第75話 新しい武器
最悪の状況を覚悟した。しかし、まだ最悪のときではなかったようだ。
ひのは意識を失っているだけで、生きている――、その事実に幽玄は安堵した。
「ひの様……!」
もつれるような足で、なんとかひののもとへたどり着いた幽玄は、長椅子に横たわるひのの耳元に呼び掛けた。
本当は抱き起したかったが、頭を打って意識を失っている可能性も考えて、声掛けに留める。
「ん……」
ぴくり、ひのの眉がかすかにしかめられ、閉ざされていた柔らかな唇がほんの少し開く。
ひの様、もう一度、幽玄は呼び掛けた。
「だあああああっ!」
こてん。
尻もち。幽玄は目が点になり、冷たい廊下に尻もちをついてしまっていた。ひのが突然両目をくわっと見開き、叫び声をあげていたからである。一刻も早く目覚めてほしいと願っていたが、まさかただでさえ大きな目を極限まで見開き、野太い雄叫びをあげるとは思っていなかったのだ。
「びっくりした」
おかげで、よかった、とか大丈夫ですか、とか喜びやいたわりが再会の第一声とはならず、ただ己の心情を口に出すという薄情かつ非礼なものとなってしまった。
「あああああ! やっと声出る、立てる、動けるっ!」
尻もちをついたままの幽玄に対し、ひのは長椅子から元気よく飛び降り、両手を前に突き出したり両足を広げた状態で膝を曲げ腰を落としたり、意味不明にごちゃごちゃうるさく動いていた。動きなのに、うるさい。お笑い芸人の大袈裟な身振り手振りのような、コミカルで意味不明な動作。この動作に、意味があったらかえって怖い、と思えるほどの。
「あ。ごめん。幽玄ちゃん。私、戦ってたの。蓮の術と」
ひのは幽玄の手を取り、幽玄を長椅子に座らせてあげた。さっきまで意識を失っていたひの、逆に幽玄をいたわっており、なんだか立場が逆である。
「蓮に、額を抑えられた。そこから、ぼうっとして……。でも、だんだんぼんやりした意識がはっきりしてきて――。でもなにか、声みたいなものは聞こえたんだけど、内容はわからないし、金縛りみたいに目も開けられない、体も動かせなくて――」
ひのの話によると、突然現れた蓮によって意識を失わされたようだ、とのこと。勇一の声も遠くで聞こえたような気がする、とまで話したところで、ひのは、
「蓮! 蓮は!?」
長椅子に座る幽玄の両腕にしがみつくようにし、尋ねた。話しているうちに、ひの自身も状況を改めて把握してきた、といった様子だった。
「勇一さんも、どこ!? 声がしたはずなんだけど――」
そして、ひのは息をのんだ。血。血だまりが残され、廊下のあちこちに、血が飛び散っていた。
「勇一さん――!」
力なく崩れ落ちそうなひのを、幽玄は抱き留めた。呼吸が荒く、動揺が激しいひのを、なんとか幽玄は落ち着かせようと、抱きしめながら大丈夫、きっと大丈夫ですよ、と繰り返した。声掛けや触れることでつなぎ留めないと、今にも、ふたたび気を失いかねなかった。
「ひの様、私も異界からこちらに出たばかり、状況がわかりません。でも、きっと勇一は無事です。彼は強い。そして、勇一は傘の使い手、予言の者です」
「異界……?」
震える声で、ひのが訊き返した。
「はい。三きょうだいやその『父』がいた、半封印の世界です。鏡家の封印の術で生まれてしまった空間のようです。そこから、蓮も勇一も、そして私もここへ来ました」
そこまで告げ、幽玄は気付く。血という生々しくむごたらしい戦いの痕跡があるが、この建物――病院――には破壊のあとはない。「輸血室」という扉は、固く閉ざされたまま、なんの異変もないようだった。
「もしかして……! 銀硝空間……!」
幽玄とひのは、ほぼ同時に言葉を発した。蓮と勇一は、銀硝空間に移動したのではないか、と。
「ひの様。銀硝空間に行ってみます。私が必ず――」
「幽玄ちゃん、待って……!」
銀硝空間に移動しようとした幽玄を、ひのは止めた。
