批評の限界に達していた小林秀雄 ー嘘でしか語れない真実と、語りによって隠される真実ー
鹿島健氏のYou Tubeを面白く聞いているのだが、その中で小林秀雄の白痴論に触れた回があった。白痴論とはドストエフスキーの小説「白痴」についての論だ。(https://www.youtube.com/watch?v=3ciwhbbHljM&t=2s)
そこで述べられていたのが、小林秀雄は白痴を論じる際に、白痴という小説は傍観者的な在り方を許さないようにできているので、小林秀雄自身も傍観者としての立ち位置を捨てて、作品内部に純粋に主観として入り込んで批評する、そのような批評をやろうとしたのが、やりきれず、小林秀雄はとうとうドストエフスキーを論じるのを諦めたという事だった。
小林秀雄の白痴論については私は読んでいたのだが、その背後でそのような事があるとは知らなかった。確かに小林の白痴論は異常な情熱で書かれてはいるものの、罪と罰論に比べると散漫で、まとまりがないという印象があった。それは後から考えれば、小林が批評の極限に挑戦しようとしてそのままクラッシュしてしまった、その結果だという事になる。
それで、私などはそうした事実を知って(ああ、小林秀雄はやっぱりやるべき事をやっていたんだな)と思った。小林秀雄は批評の限界に挑戦して、越えられず、空中分解してしまい、そこから後退して本居宣長のような、自分に理解できるものを批評するという立場に戻っていった。
私も鹿島健氏と同様に、晩年の小林秀雄を評価しない立場を取っている。それは小林秀雄にかつてあった葛藤が消えてしまったからだ。
この事を逆に考えてみると、小林秀雄の作品、小林秀雄の批評は全て「失敗作」だったと言っても過言ではないだろう。小林秀雄の批評は全て、対象となる作品や作者との知的闘争の痕であり、その生々しい痕跡であり、闘いの断片であり、そうしたものが集積して「小林秀雄の批評」という事になっている。
逆に、もっとも整然とした大著らしい見かけをした「本居宣長」に関しては小林秀雄の闘争の痕が消えてしまっている為に、それは成功作であるが、小林秀雄の著作の中では駄作という事になるのではないか。
この事はそもそも、過去のあらゆる偉大な作品は全て中途の失敗作ではないかという疑問に行きつくと私は思っている。そして事実はその通りだ、と私は考えている。
私は日本の知識人では小林秀雄と丸山眞男の二人を推奨しているが、二人共、失敗作しか残す事ができなかった。彼らの作品にヘーゲルやカントのような整然たる体系を見つける事はできない。それは日本の知的土壌がそのような豊かな作品の構成を許さなかったためだ(丸山の場合はヘーゲル「歴史哲学講義」のような、単一の観念で統一した日本通史を書けなかった。それが彼の念願だったにも関わらず)。
彼らの作品は全て断片、失敗作、闘争の痕ではあるけれども、同時に日本の知識人の最高峰である。彼らが恐れずに果敢に失敗した事を私は高く評価したいと思う。そして後に続く人達が己の限界に到達しようせず、小さな成功作品を量産しているのをむしろ不思議な事柄と考えたい。
※
小林秀雄の白痴論について考えていこう。
小林秀雄の白痴論は1と2に分かれている。どちらもまとまったものではない為に、論じるのは難しいし、人によって取り上げる部分は違ってくるだろう。
鹿島健氏は白痴論の中では、レーベジェフというサブキャラクターを取り扱った部分を取り上げている。というのは鹿島健氏自身が、白痴という小説で重要なのはレーベジェフだと主張しているからだ。これに関しては私は取り上げないが、動画内では、鹿島健氏と小林秀雄の二人の批評家の同一性と差異が示されており、興味深い評論となっているので興味のある人は動画を見てもらえればいいと思う。
私は鹿島健氏と違い、自分の立っている場所から小林の白痴論を取り上げようと思う。
それはどういう点かと言うと、小林秀雄が執拗に、ドストエフスキーが死刑判決をくだされ、死にかけた経験を繰り返し取り上げている点だ。
これは、ドストエフスキーが政治犯として捉えられた時の話で、ドストエフスキーは死刑判決を喰らい、銃口を向けられるところまでいったのだが、恩赦となり、牢獄行きになった。これは実際に本人が体験したエピソードだ。
もっともこの恩赦は最初から決まっており、皇帝の側は死刑を執行する気はなかったのだが、ドストエフスキー含めた政治犯はその事実を知らされていなかったので、彼らは本当に殺される寸前までいった。中には発狂した人物もいた。
