第38話 カップル感
誘うような秋風。かさかさと、色づく木の葉が舞った。
うろこ雲の高い空、ちょっと、体ならしに遠出をしてみる、という兄の黒炎と、つい先ほど目を覚まし、ちょっとお散歩してくるね、という妹の架夜子を、
「行ってらっしゃい」
と、夕闇は手を振って見送った。兄も妹も、一歩踏み出すと、すぐにその場から姿をかき消す。銀硝空間などの、他空間を使って移動したのだろう。
二人とも、行き先は別々かな。なにはともあれ、元気なようで一安心です。
夕闇は、うん、と伸びをした。読みかけの本の続きを読もうか、縁側の補修でもやってみるか、それともいい加減掃除の真似事をやってみるか、などとぼんやり考えていた。縁側の補修は、通りすがりの誰かに目撃されるかもしれない、それなら、明るい晴れの今日はやめたほうがよいかな、などと思案していると、
「こんにちは」
意外な声に、夕闇は振り返る。
「ああ。あなたでしたか」
「ふふ、僕くらいじゃないかな。あなたがたのもとを訪れるのは」
珍しい、来客。この廃屋に来客、ということは、夕闇たちの存在を知っている者。
夕闇もよく知るその人物が、微笑んでいた。夕闇も、親しげに笑みを返した。
「なにかご用でしょうか?」
「用がなければ、来てはいけないかな?」
夕闇のもとを訪れた人物は、いたずらっぽく尋ね返す。
「……お互いのために、ならないんじゃないでしょうか」
そう答えつつ、夕闇は、肩をすくめた。一応困ったように眉をひそめたが、実は大して困っても困惑してもいない。立場上、建前を言っただけ。
「僕らは、親戚じゃないか。たまに立ち寄って他愛もない話をしても、いいんじゃないかな」
そう言われて、夕闇は笑う。
「そういえば、先日もお一人いらっしゃいましたね。お茶も出さないうちに、お帰りになったようですが」
「……帰してくれて、実は感謝してる」
夕闇は思わずその人物の瞳を見た。ちょっと、意外だった。あの件に関しては、どうでもいい、どちらでもいい、そういう反応をすると予想していたのだ。
「おいおい。そんな驚いた顔をしなくても。僕にだって、人の心はあるよ」
「あなたにとって本当に必要な人物以外、残さなくていい、そういうお話だと思っておりましたが?」
夕闇は、じっと見つめる。見つめた瞳の先の、隠された燃えたぎる野望の輪郭を読み取ろうとするように。
「僕がこの先、手に入れるお人形、彼女が悲しむだろうから。お人形は、やっぱり微笑んでいたほうが美しい」
ああ、と夕闇はすぐに理解した。
「でも、そのお人形、かなりおてんばですよね? あなたのおそばにお迎えする必要が、あるのでしょうか?」
「形式は、やはり大事だよ。形式で、いいんだけど、ね。それに――」
うろこ雲の群れの前に大きな雲が現れ、光を遮る。ほんの一瞬、かげりができる。
「僕は、彼女を愛しているよ」
夕闇は、見つめる。その人物の笑みを。
このひとは、私に似ている。いえ、むしろ血縁を愛する私以上に――。
「あなた様のご意向、私たちは今後も尊重いたします」
夕闇は、敬意を示すよう一礼した。
夕闇が見たのは、どこまでも、空虚な笑み。横たわる黒い三日月のようにぽっかりと浮かんだ、形状だけの笑みに、夕闇は同族のような親しみを覚えていた。
「お母さんが、無理しないよう、注意していてね」
ひのは、父である護に母のことを託す。
「もちろんだよ、ひのも、どうか気を付けて。一言でもいいから、毎日電話するんだよ」
護は、ひのを案じつつ――もちろん、姪のゆかりや勇一たちのこと、皆のことも心配してくれていた――、妻の待つ自宅へと帰る。
「護さん、本当にありがとうございました……!」
勇一たちは、花に囲まれた「星の宿」の門から、護の車を見送る。車が坂道を曲がり、見えなくなるまで。
どうか、ご無事で……!
