第76話 もしやのゴールデンハンマー
足からの出血は、まだ止まらない。もっとも、止血をしていないせいもあるのだが――。
一刻も早く、蓮をなんとかしなくては……!
勇一は、肩で荒く息をしつつ、急いで考えを巡らす。勇一の目の前には、恐ろしい術師、蓮。
銀硝空間の空の上、勇一と蓮は互いににらみ合う形となっていた。
勇一を乗せて飛んでいる白玉の背も、勇一の血でところどころ赤く染まってしまっている。
「勇一さん。その傘で、ある程度防げるとはいえ、僕の術をもう一度受けたら、果たしてどうなるかな」
蓮は、小首を傾げ、くすくす笑いをしていた。
勇一に勝機があるとしたら、蓮が己の能力に酔い、勇一を侮っている、その一点だけと思えた。
「そうだ!」
なにか閃いたようで、蓮は両手をぽん、と叩き、無邪気な様子で顔を輝かせた。
「せっかくだから――、勇一さんで、僕の術の実験をさせてもらおうかな」
蓮はそう告げると、指で印のようなものを結ぶ。
「今度の術は、どこまで防げるのか、ちょっと見ものかな……」
まずい……!
新たな呪文攻撃が来る、そう思って勇一は開いた傘を前に突き出し、身を屈め、できるだけ全身が傘で隠れるようにした。ひざを曲げてしゃがんだが、その際複数の裂けた皮膚が開き、思わず勇一はうめき声を上げた。
これで、防ぎきれるか……!?
勇一が、祈るような気持ちで傘の護りの効力を信じた、そのとき――。
ドンッ!
え、と思った。なぜか尻に強い衝撃を感じ、同時に風を感じた。
この感覚は――!
落下。勇一は、開いた傘を握りしめたまま、白玉の背から落下していた。
蓮の嘲笑が、追い掛けるように降ってきた。
「あははは! 勇一さん、大事なお尻が、がらあきだよ! だから、蹴ってやった! 呪文っていうけどさあ、僕、今日はずっと呪文ばっか使ってるんだよねえ! 素人の君にはわかんないんだろうけど、やっぱ術の連続行使は疲れるんだよ! 君ごときに、これ以上の術を使うのはもったいないからね! 術の実験なんて、あとでいくらでもできるよ。なんたって、人間っていうのは世の中に山ほどいるからね……! 特に、君みたいに相手の言葉を額面通り受け取る、お人好しで間抜けな人間はね……!」
呼吸を整え、心を落ち着けて傘との連携が取れていた状態なら、勇一でも蓮の気配や意図に気付けたかもしれない。
蓮は、呪文攻撃と見せ掛け、勇一が傘の陰に隠れて視界が塞がれた状態のところを狙って、勇一の背後に回り込んで白玉の背から蹴り落したのだ。
白玉……!
落ちていく勇一を、ふたたびその背に乗せようと、必死な様子で急降下する白玉の姿が、視界に映る。
「そいつ、ゆかりの作った使役鬼なんだろ? 僕が今、ほどいてやるよ。化身の紫月のときのように……! また術を使うのはめんどいけど、幽玄とは違ってゆかり一人が作ったこんなものは、簡単に――」
なんだって……!
全身に風を受けつつ、蓮の言葉が勇一の耳に突き刺さる。勇一は、たまらず声を張り上げた。
「やめろーっ!」
紫月だけでなく、蓮は白玉までその手に掛けようとしている、勇一はその瞬間、落下する自分を助けてくれる存在が消えるという恐怖より、白玉という大切な存在が消えること、その悲しみと怒りだけが心にあった。
白玉、白玉だけは……!
自分を必死に守ってくれた、白玉。おいしいものを嬉しそうにぺろりと平らげる白玉。共に喜び、共に笑い――。
白玉……!
勇一の目から涙があふれたそのとき、体に軽い衝撃を感じた。白玉が勇一の下に素早く潜り込んで支え、間一髪、勇一の地上への落下を防いだのだ。しかし――。
銀硝空間の空高く、勇一と白玉の頭上に立つ蓮。勇一を冷たく見下ろす蓮の唇は動き、呪文が生まれようとしていた。
「やめてくれーっ!」
勇一は、傘を掲げた。傘で、防ぎきれるだろうか。白玉、なるべく小さくなってくれ、傘で隠れてしまえるように、と勇一は叫ぼうとした。
ぴっこん!
