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第52話 鬼

 目の前が、光った感じがした。空が光ったのだと思った。


「わっ、雷……!」


 勇一は、雷が落ちたのだと思った。先ほどから、遠雷が響いていた。


「違う……! 光咲(みさき)伯母ちゃん……!」


 ハンドルを握る、ひのが声を上げた。


「光咲伯母ちゃんの、術……!」


 後部座席のゆかりが、続けて叫ぶ。


「え、えっ? ど、どういう――」


 なんのことかわからず、助手席の勇一は、運転席のひの、後部座席のゆかり、と二人を交互に見た。


「今の光は、スマホの画面から出たものです! 通話は繋がらなかったけど、さっき私が電話をかけたことで、光咲伯母ちゃんは自分のスマホを通して私のスマホへ術を送れたんだと思う……!」


「えっ、ゆかりちゃん、それはつまり、どういうこと――?」


 勇一は、ゆかりの言っていることがすぐには理解できなかった。遅れて、さっきの光は雷ではなく光咲がゆかりのスマホに送ったものだと理解できたが、そんなことができるのか、と驚く。

 ゆかりの顔は青ざめ、声が震えている。ひのも、同様だった。


「きっと、緊急事態……! 光咲伯母ちゃんが、助けを求めているんだと思う……!」

 

 え、このタイミングで……!?


 激しい雨が、走行する車の窓を打つ。広がる、嫌な想像。蓮の裏切りが判明し、時間を置かずに蓮の母である光咲が助けを求める連絡をする、それは、つまり――。


「幽玄!」


 雨が入ってくるのも構わず、ひのは窓を開けて車の屋根の上の幽玄に向け叫んだ。


「光咲伯母ちゃんのところへ、行って……!」


「ちょっと、待って!」


 間髪入れず、ゆかりが叫ぶ。ゆかりは、スマホの画面を見つめていた。


「光咲伯母ちゃんの術のおかげで、場所が読み取れそう。紫月(しづき)を、飛ばします。幽玄は、紫月を追って。光咲伯母ちゃん、自宅じゃなくてあの町の外れの山の中にいるみたい」


 車内から、紫月が消えた。同時に幽玄も消えたに違いない。紫月と幽玄は、銀硝空間(ぎんしょうくうかん)を使い、あのお堂のある山へと向かったようだった。


「ひのちゃん、私たちも、そこへ……!」


 


「なんだ。こんなもんかあ」


 蓮は、首を傾げていた。思っていたより、もの足りない、と思った。

 もっと――、劇的で、衝撃的だと思っていたから。


「蓮っ……、ど、どうして……!」


 雨に打たれ泥だらけになった草の上、落ちているのは、カバン、雨傘、そしてスマホ。


 ああ。お母さんも、落ちているね。


 蓮は、笑う。持ち物も、その持ち主も、一緒に泥だらけだ、と思う。


 あんなにきれい好きで、立ち居振る舞いもいつも完璧なお母さんが、泥の中、無様に這いつくばってる。


 そういえば、たまたま僕は好きじゃなかったからやらなかったけど、外で思いっきり遊んで泥だらけになった僕の友だちを、お母さんはきれいにタオルで拭いてあげながらも、嫌な顔をしていたっけ、なんて思い出す。


『蓮。あなたはおとなしくて、言うことを聞いて、本当にいい子ね』


 違うよ、と蓮は思った。


 たまたま、そういうのが好きじゃなかっただけだよ。別に言うことを聞いてたわけじゃない。


 反抗することもなかった。反抗する理由がなかったから。理由がもしあったら、黙って従わないだけだ。

 遊びの制限も、術の習得のための厳しい指導も、苦にならなかった。天性の才と、好奇心で、教わったことは難なく吸収した。

 化け物退治も、楽しんだ。相手が害なす存在ということで、遠慮なく攻撃することができる。化け物退治には「循環」と「封印」の二種類あったが、あえて封印を選んだ。自然に還す循環と違い、封印は、消滅である。力で制圧するのは、快感ですらあった。

 両親をはじめとする周囲と、衝突することはなかった。意見が異なるときは、大抵向こうが譲歩したし、そうでないときは、相手の理解を得ないままでも、黙って好きにやっていた。それでも、問題はなかった。いつでも、どんなときも、そつなく完璧だったから。