勇一は、一人帰る護の無事を、祈らずにはいられなかった。
「マンスリーマンションの審査に、一週間くらいかかるらしいです。それまで、よろしくお願いします」
勇一は改めて、ペンション「星の宿」のオーナーご夫妻に、護を除き、自分を含めた皆の一週間ほどの滞在延長を申し込む。
「もちろんです。ご日程につきましては、皆さまのご都合のよいようになさって大丈夫ですよ」
ご夫妻は、笑顔で快諾してくれた。
ところで、マンスリーマンションの契約だが、勇一、ひの、ゆかりの身分証明書をまとめて送っていたわけだが、利用目的についてはちょっと悩んでしまっていた。
「鏡、ときちんと名は出しますが、鏡家としての根回しは今回控えようと思います」
通常の利用者として――なにか奇妙な言い回しではあるが――契約したいと、ゆかりは提案していた。鏡家のパイプは使わない、わずかでも敵側に手掛かりを掴ませないという慎重な判断からだった。
通常の契約ということは、通常の手順を踏まなければならない。
「利用目的って、やっぱり必要なんだな。あくまで短期契約だから、普通のマンションとかの契約より簡易的だって聞いたことあったけど……。うーん、ひのさんとゆかりちゃんは、いとこ同士だし、なんとか理由つけられそうだけど、俺は関係ないしなあ」
勇一が腕組みして考えていた。ひのは、スマホを操作、なにかを調べている。
「普通、どんな理由があるのかなあ。ふうん、出張、自宅リフォームのための仮住まい、お試しの住まい……」
利用目的例を調べていた。
「お試しの住まいって、なに?」
疑問に思った勇一が、尋ねる。
「同棲したいカップルが、お試しに住んでみる、だって」
同棲カップル……!
勇一の顔が、ぼっ、と赤くなる。うっかり、ひのと自分の同棲というものを想像してしまった。これは、うっかりだ。
「あっ、わかった!」
ひのが、名案とばかり顔を輝かせ、声を弾ませた。
「思いついちゃった! 私と勇一君が、同棲してみたいと思ってたカップルで、いっぽう小学生のゆかりちゃんは、通院とかで、マンスリーマンションのある市に通わなくちゃならなくなって、それで、私たちがそんなゆかりちゃんの保護者代わりってことで、ついでに三人一緒に住むことにしたってことで! どう? よくない?」
同棲……! 保護者……!
勇一は、ワードの強さに圧倒されていた。
ひのは、ふと、テーブルの上の、勇一の身分証明である運転免許証に目を落とす。
「あっ、勇一君、私より年上だったんだ。ごめんね。勇一さん、そう呼んだほうがよかったかな」
ひのは、勇一を同い年か年下だと思っていたようだ。頼りなく見えていたのではないか、と落ち込みそうなところだったが、
勇一さん……!
なにやら、新鮮な風が吹くようで、勇一は感動していた。
勇一君、勇一さん、どちらでもいい。ひのさんが、呼んでくれるなら――。
「こいつは、勇一でいいんじゃないか。別に」
勇一が感慨深く浸っているところに、幽玄が非情な発言をかます。
ひのが、ぽん、と両手を叩いた。
「じゃあ、私が勇一さんって呼ぶから、勇一さんは、ひのちゃんって呼ぶようにしよう? ちょっとカップルらしくない?」
カップルらしい……!
別に審査といっても書類のみだろうし、担当者に会うのは鍵の受け渡しのときらしいし、取り立ててカップルを装う必要はないのだろうが――。
「カップル感、出してみよっ」
ひのは、楽しそうに張り切っていた。
「うん、カップル感、出します!」
即、食いつく勇一。
ひのの掛け声で、カップル感を出すことが決定された。
「カップル、おー!」
「カップル、おー!」
ひのと勇一は、拳を突き上げた。
ゆかりと紫月は、そんな二人に謎の拍手を贈り、白玉は、大きく上下に揺れて二人の案を歓迎した。
「おー! カップル!」
「おー! カップル!」
「おー、いえーす! カップル、うぃーあー、カッポー!」
「うぃー、あー、カッポー! いえーす、カッポー!」
テンションが、おかしい。ひのはひたすら楽しんでおり、勇一はなにかの針が振り切れたらしい。向こう側に、行ったのだろうか、なにかの。
「カップルって、そういう感じだったかな……」
長い歳月、人の営みを見続けてきた幽玄、ついでに傘、このふたつの存在だけが、疑問を感じていた。