「幽玄ちゃん、すごく……、疲弊しているように見えるよ。エネルギーが、ひどく弱まっているように感じる。それに――」
ひのは、幽玄の腰の辺りに視線を定める。
「ただ疲弊のためじゃなく、エネルギーが今までになく弱く感じられるの……。その理由は……、刀……。今、刀が、なくない……?」
ああ、お気付きになられてしまった――。
刀がないこと、それをひのは感じられるエネルギーの変化から気付いてしまっていた。
「でも、私は戦えます。むしろ、蓮が相手なら、刀などないほうが安心です」
斬ってしまいかねない、と思った。蓮をいざ目の前にして、使役鬼としての枠に留まれるか、自信がない。
「幽玄。目を閉じて」
ひのは、幽玄の両手を取った。
「治癒の術、癒しの術を送ります」
あたたかい――。
陽だまりの中にいるようだった。全身が、ぬくもりと光に包まれるようだった。
ああ、体中が癒され、力が湧くよう――。
刻一刻と自身のエネルギーが回復してくるのを、はっきりと感じた。
さすが、高い治癒能力をお持ちの、ひの様。ですが、これほどの術を、私などに――。
力が満ちてくる。きっと光咲にも使っただろう治癒の力、短時間に大きな術を使い続け、ひの自身の体が大丈夫か、幽玄は心配になっていた。
「それから――。うまくいくかどうか、自信ないけど。うんと頑張る」
ひのは、幽玄の手を握りつつ、むむむ、と小さくうなり、なにか念じ続けていているようだった。
ひの様……?
ひのは、呪文を発していた。
「……マックス、マックス……、武器マックス、我望む、とにもかくにも強力な武器、南無三、SSRガチャ降臨……!」
え。なにを、おっしゃってる、の?
長年生きてきた幽玄でも聞いたことない謎呪文に、思わず閉じていた目を開けてしまった。刀がないという流れ、不思議な呪文の中で聞こえてくる単語から想像すると、刀に代わる武器を生み出そうとしているのではないか、と思えた。それにしても、変な呪文――。
カッと、光が降りてきた。まるで廊下の天井を抜け、稲妻が落ちたようだった。
うわ。
ずしん、とした手応えを感じた。ひのに握られていたはずの幽玄の右手は、今――。
「ゴールデンハンマー!」
黄金色の、大ぶりのハンマーを手にしていた。
「これで、戦える、よ、ね」
たどたどしくそう言い終えると、どさっ、と、ひのは長椅子に横たわった。
「ごめん。幽玄ちゃん。もう、疲れちゃ……」
「ひの様……!」
目を閉じたひの、口からは寝息らしき息。疲労のあまり、ふたたび意識を失った――今度は寝落ち――ようだ。
これが、新しい武器……!
「ひの様……。私のせいで……、申し訳ありません――」
眠ってしまったひのをこのままに行くのは心配ではあったが、しかし一刻の猶予もなかった。
ひの様のためにも、私は――!
幽玄は、大型犬の仔犬ほどの大きさのある金色のハンマーのヘッドを、ぎゅっと胸に抱いた。
そのとき。
ぴこ。
抱きしめたとき、ヘッドがぴこ、と鳴った。
え。
なんだ、今のは、と思った。幽玄、またもや目が、点になる。今までにない手応えになんだろうとどきどきし、試しにもう一回とばかり、手のひらにヘッドを軽く当ててみた。
ぴこ。
え、え、え、とうろたえた。そして、さらに手のひらに当て続ける。当てるたび、ぴこ、ぴこ、ぴこ、とかわいい音が量産される。
これ、武器!? か!?
今までの刀とだいぶ違う風体かつ威力に、幽玄は戸惑いを隠せない。
しかし、幽玄に、ぴこぴこしている暇はなかった。
癒しの女神、ひの様の武器。今の私には、このほうがちょうどいいのかもしれない――。
使役鬼の道を外れ、鬼となり果ててしまったら、間違いなく鏡家から退治される側となる。
そうなれば、ゆかりやひの、そして、勇一――、心優しき皆の苦悩は一層深いものとなってしまうだろう。
勇一。どうか、間に合ってくれ……!
SSRガチャ降臨、とひのの謎の呪文をお守りのように心の中でなぞりつつ、幽玄は銀硝空間へ飛んだ。




