第50話 おでん缶
あの家族について、思う。
きっと力を手にしたかったのだろうと思う。
自分たちは特別な力を持つ選ばれた存在だから、もっと大きな力、そして相応しい権力というものを欲したのだと思う。
「わかるよ。僕はその気持ち」
暗闇の中、蓮は一人うなずく。
「異界と通じることのできる自分たちが、なんの力も持たない烏合の衆より上に立つべきだ、そう思っていたんだね」
彼らが、「ダールゴア」と呼ぶ化け物を崇拝したのは、たぶん偶然なのだろうと思う。封印された今となっては、どのような類いの怪物だったかわからないが、偶然異界で目の前にしたその化け物から、さらなる力と益を授けられる、そう信じてしまったのだろう。
「実際、娘は『ダールゴアの祝福』を受けた兄を取り込むことで、人ではなくなった」
でも僕は、そんなことはしない。
蓮は、歩いていく。その「娘」から誕生した、「息子」のもとへ。
術師たちの、「父」のもとへ。
「僕は、僕だけで最高の存在だからね。僕はありのままの僕を誇りに思い、愛しているから。変わる必要なんてない」
笑みが、浮かぶ。静かに横たわる、刃のような笑みが。
僕は、僕のまま、ただ利用できるものを利用すればいいんだ。
手のひらの中、ごつごつとした感触。特殊な術を施した、隕石だ。
「夕闇には事後報告でいいよね。今これから、宇宙の時間を試してみるよ」
黒色の中にも、より一層深い黒がある。
光を吸収する、黒――。
目の前に見えてきた、巨大な影のようなもの。人の形をしているようだが、しなやかな腕が四本ある。
四本腕の闇が、振り返る。
「蓮……。あなたのほうからこちらに足を運んでくれるとは。今日は、どうしたのだ?」
深い黒の輪郭に、一瞬にして色が施される。四本あったはずの腕が、人と同じ二本に変化していた。
美しい笑顔だった。母の大叔父に似ているという、美しい面差し――。
やっぱり夕闇たちの父とは、思えないなあ。人間の姿になると、僕と同じくらいの年齢みたいだ。
変幻自在なのだろうと思う。というか、人間の姿になるとき、この姿一つなのかもしれない。
髪が純白で目が金色であること以外、普通の――かなり色白ではかなげな印象を受けるが――青年と変わらないように見えた。
蓮は、打ち明けた。
「封印を解く術を、試してみようと思うんだ。僕のほうが、事情が変わってしまったから――」
ゆかりたちに、ばれてしまった。もう、隠す必要もない。むしろ、計画を推し進める必要があると思った。
「……時を待たずとして封印を解くことができる……? まさか……、そう言っているのか……?」
「たぶん。よき道具、そして今までの長い時間というものが、封印を解くことを可能とすると、僕は考えている」
蓮は、掲げた。隕石を。
「始めます。長き封印を解く儀式を」
頭に白玉を乗せた勇一が、スーパーの駐車場のすぐ脇のベンチに座る。普通の人からは、仕事中であろう青年が、なぜか真っ昼間にぼうっと一人で座っているように見えている。そんなわけで、勇一は買い物客の視線をちらほらと感じる羽目になっていた。
サボりじゃありませんよ。
言い訳するわけにもいかないが、なんとなく心の中で唱えてみる。気にする必要もない視線だが、やはり咎められているようで落ち着かない。実際のところは、様々な理由や人それぞれの事情があるものだから、買い物客たちは手持ち無沙汰に見える勇一のことなど、大して気にも留めていないのだろうが。せめて、スーパーじゃない店、飲食店などのほうが違和感は少なかったかもしれない。
幽玄と紫月の報告は、あまりに辛いものだった。少なくとも、ひのとゆかりにとっては。
ひのの軽自動車は、今、白月村の隣町の、大型スーパーの駐車場にあった。
マンスリーマンションは審査待ちであるため、今夜の宿はビジネスホテルということになった。しかし、まだチェックインの時間には早い、そんなわけで隣町に到着しても時間を潰す必要があった。とりあえず飲み物を買ったり休憩したりするためにもということで、目に付いた国道沿いのスーパーの駐車場に入ったのである。
勇一と白玉だけ車外にいるのは、車内が窮屈だからというのもあるが、ひのたちの心情を思ってのことだった。
