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第41話 家族

 月が見えない。

 雨に打たれる影絵のような枝葉は、夜の嵐になすすべもなく揺れ続ける。


 僕が、決着をつける。いくつもの太陽や月、花の香りと共に過ごしてきた彼女と、まだ見ぬ我が子を、僕が。

 

「そのご様子――。雨風の中佇む私の体を、案じてくださるわけではないようですね」


 大切な宝物を守るよう腹に手を添えていたが、濡れそぼつ黒髪の下笑う彼女の目は、自分のよく知る優しい眼差しではなく、鬼気迫る金色に変わっていた。


「すまない……。君のこと、調べたんだ。この辺りの行方不明事件……。それは、つまり、君の――」


「ええ。そうです。もっとも、すぐに騒ぎになって疑われてしまうから、極限まで普通の生活を心がけていたわ。どうしても、我慢しきれないとき。そのときだけ、ね」


 彼女は、隠すことなくあっさりと白状した。

 年にたったの数人、数で言えばそのくらいよ、とさえ、付け加えて。


 ああ。やはり。彼女は、存在してはいけないもの――。


 心のどこかで持ち続けていたかすかな希望。もしかしたら、共存できるのではないか、人ではないとしても、寄り添うことができるのではないか。そんなわずかな可能性は、無残なまでに打ち砕かれた。

 絶望を知ってか知らずか、人ならざる彼女は、淡々と続けた。


「宿無しの人とか、夜に生きる人とか。なるべく人の縁の薄そうな、いなくなっても気付かれないような人たち。あと、いなくなればいい、そんなふうに世間から疎まれる人。そういう人たちが、私の生きる糧になる。私はいつも、私の選んだ彼らを思い、深く感謝するようにしているの」


 いけない。


 いけない、と思った。打ちのめされ、膝をついてしまってはいけない、と。吐き気をもよおしそうな胃をなだめ、必死にこらえた。あくまで、術師として毅然としていなくては――、涙を、叫び出したい衝動を、飲み込んだ。


「今はおなかにこの子がいるから、もっと必要なんだけど――。父親として、協力してくださる……?」


 金の瞳。裂けるように広がる口。尖った牙。


「私は貴方をお慕い申し上げております。どうか私と生きて欲しいのです――」


 貴方が必要なんです、彼女の瞳が、一瞬だけもとの黒色に変化した。濡れた頬は、冷たい雨ではなく彼女自身のあふれる思い――。


「私を、私たちを、選んで。貴方も、こちら側で生きて……!」


 父も母も弟も、こちらには来れなかった、彼女はそう語った。今は我が子がいるけれど、私はひとりぼっちなの、と。

 それから、なにかを閃いたように、彼女は顔を輝かせた。


「そうだ。たぶん、私の血肉を少し、貴方に分けてあげる。私は、兄のおかげで今の私になったから。力のある貴方なら、きっと父や母や弟のようにはならない。そして貴方も、こちら側に来たら、老いていくだけの不自由な体を捨てられて、なにも恐れるものがなくなるから……!」


 ごうごうと、吹きすさぶ風、雨つぶて。


「僕が、君と子を封印する……!」


 たった一人で来た。幽玄も連れず、父や母、他のきょうだいたちにも知らせず。鏡家に汚名を残さないために。


 僕が使うのは、封印の術の最高技法……。自らの命と引き換えに行う、禁じられた秘術……! これが、僕の鏡家として、人としての誠意だ……!


 雷の音。荒れ狂う空。

 天に握りしめた拳を突き出し、封印の呪文を、叫んだ。




「で、母上は中途半端に封印されちゃったのよねえ」


 スイートポテトを食べ終え、架夜子(かやこ)は、自分のカールした長い髪を、人差し指にくるくると巻きつけながら呟く。


「ええ。母上は、人よりゆったりとした長い歳月を生きていらっしゃるとはいえ、もともと『人』ですからね。いくら強力な『封印の術』だとしても、生きた人間を消してしまうことはできません」


