第47話 地球の時間、宇宙の時間
車内にいたら、気付かなかったかもしれない。
皆の会話と明るいエネルギーに、気を取られて。
走行中の車の屋根の上、指示通り花びらを撒き終えた幽玄は、空の微かな異変に気付いた。
大空に、大きく弧を描く一羽の鳥。鳶の形をした、ある「物」に。
あれは……、創られた「物」……!
幽玄は、飛んだ。偽物の鳶を目掛けて。はるか上空と思われたが、「鳶」は実物よりだいぶ小さく、飛行していたのはごく低空だったことに気付く。
ピイーッ。
偽物の鳶は、鋭い鳴き声を発した。しかし、それも束の間。幽玄の刀が陽の光を受け輝く。
ざっ。
刀は軌跡を描き、「鳶」の体を見事真っ二つにしていた。
はらり、と二つになった小さな白い紙が落ちていく。「鳶」の正体だった。
偵察か。
微弱なエネルギーからしても、攻撃能力はなかった、と幽玄は見ていた。あくまで偵察のための術だと思った。
ゆかり様たちの様子を探ることに特化した術か。
これで、「鍵の間」の向こうにいたのは、やはり術師だったことが確定した。
それにしても、なぜ。
なぜ、偵察を送る必要があったのか、と幽玄は疑問に思う。先ほど、術師が鍵の間の扉を開けなかったということも、引っかかっていた。
やつらは、あの町から遠くへは動けないのかもしれない。
だとすると、封印の影響からなのだろうと思った。
やつらは、やつらの待つ「時期」まで、力だけでなく動きも制限されている、ということか。
幽玄は、皆が乗っている眼下の車を見下ろす。森の中を走る車は、緑の影に見えなくなったり、姿を表わしたり、緩やかに蛇行する道なりに沿って走っていく。
やつらは、いつなのかわからないが、その「時期」が来るまで、ずっとあの鳶に偵察を続けさせるつもりだったのだろうか。
知ったとしてもすぐに動けないのに、こちらの情報を逐一知る必要があるのだろうか、と幽玄は首をかしげる。
まさか――。
ずっと、気になっていた。
紙の術――紙から化身などを創る術――は、鏡家の術式に酷似している。光咲たちの大叔父から聞いて、そこから応用していたのだとしても、どこか腑に落ちなかった。架夜子が現代の鏡家について知っていたこと、銀硝空間で複数遭遇していることも、「鍵の間」を知っていたことも――。
昔の因縁というだけではなく、今現在も、鏡家の誰かと、繋がっている……?
偵察は、自分たちが情報を得るためではなく「誰か」に伝えるため。自分たちが動けなくても、動ける「誰か」、その「誰か」に伝えるためだったのでは――、幽玄の心に閃く、ひとつの仮説。
ゆかり様、ひの様――!
知るためではなく伝えるためということなら、術師というより、鏡家の内通者のほうが首謀である可能性も出てくる。
幽玄は、急ぎ車を目指した。
キキキィーッ!
「きゃああっ!」
急ブレーキによる車の悲鳴のような音、そして運転手のひのから発せられた、本物の悲鳴というもの。それらがほぼ同時に響き渡った。
「ゆ、幽玄! 危ないじゃない――!」
車を脇に停止させ、車から降りたひのが幽玄を叱った。
急降下した幽玄が車の屋根に降り立ち、それからフロントガラスから逆さまに顔を覗かせたのだ。いくら屋根の上にいると知っていたとしても、突然にゅっ、と逆さまの白い顔が視界に現れたら、急ブレーキを踏み叫び出さずにはいられない。
他に車も人も、ついでに野生動物もいない、しかも長く続くカーブからほぼ直線の道になっていたところだったので、急停止で皆驚いた以外、幸いにして被害はなかった。
「もうー! びっくりしたんだからっ! その登場のしかたは、ホラーよ、ホラー!」
屋根から顔を覗かせるなんてホラー映画のワンシーンまんまだったよ、ゾンビ映画でも定番だよ、とひのはまくし立てた。
「化け物退治がなりわいでも、やっぱゾンビは怖いんだからっ。やばいよ、ゾンビは!」
ゾンビ最強説。運転に支障をきたすことが問題なのだが、ひのにとってはホラー的要素のほうがポイントのようだった。
「も、申しわけありません。私としたことが……」
幽玄は深く頭を下げた。なにごともなかったからよかったものの、確かに猛省すべき行動だった。
「急いで伝えたいことがあるのね」
ひのに続いて外に出たゆかりが、幽玄に声をかける。運転手のひのと違い、ゆかりは冷静だった。
しかし、幽玄は、まだ頭を上げなかった。
これは、まだ私の疑念……。
一刻も早く伝えなければ、と焦った幽玄だったが、果たしてこれを今自分が伝えるのはよいのかどうか、迷い始めていた。
不確かな情報。一族間に不和をもたらし、亀裂に繋がっていくだけかもしれない。
