表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/15

ep 3

あの日から数日後、たつまろの家の粗末な戸を叩く音がした。戸口に立っていたのは、意外な人物だった。巫女のユイだ。いつもの豪奢な衣装ではなく、少しだけ動きやすそうな、しかし上質な生地の服を着ている。その手には、布に包まれた小さな包みが握られていた。

「ここが、たつまろの家…」

ユイは少し緊張した面持ちで呟き、意を決したように再び戸を叩いた。

「へへっ、喜んでくれるかな」

その表情には、わずかな期待が浮かんでいた。

「なんだ?」

戸を開けたたつまろは、ユイの姿を見て少し驚いた顔をしたが、すぐにいつものぶっきらぼうな表情に戻った。

「あ、あの、これ!」

ユイは慌てて持っていた包みを差し出した。

「こ、これ!すっごい美味しいお菓子なの!よかったら、食べて!」

早口でまくし立てる。

たつまろは包みを受け取った。甘く香ばしい匂いが漂う。

「ん?ああ、菓子か。ユウが好きそうだな」

彼は家の中に声をかけた。

「ユウ!お客さんだぞ!菓子もらったから、お礼を言え」

「ユウ…?」

ユイが小首を傾げると、奥から小さな子供がとことこと走ってきた。たつまろの後ろに隠れるようにしながら、好奇心いっぱいの目でユイを見ている。

「なーに、にいちゃん?」

「この人に貰ったんだ。ちゃんとお礼言うんだぞ…えっと、名前は…」

たつまろが言い淀むと、ユイが慌てて名乗った。

「ユイ!僕の名前はユイって言うの!」

ユウはもじもじしながらも、小さな声で言った。

「ゆい、おねーちゃん…? ありがとう」

「えへへ」

ユイは嬉しそうに頬を緩めた。子供らしい素直な感謝の言葉が、彼女の心に温かく響いた。

「へえ、兄弟がいたんだね、たつまろ」

「ああ。…で?どうしたんだ?わざわざ菓子なんて持ってきて、何か用か?」

たつまろはまだ少し警戒心を解いていない様子で尋ねた。

「ううん、用ってほどじゃないんだけど…このお菓子、僕、好きだから、たつまろにも食べてもらおうかなって…。そ、それだけだから!じゃ、じゃあね!」

ユイは目的を果たしたとばかりに、そそくさと帰ろうとした。

「おい、待てよ」

たつまろが呼び止める。

「せっかく来たんだ。上がっていけよ。茶くらい出す」

ぶっきらぼうだが、それはたつまろなりの気遣いだった。

「え?いいの?」

ユイは驚いて目を見開いた。

その時、ユウがユイの服の裾をくいくいと引っ張った。

「うん!おねーちゃん、あそぼー!」

無邪気な誘いに、ユイの顔がぱっと輝いた。

「! うん!あそぼっ!」

あっという間に、ユウとユイは打ち解けていた。狭い家の中を、ユウがきゃっきゃと笑いながら走り回り、ユイがそれを楽しそうに追いかける。

「ユイおねーちゃん、まてー!」

「ふふ、待て待てー!」

「おねーちゃん」と呼ばれるたびに、ユイの頬が嬉しそうに緩む。

「『おねーちゃん』だって。初めて言われたな…フフっ、なんだか嬉しい」

その横顔は、巫女としての威厳はなく、年相応の少女のようだった。

「…そっか。兄弟、いないのか」

縁側で茶をすすりながら、たつまろが呟いた。

「うん。僕は兄弟どころか、親もいないんだ」

ユイはこともなげに言った。

「親も?」

たつまろが聞き返す。

「うん、分かんない。僕は生まれてすぐに親から離されたから、顔も知らない。巫女としての役目があるから、親を知る必要はないって、大神官様が…」

ユイの声には、諦めとも、無関心ともとれる響きがあった。

「巫女…」たつまろは眉を寄せた。「それで、お前、これからどうなるんだ?」

ユイは一瞬、動きを止めた。そして、たつまろの方を向き、静かに告げた。

「僕は、もうすぐ死ぬんだ」

「…死ぬ?」

たつまろの声が低くなる。

「うん。世界を救うために、巫女は命を捧げなきゃいけないって決まってるから。それが僕の役目なんだって」

ユイは、まるで天気の話でもするように淡々と言った。

「大神官様が、そう言ってた」

たつまろは、持っていた湯呑みを強く握りしめた。

「…死にたくねーなら、別に死ななくていいだろうが」

「え?」

ユイはきょとんとした顔でたつまろを見た。まるで、そんな考えは思いつきもしなかった、というように。

「や、やだな、たつまろ。僕が命を捧げなかったら、世界が…」

「世界がどうなるかなんて、俺は知らねえ!」

たつまろは声を荒らげた。

「けどな、ユイ、お前ひとりを犠牲にして成り立つような世界なら、そんなもん、こっちから願い下げだ!」

彼の強い眼差しが、ユイを射抜く。

「ユウは俺が守る。…ついでだ、お前も守ってやる」

「え? な、何言ってるの…? たつまろ、もう…」

ユイの顔が赤くなる。動揺で声が上ずる。そんなことを言われたのは、初めてだった。

「お前は、俺が守る。だから、心配すんな」

たつまろは、もう一度、力強く言った。それは命令でも、同情でもない。ただ、揺るぎない決意の表明だった。

「!!」

ユイは言葉を失い、ただたつまろを見つめることしかできなかった。胸の奥が、熱くなる。今まで感じたことのない、強い感情が込み上げてくる。

「…じゃ、じゃあっ、今日はこれで!」

ユイは弾かれたように立ち上がり、逃げるように戸口へ向かった。

ユウが駆け寄ってくる。

「ユイおねーちゃん、バイバーイ!また遊びに来てね!」

ユイは振り返り、少し震える声で答えた。

「…うん!また、遊びにくるよ!」

そして、家を飛び出した。

帰り道、ユイは何度もたつまろの言葉を反芻していた。

「……僕を、守る…か……たつまろ……たつまろ、かぁ……」

頬に手を当てる。まだ、熱い。それは、彼に叩かれた時の熱さとは違う、心の奥から湧き上がるような、温かい熱だった。巫女としての運命しか知らなかった彼女の世界に、たつまろという存在が、確かな光を灯し始めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