第5話 純一のリタイア ~ その後
純一は、アンドロイド婚の恩恵を受けて68歳でリタイアした。ある夏の日の夕暮れ、窓辺の椅子でビールを楽しんでいた。マンションのリビングから見える空は紅く染まり、夕陽が沈もうとしている。純一は、EMIと一緒に過ごす自由な時間が、とても好きだった。二人の子供達も成人となり、それぞれに暮らしている。何不自由の無い贅沢な余生だと考えていた。
窓辺でビールを注ぎながら、純一は向かいで紅茶を飲んでいるEMIに話し掛けた。
「綺麗な夕陽だね。子供達は、どうしてるかな?」
「今度、二人で帰って来るって言ってましたよ。楽しみですね。あなた……今日の夕食は、どうしましょうか。何か食べたい物ありますか?」
「何でも良いよ。EMIの料理、ぜんぶ美味しいからね」
「久しぶりに、すき焼きにしましょうか。私、美味しいお肉を買ってきますね」
「良いね……お願い。じゃあ、僕は美味しいワインでも準備しておくからね。よろしく」
食卓には、美味しそうなすき焼きの匂いがする。純一は、EMIのグラスに赤ワインを注ぎ乾杯した。
「EMI、いつも美味しい料理をありがとう」
「あなた、早く退職しちゃって、毎日が退屈じゃないですか? 時間持て余して……」
「そんなこと無いよ。EMIと一緒に過ごせて嬉しいんだ。今は、平均寿命が100歳の時代だからね。20世紀の頃とは大違いだよね」
「じゃあ、これからあなたと30年は楽しく暮らせるわね」
純一は、そんな会話をしながら心の中で思っていた。
(EMIはアンドロイドだけど、何も不満はない。戸籍上、名前の表記がアルファベットなだけで何も変わらないじゃないか……。ここまで、幸せな結婚生活だったな……)
EMIがグラスの赤ワインを飲み干した。少し頬が赤くなっている。
「美味しいワインね。私、少し酔っちゃったかな。先にお風呂入って、早めに休んでも良いかしら」
「ゆっくりして。今日は、もう少し飲みたい気分だから、僕が片付けておくよ。おやすみ」
「あなた、ありがとう」
「僕は、もう少しテレビでも見てから寝るね」
純一は、グラスに大き目の氷を入れウイスキーを注ぎオンザロックで飲んだ。シングルモルトでスモーキーな味わいを感じた。テレビを点けると画面のニュースからお知らせの映像と音声が流れた。
「来年8月に、アンドロイド婚のお子様の出生を希望される皆様は、今月末が申請の期限となっています。今月中に出産申請を行ってください……」
(すっかり、アンドロイド婚も定着したな。世の中、少し明るくなった感じがする……)
純一もオンザロックを1杯飲み終わると酔いが回りほろ酔い気分になる。テレビを消してシャワーを浴び休むことにした。EMIが寝ているベッドの横に座ると既にグッスリ寝ているようだ。
(EMIの良い香りがするな……。こうして、EMIの隣で眠れるなんて幸せだな……)
EMIの温もりを感じながら、いつしか純一も心地良い眠りに着いていた。
アンドロイド婚の場合、特に希望を言わなければ、妻はデフォルトで二歳下の年齢と決まっている。当時は長い黒髪だったEMIも今は白髪交じりのグレーになっていた。アンドロイド女性は、1年ごとに身体が加齢するようにプログラムされている。申請時に加齢を止めるように要望することもできるが、EMIだけが歳をとらないよりも、同じように純一と歳を重ねることを希望した。加齢と共に移り変わっていく、そんなEMIの姿はとても素敵に思えた。