第56話 近付くサイレン
打ち付ける雨。立ち並ぶ木々。
「うわああっ」
勇一を乗せて猛スピードで飛行する白玉は、狭い木々の間をすり抜ける。激しい雨、幹、葉、と勇一の視界に、様々な自然物が目まぐるしく登場しては消える。
大変優秀な白玉は、幹や枝葉をすべて勇一に極力当たらないよう、考慮しつつ飛んでいた。
とりあえず、幽玄と合流すれば、なんとかなる、はず……!
特別な能力のない勇一にも、わかっていた。黒炎、夕闇、架夜子は、すぐ後ろに迫ってきているはず、と。
落ち着け、落ち着け、振り返るな、勇一……!
いつ、恐ろしい手が伸びてきて、襟首を掴まれるわからない、しかし必死で自分を鼓舞しつつ、勇一は前だけを見た。
幽玄や紫月や光咲が、町はずれの小さな山の、どの辺にいるのかわからないが、きっと間に合うと信じた。
「どうして、お堂がわかっちゃったのかなあ」
ひっ、と声が出た。
架夜子だ。いつどうやって現れたのか、すぐ目の前の枝に、ひざをひっかけるようにして、逆さまの状態の架夜子が、ぶらんとぶら下がっていた。顔の高さが、ちょうど勇一の顔の高さにある。架夜子の両手は、一応恥じらいなのかたしなみなのか、しっかりとスカートを抑えていた。
「ねえ、どうしてここに来たの?」
スカート、気になるなら、ぶら下がってるんじゃなーいっ!
架夜子の問いに応じることなく、勇一はそんなことを叫び返しそうになったが、その前に白玉が急上昇していた。勇一の視界は、一気に雨空一色になる。
白玉、どこまでも有能……!
さっきまでいた山も、架夜子も、もうはるか勇一の足の下。
安堵したのも束の間、
「勇一さん、どうしてここを選んだのですか?」
今度は、落ち着いた男性の声がする。
夕闇、っていうヤツ……!
空に、夕闇が立っていた。すぐに追いつかれるだろうと覚悟はしていたが、まさかここまで連中が速いとは――。全身の毛穴から汗が噴出し、体が意図せず震えだす。雷鳴が轟いていたようだが、よくわからない。勇一の脳は、今目の前の情報を最大限収集し、他の遠くのものは受け流す、そのように潔く決めてしまったようだった。
光る眼。左を見れば、影のような大男、黒炎がいた。勇一と白玉は、夕闇と黒炎に挟まれる形となっていた。森の中にいた架夜子も、きっとすぐに来るだろう。
「あなたがたは、お堂の存在に、気が付いたのですか?」
夕闇が、改めて問い掛けていた。
「お堂……? なんの、こと……?」
白玉は、動きを止めていた。相手の動きを見極め、もっとも有効な逃げ道を探ろうとしているのだろう。勇一は、そんな動きの「タメ」の時間を有効活用すべく――、あわよくば、会話をすることでなんらかの活路が見つかるかもと思い、夕闇へ返事をしようと思った。ただ、返事といっても、夕闇がなにを知ろうとしているのかわからない。勇一たちは、お堂の存在を知らなかったからだ。
結果、質問に質問で返すことになってしまった。
「ご存じなかった? では、なぜあなたがたは、銀硝空間からここに出たのですか?」
光咲さんを、助けるためなんだけど……。聞いてくるってことは、夕闇たちは、蓮や光咲さんがここにいるってこと、知らない……?
もしかして、と思った。夕闇たちも、蓮の行動は把握していないということなのか、と気付く。
裏切りが判明し仮面を被るのをやめた蓮が、どうして母である光咲へ真っ先に牙を剝いたのか、勇一には知りようもない。そもそも、化け物を創って送り出し人を襲う企みは、蓮主導なのか、架夜子たち主導なのか、そして彼らの関係性は、どのようなものなのか、いまだ大事な部分は不明なままだ。
もしかして、これって――。やつらの企みや関係性を知る、絶好のチャンス……?
