ep 8
闘技場に、試合開始を告げるけたたましいゴングが鳴り響いた。しかし、アリーナの中央に立つ二人の間には、異様な静寂が漂っていた。無表情のたつまろと、恐怖に震える少年兵。観客席の熱狂だけが、現実離れした音量で二人を包み込んでいる。
(フフ…貴様の弱点は、病気の弟だけではないぞ、たつまろ。その心の奥底に残る、甘っちょろい感傷…それこそが、お前の致命的な弱点なのだ!)
観客席の特等席で、ゴルディはほくそ笑んでいた。この筋書きは、全て彼の計算通りだった。
「ひ、ヒィィ…!」
ゴングの音に驚いた少年兵は、その場にへたり込み、腰を抜かしてしまった。
「おい!立て!さっさと殺しちまえ!」
「そうだ!やれー!ぶっ殺せー!」
「キャー! 戦士様! そんな弱い子供、早く楽にしてあげてー!」
観客席からは、容赦のない野次と、嗜虐的な歓声が飛ぶ。血に飢えた獣のような視線が、震える少年に突き刺さる。
「う、うわぁぁぁ!」
恐怖と絶望、そして観衆からのプレッシャーに耐えきれなくなった少年は、半狂乱で立ち上がり、震える手で握りしめた剣を構え、たつまろに向かって突進した。ただ、がむしゃらに。
たつまろは、迫りくる小さな影を、ただ静かに見つめていた。そして、少年が振り下ろした剣を、こともなげに素手で掴み取った。
「…チッ」
小さく舌打ちをする。その表情に、わずかな苛立ちのようなものが浮かんだ気がした。
「ひ、ひぃぃぃ〜!」
剣を掴まれ、少年は完全に戦意を喪失し、その場で再び泣き叫び始めた。
「おい! 何やってんだ、たつまろ! 早く殺しちまえ!」
「そうだ! 金返せー!」
「審判! 何してる! どちらかが倒れない限り、試合は終わらないルールだろうが! さあ、戦え! 殺し合いを見せろ!」
観客の不満が爆発し、審判までもがたつまろを急き立てる。
その声に、少年は再び突き動かされた。彼は最後の力を振り絞り、たつまろが掴んでいた剣を力任せに引き抜き、そのまま彼の胸元を斬りつけた。
ザシュッ!鈍い音と共に、鮮血が舞う。
「う、うぅ…!」
たつまろの口から、苦悶の声が漏れた。彼は、信じられないといった表情で自身の胸元を見下ろし、ふらつきながらも数歩後退り、そして、ゆっくりとアリーナの砂の上に崩れ落ちた。
一瞬の静寂の後、闘技場は爆発的な興奮に包まれた。
「うぉぉぉーーっ! やりやがった! あのガキが、たつまろを倒しやがったぞ!」
「まさかの結末だ!」
「なーんだ、死んじゃったの、アレ。つまんなーい」
歓喜、驚愕、失望…様々な感情が渦巻き、観客は勝者となった少年兵そっちのけで、倒れたたつまろの姿に釘付けになっていた。
「フハハハハハ! 見たか! やったぞ! たつまろは死んだ! これで、ようやく枕を高くして眠れるわ!」
ゴルディは、席から立ち上がり、狂ったように高笑いを始めた。長年の恐怖から解放された安堵感が、彼の理性を吹き飛ばしていた。
その時、部下が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ゴ、ゴルディ様! 大変です! ユウが…! たつまろの弟のユウが、先ほど、息を引き取りました!」
ゴルディは一瞬、笑いを止めたが、すぐに再び哄笑した。
「ハハハ、そうか! それは丁度良かった! わざわざ始末する手間が省けたわ!」
彼は、アリーナでピクリとも動かないたつまろの亡骸を指さした。
「おい! そこのたつまろと一緒に、弟の方もゴミ捨て場にでも捨ててこい! 目障りだ! ハーッハッハッハッハ!」
勝利の美酒に酔いしれるかのように、ゴルディの甲高い笑い声が、血と砂埃の舞う闘技場に、いつまでも響き渡っていた。