第39話 秘密
紅葉の森に隠された「星の宿」は、風のささやきと落実のほか、静けさを守る。
テーブルの上の桃色の小さな機械が放つ光と、音。
ゆかりの携帯電話が、誰かからの着信を告げる。
「あ。光咲伯母ちゃんから……」
ゆかりが、電話を受けていた。
「ゆかり様の、お父様の姉君だ。蓮様のお母様でいらっしゃる」
尋ねたわけでもなかったが、幽玄が傍らの勇一に説明した。
「亡くなられたゆかり様の父上には、お二人の姉君がいらっしゃるのだ。それが、光咲様と陽花様でいらっしゃる」
なるほど。末っ子長男だったゆかりちゃんのお父さんが、鏡家を継いだというわけか。
勇一は、ゆかりの家族関係をおぼろげながら理解した。
「光咲様は、県外に嫁いでいらっしゃる。社会人になられお一人暮らしの蓮様も、お仕事もお住まいも県外だ。しかしながら、れい様の予言が現実となった今、お力を受け継いでいる光咲様と蓮様は、足繫くあの町に来てくださっている」
幽玄が、光咲と蓮について詳しく話してくれた。
蓮さん。県外に住んでるんだ。
ゆかりの伯母の「光咲伯母ちゃん」という人物については、ごく普通の会話としての温度として聞いていたが、ひのの従兄「蓮」については、ちょっと意識してしまう。密かに帯びる、微妙な熱。
従兄だし……。年齢だって離れてるかもだし……、って、俺、気にし過ぎ!
勇一は、ちょっと自分自身に呆れる。そんな気にする立場ではないのに、とも思う。
「はい。もちろんです! よろしくお願いいたします」
やはり術師たちへの警戒のためか、ゆかりは手短に通話を終えた。
「光咲伯母ちゃん、これから陽花伯母ちゃんと一緒に、改めて家を調べたいって。見落とした記録とか、日記とかなにか手掛かりがないか、屋敷の中もよく探してみたいって」
ゆかりは、ひのと幽玄を見上げながら光咲からの電話の内容を打ち明けた。
「ゆかりちゃん。いいの? ゆかりちゃんが立ち会わなくて」
ひのが、問い掛ける。屋敷の中ということは、おそらくすでに亡くなっているゆかりの父母の部屋や、ゆかり自身の部屋も含まれているということだ。
いくら光咲や陽花の実家だとしても、今はゆかりの家。小学生だとしても、鏡家当主、権利はあるし許可は必要である、と光咲もひのもちゃんと考えている様子だった。
ゆかりには幽玄が付いているから、あまり生活の心配はないと思える。おそらく、伯母である陽花や光咲、それから従姉のひのが、都合がつけば通って様子を見る、という日常なのだろう。伯母たちやひのは鍵を持っていて、屋敷に入ることは彼女たちにとって普通のことと思われる。しかし、家の中を調べるとなると、だいぶ話は違ってくる。
たぶん、当主という立場じゃなくても、きっとひのさんはゆかりちゃんのプライバシーを尊重しようって考えてくれてるんだろうな。
身を屈めてゆかりの視線に合わせる、ひのの真剣な瞳が、勇一にそう思わせていた。
「うん。もちろん。逆に私からお願いしたいくらい。きっと、天国のお父さんもお母さんも許可してくれてると思う」
架夜子たちについて、なにかわかることがあるといいんだけど……。
わかることは、なるべく多いほうがいい。できることも、増えるだろうから、と勇一は思った。
「ふうむ……。ここまでが限界か」
黒炎は、隣町にある、うっそうとした沼地を訪れていた。ここが、黒炎が足を延ばせる限界だった。
忌々しい鎖め。
お堂の下の空間から、繋がれた鎖。目に見えないが、それは確かに存在する。
「出せる力も限界があるし、移動にも限界がある、か」
これでも、だいぶ動けるようになってきた。時間は、なによりの薬だと思う。
「母上が殺されて、六年。母上も生きていれば、もうじき我々や父上と共に、地上でなんの不自由もなく活動できたであろうに――」
人も訪れない、陰気な沼。底の見えない淀んだ水面に、黒炎は己の姿を映す。
鏡家に、恨みはない。
黒炎たちにとって、すべての元凶であり、すべての因縁の元である、鏡家。
「すでにこちらは倍以上、命を奪っているからな」
なにかが、跳ねる音がした。きっと鮒や鯰、その辺りだろう。
