最終話 星の降る町で
勇一は、入院することになった。
足からの出血のほか、背中の傷、全身多くの怪我。骨にひびが入っている個所もあった。そしてなにより、想像以上に体が衰弱していた。ゴールデンハンマーや治癒の術があっても、やはりきちんとした医療による治療は必要だった。
『息子が母親を刺し、止めようとした叔父叔母、居合わせた人を暴行』
蓮の事件は、小さく新聞に載った。居合わせた人、とは勇一だ。
新聞やテレビでは「容疑者は精神を病んでいたようであり、その場で自殺した」と報じられた。警官たちが架夜子を目撃したことは、当然なにも報じられていない。集団幻覚というようなことで、内々に処理されているのだろう。壊れたお堂についても、もともと人に知られていなかったので、話題にはのぼらないようだ。しかしいくら鏡家とはいえ、すべて完全になかったことにはできなかったようだ。
傷害罪ではあるけれど、比較的小さな事件。どこかで起きるかもしれない、凶悪だけどいわば普通の、事件。
勇一は思う。
蓮にとっては、すごく屈辱なんじゃないかな。
崇高な存在、最高の術師と自分では思い込んでいたのに、「なんらかの理由で精神を病んだ末の、親族や一般人を巻き込んだ傷害事件」として扱われ、やがて人々の記憶から忘れ去られていく――。
きっと、しょせん凡人には理解できないんだ、とか言うのかもしれないけれど――。
勇一はベッドの上、天井を見上げていた。ふわふわと、天井付近を漂うなにかがいる。
白玉だ。
白玉は、ずっと入院中の勇一のそばにいた。
実は、傘も勇一のそばにいた。カバンの中、折り畳みの状態でいる。
夕闇に投げつけた隕石も、鏡家の誰かが見つけてお守り袋の中に入れ、持ってきてくれた。お守りとして、サイドテーブルに置いてある。
護られてる感、すごいな……。
三きょうだいも、父も、もういない。けれど、一度怪異と深く関わってしまった者は、人智を超えた「よい存在」とも「悪しき存在」とも繋がりができやすいのだという。
それでも。恐ろしい目にあっても、悲しい思いに心が引き裂かれそうになっても、人生が変わってしまったのだとしても。
この町に来てよかった、勇一はそう思っていた。
光咲の退院後、蓮の葬儀はひっそりと行われたという。
それでも、弔電や悼む声はたくさん届けられたという。皆、今までの「表面上の蓮」を信じていた。もしかしたら――、蓮の真の顔を見ても、涙を流してくれる人は少なくなかったのかもしれない。なにげなくしたこと、なにげなく発した言葉が、意図せず人を救うこと、支えることがあるから。
蓮は、きっと知らないままだ。人一人がいなくなるということが、どれほど大きな痛みと悲しみを残すか――。
「蓮も、あの者たちも、手厚く供養して参ります。私たちの手で、ずっと」
蓮の母、光咲がそうはっきりと告げたことを、勇一は忘れない。あの者たちとは――、架夜子、夕闇、黒炎、「父」、それから、「母」である。
「きっと、次の世では日の光に照らされた、明るい道を歩めるように――」
そう言って、光咲は泣き崩れ、光咲のご主人が美咲を支えた。
鏡家には、退治した化け物たちの供養塔があるそうだが、すでに「母」の墓は建てられていた。三きょうだいや「父」のなきがらは、「母」の墓に埋葬するとのことだった。
彼らは、共に眠る。ひとつの家族として、ずっと――。
「エビシャコ……、なんだっけ?」
幽玄が、尋ねる。
「エビシャコキモイ」
それは、銀硝空間で遭遇した化け物の名。勇一が見た目の感想から勝手に付けた名前だ。結構ひどい言われようではある。
「ああ、それそれ」
勇一はうなずいた。
「え。それで、エビシャコキモイが、どうした?」
突然、幽玄がエビシャコキモイの話題を出したから、勇一は不思議に思う。
「ゴールデンハンマー。あれは化け物たちにとってはダメージなのだろうが、『正』の力だ。エビシャコキモイは、あれを受けたことで、魔の力が弱まった。魔の要素の弱まったエビシャコキモイはきっと今後、普通の生物のように生きていくだろう。そういうわけで、エビシャコキモイが、こちらの世界に来るおそれはなくなった」
「へえ、そうなんだ!」
「ああ」
ちなみに、と幽玄は続ける。『父』へのゴールデンハンマーの攻撃もそういう意味で効いていたのだ、と。『父』の場合、力が強大過ぎてわかりにくかったが、あれでずいぶん抑えることができていたのだ、そう説明した。
「そうなんだ」
なるほど、と思った。でも、なぜ幽玄は改めて今、そんなことを伝えてきたのだろう、と思った。
「つまり、だ」
「つまり?」
「傘などで倒さなくても、弱いものなら、銀硝空間などからこちらに出られないようにすることが可能、ということだ。今後、私は銀硝空間などの異界をもっと頻繁に巡回しようと思う」
「倒さなくても済むってこと……!」
「そうだ」
幽玄は、微笑む。幽玄と共に活動してきた紫月はいない。優月も。それから、幽玄の一部のような刀も、失くしてしまった。あの半封印の空間は、封印されていた「父」がいたから存在した空間だった。「父」が出た瞬間、あの空間は消滅したのだという。鏡家のご先祖の祈りの込められた刀は、空間と一緒に消えてしまったのだ。
しかし、幽玄は憂いを残しつつも、笑顔だった。
ひのの創った新たな相棒、ゴールデンハンマーを手にして。
「ありがとう。勇一。今まで本当に」
「幽玄――」
幽玄と勇一は固く握手を交わした。そして笑い合い、軽く互いの拳と拳を合わせた。
星の宿での、あのときのように。
マンスリーマンションは、結局住むこともなく解約かあ……。
少しだけ、残念に思う。皆と――特に、ひのと――一緒に生活するのは、楽しそうだと思っていたから。
勇一は結局、会社契約のアパートでの生活に戻っていた。来週から、職場復帰予定だ。
ふと気づくと、テーブルの上のスマホが光っていた。誰かからの連絡だ。
『こんにちは。ひのです。体調はいかがですか?』
ひのちゃん……!
