ep 1
第二章 もう一つの未来
第一話:兎の人形の見る夢
深い闇の中、途切れていた意識の糸が、不意に繋がった。
(…ここ…は…?)
ユイは混乱していた。最後に覚えているのは、祭壇の眩い光と、たつまろへの祈り。死んだはずではなかったのか?
(僕は…どうなったんだろう…?)
ぼんやりとした視界が、徐々に焦点を結んでいく。見慣れた、しかし懐かしい街並み。活気のある声、行き交う人々。それは紛れもなく、あの日、たつまろと出会う前の、あの街だった。
(まさか…僕は、過去に戻ってきた…?)
驚きと共に、ある違和感に気づく。身体が、自分の意志で動かせない。視線も固定されたままだ。まるで、固い殻に閉じ込められているような…。
(身体が…動かない…? まるで…人形…?)
自分の手足があるはずの場所には、柔らかな布の感触。視界の端に映るのは、縫い付けられたような丸いボタンの目。
(う、そ…僕は、人形になってるの…? た、つ、ま、ろ……)
声を出そうとしても、唇は動かない。ただ、心の奥で彼の名前を叫ぶことしかできなかった。絶望的な状況の中、ユイは、動かない人形の体で、ただ時の流れを感じるしかなかった。
どれほどの時が過ぎただろうか。道行く人々の足音、喧騒、夜の静寂。人形のユイは、街角の隅で、ただじっと存在していた。
(あれから、何日経ったんだろう…? 太陽が昇って、沈んで…時間の感覚も、だんだんわからなくなってきた…)
動けない体、伝えられない想い。孤独と無力感が、ユイの心を蝕んでいく。
(たつまろ…たつまろに会いたい…もう一度だけでいいから…)
切ない願いが、人形の心を満たしていた。
その時だった。聞き覚えのある、ぶっきらぼうだが力強い声が、すぐ近くで聞こえた。
「今日は、もう少し売る場所を人が多い所に移すか…。あっちの広場なら…」
(!! この声は…!)
ユイの心が激しく波打つ。視界の端に、見慣れた姿が映った。日に焼けた肌、少し伸びた黒髪、背には野菜の入った籠。五年前、いや、この時間軸ではこれから出会うはずの、少年時代のたつまろだった。
(たつまろ! たつまろだ!)
心の声が、人形の中でこだまする。
たつまろは、ふと足元に落ちているものに気づき、足を止めた。
「ん? なんだこりゃ。こんな所に、兎の人形が落ちてる。汚れてるけど、まだ綺麗だな…」
彼は、人形を拾い上げ、その汚れを軽く手で払った。
「ま、いいか。ユウへのお土産にちょうどいい。あいつ、こういうの好きだからな」
そう呟くと、たつまろは人形を籠の隅にそっとしまい、再び歩き出した。
(たつまろ! 僕だ! 僕だよ、ユイだ!)
ユイは必死に叫んだが、声は届かない。しかし、温かい籠の中、彼の背中の温もりを感じながら、ユイの心は歓喜に打ち震えていた。
(拾ってくれた…! たつまろが、僕を拾ってくれた…!)
再び彼に触れることができた奇跡に、人形の目は潤んでいるように見えた。
陽が傾き、たつまろの家に着く頃には、ユイの心は少し落ち着きを取り戻していた。懐かしい土間の匂い、質素だが温かみのある家。
「ユウ! 帰ったぞ!」
たつまろが声をかけると、奥から小さな足音が聞こえてきた。
「おかえり、にいちゃん!」
幼いユウが、兄に駆け寄る。
「ほら、ユウ。今日のお土産だ」
たつまろは籠から人形を取り出し、ユウに手渡した。
「わーい! かわいい兎さんのお人形だー!」
ユウは目を輝かせ、人形をぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう、にいちゃん! 大切にするね!」
その純粋な笑顔に、ユイの心も温かくなる。
「今日の稼ぎも、まずまずだったな。これでまた、しばらくは心配ない」
たつまろは、満足そうに籠を下ろした。
(たつまろ…ユウ…)
ユイは、ユウの腕の中で、二人の姿を見つめていた。人形の姿のままだけれど、またこうして、大好きな兄弟のそばに戻ってくることができた。
(嬉しい…! また会えた…! この温かい場所に…!)
言葉は交わせなくても、自由に動けなくても、今はただ、この奇跡のような再会を、人形の心で噛み締めていた。これから何が起こるのか、自分はどうなるのか、不安は尽きない。それでも、今はただ、この小さな幸せが、ユイの心を明るく照らしていた。




