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第63話 仕事に戻ります

 それは、勇一と夕闇の戦いに、決着がつく前。

 光咲(みさき)を抱えたまま、幽玄は雨の夜空を飛ぶ。

 ぶん、という風を切る音。黒炎(こくえん)の槍が、幽玄に振り下ろされる。

 

「幽玄! 逃げ去る気か!」


 槍をかわして飛ぶ幽玄の背に、黒炎の怒声が投げつけられる。


 やはり、黒炎たちには距離の制限がある。


 改めて幽玄は思う。この町を遠く離れることができれば、黒炎は追ってこれないのかもしれない。

 

 ざっ。ひゅん、ざっ。


 光。音。風。黒炎の槍が、闇を切り裂き続ける。槍の先が幽玄の背を貫こうとし、首元をかすめ、幽玄がそれらをかわす合間を縫うように、腹を切り裂こうとした。

 なんとか、間一髪逃れた。幽玄の刀は腰に差されたまま、光咲を抱えた姿勢であること、黒炎の動きが速いことで、抜くことさえままならない。

 

 せめて、光咲様を安全な場所にお連れできれば……!


『幽玄!』


 頭の中に、呼び声が届く。

 

 ゆかり様……!


 ゆかりの声だった。


『幽玄、あなたの波動を掴んだ……! 近くにいるよね? 状況を、教えて!』


 ゆかりは、すぐ近くに来ていた。幽玄には、すぐわかった。ゆかりとひのを乗せた車は、今飛んでいる場所の、すぐ下あたりにいる。

 幽玄は、ゆかりの呼び声に心の中で返事をした。


 蓮のもとへ、術師三きょうだいも現れました……! 今、私は光咲様を抱え、黒炎という術師に追われております……!


『光咲伯母ちゃんを、こっちへ……!』


 ゆかりの指示が届いた、そのとき。


「幽玄! 俺と勝負をしろ!」


 黒炎の大声が、耳に響く。しかし幽玄は、急降下する。ゆかりとひのの車のほうへ。

 幽玄がゆかりたちのほうへまっすぐ向かうことは、ゆかりとひのに被害をもたらしかねない行動ではあった。

 しかし、幽玄は信じていた。鏡家の、ゆかりの術を。


「うっ……!」


 追う黒炎が、うめき声を上げその場で止まった。

 ひのの車の窓が開けられ、小さな腕が伸び、光るなにかが空に向けられていた。

 それは、鏡だった。ゆかりが、黒炎に鏡を向け、呪文を唱えているに違いない。


「おのれ……! こざかしい術を……!」


 黒炎は、ゆかりの術で縛られたように空中で動きを止めている。

 雨の夜、小さな町、そのうえ山の近くということで車の往来はほとんどなかった。数少ない一台が走り去る。そして今この瞬間は、黒いアスファルトの上、ひのの車だけになった。

 幽玄は、ついに道路へ降り立った。すぐにひのの車が、幽玄に横づけされる。


「ひの様! 光咲様を、病院へ……!」


 幽玄は、運転席のひのに急いでそう伝えつつ、ゆかりに手伝われながら光咲を後部座席に乗せた。


「ひのちゃん、光咲伯母ちゃんのこと、お願い。私は、幽玄と一緒に山へ……!」


 ゆかりは、自分だけ山へ向かうと決断していた。


「ゆかりちゃん……、私、私も……!」


 ひのは、首を左右に振っていた。声を詰まらせながら。ゆかりだけを置いてはいけない、そう言いたいようだった。


「ひのちゃん、時間がないの。お願い! 早く、病院へ!」


 ひのは――、迷っていたようだが、ゆかりの言葉を受け入れ、うなずいた。時間がないのは、意識を失っている光咲を見れば、あきらかだった。


「ゆかりちゃん……。私もすぐ、駆けつけるからね!」


 走り出す、車。雨水を盛大にはね上げつつ、あっという間に遠ざかるテールランプ。運転の荒さは、焦りと迷い、そしてそれらを必死に振り切ろうとするひのの優しさなのだろう。


 ひの様は、癒しの術、治癒の術に長けていらっしゃる。きっと、光咲様は大丈夫――。


 幽玄が安堵のため息をついた、そのすぐあと。

 だんっ、と低い音が響き渡る。


「母親をみすみす逃してしまったのは不本意ではあるが――、これで、勝負できるな。幽玄」


 黒炎が、幽玄とゆかりの眼前に降り立っていた。


「闇の住人、呪われし力の者、輝く光のもと、その力を――」


 ゆかりが鏡を掲げ、朗々とした声で呪文を唱え始める。


「二度は効くか……!」


 黒炎の巨体は、闇に紛れた。掲げた鏡の照らす範囲から、大きく外れるよう移動したようだった。


「黒炎……!」


 がっ、と、幽玄の刀と黒炎の槍がぶつかり合う。今度は黒炎の動きを幽玄が追い掛け、黒炎のやや上方に飛び、そこから大きく刀を振り下ろしていた。黒炎の槍が、頭に目掛けた幽玄の一筋を、寸前に阻んだ音だった。


「鏡から逸れても、呪文は有効です」


 地上からの、ゆかりの声。ゆかりは気丈にそう強く言い切ったあと、効果は薄れますけど、と小さく呟いた。後半の声は、少し幼さが見え、震えているようだった。


「有効だろうと、俺は負けん……! 掛けられた術は、破るのみ……!」


 ぶん、と黒炎の槍は力強く幽玄の刀を振り払う。

 幽玄はいったん間合いを取り、そこから――。


 がっ、がっ、ざっ!


