第69話 まだ見ぬ強敵
「まさか」
暗闇の中、蓮の口から、言葉がこぼれ出た。
「どうした、蓮」
三きょうだいの「父」が不思議そうに尋ねる。
ここは、異空間。
ゆかりの見立て通り、蓮はあのお堂から繋がる、三きょうだいの「父」の囚われている空間にいた。
計り知れない力を持ちながら、「父」は誕生から現在まで、この半封印の空間から一歩も出たことがない。母親の胎内にいた状態で封じられたせいなのか、自分を封じた術者である父――光咲と陽花の大叔父、すなわちこの「父」の父である――の、世界に出させまいとする念が強かったせいか、この「父」という存在のみ、完全に自由を奪われていた。
三きょうだいが、死んだ。
蓮の手のひらの中の小さな水晶球が、告げていた。山中にいるはずの彼らの気配が、完全に途絶えていた。
蓮は、無意識に親指の爪を噛んでいた。
まずいな……。
蓮の計画にとって重要な「駒」は、これで「父」のみとなった。
やはり、一刻も早い封印の解放。これしかない。
苛立ちを爆発させるように右腕を勢いよく振り下ろし、舌打ちした。
くそ……! 予言とやら、侮れないってことか……!
あの状況、圧倒的な力量の差でどうやって勝てたのかわからないが、幽玄、そして信じられないが、勇一、やつらが三きょうだいを倒したのだろう。
平凡以下の冴えない男としか見えなかった勇一……! もっと警戒すべきだった……!
化け物に襲われたと思わせて、隙を見て自分の手で早々に始末すべきだった、と悔やまれた。たとえば、幽玄が接触する前、もしくはそのあとでも早急に。幽玄や傘と意思の疎通が充分でない間なら、なんとでも手はあったと思う。蓮の心は、勇一への対応についての後悔と苛立ちで占められていた。
黒炎。架夜子。そして――、もっとも近しかった夕闇。彼らの名前、顔、声、言葉。ひとつとして、蓮の心によぎるものはなかった。
ただ、手放したくない有能な駒たちを奪われた、そんな思いしかなかった。
会話を重ねた時間、交わした微笑み、哀悼の静かな気持ちさえも――。
「蓮……? 突然駆け込んできたと思ったら、険しい顔をして。いったい、なにが起きている?」
おさまらない蓮の苛立ちは、「父」の声でいったん途切れた。
ああ。そうか。
この「父」は、今いるこの空間の外のできごとを、知ることができないんだ、と思った。たとえそれが我が子の生死であっても。人間と化け物、両方の血を継ぐ彼なら、もしかしたら感じ取っているかもしれないと思っていたのだ。
今。伝えるべきか。
振り返って「父」の金色の瞳を見る。
否。
今伝えるのは得策ではないと思った。我を忘れ凶暴化し、見境なく襲い掛かってくるかもしれない。どのような力を秘めているかわからないので、抑え込めるかどうか未知数、なるべく刺激は避けたかった。
それに、爆発的な力が必要な瞬間があるかもしれない。彼らの死を知らせるのは、そのときに――。
にやり、と蓮の口の端に浮かぶ笑み。
知るべき権利であろう我が子たちの訃報すらも、蓮にとっては戦いの「手札」に過ぎなかった。
では、封印解除のために動こう。きっと、今は――。
三きょうだいがいないということは、と現在の状況を推し量る。
「ここと僕の住む空間の位置関係、もう一度よく調べたいんだ」
蓮はズボンの後ろポケットから自分のスマホを取り出し、その場に座った。勇一のアパートから「父」のいる場所に来たように、空間を移動し目的の場所へ出るつもりだ。
ここに「電波」はない。蓮はただ、どこにも繋がっていないスマホの待ち受け画面に集中する。
行きたい場所は、決まっていた。ここを移動し、ただ行きたい場所へと通じる、空間の扉となる位置を把握しようと試みる。
見えた……!
物体にも、「記憶」がある。繋がっていないスマホでも、今まで得ていた位置関係などの情報を深部に秘めていた。蓮は意識を集中することで、その情報にアクセスすることに成功した。
「申しわけないけど、移動を手伝ってくれないかな?」
蓮は「父」に自分を運んでくれるよう頼んでいた。
「お安い御用だ」
空間と空間を繋ぐ、見えない扉。その場所の前までなら、「父」は容易に移動できた。空を飛ぶように、空間内を素早く飛べた。
目的地は――、病院……!
ゆかりたちの手配か、救急車が到着していた。この町の大きな病院に運ばれているだろう――実際は、ひのの車で運ばれていたわけだが――と思った。
お母さん……! 今、迎えに行くからね……!
蓮の顔に、狂気の笑みが広がる。
警官たちの目には、お堂の格子戸が勝手に開いたように見えたかもしれない。実際は、幽玄と優月が格子戸を開け、中に入っていっていた。
勇一はというと――、まだ現場に残っていた警官に呼び止められ、少々足止めされた。
「怪しい者では……!」
突然この場所に現れたことの弁明に時間を取られると思ったが、すかさずゆかりの親戚たちが助け舟を出してくれた。
説明を親戚たちに一任、勇一はなんとか急いでお堂の中へと駆け込む。
「勇一さん……!」
真っ暗なお堂の中、ゆかりの声がした。
勇一の姿を見るやいなや、ゆかりは勇一のそばへ駆け寄り、無事であることを喜び、ねぎらってくれた。
「ごめんなさい……。本当に、本当に……、勇一さんが無事でよかった――」
勇一の手を取り、ゆかりは泣いていた。
「でも――」
ゆかりは嗚咽をこらえながら、顔を上げた。
「また危険なお願いを――、どうか――、聞いて欲しいです……」
声を震わせる、ゆかり。負傷している勇一に、さらに危険なことをお願いすることを、とても心苦しく思っているに違いなかった。
勇一は、ゆかりの肩に手を乗せ、安心させようと思った。しかし、まだお堂の暗闇に目が慣れていない勇一の手は、空振りしていた。すかっ、と豪快な空振りに、ついもれる、笑い。
「大丈夫だよ。ゆかりちゃん。今までめっちゃ危険だったわけだし。今更、なにをお願いされても別にもう、一緒っていうか――」
幽玄と優月は、たぶん勇一とゆかりを守るように立っているのだろうと思う。そして自分には白玉も傘もいる、一人じゃない、それが心強かった。
ゆかりは意を決し、告げた。
「この先の空間に、蓮がいます」
蓮……!
ゆかりは、蓮を追い掛けてほしい、と頼みたいのだろうと思った。
「わかった……! 行って、俺が捕まえて――」
「それから、たぶん――」
「たぶん?」
「はい……。幽玄から今、おおまかな術師たちのこと、彼らの誕生についてなどを聞きました。私の今感じている情報と、幽玄の話を繋ぎ合わせてわかったのですが――」
ためらいがちに、ゆかりは言葉を続けた。
「鏡の向こうの空間。それは半封印の世界。そして、退治された形跡のない者の存在。つまり――、この先の空間には、術師たちの父親がいると思います――」
術師たちの父……!
空間の向こう、まだ見ぬ強敵が潜んでいる――。勇一の傘を握る手に、汗がにじむ。
鏡の向こう、底の知れない闇が――。




