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第51話 遠雷

 暗闇の中、光を放つ隕石。不気味な呪文が唱え続けられていた。

 ここは、異空間。術師三きょうだいの父が、封印されている場所だった。

 蓮が、隕石に向かって呪文を唱え続けていた。封印を解く呪文だった。


「暗黒を旅した大いなる運命の石よ、時を動かし地の鎖を解け……!」


 叫び、手のひらを隕石に向ける。封印解放の儀式は、クライマックスを迎えようとしていた。

 蓮の額から、一筋の汗が流れ落ちた。手が、腕が、小刻みに震えだす。

 白い髪、金の目の人の形をした怪物――三きょうだいの父――は、儀式を行っている蓮の様子を黙して見守り続けていた。

 隕石が、かたかたと勝手に動く。隕石から発せられる光が明滅する。

 ふうー、ふうー、と、蓮の息は荒い。足も、震えている。

 

 手応えが、薄い。


 蓮は気付く。なにかが、足りない、と。

 隕石の光が、消えていた。

 蓮は腕を下ろし、ため息をつく。


 ああ。だめだったか。


 隕石の反応が消えた。動きも止まり、急に心変わりをして地球の法則のもと、大人しく収まることにしたのか、地面に転がる石と変わらない状態に戻る。


「蓮。なにも変わらぬようだが――」


 蓮は姿勢を正し、大きく息を吸い込んだ。それから、ふうーと長く息を吐き出し、前髪をかきあげた。涼しげだった細面の顔に、色濃く疲れが出ている。術や儀式は、気力と体力を大きく削るものなのだろう。

 

「申しわけない。失敗したみたいだ」


 蓮は正直に告白した。


「エネルギーが足りないのかもしれない。思ったより、封印の力が大きいみたいだ」


 蓮は隕石にもう一度手をかざした。なにかを確認している。


「やはり……、血がいるかな」


「血? 生贄ということか?」


 それなら簡単だろう、黒炎(こくえん)たちに狩りにいかせよう、と美しい青年の姿の、黒炎たちの「父」は述べた。


「いや……。たぶんそれでも術は発動しない。特別な血が必要なんだと思う」


「特別な、血……」


 蓮は、眉一つ動かさない。ただ、隕石を見つめている。


「この封印をかけた、一族の子孫」


「鏡家の者、か」


 こくり、と蓮はうなずく。熱に浮かされたような目で。蓮の薄い唇が、かすかに片方だけ持ち上がる。


「もうひとつ……、もうひとつ大事な条件を足すと、さらに術の効力が跳ね上がり、完璧になるかもしれない」


「もうひとつの条件、とは?」


 鋭い金の瞳が見据えるが、なにがおかしいのか蓮は、ふふっ、と笑い声を漏らす。


「僕自身、術者である僕自身が、痛みを受けるような人選。それが重要な意味を持つ」


「痛みを受ける人選?」


 蓮は、身震いした。両肩を自分で抱きしめるようにし、顎を上げて上を向く。己の考えの恐ろしさに震える、というより、どうみても、それは恍惚――。


「ああ。僕は大きな悲しみに耐えなければならない――! ああ、僕は罪を背負わなければならない――」


 堪えきれず、笑いがこぼれる。いったんこぼれだした感情は止められないのか、蓮は笑い続けた。


「ああ、僕の悲しみが、世界を変えるんだ――! なんと美しくも大きな犠牲……! なんて悲劇的なんだ……! でも僕の精神は……! 僕の崇高な精神は、その悲劇をもきっと乗り越えてみせる……!」


 両の目から涙もあふれ落ちていた。頬を濡らしながら、少し長めの髪を振り乱し、歯をむき出して笑い、蓮は叫び続けていた。


「蓮よ……。自然な時の流れで、もうすぐ封印は解けるはず。お前が無理をしなくとも――」


 きっと、激しい緊張を伴う儀式のあと、恐ろしい方法を考えついてしまったがために、一時的に狂乱状態になってしまったのだろう、と黒炎の「父」の目には見えたに違いない。封印され続け解放を待ち続けているはずの怪物のほうが、なぜか逆に止める立場になってしまった。

 蓮は、首を左右に振る。狂気の笑いがいつの間にか、光をまとったような、美しい笑顔になっていた。


「いいえ。いいえ……! 悲劇を乗り越えてこそ、僕はもっと大きな僕になれるんだ……!」


 天の使いに見えていたのかもしれない。あるいは悪魔に見えていたのかもしれない。

 青年の姿をした「父」という怪物は、金の目を眩しそうに細め、蓮を静かに見つめていた。

 それはどう見ても、「怪物」と「人間」が逆転した瞬間だった。

 蓮は、空間を出た。空間がねじれて繋がっているのか、空間移動したかのように、勇一のアパート近くではなく、あの座像のあるお堂の外に出ていた。

 蓮はスマホを取り出し、どこかに電話をかける。


「ああ、もしもし」


 雨が降り出してきたが、蓮に構う様子はない。その場で通話を続ける。


「お母さん……? 実はすぐこっちへ来てほしいんだけど――」


 通話の相手は、光咲(みさき)だった。




 雨の中を突き抜けるように車が走る。勇一たちを乗せた、ひのの車だ。幽玄は、先ほど同様車の屋根にいた。雨などの自然現象は平気らしい。

 スーパーで購入した必要な物とは、塩と鏡と、それから包丁や果物ナイフなどの刃物だった。刃物は、現実的な武器というより、魔除けとしてや災いを絶つ意味合いの術具として用いるのだそうだ。いずれも、新品のほうが鏡家の術としては効力を得やすいらしい。


