第40話 運命の恋
このノートは、存在してはならない。
私が、これからすべてを終わらせる。
そのあかつきに、このノートを焼却するつもりだからだ。記録に残さず、当主のみに口伝することとされたおぞましい秘密は、永遠に知られぬものとなる。
この文章が誰かの目に触れるということは、私の失敗を意味する。
父は、敵との戦いの前、私に代を譲りこの秘密を打ち明けた。ちょうど今の私と同じ、強い決意を持って。
そして父は、失敗した。そして、母もその巻き添えで命を落とした。
私は父の遺志と先祖の秘密を守るため、涙をのんで父母の最期の事件は、通常の鏡家の仕事の中の悲しい結果としてしか、残さないこととした。
偉大な父と母。真実を語られない父と母の死であるが、父母の深い愛と勇気ある心は、まっすぐな生きざまから、鏡家の一族皆が知るところである。
父が命と引き換えに施した術は、完全ではないにせよ、有効である。
父の術の助けで、私は必ず達成できると信じている。
だが、あらゆる事態を想定しなければならない。
娘のゆかりや皆のためだけではない。これから先の、子孫のためにも。
世の中には知らないほうがいいこともある。しかし、敵を知ることは、勝利のための重要な要素だ。
私に口伝された、鏡家の秘密をここに記す。
カーテンの隙間から差す日差しに、埃が浮遊して見える。光が差さなければ、その微細な姿はわからない。
陽花は、長姉の光咲が震える指でページをめくるに任せ、弟の文字を追った。
「ただいまあ、兄様ぁ!」
架夜子の元気な声を耳にし、夕闇は読みさしの本を閉じる。
「お帰り。早かったね」
「兄上はあ? まだ出掛けてるの?」
架夜子は、長兄の黒炎を兄上と呼び、夕闇を兄様、またはお兄様と呼んでいた。
「うん。まだだよ。架夜子はどこに行ってたのかな?」
夕闇は、架夜子のためにお茶とお菓子の準備をする。ダージリンティーと架夜子の好物のスイートポテトだ。黒炎が来たら、お湯を沸かし直そうと考えつつ。
「鏡家! でもやっぱ場所、わかんないんだよねえー」
「また行ってみたのですか。術が掛かってるからね。少なくとも、今の我々ではなかなか……」
「でもさあ、ちゃれんじしたいじゃん?」
「架夜子は頑張り屋さんだなあ」
架夜子のむくれた頬に、微笑み掛ける夕闇。実は、夕闇はすでに鏡家の屋敷を知っている。しかし、妹の行動を思い、妹に知らせないままでいた。兄の黒炎も、おそらく知らないだろう。
あの人との接触は、基本私だけですから。
架夜子は顔を輝かせ、フォークをスイートポテトのど真ん中に突き刺した。
「ねえ、兄様。母上の話を、して?」
頬張ろうと大きな口を開けつつ、夕闇を見上げていた。
「そうだなあ、なんの話にしようか――」
架夜子は、母を知らない。架夜子を産んで間もなく、殺されてしまったから――。
「恋の話!」
甘いスイートポテトをもぐもぐさせながら、架夜子は目を輝かせた。
「父上との話?」
ダージリンティーの香りが、心地よく広がる。ティーカップの中で輝く、なめらかな栗色。
「ううん、違う!」
「違う? じゃあ――」
「父上との話は、なんていうか、ロマンがないんだよねえー」
「こら。架夜子。そんなことを言ったら――」
架夜子は、空になったフォークをグーで握りしめ、机を叩く。
「最初の恋の話だよ! 禁断の恋、すごいドラマチックじゃん!」
それを言ったら、父上とのほうが禁断なんだけどな。
夕闇は、くすっ、と笑う。
「美しい物語だよ。とても」
夕闇は繊細なカップの縁に口づけをし、ゆっくりと話を始めた。
僕はいつも、一人だった
特殊な力を持つ家に、生まれたから。
友だちと呼べる子は何人かいたが、
『どこか、あいつは違う』
そう思われるようで、常に見えない壁を感じていた。生まれつきの敏感な性質が、より強く壁を意識させていたのかもしれない。
鏡家の大人たちは、いつも忙しそうで、遠方に出掛けてしまうことも多かった。
その日は、一日中風が強く吹いていた。
「あ」
短い声を上げ、女の子が帽子を追う。帽子が風に飛ばされてしまったようだ。
「ありがとう」
飛んできた帽子を拾ってあげると、女の子は微笑んでお礼の言葉を述べた。
きれいな子だな。
長い黒髪、大きな瞳の――、どこか憂いを帯び、大人びた印象があった、美しい少女だった。
「あっ」
渡したはずの帽子が、また飛ばされそうになる。思わず、顔を見合わせて笑ってしまった。
「危なかったね」
「また飛ばされちゃうかと思った」
風のいたずらに帽子を抑え、揺れるスカートも抑え、女の子は恥ずかしそうに笑う。なんだかその様子がおかしくて、つられて笑ってしまった。
「君。見掛けないね。この辺の子?」
「ええ。普段は、あまり外に出ないのだけど」
そんな会話をしたような気がする。どうして尋ねたのか、会話を続けたのか、あまり覚えていない。たぶん、そのあと河原を散策し、とりとめもない話をしたのだと思う。
「また、会えるかな」
「うん。楽しかった、です」
