第80話 金色の空
光る壁の向こう、黒い雲間から星が見える。
空高く、ゆかりの結界は続いていた。
炎を吐かれても、直撃を免れたら大丈夫、なはず……!
白玉の背の上、勇一は、勇一を目掛けて上昇している「父」を見下ろした。
「父」の口が開き、その喉の奥、燃えたぎるような赤色が見える。もうすぐ、炎が放たれるはず――。
勇一は、深く息を吐きだし、そして吸い込んだ空気を腹にためてから全身に巡らせた。
隕石から創られた、傘を握りしめながら。
これで、終わらせる……! 俺の使命を、見事果たしてみせる……!
傘に、選ばれた。予言された大きな邪心と、戦うために。
勇一の心の中、架夜子、夕闇、黒炎との戦いがよぎる。そして、蓮の最期も――。
様々な思いに、押し潰されそうになる。勇一は、激しく首を左右に振った。
思いを、超えるんだ……! 思いに、潰されては、いけない……! ただ、俺が――。
そのとき、ぴっこん、という例のおなじみの音が、耳に届いた気がした。
しかし、勇一は集中していた。強い決意を込めて、心の中叫ぶ。
断ち切る……! 邪心からなる因縁を……!
これ以上の悲劇を生まないために。穏やかな時間を、取り戻すために、と。
蓮は、「宇宙の時間」を使ったとか言ってた……。俺は、宇宙の力、星々の力を、守るために使う……!
「行くぞ……! 傘……! うまく逃げろよ、白玉……!」
勇一は叫び、白玉の背を強く蹴り上げ、そのまま――、白玉から飛び降りた。
星々が、天空から見守る。勇一は、風を全身に受けた。
勇一は、白玉から大きく飛んだ、そのつもりだった。
いってえっ。
勇一の密かな作戦と現実には、非情にも乖離があった。
移動する白玉と飛び降りる勇一の間に大きな空間を生じさせ、そこを「父」の炎が通り抜けるようにする。そして勇一は万有引力で落下しつつ、なんとか傘の導きで体をひねらせ迫りくる「父」の頭の上を通り抜け、「父」の体に傘を突き立てる、そんな一連の成功の流れを頭に描いていた。
しかし、実際は。
蓮にやられて負傷した両足、激痛でうまくジャンプできなかった。勇一が飛び上がったのは、およそ一センチ。
白玉は勇一の意図を察して――たぶん、勇一の脳内の閃きが傘に伝わり、傘から白玉へそのアイディアが伝播する、そんな流れがあったのだろう――、勇一の動きの反対方向へ移動していたが、勇一の想像以上に白玉と勇一の距離はできなかった。
炎、来る……!
熱が、光が、勇一の顔面に迫る。
消えろ、早く、炎っ!
ゆかりの術のおかげで、炎は長く存続しえないが、落下する勇一と吹き上がる炎との距離は――。
全然避けられ……!
視界が、赤に染まる。勇一は、歯を食いしばった。
ここまでか……!
震えながら死を覚悟した、そのとき。
ぴっこん!
どうしたことだろう。鳴り響く、軽快な高音。
今度は確かに聞こえた。あのキャッチィでラヴリィな「ぴっこん」という音。
ええええ!?
勇一は、今、風を感じていた。ただ落下の風圧ではなく、いったん舞い上がり、大きく弧を描いてからの、ふたたびの落下、という翻弄される体感。
舞い上がったとき、体がひねられ、一瞬、見えた。
幽玄……!
それは、幽玄の姿。幽玄の、ゴールデンハンマーのフルスイング。まるで、プロゴルファーのごとき完璧なフォーム。
幽玄は、思いっきり勇一を高く飛ばしていた。おそらく迫る炎から、勇一を逃すために。
「父」を叩くんじゃなくて、俺を叩くのかーい!
そんなことを思いつつ落下する勇一を、すくい上げるようにふわふわの毛玉が飛んできた。白玉だ。勇一の体は、バウンドしつつも無事白玉の上にあった。
ゴールデンハンマーの音が、連続して聞こえる。幽玄が「父」と戦っているのだ。ああそうか、と勇一は気付く。白玉の背から飛び降りる前、音が聞こえたような気がしたが、あれは幽玄が「父」を打ち付けた音だったのか、と。
ただ勇一を叩いて炎から守ってくれただけでなく、その前に幽玄はちゃんと「父」のことも攻撃していたのだ。
でもゴールデンハンマー、武器として大丈夫、なのか……?
急ぎ、幽玄と「父」の激闘の渦へと向かう。出ている音がかわいらしすぎるのだが、激しい攻防自体は「激闘」に違いなかった。勇一は、効果音の重要性、などという、映画やドラマなどの効果音をまったくそぐわない別の音源に変えてみる検証動画を思い浮かべていた。音を関係ないものに差し替えると、シリアスであればシリアスであるほど、笑えるものとなるものだ。
って、そんなことより、幽玄に加勢しなければ……!
流れるように飛行し、果敢に攻撃し続ける幽玄に視線を留め、勇一は冷水を浴びせられたようにハッとした。
ゆかりちゃんが、いない!
