第71話 父
勇一を乗せた白玉は、飛び続ける。
なにもない空間だった。
暗いだけ。なにも見当たらない。
勇一は、「鍵の間」を思い出していた。「鍵の間」よりは目が効き、辺りが見えるようだったが、それにしても空間自体なにもなかったので――立てるので地面があり、飛べるので空があるようだが、ただただひたすらそれだけで、生物もいなければ岩や山などの自然物もない――、目印となるものはなく、真っ暗闇と大差ないように思えた。
無、の世界なのかな。
半封印の世界、とゆかりは呼んでいた。勇一は、次第に心細くなってきた。
こんなところに、「父」や架夜子たちはいたのか。
ここから出たいと思う、連中の気持ちがよくわかる気がした。右も左もわからない、なにもない暗闇の世界。長くいたら、気が狂いそうだった。
いや――、やつらに同情しては、だめだ。
封印されたのは、封印されるべき存在だったから。「半封印」という状態は、不幸なことであったが――。
俺はニンゲン。ニンゲンの思考で判断し、ニンゲンの思考で決断し、行動するしかないんだ。
勇一は、心の中ではっきりと線を引いた。
では、蓮は……?
蓮は「ニンゲン」。やはり、ニンゲン社会を守る知恵の結晶、司法に委ねるしかない、と思った。
父は退治……。蓮は、捕まえる方向で……!
術師という蓮。勇一にとって、得体の知れない相手。捕まえるといっても果たしてうまくいくかどうか、疑問ではあったが――。
やるしかない、難しくても全力で挑むしかないんだ、と勇一は覚悟した。
「幽玄っ、蓮たちがどこにいるのか、わかるのか?」
先を飛ぶ幽玄と優月の背に、勇一は質問した。
「強い気配の痕跡を辿っている。たぶん、蓮も一緒だろう」
テキトウじゃ、なかった。
幽玄の返事に、ちょっと胸を撫でおろす。
先ほどから、もしかして当てずっぽうなのでは、と思い始めていたからだ。
幽玄は、振り返りもせず、告げた。
「勇一。気配の痕跡を辿れるということは、敵の力がそれだけ強力ということだ」
えっ。
幽玄の声は、淡々としていた。
「さすが連中の父。三きょうだいと比べ物にならないくらい、強い」
胸の撫でおろし、撤回、と思った。
全然安心できねえ……!
いや、もとより安心している場合ではない、改めて気を引き締める。
「勇一」
「な、なんだ……?」
「辿っている必要も、なくなりそうだ」
幽玄の言葉に、思考が止まる。
「向こうから、来た」
は……。
ここがなにもない空間、ではなかったことを思い知らされる。
低い声が、響いた。
「き、さ、ま、ら……!」
すごい勢いで迫る、なにか。それが声を発していた。
「父」だ……!
金色の目を光らせた、四本腕の身の丈三メートルはありそうな化け物だった。「父」の本来の姿だ。
「血の匂いが、する……! お前たち、お前たちが、愛しい我が子たちを……!」
空気を震わすような、激しい怒りが迫ってきた。勇一は、傘を構える。白玉は、そのとき動きを止めていた。
これが、「父」……。
圧倒されていたのかもしれない。勇一も、白玉も、迫りくる脅威を、半ば呆然と眺めてしまっていた。
「お前が、『父』か……!」
先に動いたのは幽玄。幽玄が、叫び、刀を走らせた。
しかし、「父」の太く長い腕が、繰り出される。キンッと鋭い音がした。
「なにっ……」
幽玄の唇から、驚きの声がこぼれ出る。
どうやら、「父」の皮膚は、幽玄の刀が通用しないのか、弾き返していた。
続けざまに、次の腕、次の腕、と複数の腕が幽玄に襲い掛かる。幽玄は、刀で打ち付け、または飛び避け、「父」の攻撃をかわした。
「勇一、白玉……! 動くな!」
勇一を乗せた白玉が、幽玄と「父」のもとへ飛ぼうとしたが、幽玄が制した。
「幽玄、なぜ?」
勇一自身、加勢するつもりだった。もっともその場を動かなくても、「父」のほうから幽玄との攻防の合間にこちらへ牙を剥くだろう。いっそのこと初めから、自分と幽玄対「父」という、二対一の戦闘のほうが有利なのでは、と思った。
村人A理論か……!