 今度は幽玄の刀が、光と音、そして風を生む。火花が散るような、刀と槍のぶつかり合いだった。

 幽玄の刀も、黒炎の槍も、物質ではない。そのため、どちらが折れることも、欠けることもなかった。もしこれらの武器が損傷することがあるとしたら、武器を生み出し物体として存続させている幽玄、黒炎、それぞれの力が枯渇もしくは著しく疲弊したときだろう。

 刀が、槍が、いくつもの軌跡を描き、激突する。


 黒炎……!


「ふははは、幽玄、見事だ……!」


 黒炎は、笑っていた。


 なんてやつだ――。


 この力が、解放されてしまったら、どれほどの脅威なのだろうと思う。

 黒炎は、あきらかに楽しんでいた。この戦いを、殺し合いを。


 なんとしても、止める……! 今のうちに……!


 すぐ近くにゆかりがいる、それが希望の光だった。

 人と化け物の間に生まれた黒炎。倒すには、鏡家の術と自分の力の二つが必要だと思った。もしくは――。


 勇一と、傘の力だ。


 予言とは、そういう意味なのだと幽玄は気付く。化け物だけなら、鏡家の術だけでも解決できる。しかし、化け物と人、両方の血が流れている以上、物理的な攻撃と神秘の力、必ず両方が必要なのだ、と。


 そして、術師たちは鏡家の血が流れている。身内の力だけでは解決しきれない、ということか――。


「む……!」


 幽玄の刀が、思いがけず空を切った。それは、攻撃し損ねたのではなかった。黒炎が突然――、幽玄と距離を取っていた。


 なぜだ……?


 一瞬見えた黒炎の顔は、なぜか色を失っているように見えた。そしてすぐに、取って返すように山のほうへ飛行し始めた。


 私との戦いをやめ、戻って行く……?


 ごう、と強い風が吹く。


「夕闇……!」


 風の向こう、雨の向こうから聞こえてきた、大気を震わすような叫び声。それは、黒炎の声だった。


 今のは――。激しい怒りのような、嘆きのような声……。夕闇という男に、なにかあった――?


 姿は、もう見えない。

 幽玄は少し迷ったが、黒炎を追わなかった。いったん、ゆかりのもとへ向かうことにした。


「ゆかり様」


「幽玄っ!」


 幽玄は、戸惑う。ゆかりが抱きついてきたのだ。頬は、涙で濡れていた。


 ああ、そうだった。無理もない。ゆかり様は、まだ小学生の女の子――。


「幽玄、幽玄、幽玄……!」


 幽玄の名をただ呼ぶ。ゆかりは、幼子のように泣きじゃくっていた。


 ゆかり様……!


 幽玄は強く抱きしめ、ゆかりの長い黒髪を、背を、落ち着かせるように撫で続けた。

 使役鬼(しえきおに)、そんな存在ではあるが、父のように兄のように、包み込むことができれば、と切に願った。

 そして――、謝らなければ、と思った。謝りたい、と思った。

 

「ゆかり様……。大変申し訳ありませんでした。紫月(しづき)様を――」


 紫月様を、お守りすることができず。


 謝罪しても後悔しても、現実が変わらないことは知っている。悲しいほどに。


 流れていく。どんな思いも、どんなできごとも。変えることは、できない。ただ、見つめていることしか――。


 幽玄の瞳からも、ひとしずく、流れ落ちた。


「幽玄……」


 ゆかりの小さな肩が、震えている。

 蓮のこと、蓮から吹き込まれた術師たちのこと。傷ついたであろう無垢な心を、どうやったら慰められるのだろうか、と幽玄は悩んだ。

 蓮が言い放った術師の話は、ゆかりが傷つくように悪意を込め、事実をもとに大きく誤解して認識するように伝えられたものだった。確かに嘘は言っていなかった。しかしそれは、まるで鏡家が意図して化け物との子を産むようにし、さらにはその子たちを平気で殺したり閉じ込めたりしているのだという、身勝手で吐き気を催すような所業をしたと言っているような、悪質な虚構を真実かと惑わすような口ぶりだった。


 ゆかり様が抱いた疑念、張り裂けそうなお心を、なんとか癒して差し上げなければ――。


「ゆかり様。蓮の話は――」


 これ以上心に負担を与えてしまわないよう、なるべく言葉を選びながら、真実を話さなければ、と思った。


「幽玄」


 幽玄の言葉を、遮るようにゆかりは名を呼んだ。それは意外にもぴしゃり、とした静かな響きを持っていた。

 そしてゆかりは、幽玄から身を離し、姿勢を正す。


「それでは、これから鏡家の仕事に戻ります。私を山に、連中のいるところへ運んでください」


 驚いてゆかりの顔を見つめた。

 凛とした、鏡家当主の顔が、そこにあった。


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