 夕闇は、ポットのダージリンティーを架夜子のカップに注いであげてから、自分のカップにも注ぎ足した。


「母上は異界に封じられながら、長い時間をかけて、たったひとりで赤ちゃんを産み育てた……。やっぱ、大変だったろうなあ」


 カップの中で少し冷めたけれどまだ熱いらしく、ふうふう、と架夜子は湯気を上げる紅色に息を吹きかける。


「半分封印されているような状態なので、時の流れが緩やかだったと聞きます。母は自在に年齢と姿を操れるようでしたが、父はゆっくりとした時間の流れの中、まるで人のような経過を経て成長していきました。でも、かえってそれが愛が深まる豊かな時間だったと――」


「ふうん、そういうもんなのかなあ」


「ええ。母にとってはたったひとりの愛しい我が子。しかも、日を追うごとに愛する人に似てくる。母は――、自分たちを封印し、命を落とした恋人を、深く愛しておりました。兄や自分たちを追い詰めた鏡家と知っていても、止められなかった愛。母は、鏡家などというものは関係なく、彼という人間を愛していたのです。そして、母に、彼を恨む気持ちはありませんでした。ただ、彼を失った悲しみだけ――」


「じゅんあい」


 まるで池や沼で採れる「じゅんさい」を呼ぶような言いかたで、架夜子は述べた。


「お美しい母上。そして、いつしか子は、長い時間をかけ、恋人の面影が残る青年に育ちました。そして二人きりの空間でお互いを支え合い――」


「父上が、父上になったんだよねえ!」


 あっけらかんと、叫ぶ架夜子。


「そう。母上と父上は、私たちきょうだいをお作りになったのです」


 ははうえと、ちちうえから、わたしたちはうまれました。おじいさまのちを、いろこくついだ、ちちうえ――。


 夕闇は、立ち上がる。優雅な所作で。


「そろそろ兄上も帰ってくるでしょう。ちょっとお湯を沸かしてきますね」


 架夜子に微笑みを残し、台所へと向かう。


「運命の恋人は、私たちのおじいちゃん……、か」


 背に聞こえる、あどけない架夜子の声。


「私の『運命』は、誰かなあ? 父上、兄上、それとも兄様……?」


「こらこら。架夜子。架夜子が運命なんてことを語るのは、まだまだ早いですよ」


 やれやれ、まったく困ったものです、と夕闇は兄として――自分も候補に挙げられたことにちょっと笑顔になりながら――たしなめる。


 私たち家族は、いつまでも仲睦まじく暮らしていくのです。父上を、中心として――。


 甘党ではない黒炎(こくえん)のために、夕闇はフライパンを準備した。


 保存してある「獲物」。さっと焼いて差し上げましょう。

 

 ほどなく兄の豪快な足音が、聞こえてくるはずだ。




 鏡家本家に残された、一冊のノート。その告白は続く。


『父は、父自身の能力の高さから、気付いてしまった。封印が、完璧でなかったこと。そのため時の流れと共に術が弱まり、時折異界からその者が現れること。まだ異界から出られないようだが、その者の子も、生きているらしいこと。

 そしてさらに――。実に恐ろしいことであるが、その者とその息子の間に、さらなる子が生まれているらしいということ……!

 なんということだ。鏡家の血が、化け物に受け継がれ続けている。忌まわしい形で。

 大叔父が封印を試みたその者は、なんとか父の手で完全に封じることができた。 

 父が封印を決行したあの日――、私が父の決意に気付けなかったこと、今も悔やんでいる。もっとも、あの運命の日に、私が父のあとを追って駆けつけたとしても、あのときの私では足手まといにしかならなかったかもしれないが――。

 化け物の子や孫が、自由にこちらの世界を行き来できるようなことになってはならない。

 今の私なら、きっとできる。

 そのために、入念な準備を重ねてきた。

 幽玄を連れないのは、ゆかりや他の鏡家の親族たちを守ってもらうためでもある。

 れい様の、予言のためにも、彼は残さねばならない。

 私は、必ず帰る』

 

 ノートは、数行の空白を残す。


 『愛する妻と娘、必ず私は』


 紙はにじんでおり、それ以上文字が綴られることはなかった。

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