それは、勝手に勇一が脳内想像していた理論である。武術の達人同士の戦いに、村人Aが突っ込んで行ったら逆に迷惑かつただの自殺行為だろう、という仮定。
「途方もない力、得体の知れなさがある……! 勇一、お前は――」
四本の腕から次々と繰り出される攻撃をかわし、鋭く斬りかかりつつ、幽玄は勇一へ大声で返す。
しかし、幽玄の言葉に被さるように、「父」の声が暗闇に響き渡った。
「大量の血の匂い……! お前たちが、あの子たちを……、殺したのかーっ!」
その叫びは、ただ荒れ狂う悲しみと怒りを、強く発しただけのものなのかと思った。
炎。「父」は大きく首を振るようにして開けた大きな口から、炎を放出させた。渦を巻く、炎の柱。幽玄や優月、勇一たちに向かって、広範囲を焼き尽くすように――。
「護りの盾、炎を通すこと叶わず!」
炎が届く一瞬前、素早く唱えられた優月の呪文。しかし――。
熱い……!
炎の波に飲み込まれたようだった。暗闇だった視界が、赤とオレンジでいっぱいになる。一瞬で大量の汗が噴き出すのを感じた。
でも。苦しくない。
痛みも息苦しさもなかった。熱さも、実際の炎の熱さより比較にならないくらい抑えられているのだと思った。
優月さんの呪文のおかげだ……!
「勇一」
炎の海の中、いつの間にか、幽玄が勇一のすぐ隣にいた。
「私と優月様で、ここはなんとかする。蓮が、いない。蓮が、一人でこの空間に居続けるとは思えない。おそらく、もうすでにどこかへ出た。勇一、お前は蓮を追い掛けろ」
「えっ」
意外な幽玄の指示に、勇一は息をのんだ。
「優月様、勇一に、道をお示しください」
勇一が幽玄に尋ねる間もなく、幽玄は優月に懇願していた。
揺らめく炎の色の向こう、優月はうなずいた。そして、唱えた。
「光よ、明示せよ。強大な魔の通りし道を。開け放たれた扉、その痕跡を照らせ」
幽玄と優月様だけで、この怪物を……!? そんな……!
迷っている時間はなかった。幽玄の声が、続けざまに耳へ届く。
「勇一、白玉! 青い光だ! 地面の青い光を辿って行け……! そして、扉。蓮が作った扉も、青く光っていると思う」
「幽玄、ゆづきさ……」
「早く行け! すべてを察した様子の『父』は今、混乱のさなかにいる。隙のある状態の今が、チャンスだ……!」
幽玄は、指差した。まだ勇一の目には灼熱の色しか見えないが、指差す先に青い光があるらしい。
「わかった……! 幽玄、優月さん……、どうか、無事で……!」
白玉が、全力を出す。灼熱の海から上空へ向け、一気に抜け出た。白玉のはるか下方に、「父」の姿が一瞬見えた。
ぼうっ!
勇一と白玉目掛け、追い掛けるように炎の柱。しかし、速度を上げた白玉には届かない。
幽玄、優月さん……!
炎の熱を省みず、勇一は身を乗り出すようにして後ろ、下方を見た。
赤い海の中、一瞬幽玄の姿が見えた。「父」が勇一を追い掛けないよう、幽玄が「父」へと刀を振り上げる、小さな姿が見えた――。
幽玄――!
後ろ髪を引かれる思いで、勇一は視線を無理にでも前方へ向けた。
青い光が、空中に続いていた。白玉は、その光を忠実に辿り続ける。
青いのれん……!
ぼんやりと青く光る、のれんが見えた。勇一の脳内は、勝手に藍染のれん、さらには「ゆ」の文字を想像する。
「ゆ」じゃねえんだよ……!
勇一の頬を、知らず涙が流れていた。
勇一は歯をくいしばり、のれんをくぐった。




