゃ! 貴家さん、尾行けよう! それしかない!」


 鏡子をそう急かす。


 鏡子はスマホを取り出すと『無常堂』へと電話を架けた。そしてそのまま、巫と共に喫茶店を出たが、その時には戻子たちの姿を見失ってしまっていた。


「……あかん。見失ってもうた……」


 茫然とつぶやいた時、電話に瀬緒里が出た。


『はい、ありがとうございます。『無常堂』です』



 私は鏡子たちがついて来てくれていることを信じて、根田見さんの『師匠』がいるという一軒家に向かうことにした。しかし、喫茶店から北西に向かうと、だんだん家は少なくなる。この方面は山手で、あまり開発の手が加わっていない。


 30分も歩くと、すっかり家並みは途切れ、山間の休耕田が見えるばかりになってしまった。マズった、これは私、貞操の危機かも……。


「……根田見さん、本当にこっちの方角に家なんてあるんですか?」


 私が恐る恐る聞くと、根田見さんは機嫌よくうなずいて、


「もちろんだよ。彼女は自分で『人間嫌い』と言っているから、家もこんな辺鄙な所に建てているみたいだ。俺だって最初お邪魔した時は『こんな所に家なんてあるのか?』って思ったからね。心配は解るよ」


 そう言いながら、歩道もない1車線の道路を歩いていく。


 ただ、幅員は狭いとはいえ舗装されており、路面には落石もなく、左右の雑草もきちんと刈られている。ということは、この道路は生活道路か林業で頻繁に使われていることを示していて、その点では根田見さんの言葉の裏付けにはなる。


「もうすぐ着くよ」


 根田見さんがそう言って、急な右カーブを曲がる。すると右手にちょっとした広場があり、そこに1軒の家が建っているのが見えた。2階建てで、まだ新しい。建築後1年も経ってはいないみたいだ。


 道なりにフェンスが建てられていて、庭の様子は判らないが、門を過ぎるとイギリス庭園のように管理された庭が現れた。ここに住んでいる『師匠』とかいう女性は、人間嫌いではあるが草花は好きらしい。それは手入れが行き届いていることから分かる。


 この庭を見て、私は油断してしまった。ソラさんや安奈さんが言っていた『悪魔の眷属がいる』という言葉を今こそ思い出すべきだったのだが……。



「あなたが根田見くんから聞いていた子ね? お会いしたかったわ」


 私たちがその家を訪ねると、中から20代後半?に見える女性が出て来た。軽くウェーブがかかった栗色の髪、黒目勝ちで大きな目、つやつやした唇……美人さんだった。


(うわぁ、鏡子が見たら一発で惚れちゃうだろうなぁ。瀬緒里さんとどっこいどっこいって感じだぁ……)


 私の第一印象は『優しそうで、きれいなお姉さん』だった。


 実際、彼女……伊須弖莉亜いす・てりあさんは、魔導書だけでなく中世の魔女や悪魔について、びっくりするほどの知識を持っていた。


(うん、悪魔学や魔術関連の分野なら、ソラさんにも負けてないかも)


 そう思いながら、興味深く彼女の話を聞いていたら、思わぬほどの時間が経ってしまっていた。


「あ、もうこんな時間なんですね? すみません、長居しちゃって」


 私がそう言って席を立とうとしたとき、伊須さんはにこりと笑って根田見さんに言う。


「そういえば益大くん、あなたに『イシュタルの軛』を返さなきゃいけなかったわね?」


「あ、そうでしたね」


 そう言うと、伊須さんは席を立ち、別の部屋から1冊の本を持ってきた。想像していたよりも見た目は新しく、そして結構大きい。A3サイズはありそうで、厚さも10センチはありそうだ。


 装丁は革でできているようで、極彩色と言ってもいいほど美しい。


「この魔導書、すごく正確に筆写してあるわね。それにわざわざ羊皮紙に手書きで写してあるから、製作にはかなり時間がかかったはずよ」


 伊須さんは、私にもよく見えるように本を傾けて、根田見さんに手渡しながら言う。


「それ、古書じゃないんですか?」


 私が訊くと、根田見さんはうなずいて、


「隣の市にある『Juon』って店で手に入れた。店主は結構人脈が広いようで、取り寄せで頼めば結構入手難易度が高いものでも手に入れられるみたいだ」


 そう答えてくれた。うん?『Juon』?……どこかで聞いたことがあるような?