このエピソードは、「白痴」という小説の中で、主人公ムイシュキンの口を借りて語られる。ムイシュキン自身が死刑判決を受けたわけではなく、ドストエフスキーのような経験をした男の話をムイシュキンが聞いた、という設定である。ムイシュキンはその男の話を、自分が聞いた話として他の人に語る。
小林はこのエピソードを執拗に取り上げる。私は小林がこの話を執拗に取り上げるのは、小林秀雄という男が自己意識の極限に興味があり、そこを越境したい欲望と、またそこだけは越境したくない、元の安定した自意識に還りたいという背反する欲望を同時に抱えていた為だと考えている。(結果だけで言えば、小林は自己の自意識の超越をドストエフスキーに託して実行しようとしたのだが果たせず、完全にクラッシュしてしまった)
これはどういう事か、私なりに説明してみよう。
まず、ドストエフスキー本人の経験というものがある。ドストエフスキーにしろ、小林秀雄にしろ、そして今は関係ないのだが、私のような人間も含めて、これらの人は自意識が豊富である。心の中でいつもぶつぶつと呟いているタイプの人間だ。
こうした自意識の豊富な人間が死刑になり。断頭台になり、ギロチンが落ちる寸前まで行く。磔になり、銃を頭に向けられる。こうした極限的な経験をしたと考えてみよう。
このような極限的な経験の意味する事はなんだろうか。それは、自意識の豊富な人間にとっては「自意識の消滅」を否応なく意識させられるという事だろう。
頭に銃口を向けられ、自我の消滅、自己の死を徹底的に認識させられた時、もはや自我も自意識も頼りになるものではない。ドストエフスキーはその瞬間に、自意識の向こう側に思いを馳せたはずである。それはあたかも「罪と罰」のラストでラスコーリニコフが対岸にいる古代の生活を続けている人々に思いを馳せたかのようだ。
自意識の消滅、自我の消失、死というものの向こう側にあるものはなんだろうか。おそらく、この時にドストエフスキーにはキリストの復活、ラザロの復活といった事柄が彼にとって魂の底から渇望する出来事として現れたのだろう。
現代の人々は自我意識が全てであるから、死ねばもう何もないのだろう。実際はどうかわからないが。しかしこのありきたりの真理に私は人々が耐えられるとは思っていない。また、それに耐えきる事がどのような意味があるかもわからない。これに、個体として耐えようと本気で決意したのは、おそらく歴史的にはニーチェ一人しかいないのだろう。だから現代人はニーチェの末子とも言える。
ドストエフスキーの場合、彼がカント的に信仰を要請せざるを得なかったのは、自意識の消失を、実際の模擬的な死刑という形で絶対的に経験しなければならなかったからだ。
これを小説形式として考える場合、単純に、「ドストエフスキーは独我論を越えた」という事ができるだろう。独我論とは自我意識が絶対であり、その外側の全ても自我意識を通じてしか感覚できないから、この自我意識のみが真理であるとする考え方だが、ドストエフスキーの場合は、小説という形式を通じて自我意識を越える事ができた。
おそらくこの跳躍を助けたのは、彼の「死」の経験、自我の消失を絶対的に意識させられたという事と、その向こう側の信仰、すなわち復活の要請という思想的な経験があった為だろう。
ドストエフスキーがいかに自我意識にとらわれ、そこを抜け出る事が叶わなかったかは、ドストエフスキーの文筆生活を追えばはっきりしてくる。「罪と罰」の前の「地下室の手記」は一人称小説であり、自我意識の内部に留まっている作品だ。
はじめて自我意識をはっきり越えた「罪と罰」という作品も当初は、一人称小説として構想され、一人称で途中まで書かれていた。ドストエフスキーはこの草稿を捨てて、三人称で書き直して「罪と罰」を完成させた。
さて、これまでの話上、私は「自我意識を越える」などと簡単に言っているが、これはほとんどどのような天才でも越えられないほど絶対的な溝であると、この文章を読んでいる方には意識して欲しいと思っている。
自我意識を越えるのが難しいのは、そもそも自我意識が強くない人間は見かけ上、自我意識を越えた他者との関わりを持っているように見えるが、それは単に越えるべきハードルを自分の中に持っていないだけの話であり、自我意識が強い人間はそれにとらわれ、それを越える事はまさに自らを自らの意志で殺害するように、魂の血を流す知的格闘が求められる。