勇一は、今閃いたことをぶつけてみることにした。
「廃屋じゃなくて、この山付近にお前らのアジトがあるとは思っていたが……、そうか、まさか『お堂』だったのか!」
かまかけだった。とっさに思いついた嘘である。しかし、夕闇や架夜子が「お堂」について聞いてくるということは、少なくともそこが彼らにとって重要な場所に違いない、と思った。
夕闇は、小首をかしげていた。
「アジト……? まあ、言ってみれば、玄関ですよ」
「玄関!?」
夕闇から、思いがけない答えが返ってきて、声が裏返ってしまった。
「うん。封印されてる空間と、この世界を繋ぐ玄関。ええと、あっち、廃屋っていうの? あのおうちは、こっちの世界で生活する場所。まあ、アジトっていったら、どっちかっていうと廃屋のほうだよねえ」
夕闇の横に、ひょっこり飛んできた架夜子。なんのためらいもなく、正直に答えていた。
「お前たちは、いったい……、なぜ、人を襲う……! どうして、蓮なんかに従っている!?」
これも、かまかけだった。心臓が、ずっとバクバク言い続けている。半ばやけくそだった。蓮がホンボシとは思えないし思いたくはなかったが、このようにかまをかけたら、答えが返ってくると思った。この際、なんでも引き出してやる、と思った。
叫んでみたら、止められなかった。本当に問いたいことが、口からあふれ出していた。
「お前らだって、人の血が流れているんだろう……! 人を襲わずに、歩む道が……」
ひゅっ、と、突然血の気が引く感じがした。白玉が、突然下降し始めていた。
えっ、白玉……、今、移動すんの!?
夕闇たちの姿が、遠ざかる。白玉はどこかへ向け、一心に下降する。なにかに気付いたようでもあった。
白玉、もしかして、幽玄の居場所がわかった……?
きっと、幽玄の気配かなにかを察したんじゃないかと思った。夕闇の隙を狙った感じではなかった。
「従ってなど、いませんよ。親戚同士、親交を深めているだけです。お互いの要望を、交換し合っています」
ぎょっとした。今度は横に、夕闇の顔がある。夕闇の向こうに、架夜子、そしてさらに向こうに黒炎の姿も。並走するように、地上を向け揃って下降している。
え。ちょっと待て。親戚……?
遅れて、夕闇の言葉が頭に入ってきた。親戚、親戚と夕闇は確かに告げていた。
しかし、続く夕闇の言葉は、勇一の心にさらなる波乱を巻き起こす。
「ああ。あのエネルギーは幽玄。幽玄もいるんですね。お堂に。なぜか――、彼は泣いているようですね」
幽玄が、泣いている……!?
白玉は、幽玄の魂の叫びを聞いていた。そして、夕闇も。
まさか――、光咲さんが……!
そのときの勇一には、光咲のことしか考えつかなかった。
不思議な存在の幽玄も紫月も、スーパーヒーローみたいなもので、いつまでもずっと頼れる存在と信じていたから。
『私も私でなければ、喜んでささやき返すんだけどね』
思い出す、紫月の呟き、伏せた長いまつ毛。
人同士とは違った結びつきでも、惹かれ合う彼らは、いつかもっと距離を縮めていけるだろうと思っていた。
輝く水平線の向こうへ、手を取り合って軽やかに。
彼らはきっと微笑み合い、寄り添い合いながら空を飛び続けるのだと、勇一は信じていた。
「先ほど、なにか消えゆくエネルギーを感じました。人ではない。もしかしたら、紫月さん、かもしれませんね」
え……。
夕闇を、見た。聞き間違いかと思った。こいつは、この男は、いったい、なにを言っているのだろう――。
「深い嘆きと怒りが、柱となって空へ昇っていきました。ふむ……。幽玄、人の念でできた彼には、このような激しい情のようなものがあるのですね」
勇一の傘を握る手に、力がこもる。
「きっと、この地に、美しい花が咲くでしょう」
ため息とともに、夕闇は静かに言葉を吐く。
まるではかなさを憂い、巡る季節を慈しむような――。
勇一は、瞬間我を忘れた。
お前らのせいで……!
しかし、傘はびくともしなかった。まるで重量が変わってしまったかのようだった。夕闇に向け振り上げようとしたが、傘が動きを止めていた。
『勇一! 今はそのときではない。怒りのまま動いても勝ち目はない!』
傘……!
『連中も、まずここでなにが起きたのか、状況を見極めようとしている。攻撃の様子はない。しかし、こちらが攻撃をしようとすれば、話は別だ。一気に襲い掛かってくるだろう』
いかなる状況でも心を鎮め、冷静であれ、傘は勇一の心に訴える。
冷静……。残酷な、言葉だな……。
勇一の気持ちとは裏腹に、時は進み続ける。
木々の合間に、お堂の屋根らしきものが、見えてきた。
紫月さん、幽玄、光咲さん……!
叫び出したい気持ちを抑える。
気付けば、雨足が少し弱まっている。遠くからサイレンが聞こえてきた。パトカーと救急車が、向かって来ている。
人も、来る……! もしかして、この状況は……!
紫月が消えてしまったことを、悲しんでいる時間はなかった。勇一の頭に浮かぶ、さらなる危惧。
安心のはずのサイレン、赤い光の点滅が勇一の心を苛む。
結果的に、黒炎、夕闇、架夜子を引き連れてきてしまったこと、どうしようもできないことではあったが、勇一は激しく悔やんでいた。