「蓮君が敵と通じていることがばれたことで、相手側もこちらがなるべく早く攻撃に出ることは考えていることでしょう。しかし、まさか今日中、とは思わないと思います。術が効果的な日取りを選び、術の準備をし、鏡家の術者たちで周りを固め体勢を整えてから、と予測しているはず。だから、あえて今行こうと思ったんです。そして、私たちだけで臨みます。もともと、他の人たちは、遠隔から護りの力を送り続けてくれている。だから、決して無謀な作戦じゃないと思います」


 後部座席のゆかりが、改めて考えを述べた。


「とにかく、敵が封印中の今がチャンスなのは変わりないわけだし。私たちが蓮君の真実を知った今、蓮君が新しい一手を思いついてしまう前、私も今しかないと思う」


 前を見据えたまま、ひのも賛同する。


「勇一さん、大丈夫?」


 ひのは、案ずるように勇一に尋ねた。心の準備は、という意味に違いなかった。


『大丈夫だ』


 勇一の代わりに傘が答えていた。ひのには聞こえないのだが。


「うん。傘が言ってくれるなら、大丈夫だって、俺も思う」


 傘は、勇一を信じてくれていると思った。勇一も傘を信じることにした。


『勇一の場合――、傘との繋がりが重要だ』


 幽玄の言葉を思い出していた。呼吸法を思い出し、心をまっさらにする。そうすれば、傘がきっと、導いてくれる。


「傘がある限り、俺は――、予言通りの働きができる、と、思う。たぶん。いや絶対」


 信じるしかない、と思った。

 目の前のワイパーが、一定のリズムを刻む。

 もしかしたら、今がすべてを放棄して逃げ出す最後のチャンスかもしれない、という考えも浮かんでくる。


 例えば。車が信号で停止した瞬間、ドアを開ける。駆け出す。お金は使いきれないくらいある。逃げ出せる。どこへでも。今なら。


『おいおい』


 傘の呆れた声。傘に勇一の心の声は――たぶん、漠然とした意識までは読み取れないだろうけど――筒抜けだ。


 ごめん。こういうこともできるかもって、話だよ。本気じゃない。ちょっと……、考えてしまったんだ。俺は、怖いんだ。


 心の中で、傘に答えておく。本音は、怖かった。逃げ出したい気持ちは強くある。皆と心を通わせてきた今でも。


『まあ、わかっている。人間は、様々な可能性を一応考えておくものだからなあ』


 うん。ごめん。一応、ね。俺、人間だから。


 弱いし、と思った。心も、実質的な力も。


『だけど、このまま座っているんだろう?』


 うん。


『守りたいんだろう。皆を』


 うん。


 思いがけず、涙がにじんできた。ひのも、ゆかりも、強いと思った。強くならざるを得なかった二人を思い、涙が落ちそうになる。


 俺は、逃げたくない。ひのちゃんとゆかりちゃんのためにも。他のみんなのためにも。情けない男だけども。


『勇一は、強い。それは言っておく』


 強いとは思えないよ。まだ一応逃げる可能性も考えていた。情けない。


『人間は、心の揺れる生き物なのだと思う。それでいい。それでいいんだ。それが人というものだ。そこはお前だけ特別なわけじゃない。揺れる気持ちの中から、そのとき一番納得できるものを選べ。そしてそれはいつでも変更可能だ』


 変更、可能……?


『逃げるなら、付き合うぞ。止めはしない』


 おいおい。


 今度は勇一が傘をたしなめていた。傘が使命を放棄してどうする、と。


「大丈夫、俺は。これが俺の今一番納得できる選択だ」


 傘と勇一の会話を知らないゆかりが、あの、と遠慮がちに切り出した。


「やっぱり……、光咲伯母ちゃんには、蓮君について、一応少しだけでも話してみようと思います」


「え、ゆかりちゃん。なんて話すの?」


 ひのが尋ねる。ひのも、どうしていいか決めかねていた。会わずに電話で話すというのも抵抗があった。

 蓮が敵であり危険であることを本当は他の皆に一刻も早く連絡したかったが、あの町には術による情報漏洩が考えられた。蓮がどう出るかもわからないので、まだ誰にも連絡していなかった。

 しかし、せめて蓮の母親であり県外に住む光咲には、裏切りについて話せないにしても、少なくとも蓮に近寄らないようにということだけでも、なるべく早く連絡したい、そうゆかりは考えを打ち明けた。


「うん。そうだね」


 ひのの返事を聞いてから、ゆかりはスマホを取り出す。

 雨が強く降り出してきた。ワイパーの動きが忙しくなる。

 ゆかりは、なぜか話し出そうとしない。ひのの視線は、不安げにルームミラーを彷徨う。


「繋がらない……」


 それが、ようやくゆかりの口から出た言葉だった。


「え。繋がらない、の……?」


「どうしたんだろう。光咲伯母ちゃん、出ない……」


 空が、暗い。遠くで雷が鳴っていた。


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