 私はちょっと引っ掛かりを覚えたが、伊須さんが、


「せっかく来てくれたんだし、一条さんとは話が合って楽しいわ。晩御飯を食べて行かない? 益大くんもどうかしら?」


 そう誘われたことで、頭の片隅に追いやられてしまった。


「え、御迷惑では?」


 私は今さらながら、鏡子たちが心配しているのではないかと思った。今日の私の任務は、『イシュタルの軛』を根田見さんが持っていることを確認し、ソラさんや安奈さんに伝えることだったのをすっかり忘れていたのだ。


 しかし、伊須さんから素敵な笑顔で、


「別に迷惑じゃないわ。あなたは話していて楽しいんだもの。じゃ、せめてお茶だけでも付き合ってもらえないかしら?」


 そう言われたら、断ることが出来なかった。



 そして、私が目を覚ました時、私は完全に罠にはまってしまったことを悟った。ベッドから起き上がった私は、焦って周囲を見回す。窓がないからここは私の部屋じゃない。鏡子の部屋でもない……そもそも、私はお茶の途中からの記憶が一切ない。


「……やっちゃった。私、どうなるんだろう?」


 私は思わずつぶやいたが、ベッドはふかふかで、部屋は明るかった。それに私の着衣にも乱れはなかったので、ヘンなことはされていないようだ。今のところは……。


 そこに、根田見さんがドアを開けて入って来て、私が起きているのを見ると狼狽したように


「ああ、起きていたんだね? ノックもなしに入ってごめん。まだ寝ていると思っていたから。これ、伊須さんが作ってくれたスープだ。お腹が減っていないかい?」


 そう言いながら、部屋の中央にあるテーブルに、湯気の立つお皿を載せる。


「あ、あの……私、長くお邪魔しちゃったから、もう帰りたいんですけど……」


 おずおずと言うと、根田見さんは急にニヤリと笑って答えた。


「帰る? どこに帰るんだい? ここが君と俺との愛の住処なんだよ?」


(え? うそ……根田見さんってこんなキャラだったっけ? でも、口元は笑っているけれど、目がマジだ。うわぁ、私、こんなシチュエーションで()()()を経験したくはないなぁ……)


 などとのんきなことを考えていたようだが、実は結構テンパっていた。だって、貞操の危機どころか下手をすれば命の危機にもなりえるから。


 私はそんなことを考えながら、不安な表情で言う。


「あのぅ、根田見先輩。私、何も知らないから、すごく怖いんですけど? それに、こういった形で()()()は経験したくないんです」


 すると、根田見さんは急に顔を赤くして、


(……か、可愛い……それにこんな純粋な子と無理やりってのも、俺の趣味じゃない。こ、ここは紳士的に振舞って、戻子さんの好感度を上げるべきでは?)


 そんなことをつぶやいたかと思うと、優しい顔になって言ってくれた。


「そ、そうだね。俺も君を怖がらせるのは本意じゃない。だから、君がその気になるまで俺は待つことにするよ」


「……それって、私がその気にならないうちは手を出さないってことですか?」


「もちろんだ。その代わり、それまでは外に出られないって覚悟してもらうけれどね」


 根田見さんはそう言うと、部屋から出て鍵をかける。う~ん、とりあえず命の危機は回避したかな? 貞操の危機は根田見さんの気持ち次第って感じだけれど、あのタイプは無駄にカッコつけたがるから、私が逃げ出す可能性がないうちは無事だろうなぁ……。