幽玄が運転席に座り、助手席に紫月が座り、そしてひのとゆかりが文字通り肩を寄せ合うように並んで座っている。ひのとゆかりの頬には、涙が光っていた。
無事戻ってきた紫月と幽玄。幽玄の報告は、ひのとゆかりが受け止めるには、あまりに残酷なものだった。
『蓮様は、紫月様を消してしまおうとしていました』
人ではない紫月と幽玄の表情は、冷静そのものだった、と勇一は感じた。それが逆に悲しくもあった。
『蓮様の行方はわかりません。どこかの異界へ逃げてしまったようで、追えませんでした』
空間に消えた蓮がどこに行ったのか、幽玄も紫月もわからないままだった。
蓮さんは、操られてしまっているのだろうか。
勇一は、そう思った。悪人はあくまでニュースの中、普通の人の仮面を被って日常に隠れているなんてそう滅多にあるわけがない、ましてや身内に恐ろしい悪意などを隠し持っているわけがない、どこか漠然とそんなふうに思っていたから。
『術師の術の影響は感じられず、蓮様のご自分の意思と感じました』
紫月と幽玄は、眉一つ動かさず姿勢を正し、口を揃えて証言した。
そんな――。
ほんの少し会話しただけの勇一でもショックを受けているのに、従妹であるひのとゆかりの衝撃はどれほどなのだろうか――、勇一は、ひとまず目の前の自販機で購入した「おでん缶」に口をつけた。なにゆえ「おでん缶」なのかというと、本当は、隣の缶コーヒーのボタンを押すつもりだったのに、動揺が激しく間違って押してしまったのだ。そんなわけで、激しくこの場にそぐわないおでん缶が勇一の手にある。
ちなみに白玉にも、買い物客の波が途絶えた一瞬、こんにゃくを食べさせてあげた。
これから、どうすればいいんだろう。
蓮は、攻撃を仕掛けてくるのだろうか。蓮の母、光咲にはどう話せばいいのだろうか。また、話したところで信じてくれるかどうか、それともいっそ話さないほうがいいのだろうか、勇一は考えを巡らす。
その辺の決断は、ゆかりとひのに任せるしかない、と思う。
いつの間にか、すっかり空は重たい雲に覆われていた。
「あの子に傘持たせればよかったあ。あの子ったら、天気予報見てても、言わないと傘持っていこうとしないから」
小学生を持つ母親らしき女性同士の会話が、目の前を通り過ぎていく。
傘。
傘は、ずっと黙っていた。
もしかしたら、戦いは思ったより近いのかもしれない。
自分は全然強くなっていないのに、と思う。
それから、と思う。
たとえ蓮さんが、悪い考えや恐ろしいことをしようとしているとしても。実際目に見える、表面に出る悪事でなければ、警察に捕まえてもらうこともできない。術師たちだって、一応、「人間」でもあるのかも……。いったい、どう対処すればいいんだ……?
捕まえて、一件落着、そんなわけにはいかない。ボコボコにやっつけてお終い、そんなわけにもいかない。
これは化け物退治なんてものより、厄介なのかもしれない――。
おでん缶のかすかな湯気。茶色の液体の下に、どれだけの具が隠れているのだろう。
おでん缶を買ってしまったために、おでんを一人で食べていることになり、一層人目に付いていること、そこまで勇一の考えは回らない。
「あの人、おでん缶食べてるよ……」
通り過ぎようとしている若い女性二人のひそひそ話が、突然耳に入る。
俺は……!
勇一は頭を抱えた。こんなときにも、羞恥心が働いてしまうことに、ちょっと当惑しつつ。
俺は、決しておでん缶が食べたかったわけでは……!
「おでん缶」
「わあっ! ちがっ……、俺は、そんなんじゃ……!」
振り返れば、ゆかりが立っていた。いつの間にか車から出てきていたゆかりの言葉に、勇一は我に返り慌てる。
「勇一さん。ここで買い物をしてから、出発します」
先ほどまで涙を流していたはずのゆかりの背筋は伸び、凛とした表情になっていた。
それは、悲しみ不安に怯える小学生の顔ではなく――、しっかりと鏡家当主の顔だった。
「術に必要な品を揃え、術師たちの潜む廃屋へ、まっすぐ向かいます」
え……! 今から、敵のアジトへ……!?
堪えきれなくなった空から、雨粒が落ち出す――。