思わず正座してしまった。
『おかげさまで、父も母も、来週あたり退院できそうです。色々、本当にありがとう』
吉報に、勇一も嬉しくなる。
護さんも陽花さんも、退院できそうなんだ……!
心から、よかったと思った。
ひのの送ってきた文字を、丁寧に、しかしどきどきと焦りつつ、一文字一文字を目で追う。
『ゆかりちゃんも光咲伯母ちゃんも、色々大変そうだけど――、元気ですよ。もちろん、私も』
鏡家の皆が一連の後処理に忙しく大変なこと、悲しみの中でも懸命に頑張っていることが短く綴られていた。うん、うん、と勇一は一人うなずきながら画面をスクロールする。
『よかったら日曜日、会いませんか? 勇一さんの退院祝いと復帰前の景気づけに、おいしいランチはいかがですか?』
勇一の近くを漂っていた白玉が、驚いて飛び上がる。
勇一が突然、拳を突き上げながら立ち上がったから。
「よっしゃーっ!」
次の瞬間、いでででで、と身を屈めた。あちこち、まだ痛みが残っていることを忘れていた。
『アンテナで、受信しあう。合っている者同士が、引き合う。だから、自分のことをちゃんと肯定し、自分の気持ちに正直であること、いつも自分はこういう者ですって胸を張っていられること、そういう心掛けでいることが、自分と合う人に出会える、自分を見つけてもらえる近道なんじゃないかなって思う』
ひのの父、護の言葉を思い出す。
ひのにとって自分は、この広い世界の中でアンテナ受信し合えるような相手と思ってもらえるのかどうか、わからない。でも、正直であろうと思った。
連絡をもらって、嬉しい自分、心震わせているこの瞬間の自分を、伝えたいと思った。
「あ、もしもし、ひのちゃん? 今、いいかな」
勇一は、電話を掛けていた。
「連絡ありがとう。お父さんとお母さんのこと、本当におめでとう!」
そこまで話してから、いったん深呼吸した。白玉が、見守る。
勇一は、話し出した。こぼれ出るのはきっと、大切な気持ち。
「もちろん、日曜日――」
今このとき、勇一とひのは空間を超えて確かに繋がっていた。
「いらっしゃいませー」
コンビニの店員は、けだるげに来店のあいさつをした。月も星も凍りそうな夜だった。
黒く大きめの傘を持ったスーツを着た男性客が、レジ前を足早に通る。
あれ。ここ数日、ずっと晴れてたよな。明日も晴れらしいし。
まあどうでもいいけど、と思う。なぜ傘に目が行ったのか、自分でもよくわからない。
ほかに客もいないので、レジ近くの品出し作業の続きを始める。傘の男性がレジに来たら、すぐ戻れる算段だ。
かんっ、かんっ、と通路の奥から音が聞こえた。
傘で床をつついてる……?
ちょっとやばい客なのかも、と顔を上げる。耳を澄ますと、小さく男性の独り言が聞こえた。
「やっぱ、漏れてこっちに来ちゃうやつがいるんだよなあ……」
意味が、わからない。
男性がこちらに近づいてきたので、思わずびくっと肩が上がってしまった。
「これ。お願いします」
男性は、爽やかな笑顔で栄養ドリンクを一本、レジのカウンターに置いた。
「あ、ありがとうございますー」
特別、変わったことはなにもなかった。男性はなにごともなく買い物を済ませて店を出て、店員は品出しに戻った。
なにも起きず、なにも変わらない。店内に静けさが戻る。
店員は知らない。
誰にも知られず化け物は退治され、町は守られていく。
傘を持った男性と、小学生の女の子と、見えない着物姿の美しい青年と、それから一見普通の女性や男性たち、そして――、見えない毛玉怪物。
彼らは今日も戦っている。
化け物たちの眠る、星の降る町で。