私は文章の都合上、この暗闘に関しては触れていないので、それに関しては読者の方で想像していただくとありがたい。
大雑把なまとめではあるが、ドストエフスキーはそのようにして独我論を乗り越えた。この乗り越えは、超越というより、帰還であると言った方が良いかもしれない。
「罪と罰」を読むと、主人公のラスコーリニコフは賢い主人公として設定されている。彼は独自の思想を練り上げており、犯罪の「自由」についての論理を研ぎ澄ませる。彼は孤独でありたいが、孤独である事ができない。彼の孤独は世界に拡散して溶けて、流れていく。すなわち、彼は「生きざる」を得ない。
ラスコーリニコフのようなタイプの人間は世界に対する大きな嫌厭から、世界と距離を取り、自己の意識の中に逃避する。自己の意識は完全である。そこには心地よさもある。自我は、自我の全能性に満足する。
しかしこの全能性に対してもいずれ飽きが来る。ドストエフスキーの小説の唐突な始め方をみてみよう。「罪と罰」においても「白痴」においても、主人公はいきなり現れ、人々の中に入っていく。彼はそうしなければならないのだ。
何故、彼らはそうしなければならないのだろうか? 例えば、哲学者のシオランのように、孤独に自意識の哲学を作っているのでは駄目だったのだろうか?
これに対する答えは別にない。いや、もし答えがあるとするならそれは「罪と罰」において描かれている。つまり、「行くところがなくてもどこかに行かなければならないから」である。
ドストエフスキーの後期五代小説は全て、生の悲劇を取り扱った小説である。自意識というものが、世界の中で演じざるをえない悲劇を描いた作品である。何故、人は生きなければならないのか。人はどうして自分一人だけで生きていけないのか。
それは、この世に純粋な孤独はないからである。また同じように純粋な他者との融和も存在しない。人は自我の絶対性を築き上げたと考えても、その自我の中に他者の影を見る。見ざるを得ない。
人が生きるとは、人との関係性の中に生きる事であり、自我意識がどのように全能感を持っていようと、あるいは、例えば世界のあらゆる時間・空間を自我の側から対象として規定し、対象をいかにこねくり回そうと、どのように意識を自由に運動させようと、彼は時間・空間的に規定された一人の人間、あくまでも一人の人間として生きざるを得ない。
ここに生きる事の悲しさがある。ドストエフスキーが描いているのはこの悲劇であろう。そしてこの事を小林秀雄は誰よりも熟知していた。
※
小林秀雄は以上に述べた事についてよくわかっていた。いや、これが真に親身に染みていたのは批評家の中では小林秀雄一人だったと言ってもいいかもしれない。
なぜなら、ドストエフスキーを論じようとして、自分の批評的自意識が破壊されるほどの危機に達したのは、小林秀雄という批評家一人しかいないからだ。普通の批評は、批評家の自意識は常に背後の安全なところに取ってある。
ほとんどの批評家は自己の破綻、その可能性にすら触れる事もない。作品や作者と真剣に切り結んで、自分が切られて死んでしまうところまで踏み込む事はない。彼らはそんな愚は犯さない。彼らは対象を箸で取り扱うように批評を行う。自分の魂が危機に陥るほどに作品に入り込みはしない。
小林は白痴を論じようとして、支離滅裂になっていった。鹿島健氏の言っていたように、小林が、白痴という小説は傍観者的立場を捨てた小説だから、自分のその立場を捨てて批評しようとしたのだとすれば、それは批評そのものを殺しかねない。というのは批評というのは誰もが知っているように、傍観者的立場をその基礎としているからだ。
小林の「「白痴」についてⅡ」に次のような文章がある
【恐らく、作者は、こんな事が言いたいのだ。「或る一点」とは、無論、「死」の事だ。命はまん丸で入り口がないから、死線は切点という出口で触れている。まあ、そんなものだと思え。みんな歩いているうちに、出口から出てしまう、というのは、歩くとは、みんな出口に向かって歩く事だが、ここに一人の男があって、出口から逆に歩いた。これは珍しい、恐ろしく馬鹿げた経験だ。到底、長い間堪えられる経験ではない。だから、朝の五時から九時までという事にしておいた。しかし、小説だとおもって読んでくれては困る。経験したのは私だ。】
(「「白痴」についてⅡ」 小林秀雄全集ドストエフスキーの作品 第六巻 283P)