『蓮がそう言うなら。そうしたらいいんじゃない?』


 両親は、なんでも蓮の言うことを聞いた。蓮の言うことは、すべて間違いないだろう、そう信じているようだった。


 僕は賢いから。親や他人から口出しされるような糸口は見せないし。例え見られてしまっても、相手を納得させるのは簡単だ。常に真面目さを見せておけば、向こうが勝手にいいほうへ解釈してくれる。


「蓮……!」


 今、光咲の背には、血が流れていた。そして、蓮の手には、ナイフが握られていた。金属の鈍い光には、雨でも流れ落ちず、赤い色がまだ残っている。

 雨と涙にすっかり濡れて、顔を歪めた母親の視線は、ナイフに定められていた。蓮は、きっと母親は攻撃の方法が刃物だったことに関して、疑問を持ったのだろうと思った。


「一流の術者であるお母さんには、物理攻撃が一番って思ったからね。でも、ちょっと予想外だったなあ」


 蓮から少しでも距離を取ろうと、光咲は腕と足を使って草をかき分け地面を這っていた。


「蓮、なにを、言っているの……!」


 蓮の動きは、ゆっくりとしていた。まるで、憐れな獲物とそれを狩る者。蓮は、今のこの勝者の時間というものを、楽しんでいるようだった。


「お母さん。攻撃する気がないんだもの。まあ、僕のほうが上だから、防げるだろうけど。でも、この瞬間は、一生で一度きりだよ? 僕にとっても。お母さんは、世界で一人だけだから、母子の生死を賭けた対決なんて、あったとしてもたぶん一度だけの体験。どうして、本気でかかってこないの? 自分の命も貴重な体験も、もったいないと、思わない……?」


「蓮……」


 光咲が、信じられない、といったように首を大きく左右に振った。


「僕に教えて欲しかったなあ。お母さんのとっておきの術を」


 光る空。遅れて雷鳴が轟く。蓮の顔からは、涙が流れ落ちる。


 かわいそうな、お母さん。なんて、かわいそうなんだろう。


 蓮は、振り上げた。手にしたナイフを。


「でも――。僕は僕の術を遂行しなければならない。お母さんとの思い出は、一生僕の心の中、生き続けるから。悲しいけど……。僕は、僕の道を歩み続ける……! 新しい扉を、開けるために……!」


 ありがとう、お母さん。


 ありがとう、と思った。母の命は、無駄にならないから、と思った。


 さようなら。寂しくないよう、あとでお父さんもそっちに送るからね。


 父親は、食べさせてあげよう、と思った。夕闇や、その父に、それから、黒炎(こくえん)架夜子(かやこ)にも。この世界に解き放たれるお祝いとして、最高の贈答品だ、と思った。


「蓮……!」


 雷。ほんの一瞬、天の光に視界が妨げられる。しかし、振り下ろす腕は、そのまま標的に――。


 あれ。


 おかしい、と思った。ナイフは、直接地面に突き立てられていた。ついさっきまで目の前にあったはずの光咲の姿が、消えていた。

 落雷の轟音が耳に届いたとき、ようやく光咲の姿を発見した。


「紫月……!」


 突然現れた紫月が光咲を抱え、木の上に立っていたのだ。


「間に合った、な」


 背後からは、幽玄の声。


「お前たち――」


 振り返り、呆然と幽玄を見つめた。蓮にとって警戒すべきは、紫月より、光咲より、幽玄だった。

 柄にもなく、愉悦に浸ってしまったのが悔やまれた。とっとと終わらせるべきだったのだ。


 やはり、人、しかも母親。特別な体験が、僕を僕らしくなくさせてしまったんだろうな。


 でも、これ以上の失敗はないだろうと思った。やはり今回も、幽玄は決定的となる行動は取らなかった。彼なら、人を殺すなど一瞬でやってのけられるだろうに。


 きっと、鏡家の者、自分の主ということで、できないのだろうな。


「ついに鬼になったか。蓮」


 幽玄の静かな声に、思わず笑いがこみ上げてきた。


「ふふ……! 創られた化け物の分際で、なにを言う……!」


 張りぼての、鬼が!


 おかしくてしかたない。蓮は、濡れた長い髪を振り乱し、笑い続けた。

 雷光に照らされる、鬼、そのもののように。


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