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戦国時空漂流記  作者: 愉易
第一部:散りゆく風
15/20

結界と絆

[尾張国・小牧原/永禄四年(二月中旬)早朝]


 夜明けとともに、霜で白く染まった草原に銃声が咲いた。乾いた破裂音が雷鳴のように連続し、硝煙が淡い靄となって漂う。神崎亮太は指揮棒を掲げ、高らかに号令を発した。


 「一列、構え――!」


 前列の足軽三十名が火縄銃の銃口を肩越しに前へそろえ、後列が火縄へ火を移す。銃床がわずかに震えるたびに、兵の緊張が腕を通して伝わってくるようだった。


 亮太は喉を震わせた。「撃てッ!」


 瞬間、三十条の火線が闇を裂く。鉛弾は百歩先の木製標的を粉砕し、後列が即座に前進して新たな斉射の準備に入る。**交互射撃ヴォレー**――戦国の世にはまだ普及していないはずの戦法。だが亮太は知っていた。火縄銃が歩兵戦に革命をもたらすのは組織的な射撃手順が整ったときだ。


 硝煙は鼻を刺す硫黄臭と、乾いた薪を焦がした甘い香を混ぜて漂い、霜の匂いを瞬く間に塗り替えた。


 歓声を上げたい衝動を抑え、亮太は兵たちの顔を観察した。若い足軽の頬には子供のような興奮と恐怖が混在している。今は木の的だが、数日のうちにそれが人間に変わるのだ。


 「よし、火縄の換装を急げ! 撃鉄の焦げは藁束で払い、銃身に水気が残らぬよう――」


 指揮棒の先で細かく確認していると、背後から朗らかな声が掛かった。


 「流石は若輩ながら神崎隊長! 銃列が美しいのう」


 振り向けば、織田家家臣・佐々成政が腕組みをしてこちらを見ていた。その隣に、まだ木綿鎧を羽織ったばかりの木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がにやけた笑みを浮かべている。


 「佐々殿、木下殿。ご視察ありがとうございます」


 亮太は素早く頭を下げた。背筋に冷たい汗が流れる。彼らはただの上司ではない。自分の未来を左右する、歴史そのものと言っていい人物たちだ。


 佐々は火縄銃の列を見やり、「これほど揃った足軽衆を小牧で見るとは思わなんだ」と唸った。「だが――」


 彼は一歩踏み出し、後列の足軽の火縄を指で弾いた。「火は高く、風に弱い。敵が矢を射かければ、一度で半数は鎮火するやもしれんぞ」


 亮太はうなずき、懐から紙包みを取り出した。「油を染ませた麻布です。火縄の芯に巻き付ければ、簡単には消えませぬ」


 木下が目を丸くした。「ほほう、便利な小技だ。どこで学んだ?」


 「遠い国の兵学書で」


 ――ゲーム攻略Wiki、と口に出せるはずもない。


 佐々は満足げに笑い、肩を叩いてきた。「神崎隊長、その兵学書とやら、あとで儂にも貸してくれぬか?」


 亮太は戸惑いながらも頷いた。その瞬間、内心で警鐘が鳴る。ここで知識を安売りすれば、未来技術を無秩序に拡散しかねない。


 ***


[小牧陣屋/同日 午前]


 演習後、亮太は佐々とともに陣屋奥の作戦室に呼ばれた。地図机の上には美濃・遠江・三河の国境線が赤墨で塗られ、駒の代わりに小さな桧の札が並ぶ。札には部隊名と人数、そして――クラスメイトの名。


 「副備 山本武士(二百五十)」※先日の小諸前哨戦で戦功を立て、二十名の斥候隊から拡充された新編成と記されている。


 「佐藤雪(兵站・医薬)」


 札を見つめ、亮太の腹が冷える。タケシとユキ。かつての友と、淡い憧れの相手。その名前が敵方にあることは知っていた。しかし、札になって視覚化されると現実味が増す。


 織田軍評定では、三河侵攻の前段として、武田─上杉の衝突で国境が緩んだ隙を突く計画が議題に上っていた。その尖兵に選ばれたのが亮太率いる鉄砲隊五十と斥候二百。


 「神崎殿には、先遣として三河・今川国境を攪乱してもらう」


 戦評定役の柴田勝家が雷のような声で言った。「敵は寄せ集めの雑兵が多いとはいえ、油断は禁物。特に副備・山本武士なる若武者の働きは侮れぬ」


 亮太は拳を握った。タケシの名が、織田の武将たちの間で警戒対象として語られる。その誇らしさと同時に、かつての友情が遠ざかる音がする。


 評定が終わり、木下藤吉郎が小声で近づいた。「神崎隊長、今川潜入の話、乗るか乗らんかはお主次第やが――忍びには危険が多いで? 戻って来られんかもしれへん」


 耳元で囁かれた語尾は柔らかいが、そこには本音を測る鋭さが潜む。


 「承知しています。しかし、私は力を示さねばならない」


 亮太は言った。「心理戦では、先に覚悟を示した者が主導権を握るものだ」。現実の戦場でも同じだ。彼は歩み寄り、藤吉郎の手を取った。


 「必ず、銃声一発で敵陣を混乱させて戻ります」


 藤吉郎は白い歯を見せて笑った。「ええわ。ほな期待してまっせ」


 ***


[小牧原・兵舎/夜半]


 月が雲間に隠れ、兵舎は火桶の灯りのみ。亮太は部下の寝息を聞きながら火縄銃の分解整備をしていた。銃床の木目を指でなぞり、鉄板のネジを締めながら、遙かな現代の射的場を思い出す。


 ――体育祭でタケシに敗れたあの日。


 強さへの渇望が、彼をここへ導いたのかもしれない。


 思考を中断させたのは、軋む戸音と共に忍び込んだ影だ。黒装束、顔を布で隠しているが、目尻の泣きぼくろで誰かわかった。


 「美紀……?」


 影――田中美紀は軽く頷き、口を開かぬまま畳に巻物を置く。〈小諸城糧道略図〉と筆太に書かれていた。その裏には〈佐藤雪 直筆〉の小印。


 亮太が顔を上げるより早く、美紀は闇に溶けた。残された巻物が淡い灯りで揺れる。


 「……罠かもしれない」


 彼は囁きつつも、巻物を広げた。詳細な物資流通路と、橋の補修予定地が記されている。これを利用すれば、武田の前線補給を断つことができる――同時に、ユキを飢えさせることも。


 ゆらりと火が揺れた。外で風が鳴き、遠くで雷のような音が響いた。小牧原にはまだ嵐の兆しはない。それでも亮太の耳には、遠い山々で轟く砲声が聞こえた気がした。


 「……これで終わりにする」


 彼は呟き、決意を紙に刻むように拳を握った。友情か、勝利か。選ぶたびに、自分の人間性が削れていくのがわかる。


 ***


[翌朝・陣外の小川]


 澄んだ水面に、朝焼けが鉄色に映る。亮太は手桶で顔を洗い、冷たい水滴が頬を伝った。ふと空を見上げると、淡い雲が東から西へゆっくり流れていく。風向きは変わった。


 彼は息を吸い込み、胸の中で言葉をつぶやいた。


 ――タケシ、俺はここで未来を掴む。もし刃を交えることになれば、それは避けがたい宿命だ。だが……お前を討った後でさえ、この手が温もりを覚えているなら、俺は人でいられるのだろうか。


 彼の背後で、鉄砲隊の副長が呼ぶ声がした。「隊長、出立準備整いました!」


 亮太は振り返り、頷いた。


 「行くぞ。俺たちの銃声で、時代を塗り替える!」

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