謎の甲高い音が、空に響き渡る。
「え」
勇一は、己の目と耳を疑った。
勇一が見たのは、吹っ飛ばされる、蓮。それはそれは美しく、きれいなまでの横移動。
一体なにが、と勇一の理解が遅れる。
吹き飛ばされる蓮の軌道の起点には――、幽玄がいた。
「おお。さすが、ゴールデンハンマー」
幽玄の手に、謎の大きな黄金のハンマー。幽玄は、大きく横にハンマーを振り払った姿勢のまま、呟いていた。
幽玄が、だるま落としを叩くかのごとく、横から蓮を思いっきりスイング、叩いていたのだ。そして、謎の「ぴっこん!」は、どうやらハンマーから出た音のようだった。
勇一の心にこみ上げる、安堵と喜び。
「幽玄、無事だったか!」
と、勇一は歓喜の声を上げたいのと、
「幽玄、あの『父』を倒したのか……!」
と、どうやって駆けつけてくれたのか尋ねたいのと、
「幽玄、優月さんはどこに……?」
と、訊きたいのと、
「幽玄、白玉の危機を救ってくれて、本当にありがとう……!」
と、感謝したいのと、
「幽玄、なんなんだ、そのゴールデンなハンマーみたいなハンマーは、もしや本当のゴールデンハンマーなのか!?」
と、問いただしたいのが一度にごっちゃになって、そのとき実際に勇一が叫んでいたのは、
「幽玄、無事で倒して優月さんと白玉とありがとうで、それはもしやのゴールデンハンマー?」
と、思いっきりごっちゃになっていた。
「もしやのゴールデンハンマー……」
幽玄が勇一の言葉をそのままなぞった、そのとき。
「幽玄、貴様……!」
横移動をやめ、遠くから蓮が叫んでいた。どうやら、痛烈なハンマーの一撃を浴びても、蓮の体は無事のようだった。
「勇一、大丈夫か?」
幽玄は、勇一と白玉のもとへ降りてきた。勇一の傷をなにより心配しているようだった。結果、叫んでいる蓮を無視する形となる。
「幽玄、俺はなんとか……。それにしても、いったい――?」
勇一の体は正直悲鳴を上げ続けていたが、幽玄が安心するよう、無理にでも笑顔を作って尋ねた。疑問が大渋滞しているせいもある。
「勇一……。優月様は、私を逃がすためにお力を使い果たされ、とうとうお命を失ってしまわれた――。『父』は、あのままあの空間にいる。私は戦いの中、空間に刀を置いてきてしまった。このゴールデンなるハンマーは、意識を取り戻されたひの様がお創りになったゴールデンハンマーだ」
「優月さん……!」
幽玄は、手短に状況を説明した。優月のことを報告する際、幽玄は声を詰まらせ、勇一も悲しすぎる報告に衝撃を受けた。
なんてことだ。紫月さんだけでなく、優月さんも――。
「私を逃がすために」と伝えた幽玄。勇一は優月の『死』を心から悼み、同時に幽玄の心も案じた。
蓮の怒声が響く。
「くそ、幽玄……、お前の甘さなのか、僕を軽く見てるのか! 僕を無視し、そっちを優先……」
高過ぎるプライドのせいか、自分への追撃より勇一のほうへ行った幽玄の判断が、蓮には許せないらしかった。しかし声は、不自然に止まり、それから蓮の顔は斜め下方、地上に向けられていた。ほぼ同時に、幽玄の視線も蓮の見ているほうへ注がれていた。
「え。なに。なにかあっちにあるのか……?」
蓮と幽玄がなにに注意を向けているのか、勇一は疑問に思い尋ねる。
「化け物だ」
幽玄は鋭い眼光で、そう告げた。
「え」
「もともと、銀硝空間には化け物が住んでいる。ここをはじめとする異界から時折現れる化け物の退治も、鏡家の仕事の一つとなるわけだが――。化け物が、今、あの方向にいる」
こんなときに……!
「ふふ。これは――、面白いことに、なってきた、かな……?」
蓮がそう言い残し、飛行を始めた。
それは、蓮と幽玄が見つめていた先、化け物のいるとされるほうへ――。