小林がここで言及しているのは、ドストエフスキーの死刑体験だ。小林秀雄はドストエフスキーの死刑を経験した事実に執拗に言及し、その自意識の内部を執拗に覗こうとしている。
読者にはそもそも私が何を言っているかさっぱりわからないかもしれないが、あるいは小林が何を言っているかもわからないかもしれないが、はっきりしているのは小林の語っている事は真実だという事である。それは私にははっきりしている。
ドストエフスキーは確かに、死から生に向かって歩いた。普通は生から死に向かって歩くのだから、この歩みは反対である。
これを捉えて言及する小林秀雄の言葉もまた正しい。小林はドストエフスキーの歩みを正確に捉えている。
しかし私がこの文章で考えたい事は、批評家としての小林秀雄が白痴を論じようとして空中分解してしまった、それは何故なのか、という事である。
ここでは「正しさ」という観念そのものが小林を危機に陥れている。年がら年中、正しい言葉ばかり吐いている人々には「正しさ」が、まさに「正しい」故に自らを破滅させるなど想像すら難しいだろう。
簡潔に書こう。小林秀雄と違い、ドストエフスキーはどうして「小説」を書いたのだろうか。どうしてドストエフスキーは、正しい観念を一人称という形で、世界に向かって演説しなかったのだろうか。
それはドストエフスキーが掴んだ真理が、そのような形で表現できないものだったからだ。それではその真理とはなんだろうか。
その真理とは何かと言えば、それは私がこの文章で書いてきた事に他ならない。絶対的な自我意識、その全能性とは自我がみる夢であり、その夢はいずれ壊れなければならない。そうして自我は、世界の中の一人の人間として、他者との関係の中に生きなければならない、という平凡な事実である。
これをドストエフスキーの死刑体験と考え合わせるなら、ドストエフスキーが死刑判決を喰らい、自我の絶対的消滅を意識させられ、それでもその向こう側を生きなければならなかった事と重なる。ドストエフスキーは牢獄で否応なく他者と関わらざるを得なかった。彼は孤独でありたかったにも関わらず。
この事は「to be,or not to be」と呻吟し続けていたかったハムレットが、復讐という運命を貰い受け、他者との関係の網目に入っていかなければならなかった事と全く同じである。
つまり、小林秀雄が捉えた真実は、真実として正しいのだが、この真実をドストエフスキーは、一人称的な在り方で表現するのは不可能と考え、三人称視線を駆使し、小説という形態で描いていった。この真理は他者との関係を描かなければ、描く事が不可能なものだからだ。
これを小林秀雄はよく知っていた。おそらく誰よりもよく知っていた。
にも関わらず、小林秀雄は自意識による批評というものの極限形式を求めた為に、関係としてしか表現できなかった真理を、再び単一の自己意識による「批評」という形で表現しようとした。これは当然不可能な事態だった。
小林秀雄の言葉は同じところを生きつ戻りつして、その先を抜ける事ができない。
その先を抜ける事ができないのは、自意識がどれほど前進しようと、現前するのは常に自己そのものでしかないからだ。独我的な意識は遂に自己を越えられない。
この地点、すなわちドストエフスキーが「小説」を書こうと跳躍したポイントで、小林は完全に崩壊してしまった。小林の「白痴論」にあらわれているのはそういう事だと私は考える。
小林は同じような失敗を他にもしている。それは小林のベルクソン論で「感想」というタイトルだが、これは中途で終わり、小林秀雄も失敗作とみなして出版を禁じた。
ここでも小林は、自意識による批評という形で、「客観的な概念を提出する哲学」というものに肉薄しようとした為に、構造的な差異を克服できず、途中で批評を放棄してしまっている。ベルクソンは客観的な観念形態について語っているのに、小林はそう語っているベルクソンの意識に深入りしようとしていく。これもまた最初から不可能な挑戦だった。
※
このように、小林は白痴を論じようとして空中分解してしまった。その理由は、そもそも小説と批評の構造の違いだと私は考える。事実それだけでみると単純ではある。
だが、小説という形でドストエフスキーが語るしかなかった真実は、それ自体、単独の声という形での真理伝達を放棄してしまっている。ドストエフスキーの深い哲学性は、作品の背後に隠れているこの「放棄」にある。
