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戦国時空漂流記  作者: 愉易
第一部:散りゆく風
7/20

紅の旗

(尾張国 那古野城下・明け方)


薄紅の空が土塀を染め、鶏の鳴き声が城下町を揺り起こす。神崎亮太は、まだ炭の匂いが残る古い長屋の軒下で腕立て伏せを終え、息を吐いた。肌寒い空気が汗を奪い、筋肉に沁みる痛みが心地よい。


「おい、早起きだな。流浪の若造」


背後から声がした。木下藤吉郎——昨日、亮太を膝下に招き入れた青年武将だ。粗末な羽織の下で目が光り、手には薪の束。亮太は起き上がり、微笑を返す。「部活習慣でして。体を動かすと頭も冴えるんです」


藤吉郎は薪を地面に投げ、腰を下ろす。「冴えた頭とやらで、城下の蔵番の抜け道を見つけたとか。どうやった?」


「視線の流れです。見張りが視線を外す瞬間が三呼吸おきにあった。あとは壁の汚れ。人がよく触る場所は磨耗しやすい」


藤吉郎は口笛を吹いた。「面妖よの。殿とのに渡す策はあるか?」


「あります」


亮太は地面に木片で簡略図を描いた。倉の裏手にわずかな段差があり、油壺で滑り止めを消した上で梯子をかければ、夜の見張りの死角に入れる——。藤吉郎の眼が獲物を捉えた鷹のように細くなる。


「やってみろ。成功すれば、殿へ直参じきさんの口添えをしてやる」


心臓が跳ねる。織田信長 ——歴史の教科書で見た革新的な大名。その家臣に、自分が? 亮太は震えを拳で押さえ、「必ず」と応えた。


* * *


(那古野城 三之丸兵舎・午前)


兵舎は昨夜の酒の匂いが残り、足軽たちは頭を抱えて起き出した。亮太は布団の端を畳み、槍立て場で武具を点検する。籠手の革紐を結びながら、彼は心の中でバスケットボールのフォーメーションを展開させた。


(フォーメーション・ダイヤモンド、攻守切替は秒単位)


槍兵十名を斜め列に配置し、後衛の鉄砲足軽を三角の頂点に——距離は十間(約 18 メートル)。槍先のリーチをコートライン、鉄砲の射線をスリーポイントラインと置き換える。頭の中で選手たちが走り、敵を包み込む。武士の戦術書より、速さと角度で勝負するコンセプト。


* * *


(城下外れの蔵 深夜)


闇に溶け込む布頭巾を被り、亮太は蔵裏の段差に手をかける。梯子は使わない。バスケ部で鍛えた垂直跳びで縁に指を掛け、静かに体を引き上げる。脈拍は落ち着いている。視野に入る夜番の松明の軌跡を読み取り、呼吸を合わせた。


裏手には松明を持つ見張りが三人、巡回は五十歩で折り返す。


蔵の屋根裏へ潜り込むと、甘い匂いが鼻をつく。米俵。その間に小さな木箱が積まれている。蓋を開けると、香木とともに油紙に包まれた小判がぎっしり。亮太は喉を鳴らした。


「これが軍資金ってやつだな」


彼は小判を一枚、ポケットへ滑り込ませた。証拠ではなく、重さを量るための“サンプル”。すぐに蓋を戻し、俵の配置を元どおりに整える。退出ルートを確かめ、屋根を滑り降りた瞬間——


「誰だ!」


見張りが気配を察した。亮太は地面に着地しながら石を蹴り上げ、松明へ直撃させて火を散らす。驚いた番人が目を逸らした隙に、暗闇へ跳び、路地裏へ消えた。


* * *


(那古野城 御前広間・翌朝)


朝の謁見。畳敷きの大広間に若い家臣たちが並ぶ。前方の上段に、織田信長が腰をかけていた。絢爛な毛氈の上、まだ青年と言える年齢だが、眼光は鋭く、裾を払う仕草一つにも威圧感が宿る。


「木下、夜盗を捕らえたと聞く」


藤吉郎が額を畳につけた。「は。神崎亮太、異国の術を用い賊の出入り口を暴き捕縛に至りました」


信長の視線が亮太に向く。「異国の術?」


亮太は正座のまま深く頭を下げ、「敵の視線を読む“バスケット”の陣形にございます」と答えた。広間にどよめき。信長は笑い、「面妖よの。だが働きは見事。木下、そやつを与力に加えよ」


藤吉郎が目を光らせ、頭を下げた。亮太の胸が熱くなる。歴史の教科書の中の偉人が、自分を認めた瞬間——。


* * *


(木下隊 訓練場・午後)


石垣の陰で、藤吉郎が木片のコマを地面に並べた。「これが敵、これが味方。そなたの“バスケット陣”とやらでどう動く?」


亮太は腰を落とし、木片を素早く配置した。「先手は速攻です。槍兵を二列にし、中央を空けて囮を走らせます」


「囮は何を持つ?」


「火薬。焙烙玉ほうろくだまです」


藤吉郎は息を呑んだ。「火薬玉は高価だぞ。数を絞れ」


「三発で十分。爆発は敵の視線を誘い、空けた中央を騎馬が突っ込みます。タイミングは太鼓三拍子後、鼓手を高所に——」


藤吉郎の口角が上がる。「面白い。夜のうちに図を清書しろ。明日、殿に上申する」


亮太は頷き、拳を握った。(俺の戦術が、本物の戦に使われる……!)


* * *


(那古野城下 長屋裏・夜)


月明りの下、亮太は板切れに炭で図を描いた。視界の隅で、同じく孤高の影が動く。以前の自分のように行き場のない若者——足軽浪人たちだ。彼らは亮太の図を覗き込み、目を輝かせた。


あにさん、新しい陣形か?」


「おう。一緒にやるか?」


浪人たちは互いに顔を見合わせ、嬉しそうに頷いた。その瞬間、亮太の胸に火が灯る。(俺はここでチームを作る。現代で学んだ連携を——)


* * *


(尾張国 城外演習場・数日後)


太鼓が鳴る。槍兵が二列に走り、中央を空けた。囮役の兵が焙烙玉を振りかざし、敵役の木人へ投げ込む。爆ぜる音。煙。視界を奪われた“敵”側槍兵が混乱する中、中央から騎馬二騎が突き抜け、木盾を粉砕した。


高台から演習を見守る信長が扇を閉じた。「見事だ」


藤吉郎が頭を下げる。「神崎が考案した“早駆け陣”にございます」


信長は笑い、「神崎亮太、名乗りを挙げよ」と声を放った。亮太は馬上から下馬し、鎧の胸を叩いて名乗った。「神崎亮太、三河国より流れ着きし者」


信長の目は興味で光った。「三河か。松平家との縁もあるな。いずれ使い所があろう」


亮太の心臓が早鐘を打つ。(これが、俺の時代だ)


* * *


(那古野城天守下・深夜)


演習後の祝宴で酒を交わした帰路、亮太は天守を見上げた。星明かりが瓦を銀色に照らし、風が戦の匂いを運ぶ。武志や雪、他の仲間はどこで何をしているのか。


「——でも、会えばもう昔のままじゃない」


亮太は呟き、拳を握った。強者だけが生き残る世界。ここで頂点を掴む。それが自分の選んだ道。


遠くで夜警の太鼓が静かに鳴り、紅の旗が闇に揺れた。

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