ばいばいと、手を振り合う。名前も教え合わずに。
偶然なのだと思う。数日後、少女を見掛けた。
「また会ったね」
「この前は、ありがとう」
その後も見掛ければ、互いに短い会話を掛け合った。
「明日も会えるかな」
「うん。約束ね」
夕日の魔法か、ただの偶然が、いつの間にか約束に変わっていく。
どうやら、少女には家族がいないらしいということがわかってきた。
「私には、不思議な力があるの」
「僕も、あるよ」
僕の家は、特殊なんだ、と打ち明けた。
私も、特殊なの、と少女は答えた。
少女を喜ばせようと、ちょっとした鏡家の術を見せてあげた。他の友だちには見せたことはない。気を引きたかったのかもしれない。手品とか得意技の披露とか、そんな感覚だった。
「僕の、最近身につけた術、見せてあげる」
鏡家の一族なら、術師の能力がなくても道具さえあればできるような、ごくごく簡単な術だった。
「すごいね!」
少女は瞳を輝かせ、もっと見せて、とせがんだ。
「こんなのもあるよ」
「すごいね、面白い!」
少女は、自分もやってみたい、と言った。もっと教えて、とせがんだ。
「こんな感じ?」
見よう見まねで、少女は鏡家の術をやってのけた。
「すごい! 君、才能あるよ!」
秘密を共有した気分だった。気分が高揚した。
術師の才能がある、それはつまり運命の人かもしれない、と思った。
高度な術も教えた。銀硝空間など、他空間の話もした。少女は興味津々といった様子で話を聞く。
誰にも知られず、誰にも伝えず、少女との時間を重ねていく。
僕は、将来、彼女と結婚するんだ。
鏡家の一族となる者は、才能の有無により程度は異なるが、術師としての情報や知識、技能を伝えられる。そして、積極的に、あるいは陰で、能力を持たなくとも術師の家族として支えるような家風だった。それは、決して強制や義務ではなく、自然とどんな場合でも歩調を合わせられる、そんな配偶者を選んでいるという結果なのだが。
僕の場合、家族になる前に伝えてしまってるんだけど。でも、僕の心は決まっているから。
少女が、大切な存在になっていた。
大人になっても、それは変わらなかった。変わらないというよりむしろ、彼女の存在はかけがえのない大きなものになっていた。
「化身っていうのも、作れるんだ」
「わあ、すごい……!」
化身も、見せた。
「私も作ってみたよ!」
今度は、こちらがすごいと驚かされた。彼女は、高度な術も一度見聞きしただけで、完璧にやってのけた。
彼女は、鏡家にとって、なくてはならない存在になるはず――。
優秀な術師になって、より多くの人々を救えるだろうと思った。二人の絆は、あたたかく明るい未来に続いていく、そう信じていた。
「結婚したい人が、います」
両親に打ち明けた。
どうして、その日まで気付かなかったのだろうか。誰も。
それは――、彼女の力が、あまりにも大き過ぎて、逆に捉えきれなかったからなのかもしれない。
彼女の生存本能が、意識せずとも彼女の力を隠していたのかもしれない。
「なんてことだ……! この女性は――、人ではない……!」
彼女を一目見た父は、彼女の正体を見破っていた。
「父様、いったいなにを――」
なんと失礼な、そう思ってそのとき振り返った彼女の顔を、忘れることはできない。
「もう、遅い。私のおなかには、すでに子がおります……!」
口が大きく裂け、覗く牙。白目を剥き、艶やかな髪は逆立つ。額に深い皺が刻まれるや否や、そこから大きな一本の角が現れる――。
「化け物……!」
まさか、まさか、まさか――!
最愛の女性が、人間ではなかった。しかも、それは、自分たちが退治すべき存在――。
「どうして――!」
ほほほほほ、高笑いをして屋敷を飛び出し、彼女は闇の中へ駆け出していった。
どうして――!
彼女を追うことも両親に向き合うこともできず、不甲斐なくそこで意識を失う。
幼く淡い恋心、理解し合う喜び、静かで確かな愛情――、育んでいたすべてが、音を立てて崩れていくようだった。
僕たちの間に、子が――!
それは、絶望なのか、喜びなのか。大きな感情の渦に翻弄される。それから三日三晩、高熱にうなされていた――。
光咲が、叫ぶ。
「この話って、大叔父様……!」
「そんな、大叔父様が、化け物との間に子を……!」
姉妹は、弟の語る真実を、恐れながらも追っていく――。
「イケメンだったのかなあ、一目惚れだったのかなあ……?」
架夜子は、頬杖をついて遠くを見つめていた。
「うん、母上は、いつもうっとりとした目で話しておいででしたよ」
夕闇は、自分の皿のスイートポテトも、架夜子に譲ってあげようとした。
「ううん、半分こ、しよ」
「それじゃ」
皿の上できれいに等分にし、架夜子の皿に乗せる。
「続き、続き!」
「そうですね――」
話の中、夕闇は、二人の見上げたであろう月や並んで歩いた足元の花、川面のきらめきなども、架夜子に語って聞かせた。
姉妹にとってはおぞましい物語も、夕闇たちにとっては運命の糸で織られた、美しい恋物語だった――。