だから、理解力の乏しい読者は、ドストエフスキーの小説を読み、あらすじやキャラクターについて言及しただけで、全て理解したかのような事を言う。ドストエフスキーの知性、彼の哲学的な資質は作品の背後に潜在している。作品の中に現れたものではなく、現れる前に捨てられたものの中に、多くの人がそこで立ち止まるであろう真理や非ー真理が眠っている。
小林秀雄は、この文章で私が語っている事などは全てお見通しだったろう。しかしそれでも白痴について論じようとして途中で破綻してしまったのが、彼らしい生き様と言えなくもない。彼はあまりにも優れた批評家だったので、批評の限界を試してみたくなった。そうして不可能な領域に突っ込んで、燃え尽きてしまった。
小林がドストエフスキーの死刑体験について執拗に語っているのと同様に、注目して取り上げている小説中のあるシーンがある。
それは白痴の冒頭で、ムイシュキンが汽車に乗っている場面だ。ムイシュキンは汽車に乗っていて、スイスでの療養が終わり、精神病もいくらかは癒え、人々の中に出ていこうとしている。
なんでもない作品の始まりのシーンだが、小林はこのシーンにこだわった。私には小林が何故このなんでもない情景にこだわったのか、わかるような気がする。
なぜなら、小林秀雄は「始められなかった」人だからだ。言葉だけで言うと、そういう事になる。
ここで言う「始める」とはこの文章で記しておいた、「自意識の終わりから人生が始める」というような事だ。小林の言葉は常に自意識の先端で終わる。というより、「言葉というものはそういうものだ」と言った方がいいかもしれない。
「小説」を書くドストエフスキーは言葉を批評家とは違った風に使う。小説家は、嘘でしか語れない真実を知っているから、嘘を構成する為に言葉を使う。真実を直接語る愚を知っている為に、言葉を嘘を作る為に使う。
ドストエフスキーはこの能力が優れていた。ミハイル・バフチンが「ドストエフスキーの小説からは直接的な格言が取り出せない」と言っているが、言葉として語る生の真実を徹底的に封印した作家がドストエフスキーである事を思えばこれは当然だろう。
ムイシュキンは何の準備もなく、いきなり汽車に乗っている。彼は始めるしかない。というより、もう既に始まっている。
罪と罰のラスコーリニコフも、彼の殺人計画は決行されなければならない、という必然から作品は始まる。生きる事は、自分が他者になるという悲劇に他ならない。それ故に、ドストエフスキーの小説の主人公は必然を担わされて、作品内にあらわれてくる。
小林秀雄は、ドストエフスキーよりも恵まれた生活をしていた、と言う事ができるだろう。小林秀雄は、自分自身でいる事が可能な生活の中にいた。小林は自己が必然に押し出されて、他者との関係の中に入っていく、そうしたこの世界の真実を知ってはいたものの、それを描く事はできなかった。小林は若い頃はともかく、批評家として尊敬され、おそらくは中途からは経済的にもそれほど困らなかったのだろう。
一方のドストエフスキーは政治犯として死刑判決を受け、シベリアの牢獄に送られた。ドストエフスキーは牢獄の中で孤独でいられなかった。彼は、自己自身でいる事ができなかった。それ故にむしろ、我々が当たり前のように考えている自我意識ー自己というものの限界を描き得た。
この必然が主人公の背中を押す、というのはシェイクスピアと全く同じ構成となっている。ハムレットは亡父の亡霊を見る。そうして復讐の運命を刻まれる。ハムレットは哲学者か詩人に向いているような人間だ。彼は夢想していたい存在だ。にもかかわらず、彼が現実に生きて事を為さなければならないところに悲劇が現れるのである。
これは事実として、彼が殺されてしまうから悲劇なのではない。ハムレットにとって殺される事などなんでもない。それよりもハムレットにとってつらいのは、自己が必然によって押し出されて、自分とは違う他者になり、現実の他者との関係の中で生きなければならない事なのだ(自己が他者にならない限り、他者と連関するのは不可能である)。
ムイシュキンは汽車に乗っている。既に物語は始まっている。ムイシュキンは、人々の中に出ていかなければならない。ここで「何故か?」と問う事に意味はない。全くない。
むしろ、我々は生について次のように考えた方が良いだろう。「何故?」「どうして?」このように問う人々はそのような問いを問う事を許された存在だ、という風に。そのような生である人々なのだ、と。
小林秀雄はムイシュキンがいきなり汽車に乗って現れる事に着目する。当然であるが、小林秀雄自身は汽車には乗らない。