そしてこれは、使役鬼の自分が判断できることではない、と思った。自分は、自分の考えを訴える立場ではなく、当主、または鏡家の意向に沿って動くべき身なのだ、と。
幽玄は、顔を上げた。伝えるべきことは、決まった。
「紙の術による鳶が空を飛行しており、今ほど斬り伏せました。偵察と思われます。やはり、鍵の間にいたのは術師に間違いありませんでした」
今起きた事実と確かと思える情報だけを、淡々と報告した。
「偵察……」
ひのと、ゆかりが顔を見合わせる。
「幽玄……、ひのちゃん……」
ゆかりは、幽玄とひのの瞳を、ゆっくりと交互に見つめた。
「私、ずっと考えていたことがあるの」
勇一と紫月、白玉も車から出た。遠くで、鳥の声がした。本物の野鳥に違いない。
「あのね。たぶん、こちら側の人たちの中に、術師へ情報を流してしまっている人がいると思う。それが、なんらかの術で操られているのか、それとも術師が術でその人の意識に接触して、勝手に情報を抜き取っちゃっているのか。もしかしたら考えたくはないけど、積極的に関わっているのか――。その人の状態は、わからないけど」
時が、止まる。風も、鳥の声も、すべて止まってしまったようだった。
「鏡家の誰かが、術師たちに協力してしまっている」
ゆかりは、凛とした姿勢でそう言い切った。
幽玄は、息をのむ。
ああ。ゆかり様は、幼い身ながらなんとご聡明な……! 術師の術の可能性もご身内の積極的な関与の可能性も、動じることなく公正な目できちんと考えていらっしゃる――。さすが、鏡家ご当主……!
幽玄が告げる必要もなく、ゆかりは事実の積み重ねから、全容を見つめつつあるようだった。
「でも私は、積極的に、とは考えたくないです」
ゆかりは、そう述べたきり、ぎゅっと唇を結んだ。
固く握られた小さな手のひら。大きな瞳に、涙がたたえられていた。
ああ。また幽玄。あなたでしょうね。
呆気なく「鳶」が散ってしまったことを、夕闇は己の感覚から察知する。
せっかく、あのかたにお教えしようと思ったのに。
ふう、と吐かれるため息。
先日鏡家の屋敷の場所をお教えくださったお礼に、連中の居場所をご報告しようと思ったのに。
しかしながら、ちょっと残念、夕闇にとってはその程度だった。
「やあ」
お堂から立ち去ろうとしたとき、思いがけず、声をかけられた。
「ああ。こんにちは。ちょうどよかった。あなたに、情報をお教えしようと思っていたのです」
夕闇が対するのは、馴染みのあの人物。それは、鏡家の――。
「私の兄が、発見しました。彼らは、白月村にいます。今、移動中のようですが――」
夕闇は、早速居場所の情報を伝える。きっと一刻も早く知りたいだろう、そう思ってのことだった。
「白月村……! ああ、なるほどね――」
とても納得したようにうなずく。
鏡家の者とはいえ、皆が皆、一族の歴史に精通しているわけではない。
しかし、その者は、地名に心当たりがあった。
鏡家の歴史を調べて知っていた。
「そこは『傘』を創った、鍛冶師のいた村だよ」
鏡家の歩んできた道を、理解していた。
だからこそ、その者は夕闇たちの存在を知り、そして探し、接触できた。
「偵察を送ってみましたが、残念ながら、移動先まではわかりませんでした」
夕闇は、正直に打ち明けた。
「うん。大丈夫だよ。早く会いたいけど、きっとすぐに、会えるだろうから」
その者は、微笑む。そこに、素直な感情があるように夕闇の目には映った。
「情報を、ありがとう。夕闇」
「こちらこそ。いつもありがとうございます。ところで、今日はなにかご用でも……?」
ああ、とその者は顔を輝かせた。
「ちょっと試してみたいことがあって――」
「試す、ですか?」
「よい道具を入手したんだ。今は、なんでもネットで手に入るから、助かるよ」
夕闇の知識に、「ネット」という単語はなかった。ちょっと首をかしげる。
「君たちの封印を解く、もしかしたら手助けになるかもしれない――」
その者は、カバンからなにかを取り出した。
「隕石……!」
夕闇は、反射的に距離を取る。隕石は、鏡家が護りとして使用しているものだ。
少し大きめの隕石だった。特別な術を施してあるから、君たちにも安全だよ、とその者は屈託のない笑みを浮かべた。
なるほど、話していて今まで夕闇はなにも感じなかったし、目の前にしている今も、まったく脅威は感じなかった。
「隕石を、なぜ……?」
「封印の解放には時間の要素が大きい。地球の時間とは異なる、宇宙の時間を使ってみようと思うんだ――」
ざわ、ざわ、と木々が揺れた。




