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第58話 震える、魂

 走る二つの剣が、止まる。

 それは、幽玄の剣と、蓮華天人の剣。

 互いの動きが、止まっていたのだ。

 両者の頭上で、火花を散らすはずだった時間。

 黒炎(こくえん)、夕闇、架夜子(かやこ)の登場が、予想外の空白をもたらしていた。


 術師たちが、来た……!


 幽玄は、息をのむ。


 光咲(みさき)様を抱えたこの状態で、どうやって戦う――。


 蓮の化身の蓮華天人が動きを止めていたのは、大元である蓮の注意が逸らされたからだった。

 蓮華天人の薄桃の瞳は、宝石のようだった。輝きはあるが、生気のようなものが感じられない。先ほどまで感じていた、鋭い殺気のようなものも、今この瞬間はなかった。ただ、美しい人形のように時を止めている。

 幽玄は思う。


 この蓮華天人とやらは、紫月(しづき)様とは違う。


 紫月には、独立した自我があった。ゆかりの動揺は紫月と繋がっていたわけだが、この蓮華天人の場合は、ゆかりの心が紫月に反映されているという状態とは、あきらかに異なるように感じられた。心が繋がっている、というより蓮華天人自体には独自の心というものはあまりなく、蓮が意識的に動かしている部分が大きい、そんな感じがした。


 まるで、ロボット、というもののようだ。


 そういえば、と思い出す。今まで仕えてきた鏡家の人々の化身――ひののように、化身を作れない術師のほうが圧倒的に数が多かった――は、会話をする者もいたが、紫月ほどはっきりとした自我は感じられなかった。


 やはり、ゆかり様は特別な術師、紫月様は特別な存在だったのだ――。


 改めて、ゆかりの才能の凄まじさ、力の大きさを思う。きっと、蓮は認めないのだろうが。

 とりあえず、この空白の猶予、一気に蓮華天人を斬り伏せるしかない、幽玄が剣を振り降ろそうとした、そのとき。


「兄上、架夜子。あの人が、私たちに現在の鏡家についての情報を教えてくれた、蓮さんですよ」


 空の上から夕闇が、黒炎と架夜子に蓮を紹介していた。


「へえー、初めましてっ。私が、架夜子っ。蓮さん、よろしくねっ、て、もしかして私たち、お邪魔だった?」


 話の途中から、架夜子の声の様子が変わっていた。ちょっとだけ、遠慮がち、申し訳なさそうに。

 剣が風を切る。

 幽玄の剣が、蓮華天人の首元へと――。

 キンッと、金属音が響いた。同時に、枝が大きく揺れる。


 損ねた……!


 ふたたび魂を得たような蓮華天人が、自身の剣でそれを弾いていた。

 力と力のぶつかり合い、剣の勢いで空中の蓮華天人は少し後方に退いたが、幽玄のほうも、後退を余儀なくされた。幽玄は今、枝の上を離れ、光咲を抱えながら空中にいた。

 あきらかに不利だった。筋肉で動く人間とは違う幽玄ではあるが、それでも負傷した光咲を抱えたままの状態では、どうしても動きに遅れが生じるうえに、制限がかかる。


「ああ、ごめん。夕闇たち……! ちょっと今、忙しくて。あとで、説明する」


 蓮は、空に立つ夕闇たちから視線を外し、幽玄のほうへ顔を向けた。

 このとき、蓮の言葉にいち早く応えたのは、黒炎だった。


「なんだ。そういうことなら、話は早い。俺が、幽玄と幽玄が抱えている女、まとめて仕留めて見せよう。蓮、あなたは気にせず、夕闇と架夜子とゆっくり話でもするといい」


 黒炎は、持っていた槍を構えた。そして今にも、下方にいる幽玄のほうへ向かおうと――。


「待ってくれ、黒炎……! 幽玄が抱えているのは、僕のお母さんなんだ!」


「なに……?」


 蓮の声に、黒炎は動きを止めた。

 黒炎はきっと、人間が作った人間の味方のはずの幽玄が、どういうわけか蓮の母親をさらい、命を狙おうとしている場面だと思ったのだろう。意外だな、というばかりに少しばかり大きく目を見開いていた。


「術に必要なんだ! だから、お母さんは僕に生きたままの状態で渡して欲しい。幽玄だけ、頼む……!」


 にやり、黒炎の顔に笑みが広がる。


「よくわからんが……。幽玄との対決は、願ったり。しかも女を抱えているという状態より、一対一の勝負のほうが、俺にとっても望ましい」


「助かるよ、じゃあお母さんを、こっちに――」


 蓮……! どこまでも……!


 怒り。激しい怒りが、幽玄を貫く。

 母親を、道具としか見ていない蓮。紫月のことも、ただの「物」としか感じられなかった蓮。


 紫月様。


『嘘ばっかり』


 横顔を残した紫月。憂いを帯びた瞳を思い出す。


 紫月様は、確かに生きて、想い、感じ、この世界で――。


 光咲の半生も、ずっと見つめてきた幽玄。赤子だったのにいつの間にか大人になり、子を生み慈しみ育て――。


 どんなときも一生懸命に、誠実に日々をお過ごしになって――。


 幽玄の長い銀の髪が、ざわざわと逆立つ。

 震える、魂。

 幽玄は、天に決意を表すがごとく、顔を上げた。


「私は――!」


 幽玄が、蓮に向かって言葉をぶつけようとした。それは、ただ蓮に向けて、ではなかった。


 私は……! 今から――!


 魂から、生み出されようとしていた。人が編む、呪いのような言葉を。

 しかし、幽玄の叫びより先に、光咲が叫んでいた。


「消えよ……! 念により生まれし写し身よ……! その身をほどき、風へと還れ……!」


 光咲様……! そのお体で……!


 呪文だった。蓮華天人へ向けた、光咲の呪文。

 幽玄は、胸に抱いていた光咲を見た。呪文をぶつけられた、蓮華天人ではなく。


「お母さん、なにをするんだっ」


 蓮の怒声も、幽玄の耳には入らなかった。

 蓮華天人が風に溶け込むように消えていくのは、確認するまでもなかった。

 強い呪文だったから。幽玄にもわかった。光咲が今放った念の強さが、激しさが。


「幽玄ちゃん、ごめんね……。ありがと……」


 傷を負ったまま放った術の、取り返しのつかない、あまりにも大きなリスクを。


「光咲様……!」


 だらり、光咲の体から、力が抜ける。


 そんな……!


 ハッとした。まだ、息はあった。しかし、光咲は意識を失った。なんとか命は繋いでいるが、早急な手当てが必要なことはあきらかだった。


「お母さん! だめだよ、勝手に死んじゃっては……! あくまで僕の手で、じゃないと、うまく術が発動しないんだよ……!」


「蓮……!」


 幽玄は、蓮を激しく睨みつけた。


 これから先、私は……!


 雨。雨が体を打つ。体と、心と、魂を。


「私は……! 私は、本物の鬼となる……!」


 ついに、幽玄は宣言した。先ほど言いかけた、燃えたぎる魂の炉から生み出そうとした言葉を、ついに言い放った。

 それは、鏡家に仕える使役鬼(しえきおに)という役割を、自ら放棄することを意味した。


「私が、お前を殺す……!」

 

 夜の激しい雨を超え、銀の瞳が燃えていた。

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