 私はそんなことを思いながら、部屋を観察し始めた。鏡子や巫君が近くにいるなら、私の居場所をどうやって伝えよう……と考えながら。


   ★ ★ ★ ★ ★


結・悪魔の眷属VS.やんちゃな神


「……それで、戻子さんたちを見失ったと?」


 月詠神社の社務所で鏡子たちの報告を聞いたソラは、難しい顔で腕組みをする。


 鏡子は心底すまなさそうな顔をして、


「面目あらへん。まさか戻子が根田見と連れ立って出て行くなんて思わんかったんや」


 そうしょげ返る。


「しょげてる場合じゃないでしょ? 戻子さんから魔導書について合図はなかったの?」


 安奈が、これも青い顔で訊く。

 この作戦は安奈が立てたものだ。そして戻子を使って『イシュタルの軛』の存在を確かめることは、戻子を囮に使うことでもある。『囮』というからには、戻子にもそれなりにリスクは生じる。


 それを分かっていて、戻子は作戦に協力してくれたのだ。安奈としてはかなりの責任を感じていた。


(うわぁ~、ヤバいヤバい。戻子ちゃんに何かあったら、うち、くうちゃんに嫌われちゃうかも? 確実に好感度は下がるよね? ひょっとしたら絶交もあり得るかも!?)


「何もなかったんだ。根田見のヤツ、魔導書を持って来ずに一条さんと会って、魔導書を餌に一条さんをどこかに連れ込んでいるに違いない」


 巫が言うと、ソラは安奈にため息と共に訊く。


「イシュテリアは安奈の存在を知っていた。魔導書を餌に戻子さんを人質に取り、お前を誘い込む罠を張るって展開は想定内のはずだろう?」


 そう言われて、安奈は顔を赤くしてうつむく。


「安奈?」


 ソラが優しい声で訊くと、安奈はびくっと肩を震わせ、


「……ご、ごめん……あんまり簡単に根田見が釣れたんで、まさか『イシュタルの軛』を持って来ないなんて思わなかったの」


 正直に告白する。


「……まずは、戻子さんがどこに、どんな感じで囚われているのかが判らないと動きようがない。そっちの方は今、四辻之巌命が瀬緒里さんと共に探索中だから、そう時間もかからないだろう。