幽玄の腕に抱えられていたはずの、ゆかりの姿がない。地上に降ろしてきたのだろうとは思う。でも、幽玄はゆかりが「集中状態にある」と言っていた――。
そんな状態のゆかりちゃんを、一人置いておくのは危険だ……! 一刻も早く、決着をつけなければ……!
「父」から吐き出され続ける炎。照らされた幽玄の姿は小さく、はかなく見えた。
加勢じゃない、俺が、やつを、倒す――!
呼吸をする。深く、深く。飛び続ける白玉に、勝機を賭ける。
冷たい風を切り、突き進む中、勇一は目撃した。
恐ろしい光景に、息をのむ。
ついに、掴まっていた。幽玄の華奢な体が、「父」の大きな拳の中に――。
幽玄……!
『勇一、集中しろ』
傘の声が、脳内に響いた。
でも、幽玄が……!
『だからこそ、集中するのだ! 己の役割、そこにすべてを向けろ……!』
おそらく、ものすごい力なのだろう。幽玄の顔に、苦悶の色が浮かんでいる。
『勇一! 助けようとか、倒そうとか、考えるな! ただ、信じろ! 私の力を! お前の力を!』
そんなこと、言ったって……!
鼓動が速くなる。歯の根が合わず、涙がこぼれそうになる。もういやだ、と思う。目の前で、失われる大切な命を見るのは――。
『星を、思い出せ! 勇一!』
星……?
傘の声に、一瞬、星のまたたきが見えた気がした。
星――。
『運命って、信じる?』
それは、傘の声ではなかった。夢で見た、流れ星の声だった。
勇一は、まっくらな空間にいたことも思い出す。星の宿の天体観測の、あのとき――。
勇一は、不思議なことに宇宙から地球を見ていた。そして、思った。
輝く星。ここに、俺のすべてがあるんだ、と。
そして、傘と共に、地球を目指した。
思いは、ひとつだった。
還るんだ。地球に。自分の世界に。みんなのいるところに。
幽玄の手から、ゴールデンハンマーが滑り落ちる。落下していく、地上に。「父」に握られ続け、幽玄の体から、白いもやが昇り始め――。
勇一と傘は、ひとつになった。
強い風を感じる。「父」の四本の腕のどれかが、勇一を叩き潰そうとしたに違いない。
勇一は、それを潜り抜けた。
ただ、力を込めた。傘を、繰り出す。鋭い先端を。
がああああ……。
恐ろしい咆哮が、辺りに響き渡った。
勇一は、「父」の脇腹に、傘を突き刺していた。
「お、ま、え」
たどたどしく呟く、それは、美しい青年の姿をしていた。
勇一の目の前には、その青年だけがいた。
星明りに輝くような白い髪、金の瞳の青年。あの巨人のような姿は、どこにもない。そして、あの怪物に握りしめられていた幽玄の姿も。
「あなたが、『父』か」
傘は、青年の脇腹に深く突き刺さったままだ。
「それ、は、特殊な力、か……。よく、も、我ら、家族、を……」
勇一の頬には、涙が流れ落ちていた。
「あなたを、送りに来ました。あなたがたの、魂は――」
「地獄に、送る、ということか」
勇一は、首を左右に振った。
「いいえ。大いなる、循環の中に――」
青年の瞳が、大きく見開かれた。しかし、それはほんの一瞬のことだった。
そうか、とだけ青年は呟いた。
「お前は、そういう、役割の、者、か……」
勇一は少し戸惑ったが、うなずいた。そうしたほうがいいような気がした。青年のために。
青年は、空を仰いだ。遠く、遠いところを見ている。
「長い……、長い、時だった、な……」
青年は――、瞳を閉じた。どこか、安堵したような表情を浮かべている。
それきり、青年の唇から言葉がこぼれだすことはなかった。星のきらめきのような瞳が開かれることも。
永遠に。
沈黙が、支配する。
静かに、風が通り抜けていった。
「幽玄……!」
草むらの中、幽玄は倒れていた。弱弱しく、白いもやのようなものが出ている。
幽玄! 死ぬな……!
勇一は、すぐ近くにゴールデンハンマーが落ちていることに気付く。
ぴっこん、ぴっこん、ぴっこん!
連打した。泣きながら、繰り返し叩いた。
ひのちゃんの、治癒の力……!
勇一が高くゴールデンハンマーを振り上げた、その瞬間。
「今までの恨みとか、こめてない……?」
幽玄の微笑みに、出会う。
「幽玄……!」
ダメ押しの一打をするのをやめ、勇一は、幽玄を抱きしめていた。
「幽玄、勇一さん……!」
長い草をかき分けるようにして、ゆかりが駆け付けてきた。
「ゆかりちゃん……! ゆかりちゃんも、無事だった……!」
笑顔をかわし合う。勇一も、幽玄も、ゆかりも、白玉も、そして、傘も。
みんな、無事だった……!
『運命って、信じる?』
笑った。泣きながら。今ある確かなぬくもりを、感じつつ。
星たちの、くすくす笑いが聞こえる気がした。
広がるのは、きっともうすぐ。疲れた心と体をあたためるような、金色の空が。
勇一の待ち望む新しい幕開けに違いなかった。