ここで「何故?」という問いを発する事は意味がない。ここではわかりやすく次のような比喩を用いよう。
ある犯罪者がいて、彼はのっぴきならない家庭事情や、貧困の為に、運命に押し出されるように犯罪を犯し、捕まった。この人物に「何故、あなたは思いとどまらなかったのですか?」と傍観者が言うのは意味がない。傍観者らは、自身の背中にそのような必然を負わされる事がなかった。それ故にそのような理屈や理論で質問する事が可能なのだ。
傍観者は「彼が何かをしなければならない必然」というものが欠けている。彼らにはそのような必然が欠けているという事が、彼らの必然だった。要するに、彼らは自分が恵まれている事に気がついていない恵まれた者だったという事だ。
この場合、このような人物の犯罪を否定できるのは、同じような必然を課されて、その必然の網の目を打ち破り、社会的に「まっとう」になった人間だけだろう。ただ、その場合でも、その人間と犯罪者が同じ精神的資質を持っていたかどうか、それは誰にもわからない。
生きる事が悲劇なのは、自己はいつまでも自己でいられないからだ。人は知らずに汽車に乗っている。人生は始まっている。
思考は無限に行動との差異を生み出す。思考と行動の間には常にズレがあり、このズレは埋まる事はない。ところが、小林秀雄のやろうとした事はまさにこのズレを正そうとした事だった。
私が言わんとしているのは簡単な事だ。ハムレットの悲劇はハムレットの意識に収まるだろうか。ラスコーリニコフのドラマはラスコーリニコフの意識に収まるだろうか。
同様に、白痴という小説は小林秀雄という人間の自意識に収まるだろうか。答えは簡単で「収まらない」。不可能である。
だがそうなると一つの謎が生じる。白痴とか罪と罰とかいう小説を書いたドストエフスキーという一人の男の脳内に、白痴や罪と罰といった傑作の全内容は収まっているように見える。それは本当の事なのだろうか。それはどうして可能なのだろうか。
この点に関しては、ドストエフスキーが信仰を得ようとしていた人物であるという事と、小林秀雄が、ドストエフスキーが信仰を得ようとしていたとはわかっていても、自身は信仰を得たいと本気で思った事はない、というその差異が関係してくると私は考えている。
というのは、ドストエフスキーにとって、キリストという超越的な存在が自己の体系の外部にあり、彼はそれについて絶えず考えていた。ドストエフスキーは自己意識の外部にあるものを巡って、自身の思考を動かす事が可能だった。
私は、独我論を打ち破り他者の存在を認可する能力と、自己意識の外部に超越的存在を認めようとする指向性を、その根底において一致する思想の深層であると考えたい。
この事はドストエフスキーが三人称で小説を書く事ができるようになった事と関連する。端的に言うと、主体が死んでも世界は終わらない、という信仰が三人称的な、外部から主体を取り扱う小説の視点を可能とするのだ。
理屈だけで言えば独我論を打ち破る事はできない。だから理性が絶対なら、小説は一人称的に自意識で閉じられる事になる。例えば三島由紀夫の「金閣寺」はそのように閉じている。三島にとっては自身の死が願望だったが、死の奥になにものかが存在するわけではない。
三島の金閣寺は犯罪を犯すまでの小説であり、犯罪に至るまでの動機が語られた作品だ。金閣寺の主人公は「生きよう」と思うが、実際には彼は生きない。三島由紀夫本人も、死の後の生を生きる事はない。彼の理想は死という極点に向かって落ち込んでいく事であって、ドストエフスキーのように煉獄としての生を生きる事ではなかった。
ドストエフスキーの小説は、金閣寺という作品が終わったところから生じてくる。小林秀雄はこれを三島に指摘している。罪と罰は金閣寺と違う。金閣寺は犯罪を犯すまでの小説だが、罪と罰は、犯罪が終わった後に、生きなければならないラスコーリニコフという人物が主人公である。
三島由紀夫にとっては自意識とその消滅としての「死」に彼の理想があった。三島は根底的にロマンチストだったし、彼は美の問題に固執していた。
罪と罰以降のドストエフスキーには美の問題は現れない。現れたとしても観念的な取り扱いがされるのであって、ドストエフスキーは美そのものを指向してはいない。
というのは、人生というのは美しいものではないからだ。ロマンチックな死も存在しない。ロマンチックなはずの死を通り抜けて生きざるを得なかった男がドストエフスキーだったのだから、彼はそのような小説を書いた。