問題は、それまでの間にイシュテリアがさらなる獲物を求めて活動する可能性が高いことだ。イシュテリアは、安奈とぼくで何とかしなくちゃな。いいかい、安奈?」


「う、うん。こんなことになった責任を感じているから、イシュテリアが出てきたら絶対に逃がさないよ。ちゃんとイシュテリアを封印して、戻子ちゃんも助け出す」


 安奈の必死な顔を見て、ソラはため息をつき言った。


「はぁ……安奈、そんなに落ち込むな。落ち込むのは戻子さんを助け出してからでいい。

それより、悪魔の眷属が動くとしたら、まずは一番目障りなお前を狙ってくるかもしれない。いつ何があってもいいような準備はできているだろうね?」


「うん。きっとイシュテリアは、うちかくうちゃんを狙ってくると思っている。だから、うちは絶対負けない!」


「その意気や安奈さん! うちもできるだけ協力するで!」


 鏡子がそう腕まくりして言うと、巫も袖をめくって言う。


「ぼ、僕だって頑張ります!」


「……そないな細い腕で、戻子を守れると思うんか? もっと鍛えんかい!」


「あ、は、はいぃ……」


 鏡子にどやされて、ビビりまくる巫だった。



「やべぇなありゃ。簡単には近づけそうにもないぜ……」


 白髪に翠の目をしたガタイのいい男が、腕を組んで難しい顔をしている。


巌命いわおのみこと、あなたは異国の鬼神と出会ったことはありますか?」


 その隣に佇む、黒髪で黒い瞳をした女性が、その瞳を真っ直ぐ一軒家に向けて訊く。


 巌命と呼ばれた男は、腕を組んだまま


「いや、俺様は巫の坊やが封印を解くまで、ずーっとあの石祠に閉じ込められていたからな。瀬織川津媛様はどうなんです?」


 そう訊き返す。


 川津媛は軽くうなずき、


「何と言いましたっけ……そうそう。ベリアルと名乗る悪魔と対峙したことはあります。なかなかに邪悪な存在でした」


 そう答える。


 巌命は目を輝かせて川津媛に訊く。


「お、それはスゲェや! なぁなぁ、異国の『悪魔』って、どんな姿をしていた? 強かったか?」


 川津媛は一軒家から眼を離さないで、


「魂魄の在りようは異国の人間といっても変わらないものと思いました。『悪魔』という存在については、その強さは対象になる人物の心の持ちように左右されるようですね。

巌命のように騒がしい心では、悪魔に乗ぜられるかもしれません」


 そう言うと、巌命は真剣な顔で一軒家に目を向けて言った。


「……そうみたいだな。ありゃあ川津媛命様の言うとおり、本気出さにゃいかんようだ」


 川津媛はうっすらと笑みを浮かべながらうなずく。一軒家から軽くウェーブがかかった栗色の髪をした女性が出て来たからだ。


 巌命は、腕組みを解きながら言う。


「あいつが、川津媛命様が言った『悪魔の眷属』って奴か!? すんげぇ美人だな」


「あら、美しいものにはそれなりの危険があるのですよ? 特に、この世のものならぬ美しさを備えたものには」


 川津媛が言うと、巌命は人差し指で鼻の頭をかきながら言った。


「それは川津媛命様を見ていれば解るよ」


「あら、それは私が美しいという意味でしょうか? 巌命も上手口が言えるようになりましたね」


 川津媛は、ほんの少し柔らかな口調で言った後、真剣な顔で命令した。


「では、イシュテリアとかいうあの女を、どうにかしてあの家から引き離しなさい。できれば、2・3時間は家に戻さないこと。難しい注文ですが、あなたならできるはずです」


 巌命は面白くなさそうな顔をしていましたが、


「分かりましたよ。とにかく、あいつがどれくらい強ぇか、ちょっくら遊んできまさぁ」


 そう言うと、サッと駆け出して、あっという間に女の前に躍り出ました。



 イシュテリアは、家を出た瞬間に異質な存在に気付いた。


(……これは、あの時のエクソシストとは違うわね。どちらかというと、悪魔や神に近い存在……まあ、どの国にも神や魔物がいたっておかしくはないけれど。

問題は、こいつがアタシとどのような関係を結びたがっているのか、あるいは敵対しようとしているのか、だけれど……)


 イシュテリアは軽く髪をかき上げる。ふわりとした髪が、周囲の空間に芳香をまき散らした。


 そして、イシュテリアは門の横にあるバラの植栽に目を向けて、涼しい声で呼びかける。


「出ておいでなさいな。この国の『神』? それとも『魔物』?」


「おう、俺様は四辻之巌命、これでも神の端くれだ。お前さんの名前を聞いておこうか」


 巌命は姿を現すと、太い腕を組んで胸を張って言う。イシュテリアは、上半身素肌に陣羽織、下半身は筒袴という巌命のいで立ちを見て、ポッと頬を染める。


「あらぁ、なかなか逞しい肉体美ね♡ 顔も悪くないし♪ この国にもこんなイケメンの神がいるなんて意外だったわぁ☆」


 褒められると調子に乗るのが巌命の悪いところでもあり、


「おお、そうか? 俺様ってそんなにイケメンか? で、お嬢さんの名前は何て言うんだい? 教えてくれねぇと、愛の言葉をささやくのに困っちまうが……」


 ナチュラルに女ったらしなところが、女神からすれば厄介なところでもあった。


 巌命は確かに顔がいい。そしてマッチョマンで爽やかだ。さらに口も上手いときているため、イシュテリアも油断するところでもあっただろう。彼女の今までの経験則では、


(……ふふ、イケメンで女ったらしの神は、総じて弱いって相場が決まっているもの……こいつもアタシの魅力で骨抜きにしてやるわ)