鏡の現在の当主の父母と、祖父母。血で贖わせてもらったから、恨みというものは、ない。
にやり、と黒炎は笑みを浮かべる。
夕闇と架夜子は、それぞれ違う理由からのようだが。
きょうだいを思い浮かべると、たちまち黒炎の笑みが柔和なものに変わる。
夕闇は、母上の深い気持ちを汲んでいる。架夜子は、もともとの自由な気質や好奇心で。
飛び回るトンボは、ちゃんと黒炎が見えているようで、しっかりと避けつつ飛んでいる。さらには肩に止まり、翅を休ませているものさえ。
「わあ、不気味な沼ー! さすが心霊スポットー!」
唐突に響く、けたたましいような笑い声。若い男女のようだ。
「こわーい、昼間でもちゃんと雰囲気あるー!」
数は、四。健康そうには見えず、あまりにも脆弱な感じがして、手応えがなさそうだ、と黒炎は目の前の集団を値踏みする。
まあ、今日の獲物は、こいつらでよかろう。
今の状態の肉体で、どこまで力を出せるか、力試しも兼ねて。
丈の長い草が揺れる。なにかを察したトンボが、一斉にその場から飛び去った。
弟夫婦の葬儀のあと、遺品整理は行われている。
今更、見つかるものなんてないかもしれない。
そう思いつつ、陽花は姉の光咲と共に実家を訪れていた。
目に入るのは、愛情あふれる家族の歴史と、堅実な暮らしの様子、それと少々、特殊な仕事の軌跡。今のところ、なにも発見はなかった。
古びた長い廊下、姉二人の曲がった先は、弟夫婦の寝室。
「ごめん。ちょっと見させてね」
気が咎める。きっと、娘のゆかりも、成長してからは遠慮するだろう場所。
「……どうして、気付かなかったんだろう」
光咲の声に、陽花は振り向いた。
「術を掛けた、痕跡を感じる――」
「えっ」
言われて、陽花も意識を集中させた。
「ほんとだ……。たぶん、術師の弟本人が亡くなって、時間が経ったから感じられるようになったんだろうけど――」
なにかを隠す術が施されているようだった。「隠す術」とは、見えない箱に鍵を掛けて隠すような術なのだが、それにはいくつか種類があり「鍵となるものがないと開けられないもの」、「術師であれば比較的容易に解けるもの」、「偶然でも条件があれば開くもの」、「時間が経てば自然に開放されるもの」と難易度ごとに分かれている。
弟の掛けた術は、「術師であれば比較的容易に解けるもの」と「時間が経てば自然に開放されるもの」を合わせたもののようだった。
「たぶん、ゆかりちゃんでは開けられない性質のものね……」
感覚的に、わかった。隠す術に時間の要素を入れたのは、天性の才のある術師でも、ある程度の年齢でなければ開けられないものにするため、そういうギミックなのだろうと思った。
ある程度の年齢……? ゆかりちゃんが大人になるまでってこと……?
しかし今、光咲と陽花、二人共術を解くことができる。二人はうなずき合う。
「ごめんね……。たぶん、必要なの。私が開けるよ」
そっと弟に断ってから、光咲は息を深く吐き出し、両手で印のようなものを結びつつ、呪文を発した。
「時に守られ、秘された箱よ、我らの前にその姿を現せ――!」
壁際にある机の三番目の引き出しが、光りだした。どうやら、その引き出しの中に、なにかがあるらしい。
引き出しを開けると、光る箱がある。箱の存在を認めるや否や、箱の輪郭は空気に触れて溶け出したようにたちまち霧散し、代わりに――、そこには一冊のノートがあった。
「これは……」
引き出しを開けても術を解かない限り、見つかることはなかったノート。陽花と光咲は顔を見合わせた。
光咲は、震える指で、ノートを開いた。
懐かしい、一文字一文字丁寧な、弟の手書きの文字。
「そんな――!」
めまいがした。思わず口を抑える。
目の前の景色が、ぐるぐると勝手に回転するようだった。
様々な、禍々しい事件を見てきた。おぞましくどす黒い人間の行いも。
しかし、その場に座り込む。光咲も、同様に打ちのめされているようだった。死と向き合うような様々な経験も、磨いてきた精神力も、無力だった。
弟一人では背負いきれないような恐ろしい秘密が、そこには記されていた。