人生は映画のエンドロールが流れた後にようやく始まる。その際の主人公はもう英雄でもなければ、美に到達できる存在でもない。ただの平凡な人間でしか無い。だがここからやっと人生が始まるのだ。やれやれと重い腰をあげて人は生きざるを得ないのだ。
※
以上に書いてきたように、小林秀雄は白痴という小説を批評しようとして、空中分解してしまった。その理由は、そもそも他者との関係として現れる三人称小説を、批評という自意識の形に収斂させてしまった事にある。
それではドストエフスキー自身はどのような自意識を持っていたのだろうか。どのような自意識ならば、あのような作品を構成できたのだろうか。しかしこの答えを見出すのは難しい。
ドストエフスキー本人の評論としては長尺の「作家の日記」全六巻がある。ドストエフスキーマニアくらいしか買わないだろうこの書物は、読んでいて面白いものでもない。至るところに矛盾があり、長ったらしいおしゃべりがある。作品の破片は見つかるが、作品を作り上げたその根源となるアイデアの塊はみつける事はできない。
これはどういう事かと言うと、やはり単純にドストエフスキーという人は根っからの小説家だったという事に尽きるだろう。ドストエフスキーは小説のアイデアを「絵」のように思いつく、と私は何かで読んだのだが、絵のアイデアというのは、様々な色彩や形がそれぞれの場所に配置される事によって全体が明示される。
この際、その絵の中で一番中心となるオブジェクトが、もっとも大切だからそれ以外は否定していいというようなものではないだろう。絵はあくまでも全体として構成されている。それらは関係性として成り立っている。関係として現れる全体が本質であり、その中心となる対象(例えば画布の真ん中にある人物や物)が本質なのではない。
同様に、白痴という小説においてもムイシュキンが一番重要だからといって、ムイシュキンという人間の謎を解けば作品の全てが解かれるわけではないだろう。ムイシュキンは作品中、もっとも重要な人物ではあるものの、他者との関連において生きている。こうした小説における本質は、この小説全体の関係性に他ならない。
この事は、現実に生きる我々と同じ事だ。我々は、「私はたった一人の独自の存在で、人とは異なる特異な自己意識の持ち主だ」と考える事ができる。というより、普段我々はそのように考えて生きている。自分は人と違うと心の底ではどこかで考えている。
しかしそのような人間も結局は他者との間で一人の人間として自己を生きざるを得ない。ここにはズレがある。このズレを飛び越えて外側から自分を描くとどう見えるだろうか。自分という存在に固執している自我は滑稽な存在に見えてこないだろうか。
しかしこのように自己を否定する視点を自己の中に持つとは、いかに多量の心の血を流さなければならない事態だろうか。
セルバンテスとか、ドストエフスキーとかいった人物は、この多量の血を流し、多くの苦悩と苦痛を味わってこのように自己を外部から見る視点を得たのだと私は思う。
小林秀雄はこの思想の秘密を知ってはいたものの、それを自意識という形態を保持しながら、その思想の真実をもう一度再現しようとしたために、批評家として方法的に挫折してしまった。私はそのように考えている。
これは小林秀雄が優れた批評家であったから起こった悲劇であって、小林が自己の限界を求めない平凡な批評家であれば決して起こる事はなかっただろう。
私は小林の批評の試みについてはそのように評したい。
もっとも、賢い読者なら既に気づいているだろうが、そもそもこの私の文章ーーこの文章自体が小林秀雄と同じような「自己意識を基礎とする批評」という形態をとっている。
それ故に私の小林秀雄に対する批判は私自身に対しても正確に機能を発揮する事になる。私は私の自意識で小林の自意識について考えてみたが、結局、私の言葉は「その先」を行かない。
私も小林と同じように、汽車には乗らないのだ。人生を始める事ができない。汽車に乗らずに、汽車について夢想しているだけだ。
私もまた、本来ならここで方法論を変えねばならないだが、実際、私がどういう方向に行けばいいのか、わからない。
私としてはただ、不可能な方向に突っ込んで燃え尽きてしまった、私にとって先行する流星の跡を確かめようとして、このような文章を書いたというに過ぎない。その後の事は私にはわからない。全く、わからない。