 そう考えるのも、ある意味自然であった。


「あら、アタシに『お嬢さん』だなんて、嬉しいこと言ってくださるのね? アタシの名前はイシュテリア。魅惑の悪魔リリス様の眷属よ♪

イワオさん、アタシと気持ちよくて、楽しいことしない?」


 イシュテリアの誘いに、巌命は一も二もなくOKする。もともと、女好きなのだ。


「いいねぇ♪ 俺様は女の好みにゃうるさいんだが、イシュテリアさんは好みどストライクだぜ♡ 良ければ、俺様がいい場所を知っているから、ご案内申し上げるが?」


 巌命の誘いを聞いて、イシュテリアは身体がうずき始めた。


(そう言えば、この世界に来てからというもの、根田見の願いを叶えることに夢中で、アタシ自身ぜんぜん楽しいことしてないわね。

あのエクソシストはまだまだ子どもだったし、根田見の想い人は閉じ込めているし、あとは彼が上手くやるでしょう)


 イシュテリアは、安奈と一緒にいた白髪だらけで丸顔の青年を思い浮かべたが、


(あのエクソシストの助祭ってところかしら? どうせ大したことはないでしょうし、ちょっと身体の火照りを何とかしないと、アタシの今後の活動にも差し支えるわね)


 自分の欲望に負けてしまった。まあ、人間を欲望の沼に引きずり込む立場の悪魔の眷属がストイックだというのも、何か違う気はする。


 よって、イシュテリアが選択したのは、


「あら、いいの? じゃ、今日はあなたにエスコートしてもらっちゃおうかしら? で、あっちの方には自信はあって?」


 巌命としっぽり楽しむ……というルートだった。


 巌命は内心にんまりしながら胸を張って答える。


「ふふ、イシュテリアさんこそ、俺様の絶倫について来れるかな? 途中でやめてと哀願しても、俺様は止まらないぜ?」


「あら、頼もしいのね♡ じゃ、アタシをいーっぱい可愛がってちょうだいね♪」


 イシュテリアはすっかりその気になって、巌命と腕を組んでどこかに消えていった。


 神と悪魔の眷属が消え、二人の気配がすっかり感じられなくなった頃、『縮地』を通ってソラと安奈がこの場に姿を現した。


「……我が背よ、イシュテリアは巌命が連れ出しました。一条殿を救い出し、『イシュタルの軛』を処置するのは、今を措いてございません」


 その場で待機していた川津媛は、ソラを見てそう言う。少し呆れた表情をしていた。


「……イシュテリアの力は一度見たことがありますが、よく場を汚さずに連れ出せたものですね? 巌命はどんな手を使ったんですか?」


 ソラが訊くと、川津媛は


「こっちの世界で俗に言う『ナンパ』ですか? 巌命は美人と見ればどんな相手だろうが躊躇なく口説くということがよく判りました。

それはそうとして、あの家に突入しますが、恐らく罠も仕掛けてあることでしょう。その辺りの処理は、安奈さんにお任せして大丈夫でしょうか?」


 呆れ顔でそう言う。安奈は一軒家を見つめていたが、にこりと笑ってうなずいた。


「うん、任せて」


 【無常堂夜話13:人の妬みの物語(中編)後編へ続く】

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

最初このエピソードは前後編にする予定でしたが、『イシュタルの軛』という魔導書の出所についての話を加えることにしたので、3部構成になってしまいました。

戻子が捕まっていしまいましたが、次回はその救出、魔導書の処置、イシュテリアの退魔と盛りだくさんの内容になるでしょう。

では、次回もお楽しみに。

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